093:それからの事
「全く悪運の強え奴だ!殺しても死なん奴だ!さすがは俺の親友だ!!」
医師の説明を聞いた後の、ミッドラウの第一声。
彼がベイルナグルに到着したのは一連の事件が決着をみてから、四日後の事だった。レーヌ国での別れ際があまり後味の良いものではなかった為、ミッドラウは急いで仕事を片付けてこの帝都へと馬を走らせた。何だか嫌な予感がして途中でまたレーヌ国に寄り、腕の良い医者を一人連れて来た。その彼の判断は間違いではなかった。何故なら今現在ベイルナグル一のこの病院には、ルキリア国で一、二を争う名医の二人が大怪我をして伏せっている状態にあったからだ。ロンバートは杖をついて歩けるまでには回復していたが、それでも全快にはまだ程遠い。ラディスに至っては三日三晩生死の境をさまよって、この日の明け方にやっと意識を取り戻したのだという。今も混沌とした眠りと覚醒を繰り返していて言葉を交わせるような状態ではないらしい。
ミッドラウはその場にいた医師やロンバート、ベルシェに片手を上げて挨拶し、二階にあるラディスの病室へと足を運んだ。どかどかと盛大に靴音を立てて乱暴に扉を開く。
部屋にはベッドが二組、その間に立っているリィンが驚いた顔でこちらを見つめていた。
「よう!」
大きな笑顔を作り威勢の良い声をかけると、リィンの表情が歪んだ。赤茶の瞳から、何の前触れもなしに大粒の涙がこぼれ落ちる。
「おいおい。俺様に会えたのが泣く程嬉しいか!さては惚れたな?」
「おっ…遅いよっ…」
どうやら全ての事が済んだ後に到着した自分を咎めているらしい。
「そりゃあ仕方ねえだろ、俺も急いだんだがな。まあ医者を連れて来たからそれで勘弁してくれ」
言いながらベッドへ近づいてゆく。左側のベッドにラディスが横になっていた。シーツから顔だけが出ており首元まで包帯が巻かれ、その顔も右側だけが見えている状態で、左側も頭も白い包帯に包まれていた。おそらく全身が包帯でぐるぐる巻きになっているのだろう。
「すげえな!包帯人間だ。子供が見たら泣くぞ」
目の前で泣いているリィンの栗色の頭をがしがしと撫でて笑った。
「よおリィンよ、何で泣いてんだ。こいつは助かったんだぜ?不気味な形をしてるがな」
「で、でもっ…」
俯いて嗚咽をもらし、リィンは腕で涙を拭って言葉を紡ぐ。
「ぼくっ…ラ、ラディスを、護れなかった!」
「何だよそりゃ。護ったろ?だからこいつは生きてる」
リィンは強く首を横に振った。ミッドラウは目の前の小柄なリィンをじっと見下ろす。確かに先程聞いた医師の説明によると、ラディスの怪我は相当ひどい。完治しても左目の視力はぐんと落ち込んだまま戻らないし右腕には麻痺が残る。しかしそれが何だというのだ。失明も切断もせずに済んでいる。左腕があるし右目がある。立って歩けるし頭もイカレちゃいない。うん、正常だ。正常の範囲内だろう。
そこまで考えて、しかし、と思い直す。リィンにとったらそれは辛い宣告だろう。
昔からの付き合いがあるミッドラウは、ラディスが最初から死ぬ気で生きていたのを知っている。
変な言い方ではあるが実際にそうなのだ。
いつでも自分の命をなげうつ覚悟がとうに出来上がっていて、脇目も振らずに生きていた。その覚悟があったればこそ、何があっても動じずにいつでも全力で突き進む事が出来る。それがこの男の強さを支えていたと言っても良い。だからこそ、今回の出来事の後に命拾いをしている時点で、既に信じられない程の奇跡が起こっていると言って良いのだ。
ミッドラウはその太い両腕でリィンを強く抱き締めた。
「ずっと泣くのを我慢してたのか?…いじらしい奴だ」
「僕…ぼくの『力』がもっと使えたら、ぼくの『命の力』がもっと使えたら、ラディスの傷を、もっと治してあげられたかも知れないのにっ…ううっ…」
思わず苦笑する。
「もっともっとって…何言ってっか分かんねえぞ」
そういやさっきベルシェが言っていた。リィンはこの数日間で集中的に『力』を使いすぎたせいで、今は一時的にそれが使えない状態にあるらしい。ミッドラウは以前、リィンが『力』を発動させた後にひどく息切れをしてふらふらになっていたのを思い出した。
真っ直ぐで健気な女。どこまでも一途に男を愛し抜く。
「なあリィン…。こいつはな、お前がいたから、死なずに済んだんだぜ」
腕の中からリィンがこちらを見上げた。柔らかそうな膨らみのある唇が震えている。辛そうに眉根を寄せ赤茶の瞳が涙で潤んでいる。
ミッドラウは舌打ちをして低く呟いた。
「…たまらん」
素早く華奢な身体を抱き上げて、かぶりつくようにリィンに口付ける。腕の中にある柔らかな身体がびくりと強張り、両手で必死に押し返してきた。逃げ惑うリィンの可愛い舌を絡めとる。
「う…ッ」
次の瞬間、ミッドラウの頭全体に激痛が走った。
「だっ!いってえ!!」
リィンが彼の一つに束ねている黒髪をむんずと掴んで思い切り引っ張ったのだ。
「ってててて!リィン、やめろ!ハゲるっ!」
「だったら離せよっ!!」
髪を掴まれているせいで天井を見上げわめきながら、しかしミッドラウはリィンをがっちりと抱き上げて離そうとしない。リィンは宙に浮いた足をばたつかせて抵抗する。
「リィン!俺にしろよ!こんな人でなし、ほっとけ!!」
「何だよ急にっ!あんたには大勢恋人がいるだろ!」
その時、不気味な音が聞こえた。地鳴りのような、低い音。幽霊のうめき声。その音にミッドラウとリィンは動きを止めて同時にベッドを見つめた。あまりの恐ろしい光景に悲鳴を上げそうになる。
ベッドに横たわっていた包帯人間が、片手をついて起き上がっていた。ふうふうと肩で息をしている気味の悪い生き物が、絞り出すようにまた呻いた。
「…ミッド…お前、殺すぞ…」
ミッドラウは底抜けに明るい笑顔になって答える。
「よう!死にぞこない!悪ぃが今すぐ死んでくれ」
「ラディス!」
リィンが包帯人間の傍へ駆け寄っていった。
◇◇◇◆
ニコルは料理の仕込みの手を休め、前掛けで拭いながら椅子に腰かけた。普段は針仕事の時にしか掛けない眼鏡をそっと鼻の頭に載せて、テーブルに広げてある手紙の続きを書き始めた。
チェムカ、元気にしてるかい?
セティナさんも小さい弟妹達も、元気にしてるかい?
リエズの町は年中気温が低いから、風邪なんか引いちゃいないか心配だよ。
あんたの所へも報せが行ったと思うけど、ラディス先生の具合が落ち着いてから、すぐに宮殿に呼ばれて審議が開かれてね。その判決が今日決定したんだ。
今回色んな人が裁かれたんだけど、一番刑が重かったのはやっぱりルーベン司教だったよ。医師免許と聖職者の免許の返還と、帝都追放。その側近の三人も追放になってね、信者達と支持者達の集会なんかもこの先当分は禁止になったんだ。今回の事件はルーベン司教と元王妃のトワ妃が共謀して、ロンバート先生とラディス先生の殺害を謀ったものだったと正式に発表になったんだけどね…。
ルキリア皇族で裁かれたのはウィト・ネールという年老いた大臣のたった一人さ。本当は、もっとたくさんの皇族が絡んでいたはずなのにねえ。まあでも、今後もまだ取り調べは続くみたいだよ。何せ国王陛下と元帥が不在の時に起こった事件だからね、国内を混乱させる目的もあったんじゃないかって、帝国政府も帝国軍も、今回ばかりは皇族の人達にまで捜査を広げるつもりでいるらしいんだ。もうガズナイル長官の名前が挙がってるって噂もあるよ。前にリィンがついて行ったゲムの村の視察で起こった事件の事もあるしね。もしかしたらアルスレイン王子が抱えている問題が一気に片付くかも知れないねって、みんなで話しているんだよ。
トワ妃はね、全ての権限を剥奪されて宮殿内でひっそりと暮らす事になるだろうって言ってたよ。どうやら前から心を病んでいたみたいなんだ…。
ラディス先生の具合だけどね、だいぶ良くなったよ。もう杖をついて歩けるようになったんだから!回復がとっても早いって、ロンバート先生も他のお医者さんもみーんな、びっくりしてんだわ。左目も度の強い眼鏡をかければ大丈夫だし、もう動かせないかも知れないって言われてた右腕も、少しずつだけど動くようになってきてるんだって。クレイが泣いて喜んでねえ、これからの回復次第では医者としてもまたやっていけるかもって言ってるんだ。
先生は歩けるようになった途端に色んな人にお礼をしに回ったし、お見舞いにたくさんの人が来てもくれた。
こっちのみんなは、元気だよ。チェムカ。
診療所には相変わらずたくさん患者さんが来てくれて、クレイの先生っぷりもそれらしくなってきてるよ。ソアもほんと、よくやってる。だけどねえ、この二人、愛想笑いが苦手なもんだから、ちょっと困ってるんだ。護衛のバーツは目を離すとすぐに肉料理ばっかり作ろうとして、あたしゃいっつも怒ってるんだけどね。そうそう、リィンはラディス先生につきっきりだよ。ふふ、想像出来るだろ?
ねえチェムカ、そろそろこっちに戻って来ないかい?
やっぱりあんたがいないと、話相手がいなくて寂しいよ。診療所のみんなも少しつまんなそうよ。患者さんもチェムカの笑顔が見れなくて残念だって言ってる。
うちで作ってる野菜もまたたくさん採れたから、あんた達に食べてもらわないと腐っちまうよ。あんたが止めないもんだから、メリエナとミランがしょっちゅう診療所に遊びに来てる。ラディス先生の左目に日の光があんまり良くないからね、昼間は黒い眼帯をするようになったんだよ。それに今は短く髪を切ってるから、それが格好良いって喜んでるんだよ。面白い子達だねえ。ああ、それからパウラさんが働いてた食堂も手が足りなくて大変だって言ってる。
あたしが料理を教えてるみんなだって、セティナさんの作るお芋のお菓子が食べたいって騒ぐんだ。レッジ君のお友達もラディス先生のところへ来てね、みんなしょんぼりしていたよ。レッジ君に会いたいって言ってるよ。
あんた達家族がいなくなって、みんな寂しがってる。
リィンはいっつも、窓の外を見つめてる。あんたがいつ帰ってきても一番に迎えに出られるようにしてるんだって。
それからね、もうすぐラディス先生とリィンはここを発つ事になりそうなんだ。
レーヌ国の女王陛下から書簡が届いたんだ。二人はレーヌ国に行かなきゃいけない。それから世界中をずっと旅して仕事するんだって、ほら、前に先生から聞いた事があったろ?
それがいよいよみたいなんだ。
女王陛下もせっかちな人だよねえ!ラディス先生だって確かに杖ついて歩けるけどさ、まだまだ怪我人だっていうのにねえ!ずっと、ここにいたって良いのにねえ。
多分そう遠くない間に出発になると思うんだ。
それまでには帰ってきておくれ、チェムカ。リィンが会いたがってるよ。




