表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い月 青の太陽  作者: 茂治
最終章
88/101

087:共存する光と闇3

二人がチェムカの家に辿りつくと、母のセティナが出迎えてくれた。居室に通されるとそこにパウラもいて、無言で会釈をする。


「チェムカは?」


「部屋にいるだ。荷物をまとめてるとこだと思うんだけど…」


「僕、見てきて良いかな?」


「ああ。馬車を待たせてるから呼んで来てくれっと助かるわ」


リエズの町に行った後の事を話し合うセティナとエンポリオ、パウラを置いて、リィンは部屋を出た。突き当たりにある木目の扉が薄く開いている。そこが確かチェムカの部屋だったはずだ。


チェムカを護ってくれ。


ラディスは最後にそう言った。

リィンはしっかりとその言葉を記憶していた。


「…チェムカ、いるの?」


薄く開いた扉を遠慮がちに押し開いて部屋をのぞいた。瞬間、時が止まった。

リィンの目に飛び込んできた光景は、心臓の動きを止めてしまう程に恐ろしいものだった。

チェムカの小さな背中が見えた。

白のブラウスに腰のしぼられた臙脂色のスカート。彼女の銀色の髪は今は三つ編みに編まれておらず、腰まで垂らされていた。チェムカの背はリィンとたいして変わらないはずなのに、リィンは彼女を見上げている。

チェムカはゆっくりと、先が輪になった縄に頭を通そうとしている…。

その縄は部屋の天井に渡されている柱から伸びていた。


彼女は、首を吊ろうとしている。


リィンの喉が息を吸い込み鋭く鳴った。


「チェムカッ!!」


叫んで走り込み、飛びつくようにしてチェムカの身体を両手で抱えた。そのまま二人はどうと部屋の床に転がる。


「チェムカ!?何でっ…どうして!!」


リィンは押し倒したチェムカの両腕を掴み、身体を起こした。手の中にある彼女の身体はぐにゃりとしていて力がない。チェムカはぼろぼろと泣いていた。眉が歪み瞳から涙が流れ、口元がわなないている。肩で息をしながら、チェムカは泣いていた。いつも愛嬌のある笑顔を作っていた顔は、これ以上にない程に辛い表情をしてリィンに向けられている。


「うう…ああ…。リ、リィン…ご、ごめんよお…ごめんっごめんよぉ…!

 あ、あたすのせいで…先生が!ラディスせんせいがぁあ…」


リィンは頭から冷水を浴びせられたような衝撃に呼吸を忘れた。目を固く閉じて泣いているチェムカの腕を強く揺さぶる。


「違う!チェムカのせいじゃないっ」


「あたすのせいだもの…あたすがなんも、考えねえで、あんな事…!そのせいでロンバート先生だって大怪我したって!」


チェムカ…。


「何べんも何べんも、言ったんだあ…せんせいは関係ねえって…な、なのに…なのに、ちっとも聞いてくれなかった!!」


いつも明るいチェムカが泣いている。本当に辛そうな顔をして…。


「せ、せんせいになんかあったら…申し訳ねえ!!あたす…生きていかれねえっ!!うああぁ…」


小さな弟妹達の面倒を、嫌がらずに一生懸命に見ていたチェムカ。

父を亡くして、だけれども精いっぱい毎日を生きていた。母と力を合わせて、いつも元気に笑って…。

その彼女が自ら死を選ぼうとする程傷つき絶望して、声を上げて泣いている…。


どうして。


どうしてこんな事が許されるのだろうか。この世界は一体、誰の為にあるんだ。


「…いやだ…」


リィンが低く呟く。


「いやだいやだいやだっ!!」


チェムカの力の抜けた身体を思い切り抱き締めて、叫んだ。


「死んじゃいやだよっ!チェムカ!!」


「うう…う」


「チェムカ!」


泣かないで。


「僕が護るからっ…ぼくが、まもるから!」


リィンの頬に涙が伝う。


「お願いだっ!チェムカ…僕が護るから、戦うと言って…一緒に戦うと言って…。い、生きると…

 生きると言って!!」


チェムカを固く抱き締めて、リィンは泣いた。


大好きな人が、また傷ついてしまった。

ああ…何故なんだろう。

僕はあの頃よりもずっと強くなったのに…。

剣も使えるようになったし、『力』を使うのだってうんと上手くなったのに…。

僕はまた…何も出来ずにいる。

まだ足りないんだ。


僕がもっと強ければ。僕にもっと力があれば…。


「お、お願いだ…生きると、いって…ぼく、ぼくが…まもる…もっと、強くなるからっ…」


両手からぽろぽろとすり抜けて、大事な人が消えてゆこうとする。

どうしたら良いの…。

どうしたら僕は、大事な人を護れるの…。


待って。いかないで。お願い。

もっと強くなるから。もっともっと頑張るから。だから…。


「リィ…ン…」


「ぼ、ぼくを置いていかないで…もういやだよ…いやだ、ああ…」


ああ、こんなに温かいのに。


「うう…チェムカが、死ぬんなら…ぼくも、死ぬ…う、うあああ…」


チェムカは薄く目を開き、震えているリィンの背に腕を回した。また新たな涙がこぼれる。


「リィン…ああ…ごめんな…リィン…」


泣きながら抱き合う二人を、力強い温もりが包んだ。セティナが二人を抱き締めて揺すりながら声を上げる。


「馬鹿っ!!こ、こんな馬鹿な事っ!ラディス先生がもっと苦しむだろうが!」


「かあさん…」


「大丈夫だっ!ぜぇーったい大丈夫だべ!何とかなる!!何とかなっから!な!」


泣いている二人の少女を固く抱き締めて、セティナも目に涙を浮かべていた。戸口にはパウラがへたり込んで口元に手を当てて涙を流している。


エンポリオはその光景を、拳を固く握り締めながら見つめていた。


◇◇◇◆


リエズに向かう馬車の中でリィンは子守唄を歌っていた。隣にはチェムカがいて、繋いでいる手から優しい温もりが伝わる。


「リィンの歌…初めて聞いただ。優しいな…すっごくうまい」


「…僕も歌姫になれるかな」


「ふふ…なれるなれる」


二人でくすりと笑う。向かいに座るセティナも目を閉じたまま笑顔になった。


「リィン…」


チェムカが小さな声で呼んだ。


「うん?」


「ありがとうな…」


繋がれた手にきゅっと力がこもる。


「あたす…もうあんな事しねえから。あたす、もう大丈夫だから。…先生を、ラディス先生を…」


「…うん。分かった」


リィンがチェムカの手を力強く握り返した。


「チェムカ。少し寝た方が良いよ」


「うん…もう一度歌ってくれるけ?」


「うん」


リィンはゆっくりと息を吸い込み、また歌い始めた。


「風の声をきいて 道しるべはこころの中に…」


チェムカがリィンに甘えるように頭を寄せて目を閉じる。規則的に揺れる馬車の振動が心地良く柔らかな夢へといざなう。


「…あおい海原 とうめいな風 とおいあの子へ このうたがきっと届くよう…」


きみへのあいを 抱いて静かに目をとじよう。


夜遅くチェムカと母のセティナはリエズの町に到着した。パウラも一緒に来るはずだったのだが、通いで働きに行っていた食堂に忘れ物をしてしまったと言い、一日遅れでリエズに向かう事になった。リィンは二人が無事に家族と再会したのを見届けてから、月明かりを頼りに馬を駆って帝都へと引き返した。


◇◇◆◆


「これはかなり危険な駆けだよ。だけど、これが一番有効だ。この作戦が成功すればルーベンを捕らえる事が出来るし、皇族のトワ妃だって追い詰める事が出来る」


金色のくせの強いふわふわとした髪が夕日を受けて輝く。ラディスが拘束されて二度目の日没。

エンポリオは人差し指を立てて皆の注目を集め、続けた。


「一度始めてしまったら引き返す事は出来ない。…良いね?」


居並ぶ全員が無言のままこっくりと頷く。


診療所の玄関口に佇む六人。ジェイクが隣に立つパウラに視線を向けて口を開いた。


「パウラさん、本当に良いのですね?」


痩せて尖った顎に暗い色の髪を一つに結わえたパウラが、緊張の面持ちで頷く。


「私にやらせてください。だってこの役は私にしか出来ませんわ。その為に私はここに残ったのです」


「パウラさん…」


クレイが僅かに眉根を寄せてパウラを見つめると、彼女は少し笑って言った。


「そんな顔なさらないで。失礼なようですが…これは別にあの先生の為にするのではないのです。チェムカちゃんやレッジ君、セティナさん達家族の為にするのです。あんなに優しくて明るい家族、他に知りませんわ。あんなに心根の優しい人達が傷ついて涙を流すなんて…私は少しでもあの方達に恩返しがしたいのです。きっとうまくやってみせます」


「エンポリオ殿、あの男の方は…」


ソアの言葉にエンポリオは片目をつぶってみせた。


「ばっちりさ。ああいう性根の人間の方が、懐柔しやすい。説き伏せてお金を積めばイチコロだ」


「リィン、君も大丈夫かい?」


ジェイクがリィンに優しいまなざしを向けて聞いた。リィンはジェイクを見上げて、はい、と答え、パウラに顔を向ける。


「パウラさん。僕が必ずあなたを護ります」


パウラは目を細めて薄く微笑んだ。


「お願いします」


この日の朝、ロンバートの家を襲撃した犯人グループの残党が、北地区を支配する帝王シーカーによって捕らえられたという一報が入った。更に彼らはルーベン司教と親密な関係である事も自白しているという。一体どんな手を使って真実を自白させたかは分からないが、今現在彼らは帝国軍ではなくシーカーの手で拘束されている。帝国軍に渡してしまうと口を封じられる可能性があるからだ。しかし、これでも証拠としてはまだ甘い。この証言だけではルーベン司教もトワ妃も追い詰める事は出来ない。

それから丸一日かけて策を練り、話し合いを重ねて何度も確認の手順を踏んで、準備をした。大丈夫だ、きっと成功する。させてみせる。

ぴりりとした緊張感の中、皆が一言も声を発さずに深呼吸をする。目を閉じてジェイクが静かに言った。


「証明しよう。庶民である私達にも、絶望的な窮地を覆せる事が出来ると。知恵と勇気を持って、折れぬ心を見せつけよう」


それこそが、ラディスが僕に教えてくれた事。


諦めない。…絶対に。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ