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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
最終章
99/101

098:≪番外編≫出発前夜2

しばらくして、リィンは何とか気持ちを落ち着かせて席に戻った。


「どこ行ってたんだい、リィン」


バーツがとろんとした目をリィンに向ける。


「ちょっと、風に当たりに…」


もう恐ろしくてラディスの席に目を向けられなくなってしまった。

明日にはベイルナグルを発つ。だからネルティエは泣いてたんだ…これからはすぐに会えなくなるから…。

く、苦しい…胸がつかえる。


「ああリィン!僕は悲しいっ!」


突然背後からがばりと抱きつかれた。驚いて後ろを振り返ろうとすると、エンポリオが強引に頬ずりをしてくる。彼は真っ赤な顔をして、完全に酔っ払っていた。


「ちょっ、ちょっとちょっと!何だよっ!」


「リィン、僕はやっぱり君の事を諦めきれないよ…ああ、寂しいっ」


「エ、エンポリオっ!分かったから離れろよ」


バーツや周りの皆が、怪訝な表情でリィンとエンポリオを見つめている。


「良い年した男が、それも貴族が、こんなちびすけに言い寄ってるなんて、世も末だな…」


「エンポリオの奴が変態だってのは、本当だったんだな」


「…まあなあ、確かにリィンは男にしとくのがもったいないくらいに可愛い顔してるし…首だって華奢だし…」


小さな沈黙の後、バーツが恐ろしい程真剣な目をして呟いた。


「やっぱりみんなもそう思うか?俺はな…たまあに、自分が変態なんじゃねえかって疑う時がある」


男達が無言で聞き耳を立てる。


「リィンってな、良い匂いがするんだぜ…手も足も女みてえに細っこいし…。それに、その、何だ…ふ、風呂上がりなんて特にだな、い、色っぽいというか…」


「リィン!キスさせて!」


「だああ!エンポリオ!やめろって!!」


バーツが勢いよく立ち上がり、椅子が転げるのにも構わずにリィンとエンポリオに向かって突進してゆく。


「くそう!俺も一回だけ!」


「お、俺も!キスだけならセーフだよなっ」


「最後の思い出にっ!」


男達が次々とリィンに覆いかぶさっていき、一拍置いて全員がどしんと尻もちをついた。ゆらりと立ち上がったリィンの瞳は深紅に揺れている。


「…この酔っ払い!僕に近づいたら『力』で吹っ飛ばすぞ!」


肩で息をしながら皆を睨みつけるが、酔っ払い達はへらりと笑って聞いちゃいない。


「リィンのいじわる!キスくらい良いじゃないかあ」


しくしくと泣いているエンポリオを引きずって椅子に座らせ、自分も隣の席に腰をかけてため息をつく。そこで刺すような視線を感じて反射的に背後を振り返った。三つ先のテーブル席に座っているラディスと、まともに目が合う。どくん、と心臓が鳴った。彼の隣にネルティエはいない。まだ戻って来ていないのだろうか…。

リィンが考え込んでいる間も、ラディスはずっとリィンを睨むように見つめている。二人の間には距離もあり人も行き来しているのに、ラディスの視線はぶれる事なく、リィンに注がれている。

リィンは徐々に全身の血液が顔に集中してゆくのを感じ、訳が分からず俯いた。


な、何だよ…。

さっき見てしまったのがばれてるんだろうか…。それで怒ってるとか?でも何で。

いや、だから何だって言うんだ…。どうして僕が怒られなきゃならないんだ。だったらもっと、人目につかないところでやって欲しい。そうだ、僕は何にも悪い事はしてないじゃないか。

…腹が立つ。


リィンは敢然と顔を上げて、ぎろりとラディスを睨み返した。彼は一瞬だけ目を大きくしたが、すぐに青い瞳を細めてじっとリィンを見つめてくる。


…負けるもんか。


まるで野生の猫のように、意を決した睨み合いが続く。息を詰めて、ラディスの整った顔に穴を開けてやろうという勢いで、睨みつける。相手も同じく、一心不乱にこちらを睨んでいる。そのうちにだんだんと周囲の雑音が消えてゆき、視界を横切る人の影さえ見えなくなっていった。しんと辺りが静まって、自分の心臓の音だけが鮮明に耳に届く。この場にラディスと自分だけがいるような錯覚を覚え、彼がすぐ傍にいるような不思議な感覚がリィンを襲った。途端に動悸が早まり、呼吸が浅くなる。


何か、まずい…。もう駄目だ。


そう思った時、一拍早くラディスが視線を逸らした。すっと横を向いて、話しかけてきた女性に笑顔で答えている。リィンは大きく息を吐き出して肩の力を抜いた。そのままぐったりと椅子の背もたれに身を預け、俯く。

勝った…?


赤面しているのが自分でも分かる。嫌なくらいに心臓が高鳴って、何だかくらくらする。睨み合いに負けて先に視線を逸らしたのはラディスのはずなのに、自分の方が動揺していた。彼は既に普段と変わらずに人と会話をしているのだ。

リィンはひどく疲れた気持ちになって、ゆっくりと席を立った。酔いの進んだ宴会の中では、もう皆が好き勝手に盛り上がっているので誰が途中で抜けても分からない。

もう帰ろう…。なるべく気付かれないように気配を殺して酒場の扉を開き、外へ出た。


月を見上げてしばしぼんやりとする。息が震える。何だか泣きそうだ…。


「どこに行くんだ」


どきりとする。ラディスの声だ。振り返れない。


「…もう帰るよ」


「もう夜更けだ。一人じゃ危ない」


「何が!僕は男で、怪力だから!誰が襲って来たりするもんか!」


くすりと笑い声。むっとするリィン。


「随分ひねてる」


「ひ、ひねてないッ!」


「リィン。こっちを向け」


「いやだっ!もう放っといてよ!」


どうして僕に構うんだよ。どうしてそんな風に僕を見るんだよ…。胸が苦しい。


リィンが彼に構わずに歩き出そうとした時、背後で小さな呻き声がした。はっとして振り返る。ラディスが右腕を押さえ、酒場の壁に寄りかかるようにしてずるずるとその場にしゃがみ込んでゆく。


「ラディス!」


彼の腕は確かにゆっくりとなら動くようにはなった。しかしまだまだ油断は禁物なのだ。リィンは急いでラディスの元へ駆け寄ってひざまづいた。次の瞬間、リィンの腕をがしりと彼の左手が掴む。え、と思った時には既に遅い。すぐ傍にあるラディスの顔が意地悪な笑みを作っていた。


「ちょろいな」


「だ、騙したッ」


ラディスの両腕が逃げようとするリィンの背を包み、そのまま抱き込められてしまった。リィンは彼の右腕が心配で、無理矢理にその腕を解く事も出来ずに俯いた。彼の優しい匂いに包まれる。涙が出そうになるのを必死にこらえて、言った。


「あんたなんか、嫌いだっ」


ラディスがくくく、と笑う。


「そうか?俺の事が好きでたまらない、の間違いだろう?」


リィンは耳まで真っ赤にして叫ぶように声を上げた。


「う…うぬぼれ屋!自意識過剰っ!!」


彼は笑ってリィンを優しく抱き締める。その温もりにけばだった心がやんわりと包まれてゆく。リィンはラディスの胸に額を押しつけて目を閉じた。


「…僕、何かの病気だ、きっと」


「何だそれは」


「だって…ラディスの事考えてると胸がつかえて苦しい。呼吸困難になる」


「…人はそれを、恋の病という」


リィンを抱いている腕にまた力がこもり、二人の身体がきゅうと重なった。リィンは彼の服をぎゅっと掴んで頬を寄せる。


「ラディスが何考えてるか、ちっとも分かんない…」


いつも冷静で全てを見透かしているようで、自分ばかりが右往左往している気がしてならない。こうして傍にいると安心出来るのに、またすぐに不安になる。自分を振り回す彼に腹を立てるのに怒れない。すぐに許してしまう。何だか不公平だ…。


「…リィン、俺は…」


がしゃん、と何かが割れる音が響いた。わあわあと声がして酒場が騒がしい。どたどたと複数の足音が鳴って、誰かが大声でラディスの名を叫んだ。リィンは何事かとじっと酒場の扉を見つめる。その扉が勢い良く開いてウィリアムが飛び出して来た。


「こんな所にいた!ラディス、今すぐ逃げろっ」


「どうしたの」


リィンが素早く立ち上がってウィリアムに詰め寄る。


「ど、どうしたもこうしたもねえよ!あの歌姫を、ネルティエを振る奴があるか!ラディス、グレイアが本気で怒ってるぞ!」


「え…」


「ラディス!どこだいっ!?あたしの歌姫を泣かせた償いは命で払ってもらうよっ!」


グレイアの大声が響き、ウィリアムはうひゃあ、と肩をすくめる。


「じゃあな、ウィリアム。元気でやれよ」


ラディスは呆然と立ち尽くすリィンを左腕で素早く抱きかかえて、走り出した。その背後から陽気なウィリアムの声。


「じゃあなぁー!さっさと帝都を離れろよぉ!シーカーに殺されっぞお!」




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