殿下、妹にだけは手を出してはなりません
「ソフィア・フランボワーズ伯爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」
年明けの大夜会、国中の貴族が集う王宮の大広間に、突如響きわたったのは、この国の王太子殿下のお声でした。
「殿下! それはなりません!」
人垣を縫って前に出ながら、私は声を張り上げました。
「にっくき隣国を攻めて我が国を豊かにするのでしょう? そのためには私の力添えが不可欠ではありませんか!」
やっとのことで人垣を越えた私は、訴えるようにぐるりと大広間を見回しました。
炎ではない光を宿す煌々と明るいシャンデリア、真冬の寒さを欠片も感じさせない薪要らずの暖房設備、そして夜も眠らず完璧な仕事をこなす忠実な召使いたち――。
すべて、私が生み出した叡智の賜物です。
たいして明るくなく火事の危険ばかりある燭台や、大量の薪を燃やしても部屋全体を暖めるにはほど遠い暖炉、食事も休息も与えねばならず品質も安定しないメイドや騎士――。
それらをすべて『改良』して、婚約者として殿下の野望を叶えてあげようとしましたのに。
ほら、ご覧なさい?
煌びやかな夏の衣装をまとい、美食に酔いしれる貴族たちを。
「もう彼らは以前の不便で不快な生活には戻れませんわ。それどころか、殿下が国の御旗を掲げ、にっくき敵国を討ち滅ぼす瞬間を今か今かと待ちわびていることでしょう!」
優雅に微笑んで朗々と奏上した私。
大広間の貴族たちから拍手がわきおこりました。ええ、私は彼らから支持されているのです。
「殿下、戯れはお控えくださいまし」
私は勝者の笑みを浮かべ、殿下を優しく諭しました。
しかし、殿下は私を無視してずんずんと壇上に座す国王陛下の元へいくや、絢爛な衣装を乱暴に剥ぎ取ってしまわれたのです。
突然の奇行に、大広間が水を打ったように静まりかえりました。
「俺はッッ! いくら崇高な目的とはいえッッ! 愛する両親をこんな風にされたくなかった!!!」
その声にはわずかに嗚咽も混じっております。
引き裂かれた王衣、その隙間から。見える人には見えるでしょう……鈍色の金属板と複雑に絡み合う配線がのぞいていました。
(嗚呼……)
私は天を仰ぎました。
王太子殿下は大変単純な性格でしたから、小さな隠し事など造作もないと思っていたのです。楽勝だと。
でも、詰めが甘かったようです。
「殿下」
私は内心の焦りを押し隠して、できるだけ優しい笑みを浮かべました。
「両陛下は生きておられます」
人工知能に彼らの思考パターン、野望その他諸々を余すところなくインプットいたしました。口癖までそのまま。変わったのは生身の身体だけ。
「両陛下は永遠の命を望まれ、私はそれを叶えてさしあげましたの。両陛下は崇高なるお志と共に永遠に生き続けるのです、殿下」
私はお二人のお望みに対して、最善を尽くしたまでなのです。何の問題もございません。
「冷たいではないか! 動かないではないか!」
あら。そんなことはないはず。体温ももちろん再現いたしましたもの。
故障でしょうか?
私は煌びやかなドレスのポケットから、愛用のドライバーを取り出しました。すぐに修理しなければ!
しかし、一歩動いた途端、バラバラと集まってきた兵士が私を取り押さえたのです!
「何をなさいますの!」
「黙れこの反逆者が!」
殿下がわめき散らします。
……と、そこで私は気づきました。低くなった目線の先、両陛下とバッテリーを繋ぐコードが抜けていることに。
「なんだ、バッテリー切れですわね。殿下、そのプラグを玉座の後ろのバッテリーに繋いでくださいませ。両陛下が起動しますわ」
「黙れぇぇーー!!」
殿下ったらお声が掠れていらっしゃいます。
それにしても、おバ……単純で普段は遊び呆けておいでの殿下はどうして両陛下が機械になったことに気づいたのかしら。姿形は完璧に似せました。流石に服を脱がせば機械部分が見えますが、殿下が服を剥ぎ取るなんて予想外です。
……いやな予感がしますわ。
「皆、聞いてくれ」
考えこむ私をよそに、殿下は何かを堪えるようなお顔で話し始めました。
「亡き陛下の志を継ぐためにも、俺は妃としてアミーリア・フランボワーズ伯爵令嬢を迎える。彼女は豊穣の聖女と先日判明したのだ!」
「なんですって?!」
アミーリアは私の妹です。そんな、あの子を妃に指名するなんてダメです。私との婚約破棄よりよっぽどダメですわ!
「殿下! アミーリアだけは! アミーリアだけはおやめくださいませ! 後生でございます!」
プライドもなにもかなぐり捨てて、私は懇願しました。
なんということ! 妹のことだけは両陛下を機械にしたこと以上に隠していましたのに!
取り乱す私の前にカツリとヒールが大理石の床をうつ音。ふわりと香る甘やかな百合の香り。
「今回も派手にやらかしましたわねぇ、お姉さま」
姉を嗤うにはあまりに不似合いな、幼げで可愛らしい声が言いました。ああ……また、だ。詰んだ。
「悪魔の叡智も、人間の『感情』の前では驚くほど脆いのですねぇ。ウフフッ、ご覧になって? お姉さま」
ぱっちりした目を妖艶に細め、妹のアミーリアは、壇上で滔々と豊穣の聖女の重要性を説く殿下を指しました。
「隣国を攻めるのをやめて、代わりに早急に豊穣をよこせ? 軽率ですわねぇ」
クツクツと喉を鳴らす妹。
ああ……今度は何を間違ってしまったのでしょう。
忙しい予定を変えても、殿下とお茶を飲むべきだった?
それとも、手作りのプレゼントを渡すべきだった?
そもそも、殿下をターゲットに設定したのがダメだったのでしょうか。もっと幼い弟王子に近づいて、新しい考えに染めてしまえばよかったのかしら?
堂々巡りの思考を持て余す私を置いて、妹はカツカツとヒールを鳴らして壇上に上がりました。
妹の美貌に中てられたのでしょう。わっと大広間がざわめくのを肌で感じました。
「さあ、皆さま。豊穣の聖女として、女神の奇跡をご覧にいれましょう!」
見とれるようなカーテシー。ああ、見た目だけなら我が妹は天使と見紛う美しさです。
「この国を豊穣の大地に!」
でも――。
高らかな宣言。次いで聞こえたのは、重たい水音。その連続……。
「この国のほとんどは乾いて痩せた土地。なのに無計画に人間ばかり増やした。もうとっくに大地が養える人間の限界数を越えていますの。これほど豊穣から遠い土地はございませんわ。ねぇ? お姉さま」
カツン……コツン……
……ピシャン
呼吸の音さえ聞こえない静けさの中、ヒールの音に混じって水の跳ねる音が聞こえます。
「そんな土地を可及的速やかに豊穣の大地に変えるには?」
ほら、人間たちが私に願いましたから?
真っ黒い水溜まり。それがいくつもいくつも重なって、ちょっとした泥濘と化した大広間で。天使のように愛らしい少女が小首を傾げた。
「国に溢れかえる人間を片っ端から『培養液』に変えるしかない。無から有は産み出せないもの」
クツクツとさもおかしそうに彼女は嗤う。最愛の妹の皮を被ったバケモノが。
もう何十年も前のこと。私の妹に、豊穣の女神を名乗るバケモノが取り憑いた。バケモノは言った。妹を返して欲しくば、自分との勝負に勝てと。
勝負の内容は簡単。豊穣の女神など要らぬ国を作ること。
私は最愛の妹を取り返すため、叡智の悪魔に魂を売った。
以来、何十年――私たちの時間は止まったまま。若々しい肉体のまま、私とバケモノは勝負を続けている。
仰ぎ見た玉座に、バッテリー切れの両陛下ロボが腰掛けている。コードは挿されないまま。だから彼らはピクリとも動かない。床には、女神の力によって瞬時に腐り溶けた元・人間の成れの果てがぶちまけられている。無論、ウンともスンとも言いやしない。
まばゆい光に照らされた大広間は、暖房から吹き出す温風でぬくぬくと心地よい。広間の端にはずらりと並ぶ機械仕掛けの召使いたち。
壮観だ。
叡智の悪魔の力を借りても、ここに至るには並大抵の努力では済まなかった。
「惜しかったわねぇ」
黒い液肥を頭から被った私に、豊穣の女神が言った。
「人間をすべて機械にしてしまえば。食べ物は要らない。豊穣の力は不要。目の付け所は良かったのに」
人間――生き物を養うには、どうしても食べ物が必要。だから私は、『永遠の命』をエサに、有機物を摂取しなくても生きてゆける機械化に賭けたのだけれど。
最後の最後に、両陛下の機械化に怒った殿下がバケモノとは知らず妹を召喚して、私の努力は無駄になった。
「今さらだけど、教えてあげる。私を見つけ出したのはね、他ならぬ殿下ご自身なの。鬼気迫る勢いで機械化を進める――優秀で両陛下のお気に入りだったお姉さまは、彼にとってはそれは恐ろしい脅威だったの。何かよからぬことを企んでるって言ってたわ。ウフフッ。野生の勘かしら? 皮肉よね! アハハハハ!」
静まり返った大広間に女神の高笑いがこだました。
光降り注ぐ大広間。
絶えず吹き出す温風。
床に広がる培養液。
あとは種さえ播けば、ここは立派な温室になるだろう。皮肉なことに、温室からもたらされる収穫を得る者はいなくなってしまったが。
「さあ、行きましょう? お姉さま。次の勝負ができるステージへ」
妹がパチリと指を鳴らせば、真っ黒い水溜まりの中をウネウネと白い根が這い、シュルシュルと蔓が伸び、あっという間にポコンポコンとキュウリにトマト、カボチャにスイカがたわわに実った。
私は無言でそれらをもぎ取り、赤く熟したトマトにガブリとかぶりついた。
この国はゲームオーバー。隣国まではそれなりに距離がある。馬車に乗りたいけど、御者も馬も培養液と化した今、私は長い道のりを歩かねばならない。スイカも持った方がいいかしら?
大きく膨らんだスイカをよっこいしょと持ち上げると、繁った蔓の間に豪華絢爛なジュストコールがちら見えた。
「悪く思わないでね? 殿下の望みも叶えるために、私は最善を尽くしたんだから」
隣国を攻める攻めると言うから、仲間を殺すのを躊躇わない機械兵を生み出したのに。
「これは殿下のワガママが引き起こしたこと」
ワガママ――『愛』とか『欲望』とか? それとも『正義』とか『倫理』とか? はたまた『嫉妬』とか『憎悪』だったかしら?
『感情』、そして『価値観』――いずれもカタチのない霞みたいなモノ。残念ながら、私は他人のそれらに価値を見いだせない。
バシャバシャと音を立てて、二人のバケモノが去った後。
大広間には玉座に腰掛けたバッテリー切れの両陛下と、主を失った機械たちが残された。彼らの足元では、放置された野菜たちがいまだ衰えぬ勢いで蔓や葉を伸ばし続けていた。