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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
最終章
86/101

085:共存する光と闇1

ベイルナグル・南地区≪宮殿内 鳳凰の間≫


「ここからが肝心ですぞ皆様方。時が勝負です、ぐずぐずしていてはやっと捕らえた獲物を逃す事になる」


眼鏡をかけた白髪の老人がそこに居並ぶ者達に視線を巡らせた。白銀の貴重な一枚岩で造られた縦長のテーブルには目にも鮮やかな料理が並び、金銀の美しい食器が華を添えている。繊細な細工の施されたグラスに真っ赤な葡萄酒が揺れ、集う者達もきらびやかで上等な衣服を身に纏う。

優雅な昼の会食。

全員が≪黄金の青い目≫の持ち主であった。


「しかし今回は少し強引すぎやしませんか?ロンバートに手を出した事で、今まで中立の立場を崩さなかったフェーマスが向こうに回ってしまった。それにエンポリオ・オールゲイトと手を組んで審議要請の書簡も出してきているらしい」


金色のウェーブがかった長髪の青年が思案げに語ると、その隣に座る太った男性が彼を睨みつけて言い放った。


「それがどうしたというんだ、レイベンロウ。お前も王子の一人ならばもう少し堂々としていたらどうだ。貴族がどれだけ何をわめこうとも取り合う必要などない。私達は皇族なのだから」


「はあ。今の世の中、そのような独裁国家では通用しませんよ。それに気付いているからこそカイエリオス陛下は…」


「お前はどちらの味方だ!これを機にアルスレインを失脚させるところまで持ち込まねばならんのだ!臆病者は去るが良い!」


蛇のような細い外見をした別の壮年が声を荒げてレイベンロウの言葉を制した。


「そういう事じゃありませんよ、ワイゼフ閣下。ただ今回の策はそれ程賢いものではないと言いたいんです」


「もうここまで来ているのだ、今更引き返す事など出来んだろうが!それにいざとなればルーベンとペインに罪を着せてしまえば良いではないかっ」


興奮した面持ちのワイゼフの言葉に頷き、髭の壮年が静かに口を開いた。


「いずれにしろあの男の処刑は今すぐにでも執行してしまわねば。あれを消してしまった後ならば、どうとでも言い訳は作れる。≪早馬≫もノランド大尉が全て片付けた。ザイナス国へ伝令は届かない」


「よくやった、ガズナイルよ。ようやくあの男を捕らえる事が出来たのだ。この機会を逃さずに息の根を止めねばならぬ」


そう言って不敵に微笑む女性。金の髪を結い上げて白のドレスに身を包む。ぴんと背筋を伸ばしたその姿からは威厳さえも漂わせている。大きな瞳と顎にほくろのある顔立ちは実年齢よりもだいぶ若く見えるが、目尻と口元のしわにその年輪を感じさせる。


「トワ妃殿下、それでは審議も審問もせずに極刑を確定させて執行するというのですか?少し乱暴すぎませんかね…。私達の狙いが彼であると公言しているようなものです」


「良いではないか。実際にそうなのだから。あの男…ラディス・ハイゼルさえ殺してしまえば後は烏合の衆だ。国王不在の今、全ての権限はこの私にある事を忘れるな」


トワは華やかな笑みを浮かべ上品な仕草でグラスを傾けた。


「あのイリアス族の少年も何とか引っ張れないだろうか」


太った男性が油で光る顔を緩ませて独り言のように呟く。


「英雄などどもてはやされているようだが、所詮は奴隷だ。あの白い肌と紅い瞳のおぞましい事、身震いがする。何でもその少年は女のように整った容姿をしているとか…。捕らえて鞭を入れてみたい」


「欲は出さぬ方が懸命ですぞ、ドムクス王子。ラディス・ハイゼルの一人でさえ捕らえるのには苦労したのですからな。それにあの男と同様、その少年もレーヌ国とは深い繋がりがあるようだ。下手な事をすればレーヌ国を敵に回しかねない。そうなれば我ら皇族だとて国王は黙っていないでしょう」


白髪の老人がドムクスを諭し、それを聞いていたトワが高い笑い声を上げた。


「笑止、ウィト・ネールよ。レーヌ国だとて、このルキリアの支配下にあるのだ。ルキリア皇族の権限よりも上をゆくものがこの世界にあろうか!≪黄金の青い目≫を持つ私達皇族こそが、この世界を統べる唯一の選ばれた種族であるのだ!」


トワの言葉に老人ウィト・ネールは黙って頭を垂れ、ガズナイルが片手を挙げて口を開く。


「だがウィト・ネールの言葉にも一理ある。今はあの男の事に集中した方が宜しい」


「全く忌々しい!あの男のせいでこのベイルナグルの秩序が乱れてしまった!下賤の民らがまるで我が物顔で生意気にも意見を述べるなど許してはいかんのだ。ここは偉大なるルキリア族の土地なのだぞ!?それを忘れ我らの寛大な慈悲によって、この場所に住んでいる事すら、あの阿呆共は忘れ去っているのだ!」


「速やかな処刑の執行には賛成ですな。しかしあまりにも強引に事を運ぶと後々面倒な事になるのは目に見えておりますぞ。ペインとルーベンが寝返らないとも言い切れますまい。慎重かつ迅速に、事を進めなくては…」


「臆するな、勝利はこの手の中にある。愚民共に何が出来よう」


トワは高らかに葡萄酒を掲げ、場の全員がそれに続く。


「全ての命は偉大なるルキリア皇族の前にひれ伏し」


「我ら高貴なるルキリア皇族によって統べられる」


ぞわりと全身を駆け巡る優越感に、トワは心の底から歓喜した。


とうとう捕らえたのだ。あの薄汚い女の血を宿す子供を…。

この私を長年苦しめてきた罪は重い。決して逃さぬ。生きたまま四肢を切り刻んでくれようぞ。


◇◇◇◆


ベイルナグル・北東地区≪診療所 応接室≫


診察はしばらくの間休診になった為に主を失くした石造りの建物は、不気味な程に沈黙していた。エンポリオが応接室の扉を開こうとした時、内側から勢いよく開いて大きな声とざわめきが飛び出して来た。


「やはり司教と皇族を相手にして勝ち目などあるわけがなかった!私達は愚かだったのだ…。迷惑な話だ。命まで狙われるなんて聞いていない」


「その通りだ。俺はもう手を引かせてもらうぞ」


「お待ちください。どうか冷静に…。これは紛れもない冤罪なのです。真実はすぐにでも明らかになるでしょう」


「とにかく、真実がどうあろうが既に無意味な事。私も降りる!」


扉の取っ手を掴んだままの壮年は室内に向かって言い捨て、踵を返して目の前にいるエンポリオとぶつかりそうになる。壮年はあからさまに顔をしかめ、憮然とした態度で長い廊下を去ってゆく。


「失礼」


次々と室内にいた者達がエンポリオを押しやって去って行った。エンポリオは唖然としてそれを見送り、ゆっくりと室内に足を運ぶ。中には乱れた椅子と、淀んだ空気。クレイとフェーマスが席についており、クレイの傍らにソア、窓際にはリィンが佇んでいた。エンポリオは苦笑し、ため息をこぼす。


「…まあね。うすうすは想像していた事だけど。味方はこれだけ?」


「やはり…柱であるラディス様がいなければ全てが成り立ちません」


しょんぼりとするクレイの肩にソアがそっと手を添えた。


「これで良いんだ」


迷いのない声に皆がリィンに視線を向ける。赤茶の瞳は真っ直ぐにクレイに向けられていた。


「臆病者は足手まといになるだけだ。本物の味方が僅かでも残れば良い。その方が何倍も動きやすく団結もしやすいだろ?…って、ラディスだったらきっとそう言う」


「リィン…」


「なるほど…その通りだ。気落ちしている暇はないな、次の対応策を考えねば。…エンポリオ君、あの男の方はどうだ?こちらに懐柔出来そうか?」


フェーマスが口髭に手を当てながら部屋の入り口に立つエンポリオを見上げて聞いた。


「ふふ。あともうひと押しってところです。必ずこちらの側につけさせますよ」


エンポリオはフェーマスに微笑んでからリィンにそっと視線を向ける。白のブラウスに緑のベスト、細身の黒のズボンという普段通りの格好で窓外を見つめている。透き通った濁りのない白の肌に色素の薄い栗色の髪。その容姿は全体的に線が細く繊細なガラス細工のようだ。しかし凛とした横顔からは全く心細さを感じない。瞳には強い光が宿り、勇ましい青年のような雰囲気が漂っていた。今のリィンを見て、誰もが男性である事を疑わないだろう。


リィン、君は…。


「…もう昼過ぎだな。何か作ろう。食事をとらねば力も出ない」


ソアが静かに呟いて、皆がのろのろと応接室を後にした。長い廊下を居室に向かって歩いていると、玄関口にわらわらと人が入って来るのに出くわした。


「ニコルさん!?皆さんまで…どうしました?ここはしばらく休診ですよ」


人々の先頭にはニコルとニコルの主人がいる。その後ろに連なっているのは皆町の住人達だった。クレイが困惑しながら皆の前へ出ると、ニコルは彼を見上げてにっこりと笑った。


「そろそろお腹をすかせてる頃だと思ってね。今すぐ美味しい料理をたっくさん作ったげるからちょっと待っててね。リィンにソア、手伝っとくれ!」


ニコルは太めの身体を揺らして颯爽と廊下を歩いてゆき、顔を見合わせて笑いながらリィンとソアがその後をついて居室へと消えた。クレイは呆然とそれを見送り、ニコルの主人にゆっくりと顔を向けた。


「ここはまだ危険です…。どうかお戻りください。皆さん方も…」


健康的に日焼けをしてがっしりとした身体の主人が、クレイに一歩詰め寄る。


「クレイ先生よ、俺達に何か出来る事はないのかい?家にいても気が気じゃないし、居ても立ってもいられなくってよ…。ラディス先生にはとってもお世話になってんだ。ここに集まったみーんな、気持ちはおんなじなんだよ」


語る主人の瞳は真剣そのものだった。


「そうだよ!どうして先生が捕まんなきゃなんないんだい。どうしてロンバート先生を襲った犯人にされなきゃいけないんだ」


「もし本当にラディス先生が犯人だとしたら、何でわざわざチェムカや弟まで巻き込む必要があるんだよ。そんなの矛盾してるじゃないか」


「全部でたらめに決まってる!ルーベンの野郎の仕業に決まってるんだ!」


集まった人々から怒りの声が上がる。町の人々の後ろに帝国軍の軍服を来た青年達もいる事にエンポリオは驚いた。


「私達も今回の件はどうにも腑に落ちない。…彼は最下層の重罪犯が投獄される牢に入っており、上官以外誰もそこへは近づけないのだ。アルスレイン元帥様が戻られるまで、私達は上官の命に従うつもりはない」


「そうだ!こんな事をして国王様が黙っちゃいないさ」


「俺達で真犯人をとっ捕まえて、引き出しゃあ良いんだ!」


「皆さん、落ち着いてください」


口々に声を荒げ詰め寄る人々に、クレイは腰を折って深々と頭を下げた。じっと頭を下げ続ける彼を見て皆が言葉を飲み込み、辺りがしんと静まる。クレイはその態勢のまま語り始めた。


「…ありがとうございます。私達にはこんなにたくさんの味方がいたのですね…本当に、心強い。本当に…何倍もの力をいただいた思いです。ありがとうございます」


「クレイ先生…」


「ですが皆さんのそのお気持ちだけ、いただいておきます。どうか今はこらえてください。保安部隊の方々もどうか…。このままでは反乱や暴動が起きてしまいます。それこそが相手の企んでいるところでもあるのです。私達はそれに負けるわけにはいきません。賢明に、この場を乗り越えてゆくのです」


姿勢を戻し、クレイは一人一人に真剣なまなざしを向けて続ける。


「ラディス様は必ず、救い出します。どうかこの私を信じていただけませんか」


エンポリオは目の前に立つ、完璧な身なりのクレイを呆然と見つめていた。

その場で話し合い、住人達の代表として数名が診療所に残る事で何とか落ち着き、他の人々はそれぞれ来た道を引き返して行った。フェーマスがクレイの肩を叩いて居室へと歩き出し、クレイはほっと息をつく。


「クレイ…君ってば、そんなに逞しかったっけ?何だかラディスの分身を見ているようだったよ…」


エンポリオが紺色の瞳を丸く見開いてクレイを見やった。彼は苦笑をして頭をかく。


「身に余るお言葉です…。本当はふらふらで倒れてしまいそうですよ」


ラディスとはまた異なるやり方だったが、クレイは確かに人々の心を掴んでいたように思えた。







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