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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
最終章
96/101

095:温かな夜

腕の痛みに目覚め、低く呻いて身体を起こした。夢を見ていたような気がするが判然としない。ゆるりと首を振った。見ると隣にまたリィンが眠っている。

まだ杖が必要な生活をしている為、一階の診察室にあるベッドで寝起きをしている。このベッドは寝室にあるものとは違い一人用なのだが、いつも知らない間にリィンが隣にもぐり込んでいるのだ。そして決まって自分にぴったりと寄り添って眠っている。

包帯に包まれた右腕を庇いつつ、脇のテーブルにある瓶を傾けて、グラスに水を注ぐ。俯いて深く深呼吸を繰り返す。


「…ラディス?」


リィンがむくりと起き上がってそっと腕に触れてきた。


「…寝室で寝ろと言ってるだろう」


本当は、こうやって痛みに苦しんでいる無様な姿を見られたくないのだが。


壁に背を預け左腕でリィンの柔らかな身体を抱き寄せる。


「痛い?」


「少しな」


「あんた、治ってないのに動きすぎなんだよ。…目は?」


眼帯の上を細い指先が優しく触れた。


「もう何ともない。お前は心配しすぎだ。毎晩見張ってなくても、俺は死なんぞ」


「分かんないだろ、そんなの…。ぽっくりいくかも知れない」


ラディスは笑ったが、こちらを睨みつけるように見つめている赤茶の瞳は涙ぐんでいた。

あのなあ、リィン。…人はいつか死ぬんだぜ?

そう言ってやりたいが、もしそんな事を言ったら怒るに違いない。


「お前のお陰だな。てっきり俺は目と腕を失うつもりで覚悟していた。お前があの時、命を削って俺を救ってくれたから、今こうしていられる。感謝してもしきれないな。リィン様様だ」


「…ほんとにそう思ってんのかよ」


「思ってる。もうお前には頭が上がらない。足を向けて寝られない」


ラディスは笑ってグラスを口へ運んだ。


「じゃあ…僕の言う事、何でも聞く?」


冷えた水を飲みながら頷いて返事を返す。怪我が完全に治るまではリハビリを止めろと言われそうだ。

リィンが真っ直ぐにラディスを見上げて、呟いた。


「抱いて」


「ぶっ」


飲んでいた水を吹き出してしまった。

リィンはごほごほと咳き込んでいるラディスの手から、グラスを取り上げてテーブルに置いた。そのまま彼の足の上にちょこんと跨って、きゅっと抱きついてくる。ブラウスの下からリィンの真っ白な太腿がのぞいている。寄り添う華奢な身体から、心臓の鼓動が伝わる。ラディスは左腕でリィンの細い腰を抱いた。


…リィン。お前、分かってるか?俺はこう見えてまだまだ重症の患者だ。そんな激しい運動をしたら、身体がちりぢりに砕けるかもしれないぞ…。

せめてあと数日、猶予が欲しい。


色々言いたい事は山程あったがラディスはその全てを飲み込んだ。リィンの心が分かっていたから、リィンの不安を感じていたから、何も言えなかったのだ。


「リィン」


リィンの瞳から、ほろりと涙が落ちた。


「そんなに泣くな。干からびるぞ」


「だ、誰のせいだよ…!」


「…悪かった」


リィンの柔らかな下唇を優しく食むと、小さく震えて吐息が漏れる。そのまま深く口付けた。

これはきっと、罰なのだろう。

今にも全身が引きちぎれそうな程の激痛と、今にもとろけてゆきそうな程の甘い感覚。

愛しい女を泣かせた罰だ。

ラディスは左手でリィンのブラウスのボタンを外しながら苦笑をこぼす。

リィン…。お前の罰が、一番こたえる。


「もう、『命の力』を使ったりするなよ?今後一切だ」


「あ、あんたがそんな大怪我するのが、悪いんだろっ」


ほろほろと泣きながらリィンが睨みつけてくる。


「…悪かった」


白く透き通る肩にキスを落とす。綺麗な肌に指を這わせ、口付けて痕を残してゆく。うっすらと色づいてゆく、しなやかな身体。何度見ても、美しいと思う。可愛らしい口元から甘い吐息がもれる。その息使いに煽られて身体がじりじりと燃えてゆく。


またこの腕で、愛しい女を抱けるとは思わなかった。


「ラディス…あ…」


またこの目で、お前を見つめる事が出来るとは思わなかった。

またこの身体で、お前の体温を感じる事が、出来る…。


泣きそうだ。


頭のてっぺんまで突き抜けてゆく激しい痛みに耐えながら、同時にその痛みにすら快感を覚えている自分に驚く。


「くそ…。アブノーマルな趣味に目覚めたらどうしてくれる」


ラディスが低く呟くと、リィンが薄く目を開けて少しぼんやりとした顔で見つめてくる。その表情にまた興奮してしまう。


俺も相当の阿呆だ。


「ん…あ、ラ…ラディス…すき、だ…」


もう、どうにでもなれ。

身体が弾け飛んでも構わない。


ラディスはきつく、リィンを抱き締めた。


◇◇◇◆


「やあ、不肖の息子よ。来たな」


目の前に立つラディスの肩を叩き、ジェイクは笑顔になった。扉を大きく開いて中へ導く。昼下がりの穏やかな太陽の日差しが、室内に差し込んだ。彼は杖をついてゆっくりと足を運ぶ。


「フェーマスさんやエンポリオ君に挨拶は?」


「済ませたよ。大恩人だ。…俺はたくさんの人達に命を救われた。ジェイク、あなたにもだ」


ラディスは少し窮屈そうな態勢になり、左手を差し出て来た。左目は黒い眼帯に隠れているが、彫像のような綺麗な微笑みは相変わらずだ。


「ありがとう。父さん」


「ラディス…」


ジェイクの胸がじんわりと熱くなってゆく。左手で固い握手を交わしながら、ラディスがにやりと笑って言った。


「年を取って随分と涙もろくなった」


慌てて目尻に溜まった涙を拭い、ジェイクは苦笑をこぼす。


「全く、お前と言う奴は」


「ラディス!」


広い階段を小走りに駆け降りて、ユマがその勢いのままラディスに抱きついた。


「てて…痛いぞ、ユマ」


ユマのブラウンの巻き毛がふわりとラディスの頬を撫でる。部屋の奥からやって来た婦人の従者が眼鏡を外して涙を拭い、怒ったような声を上げた。


「ほんとに、もうっ!坊っちゃんは昔っから、旦那様に心配ばっかりかけるんですから!」


「…すまない」


「ほんとよ、ラディス。私の心臓がまた悪くなったら兄さんのせいなんだからね」


ユマが見上げるようにしてラディスを睨みつけてから、可愛らしい笑窪を作って笑顔を向ける。その顔色はとても良く、もう何の危なげなところもない。


「悪かった」


ラディスはそれからちらりとジェイクに目線を寄こし、声をひそめて呟いた。


「どうしてだか俺は最近謝ってばかりだ」


ジェイクは無言で微笑む。皆、彼の姿を見て、その変わらぬ飄々とした態度に触れて、やっと緊張がほぐれて安心しているのだ。心の底から心配していた分、皆が彼に甘えている状態にあるのだろう。それにきちんと彼は応え、大きく受け止めてくれる。


「あら?リィンは?」


ユマがラディスの背後を見やって質問する。


「エンポリオの会社に置いてきた。あとで来るよ」


「今日は一緒にケーキを焼く約束をしているのよ。ふふ。あとでベルシェもソアも来る予定よ!今日は女の子だけでたくさんお喋りするんだから」


楽しそうに話すユマに、ラディスはわざとらしく眉を上げる。


「それなら早々に帰った方が良さそうだ」


「はは。そうだな。じゃあ早速話をしよう、ラディス」


ラディスの歩幅に合わせてゆっくりと廊下を歩く。

今後、彼はリィンとともにレーヌ国の女王陛下の元へと旅立つ。おそらくはそこで女帝の部下としての正式な認可を受ける事になるだろう。


「それにしても慌ただしいな。もう少しゆっくり休んでからでも良いだろうに…」


「それは横暴な権力を振るう女帝に是非とも進言してくれ」


「お前ときたらいつも忙しそうだ」


昔からずっと。彼の運命は、一時たりとも彼を休ませようとはしない。


「おかげさまで。まだまだやる事がありそうだ」


ベイルナグルでの引き継ぎは事件が起こる前に全てを彼自身が完了させていたが、ジェイクはこれから先も、彼を支援していきたいと思っているのだ。

ラディスは自分の息子であり、リィンは親友ティルガの大事な娘である。出来る限りの事をしてやりたかった。


ああ、そうだ。リィンにはきちんとお礼を伝えなくてはいけない。前に言っていたとおり、リィンは命をかけて、この息子を護ってくれたのだ。ラディスを必ず護ると言った、あの時のリィンの瞳が忘れられない。きっとこの先もずっと、忘れられない出来事になるだろう…。


「さっきエンポリオの会社でワドレットと会ったんだがな、随分と凛々しくなった。あれならもう大丈夫だろう。あいつは逆境に強い」


「ああ。私も驚いたよ。彼は良くやってる」


ラディスがくくく、と笑ったので、不思議に思い隣を歩く息子を見やった。


「素直に褒めるな。とうとう娘を手放す決心を?」


ジェイクは憮然とした表情を作って腕を組む。


「それとこれとは話が別だ」


「…娘っていうのは無意識に、結婚相手に父親の面影を求めるものだと昔から言う」


「何だい」


「一見優男で物腰も柔らか。だけど人一倍頑固で、いざという時に強さを見せる。似すぎていて怖いくらいだ」


またラディスが低く笑った。ジェイクも笑いながらため息をつく。


「もうこうなったら孫の顔を見るのを楽しみに、長生きする事にしよう」


「それが良い」


とても穏やかな気持ちでジェイクは隣を歩くラディスを眺める。

足を引きずりながら杖をつき、左目は眼帯で覆われている。服で隠れてはいるが、おそらく身体中に無数の傷跡が残っているだろう。右腕も麻痺が残り、以前のようにはまだ動かせない。彼の身体はぼろぼろだ。にも拘わらず、この安心感は一体どういう事なのだろうか。欠けている部分なんてなく、完璧な存在感を放っている。


本当に…お前にはかなわないな。







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