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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第一章
9/101

008:帝都ベイルナグル

翌日からリィンは目まぐるしい日々に追われる事となった。

ニコルの仕事は料理に洗濯や掃除といったものだが、これほどの重労働を今まで一人でこなしていたのかと思うと、リィンはニコルを尊敬せざるを得なかった。何しろ洗濯といっても、その洗い物の量も大層なものだ。朝から昼過ぎまでが忙しさのピークで、昼時は特に、他の三人がかわるがわる食事をとりに来るので、その対応だけで手一杯になるほどだ。最初にチェムカがやってきて、あれやこれや言いながら食事をとる。彼女は診療所で受付を任されていた。入れ替わりにクレイが席につき、静かに食事を済ませてすぐに席を立つ。彼は全般にわたってラディスの助手を務めているそうだが、いつも身なりや動作がきちんとしていて隙のない印象。最後にラディスが足早にやってきて、あっという間に食事を済ませ、二、三言ニコルと会話を交わして部屋を出てゆく。診療時間中はいつもこうなのだという。

だいたい三日間は終日診療をしていて、その翌日から三日間はここでの診療を昼過ぎに切り上げ、ラディスは往診などで外出したり、書斎に籠ったり研究室で仕事をしたりしている。彼は他に別の診療所でも請われて出張診療をし、薬品の開発に力を注ぐ研究施設にも席を置いているらしい。

ニコルとチェムカは昼過ぎに診療が終わった日は、それぞれの仕事を済ませて日の明るいうちに帰宅をする。その次の日に完全な休診日を迎えるわけだが、ラディスとクレイには何かしらの仕事がある状態が常だという。

この家の主でありニコルやチェムカの雇い主であるラディスは、まだ二十六歳だという。リィンは少なからず驚いた。彼の飄々とした態度からは、もっと年上の印象を受けるからだ。


今日は昼過ぎから休診になるので、そうしたら商店街へ買い出しに行こうとニコルが言った。リィンは嬉しい反面、不安もあった。これほど大きな町に滞在した事は少ないし、あったとしても今までは人目を避けて生活をしていたからだ。


ベイルナグルという都市は、ルキリア国の首都であり、この国を統治する王とその皇族が住む宮殿のある都市だ。商売や人の流れの集中する場所であり、この帝都で政治が行われ、帝国政府や帝国軍の人々も多く生活している。しかし、ルキリア国で一番栄えているこの町ならば様々な人種がいて当然だ。現にこの診療所に訪れる人も多様で、何族か分からない人だっているのだから。

この世界の大半はアルム族だが、今は混血種も数多い。近頃はそういった種族で区別する考え方は旧時代のものとなってきてはいる。

ただ、ルキリア族とイリアス族のみにおいては、いまだに別の人間と見る人々も少なくない。リィンがここで働き出した初日から、診療所に訪れる人達の反応はリィンにとっては辛いものであった。リィンの白い肌と赤茶の瞳を見て、まず驚く。それから嫌悪感を顔に出し隠そうともしない貴族の女性や、無視をする人、リィンに罵声を浴びせる男性もいた。しかしリィンはニコルに言われた言いつけを守ってどんな相手にも、素直に挨拶を交わした。顔を真っ赤にして怒っても、幸か不幸か、今は『力』が使えない。ここで働くしかないのだ。昨日もそうだった。


*


洗濯物を持って二階から降りてきた時に、階下で背の低い老人とばったり出くわしてしまった。老人は目を丸く見開いてリィンを見上げたまま、長い廊下中に響き渡る大声を上げた。


「うわあ。イリアスがおる!先生、大変だあ。イリアス族がおるぞお!」


廊下は一瞬で静まり返る。長椅子に座っている人々は無言で老人とリィンを見つめている。リィンは突然大声を出され、硬直してしまって動けない。その時、廊下の先の扉の向こう側から、老人の大声に負けない程の、ラディスの声が響いた。


「それがどうしたあ!」


老人はゆっくりと顔を診察室の方に向け


「それもそうだな」


と一言呟いて、ひょこひょこと歩いていってしまった。その一部始終を見ていた人々の間から笑い声が起こり、賑やかなお喋りが再開される。リィンはほっと胸をなで下ろした。


「ロムじいさんは、いつもああだな」


「まったく人騒がせなじいさんだ」


「しかし先生の言ってる事は正しいわ」


「おおい、あんた。最近先生の所で働きはじめたんだろう。先生の知り合いじゃあ、悪いイリアス族じゃないだろうさ」


リィンはぺこりと頭を下げ、その場から急いで立ち去ったのだった。


*


「さて、行こうかね」


見るとニコルが身支度を整え終っていた。とはいっても、いつものブラウスに深緑のロングスカート、クリーム色の前掛けという格好は変わらない。まとめ上げた白髪交じりの髪をきれいに結い直したくらいだろうか。

リィンがフード付きのマントを羽織ろうとした時だった。


「ああ、そんなものはいらないわ。今日はいいお天気だしね」


「でもこれがないと、ニコルにまで迷惑がかかるよ」


このマントはリィンの瞳の色を隠す為のもので、ゼストとの生活の中でも欠かせないものだった。

しかしニコルは笑って腕を振り、リィンからマントを取り上げた。


「大丈夫よ。そんな事ぐらいでおろおろする人が、先生の所で働けますか。さ、行きましょ」


呆然とするリィンをよそに、ニコルは玄関から町の繁華街へ続く石畳の道を歩き始めた。リィンは慌ててその後ろについてゆく。


帝都ベイルナグルの町並みはリィンが訪れたどの町よりも賑やかで活気があり、素敵なものだった。様々な商店が並び、石造りの家はどれも立派なものだ。このベイルナグルの建築水準の高さも群を抜いている。室内の生活用水も、わざわざ井戸へ汲みにいかずともパイプが通され、バルブの栓をひねれば水が出るという仕組みだ。井戸が近くにない場合でも、家の屋上に貯水槽が設置され、雨水や汲み置きの水が浄化槽を通って家庭に届くようになっている。

ニコルは次々に買い物を済ませてゆく。荷物持ちのリィンはただニコルの後をついて歩き、珍しい野菜や色とりどりの魚など、目を輝かせながら町を見物していた。

リィンを見た人々は驚きの表情を見せたり、遠くから指を差して話をしたりと反応は様々だった。しかし気付かない人もたくさんいるし、何よりニコルの態度が自然で変わらない為、リィンもそれ程警戒せずにいる事ができた。肉屋の前でまたニコルの足が止まる。


「こんにちは。いつものお願いね」


ニコルが声をかけると、後ろを向いていた大男の主人が返事をして振り返る。


「はいよ」


それから飛び上がらんばかりに驚いた。


「ニコルさん、何連れてんだい!?そいつぁイリアス族じゃねえか!」


顔の下半分は黒々とした髭で覆われていて、熊を連想させる主人は、顔をしかめて太い両腕を組んだ。ニコルは主人の声に驚いて、胸に手を当てている。


「まあまあ、そんな大声出さないで」


「帰ってくれ。イリアス族なんて、縁起が悪ぃや」


「まあ。そんな大きな身体をしているのに、そんなちっちゃい事を言うなんて。ねえ、リィン」


「どう言われようが、今日は売れないね」


「あらどうしてかしら。お肉がないと困るのだけれど」


店の主人とニコルがやりとりしている間、リィンは荷物を両手に抱えたまま、心が冷えてゆくのを感じた。


やはり、イリアス族は今でも嫌われ者なんだ。この白い肌と紅い目のせいで悪魔とも罵られた事もあった。どこへ行っても、イリアス族にとって暮らしやすい場所なんかないんだ。


だからこそ、イリアス族の人々は一所に長く留まらずに土地を転々とする流浪の民となったのだ。


店の主人とニコルの押し問答の間に、女性の声が割って入ってきた。


「あんた、何してんだい!そこをどきな!」


奥から出てきた女性は主人の肩をどんと小突いて前へ乗り出す。彼女も主人に負けず大きな身体をしていた。


「ごめんなさいね、ニコルさん。今すぐお持ちしますからね」


「ああ、おかみさん。お願いね」


「かあちゃん、今日はもう売らねえって決めたんだ、俺は」


「何恥ずかしい事言ってんだい。馬鹿かいあんたは」


「な…」


「ラディス先生にはとってもお世話になってんだからね。あんたなんか、先生がいなかったら今頃イグルになって死んでたんだからね!」


「そ、そりゃあそうだけど」


ばつが悪そうに店の主人は隅の方でもぞもぞしている。その間にも女性はてきぱきと肉を秤にかけ、紙で手早く包んで、リィンにそれを差し出す。


「ごめんね、ぼっちゃん。うちの旦那は頭悪いんだよ。許してやっとくれ」


リィンに向かって女性は微笑んだ。主人が何か言おうとした矢先に、ニコルが代金を渡す。リィンははにかみながら女性に礼を言った。


「ありがとう」


「かわいい顔してるじゃないの。またおいで」


◇◇◇◆


たくさんの荷物を持って帰路を歩く。

リィンはニコルを見下ろし、なるべく明るい声を作って言った。


「僕は慣れてるから良いんだ。イリアス族は嫌われている種族だから。ルキリア族のせいでね。でも、ニコルやチェムカは違うね。最初から、僕を受け入れてくれていた」


「そりゃそうよ。同じ人間だもの」


「僕が怖くないの?『力』を持っているのに」


「ふふ。そうねえ。でもリィンは悪党に見えないもの。もっと悪そうな奴なんていっぱいいるでしょ」


それにね、とニコルは続けた。


「先生のとこで働いているのはごく僅かな人だけなのよ。先生は人気者だからね、下で働きたいって若者なら男女問わずたくさんいるのよ。でもね、先生が全部、門前払いしてしまうの。

 人を人種や身分で差別するような人間はいらないっていってね。あの診療所ができた時は、大変な話題になったものよ。どんな身分の人でも、大金を積まずに診察して治療をしてもらえるってね」


「ふうん。じゃああの人は皆に尊敬されてるんだ」


「そりゃあね。腕も大したものだわよ。でもね、その分敵もたくさんいるのよ」


「どうして?正しい事をしているのに」


ニコルはリィンを見上げた。


「正しい事をされると困る悪党が、たくさんいるからかしらね。

 先生がしてる事はとても革命的な事なのよ。だいたい医者っていう職業は誰もがなれるものではないし、人の生死に関わるから、聖職者が兼業する事も多いわ。必然的に皆から崇められる存在になるわけよ。神の使いだと言ってね」


リィンはこっくりと頷く。確かにゼストと旅をして色々な町や村へ行ったが、医者のいない所も多くあった。そしてどこでも医者は先生と呼ばれ、絶大な尊敬と財力を手にしているのだ。


「そんなんだから、医者もだんだん勘違いする。傲慢になるの。

 今では普通に相手の身分や職業によって態度を変えるでしょう。身分の低い人なんて、お金を出しても診察さえしてもらえない。品格が落ちるとか言ってね。それに治療費だって法外な値段をとって、その上技術料なんていう意味の分からない料金もとる。だから必然的に貴族の人や裕福な人ほど手厚い治療を受けられるの。

 でも先生は違う。どの人に対しても、提示された診療内容に対する料金で治療しますっていうんだから、そんな事が一般的になれば、医者の稼ぎが減ってしまうでしょう」


「あ…」


「それにねえ、診察を受ける人の中には、そういった低い身分の人と一緒に待たされるとは何たる侮辱かって怒る人もいるのよ。だから最初はこの町の住人達にも拒絶されたわ。立ち退いて欲しいってね」


リィンは道の途中で思わず立ち止まった。


「そんな。どんな人でも治療を受けられるって、大事な事じゃないか」


少し困ったような表情でニコルが振り返る。


「でもねえ、リィン。考えてごらんよ。どんな人でもって言ったらね、良い人も悪い人も一緒よ。悪い犯罪者だって、目の前で苦しんでたら先生は助けるでしょうね。だけど、その犯罪者を知ってる人から見れば、何故、そんな人間を助けるんだって言うかもしれないね。皆、求めるものは一緒だけれど、自分が巻き込まれるのは嫌なのよ」


リィンは何も言えずにまた歩き始めた。目の前にコの字型の見慣れた石造りの家が見えてきた。だから、こんな町のはずれにあるのだろうか。診療所の背後に人家はなく、鬱蒼とした森が広がっているだけである。


「でも今はすっかり、なきゃ困る存在になったわけよ。先生もこの診療所もね。結局いくら嫌だといったって、このベイルナグルで、いいえ、このルキリア国で一番のお医者さんなんですもの」


にっこりと笑ってニコルはリィンを見上げた。


「先生はあの性格だからね、自分の医療の腕で、難癖つける人達を問答無用で押えこんだってわけ」


それに剣の腕だって一流なんだから、と付け足した。


◇◇◆◆


夜、大きなベッドに入って天井を見上げた。ここに来てから十日程が過ぎようとしている。リィンの『力』はまだ戻る気配がない。暗闇に包まれている天井をぐっと睨みつけてみる。いつも『力』を使う時の、熱というか圧というか、そういったものが自分の身体から感じられない。


あの医者は精神的なショックと疲労の為といった。自分はまだそのショックから立ち直れていないんだろうか。あいつは何故、ルキリア皇族なのにここで医者をしているのか。それも茨の道を切り開こうとしている。そして自分がそんな人物を殺そうとした事に、ひどく申し訳ない気持ちになる。本当に生きてくれていて良かった。


そんな事を考えながら、リィンは眠りについた。


ふと、何かの香りを嗅いだような気がして、薄目を開けた。まだ部屋は暗い。夜は明けていないようだ。また目を閉じて眠ろうとした時、自分のベッドの脇に誰かが背を向けて腰をかけているのが分かった。

驚いて勢い良く起き上がると、腰をかけている人物が顔だけを振り返らせ、リィンに言った。


「お。いい時に起きたな。少し手伝ってくれ」


ラディスが上半身裸で座っている。


「な、なんでここに!何してるんだよ」


リィンは慌ててシーツをかき集める。今はブラウスは着ておらず、上半身に布を巻きつけた状態で下は下着姿である。


「なかなか一人で包帯を替えるのがしんどくてな」


見ると、脇腹あたりにガーゼが当てられており、ちょうど包帯を巻き直しているところらしかった。リィンはそれを見て申し訳なくなり、素直に包帯を巻くのを手伝った。


「で、でも。何もここでやらなくても…」


「ああ。知らなかったか。ここは俺の寝室だ」


「ええ!?」


「ここには客間なんてないんだよ。診察室にあるベッドはお勧めできんしな。あとはクレイの部屋だが、あいつは他人と同じ部屋で寝るのを嫌がるから。今はニコルが簡易ベッドを持ってきて寝泊まりしているが。まあ仕方なくだ」


リィンは混乱する頭で何とか考えようとする。ここが、ラディスの寝室。だとすると、まさか…。


「まさか、あんた、このベッドで寝てないよな」


「何故?俺のベッドだろうが」


リィンは顔を真っ赤にし、わなわなと震え出す。


「へ、変態!おかしいだろそんなのっ」


ラディスは包帯を巻き終え、ブラウスを羽織りながら言った。


「うるさい奴だな。安心しろ。元々ここはあまり使っていない部屋だ。だからお前に使わせている。俺はたまに数時間寝に来るだけだ」


「だ、だからって、同じベッドで寝る事ないだろ!じゃあ、僕は一階で寝る」


「やめておけ。下は良くない」


「何で!」


「ここで死んでる奴も結構いるんだぜ。良い気はしないだろう」


それは怖い。そうこうしている間に、ラディスはベッドに横になりだした。


「ちょ、ちょっと」


「お前みたいなもんに、手え出すほど困っちゃいないさ。喚いてないで寝ろ」


リィンは憮然としたままベッドの端でラディスを睨みつけた。

確かにこの数日の間もラディスがいつ寝にきて、いつ起きているのか分からなかった。きっとリィンが完全に寝付いた後の事なのだろう。

しかしもしそうであるとしたら、彼は毎日ほんの数時間しか寝ていない事になる。目を閉じているラディスはまるで絵画のようだ。ふとその目が開いて、顔をリィンに向けてきた。暗闇の中でも、青い瞳の中にある黄金色がよく分かる。リィンはどきりとして身体を硬直させた。


「それからな、その身体に巻きつけている布はやめた方が良い。身体に悪いぞ」


リィンははっとした。そう言えば、ラディスに裸を見られていたのだ。


「ぼ、僕は…」


「イリアス族の女性にはままある事だ。女性であると何かとリスクが大きいからな」


「その、皆には黙っておいて欲しいんだ」


「分かっている。だがなあ、男と偽れるのももう限界だろう。そういうもんは服装だけでごまかせるもんじゃない。とにかく、その布はやめる事だ」


「でもこれがないと困る」


「そんなもんつけてるから成長しないんだ。俺はもっと女性らしいラインが好きなんだよ。それに、その布がなくたってどうせぺたんこだ」


ラディスはくくくと笑う。リィンは腹を立て怒鳴った。


「余計なお世話だ!」


「…しかしお前は不思議だな。普段は男にしか見えないのに、ベッドの上じゃ女の顔をしている」


「…変な言い方しないでくれ」


それもそのはずだ。リィンは常日頃から警戒を怠らず気を抜かないようにして生活している。それは『力』を使いこなす為にも不可欠であるし、もう今では無意識にやっている事だからだ。

ラディスはふん、と笑って目を閉じる。リィンはその整った横顔を見つめ、疑問に思っていた事を質問した。


「どうして、僕がシルヴィの子だって知っていたんだ」


薄く唇が開かれ、ラディスが呟くように答える。


「あの子守唄だ。懐かしいな…。それに、お前は母親そっくりだ」


「知ってるのか、母様の事」


「お前の父親は立派な医者だった…」


「何っ。どうして父様の事まで知ってるんだ!」


しかしその問いに返事はなかった。ラディスは静かに寝息を立てている。暗闇に取り残されたリィンはますます訳が分からなくなって、彼の綺麗な寝顔を見つめる事しか出来なかった。ブラウスのボタンが適当に止められているせいか、前が大きくはだけている。


リィンはそこで、信じられないものを目にした。


「そんな…」


広い胸板の右側に、刺青のような模様が見える。

リィンはおそるおそる彼に近づき、ブラウスの裾を掴んでそれを確かめた。焼印である。静かに肌に触れ、それが皮膚の一部で、随分昔に押されたものであると確認した。


何故これが、ラディスの胸にあるのか。有り得ない。だってこれはゼストの胸にあったのと同じ…。


イリアス族が奴隷として労働させられていた頃に、帝国政府によってつけられた烙印と同じなのだ。


リィンは愕然としたまま、しばらく動けないでいた。リィンにはこの烙印はない。シルヴィとティルガによって解放され人権を得た後に生まれた子供だからだ。

ゆっくりと枕に顔を埋めてため息をつく。


「分からない事だらけだ…」


ミントハーブの香りがする。ラディスからはいつもこの香りがする。決してきつい感じではなく、ほんのりと香るのだ。きっと医者という職業柄、消毒や薬品の匂いがついてしまうのでそれを消す為に、つけているのだろう。リィンはゆっくりと眠りの底へ落ちた。


そして不思議な夢を見た。


幼い頃にシルヴィとゼストとライサの皆で暮していた家に、リィンはいた。あたたかい日差しの入る部屋で、皆が茶を飲みながら談笑している。リィンは部屋の外の廊下から、とても穏やかな心地でそれを眺めていた。もうそろそろ父様が帰ってくるので、玄関先で待っているのだ。玄関の呼び鈴が鳴る。リィンが喜びに顔を輝かせて扉を開く。大きな身体が見え、声が聞こえた。


「ただいま、リィン」


その声はラディスのものだった。


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