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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
最終章
97/101

096:新しい朝、その先へ

その日の朝も変わらずにニコルは台所に立ち、朝食の準備にかかっていた。隣には慣れた手つきで魚料理の仕上げをしているリィンがいる。ニコルは穏やかな気持ちでそれを見つめて微笑んだ。


「もうリィンは立派な料理人だわね」


「まだまだだよ。ニコルのスープは、まだ習得してない」


「ふふ。あれはニコル秘伝の野菜スープだもの!食べたくなったら帰っておいでな」


「うん」


微笑むリィンを眺めて、まるで娘が遠くに行ってしまうかのような寂しさを覚えた。ラディスとリィンが旅立つ日は、あと五日後に迫っている。近頃のリィンは随分と綺麗になったし、女性らしい柔らかな雰囲気を纏うようになった。きっと美しく清廉な女性に育ってゆくに違いない。


「これならあたしも安心だわ。ラディス先生は食べる事には無頓着だから。料理も驚く程出来ないんだよ?あんなに何でも出来る人なんだけどねえ」


「そうなの?」


「ええ!そりゃあもう、ひどいの何の!」


ニコルは笑って遠い記憶を掘り起こす。この診療所が出来てすぐに、ここの主が募集をしたのは料理人だったのだ。あの時のラディス先生とクレイったら、もう随分若くってぴちぴちしてたわねえ…。


居室の扉が開いて、クレイとソアがぼんやりしながら入ってきた。


「おはよう」


「おはようございます…」


この二人はどこまで似ているのだろう。ニコルはリィンと顔を見合わせて、くすりと笑い合う。朝の苦手な二人は、静かに席について無言で茶を啜っている。まるで老夫婦のような光景だ。

それから熊のような大きな身体をしたバーツがあくびをしながらやって来た。


「おはようございます!おお、良い匂い!ニコルさん、今朝は何ですか」


「まず顔を洗ってらっしゃい」


「僕、ラディスを呼んでくるよ」


その時扉が開いて、すらりとした長身のラディスが姿を現した。その彼を見てニコルが驚いた声を上げる。


「あら!先生!もう杖なくて平気なの?」


「ああ。それだけじゃないぞ」


彼の足取りはしっかりとしていて力強い。居室の中央まですたすたと歩いて来て、そこで立ち止まる。それから難しい顔をして少し俯くと、ゆっくりと右腕が持ち上がっていった。

麻痺が残り動かないだろうと言われていた右腕。昨日までは僅かにしか動かなかった。


「ラディス様…」


クレイが目を大きく見開いて席を立った。ニコルは両手を頬に当てて口を開けたまま、ソアもリィンも呆然とラディスを見つめている。皆が見守っている間にもラディスの右腕は動きを止めずに持ち上がってゆき、顔の横でぱっと手のひらを開いて見せた。


「やあ、おはよう諸君」


そう言ってラディスは綺麗な笑顔を作る。


「うわあ!すげえや先生っ!あんたぁ不死身だ!!」


バーツが手を叩いて喜んだ。


「な、何という事…。ああ…何という…!」


ふらふらとクレイが近寄ってゆき、その肩を叩いてラディスが言った。


「お前の処置が完璧だったからだぜ。クレイ、お前のおかげだ」


クレイは言葉を継ぐ事が出来ず首を横に振り、ソアが驚いた様子でラディスの右腕を観察する。


「驚嘆ものだ…まさかこれ程短時間でここまでくるとは…。ラディス殿の回復力は尋常ではないな。並の人間のそれを遥かに超えている。…これは是非研究してみたい」


ニコルが隣にいるリィンに顔を向ける。それに気付いてリィンもニコルに笑顔を向けた。


「良かったねえ、リィン…」


ニコルは知っていた。ラディスが過酷なリハビリを一日も休まずに続けていて、それをリィンがずっとサポートしてきていたのを。これは奇跡でも魔法でも何でもなく、ひどく人間的な、血の滲むような努力の結果なのだった。

ニコルには不思議に思えてならない。そんなに辛く大変な事をしてきているのに、この先生はいつも飄々として綺麗な顔で、さらりとやってのけるように見えるのだ。悲壮な部分がまるでない。いつもからりと晴れている。しかしそのせいで、才能に恵まれて何の努力もなく幸せに生きていると勘違いされる事が多い。


…損な性分だわね。


「リィン、支度をしろ」


壁にかかっている黒いマントをとりながらラディスが声をかけた。彼は今眼帯をしておらず、片眼鏡をかけている。リィンのマントを投げて寄こした。


「え?なに…」


リィンはマントを受け取ってきょとんとする。他の皆も同じだった。


「チェムカ達を迎えに行く」


「…先生!」


皆の表情が明るい笑顔に変わる。


ああ…。そういう事だったんだね、先生。

リィンがチェムカのいるリエズの町に行くっていうのを止めたのは、その為だったんだね。

チェムカ達を迎えに行く為に、あんなに必死にリハビリをしていたんだね。

あの優しい人達が自分達を責めないように、安心して帰って来てもらうように、先生自身が迎えに行く事に、意味があったんだね…。


ニコルは前掛けでそっと涙を拭った。


「もう…。先生はほんと、昔っからちっとも変わらない…」


喜んでいる皆の中で、リィンだけがむっつりと怒った表情でいて、声を上げた。


「何であんたっていっつも偉そうなんだよ、ラディス!」


今度はラディスがきょとんとした表情でリィンを見下ろした。


「迎えに行くんじゃなくって、ちゃんと謝って、帰って来てもらうように頼みに行くんだろ!」


「…すまん。その通りだ」


朝のすがすがしい太陽の光に、澄んだ笑い声が染み込んでいった。


◇◇◇◆


玄関口で二人を見送りながら、ソアが口を開いた。


「…ラディス殿にあのような物言いが出来るのは、おそらくリィンだけだな」


「ええ。本当に…。リィンはいつの間にあんなに逞しくなったのでしょう」


クレイが眩しそうに前を見つめて頷く。その隣にいたニコルが、あら、とクレイを見上げて言った。


「逞しいじゃなくって、麗しい、の間違いでしょう?いやあねもう」


三人は穏やかに笑い合う。ニコルは微笑んだまま誰にともなく呟いた。


「あの二人だったらこの先何があっても、心配いらないね」


「ええ…。頼もしい限りです」


「おおーい!早く朝飯にしませんか!先にいただいちゃいますよう!」


バーツの大声がして、三人はゆっくりと居室へと戻って行った。










【最終部・完】




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

これでこの物語は終了します。

それから今月中にも三話分の番外編を更新して完結になりますので、現在は連載中のままにさせていただきます。

中途半端に続いてゆくような終わりにしたかったのです。

人の人生って、そんなもんですよね。めでたしめでたしの後に、また問題が起きるような。

次回の蛇足的番外編は、二人がレーヌ国へ旅立つ前夜を書きます。ええ、作者的に欲求不満の残るらぶーであまーな話が書きたかっただけなのです。

せっかくR15にしたんだもの!頑張ります。(何を)


最後に、ここまで読んでくださった心優しき方々へ。

どうもありがとうございます。

この物語を読んでいてくれる方がいる、その事が書き続ける者にとって、何よりの力であり励みでありました。


最後の最後まで、お付き合いいただけたら嬉しいです。



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