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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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075:運命の子1

「何だか懐かしいな…」


ベイルナグルの広場付近で馬車を降りて、放射線状に伸びる石畳の道を町はずれの診療所へ向かって歩く。レーヌ国を出発してから三日をかけて、やっとここまで帰って来た。


「ルキリアの帝都は素晴らしいな。この建築の水準の高さは驚嘆ものだ」


ソアが町並みを眺め、ほう、と息をついて歩いている。


「朝の市場が開いている時間はもっと活気があって、人も大勢いるよ」


今はちょうどその朝市の時間が終わった頃だ。通りを歩く人々はまばらで、まだ昼頃の活気もない。普段通りの時間が流れている。ソアとリィンの手前をクレイが歩いていて、その前をラディスが大きな診療鞄を肩に担いで大股で歩いている。彼は疲れも見せずにずんずんと先へ行ってしまう。


「ラディス、もっとゆっくり歩いてよ」


リィンが声をかけた。


「ここで町の奴らに見つかって診察でも頼まれたらやっかいだからな、俺は先に行くぞ」


彼はそう言って片手を上げ、振り返らずに歩いてゆく。


「おや…診療所に人が集まっていますね」


クレイが遠くに見えて来たコの字型の診療所を見つめて呟いた。リィンも目を凝らして先を睨む。確かに玄関口に人々が固まっている。十人以上はいるだろうか。まさか自分達の出迎えでもないだろう。じわりと緊張する。


「本当だ。何だろう…」


一足先に着いたラディスに気付いた人々が、一斉に長身の彼を取り囲む。何事か会話を交わし、ラディスがこちらを指差した。人だかりの中から見知った女性が姿を現す。ニコルとチェムカだ。こちらに手を振っている。その雰囲気からして、どうやら良くない事件が起きている訳ではなさそうだが、何とも言えない緊張感が辺りを包んでいた。不思議に思いつつ手を振り返した時だった。


「リィン!」


二人が同時にリィンの名を叫んだ。


「…え、僕?」


人だかりが一気にこちらに向かって押し寄せて来て、あっという間に取り囲まれてしまった。気押されて呆然とする。集まっていた人々は皆町の住人で、見知った顔も何人か混ざっていた。


「リィン、聞いたかい!?」


ニコルが挨拶も抜きでリィンの細い両腕を取って揺さぶってくる。白髪混じりのひっつめ髪が少しだけ乱れている。その隣にいるチェムカもそばかすの散った愛嬌のある顔をずいと近づけて、リィンを見つめていた。二人とも興奮した面持ちで、その瞳は真剣そのもの。リィンは揺さぶられてがくがくとしながらマントのフードをとって答える。


「な、何を?一体どうしたの。何かあったの?」


「昨日の朝、≪早馬≫が走ったんだべ。帝国政府が新しく決定した通達が、ルキリアの国中に向けて発令されたんだ。たくさんの≪早馬≫が、書簡を持って出て行ったんだべ、リィン」


チェムカが勢い込んで語りかけてくる。帝国政府、という単語を聞いてリィンはまた緊張した。目の前にいるニコルに視線を向けると、彼女の頬は興奮で赤らんでいた。


「ニコル。ねえ、どうしたの!?」


「取り下げられたんだよ、解除されたの。イリアス族に対して出されていた警戒令が、取り消されたんだよ!」


「………え?」


「リィン、イリアス族は本当の本当に、自由になったんだよ。もう何の制約もないんだよ、監視なんかされない。全部、皆と同じだよ」


ニコルがリィンの華奢な肩を抱き締めた。彼女の太めの身体から優しい太陽の匂いがする。


警戒令が、取り下げられた?


「良かったわねえリィン」


「小僧、良くやったな!」


「大したもんだよこの子は…」


皆が笑顔で、口々に賛辞を向けてくる。これはきっと何かの間違いだ。冗談かも知れない。みんなしてたちの悪い冗談で自分を騙そうとしているのだろうか。そうとしか考えられない。


だってあの帝国政府が、イリアス族の警戒令を解く訳がない。

今までずっと、僕らを踏みにじって嘲笑っていたのだから。ティルガとシルヴィ、当時のイリアス族達が命がけで勝ち取った人権に唾を吐きかけ砂をかけて、十八年間ずっと嗤い続けていたのだから。


「ね、ねえ…。何言ってるの?よく分かんないよ」


リィンはやっとの思いで言葉を吐き出し、乾いた笑顔を作った。


「みんな嫌だな。僕がそんな冗談に騙される訳ないじゃないか…」


ニコルが涙をこらえ、微笑む。


「イリアス族のリィンが、アルスレイン元帥様を敵から守ったんですもの。ルキリア皇族の、次期国王のアルスレイン様の命を救ったんですもの!これが冗談な訳がありますか!」


「…え」


どういう事だ。アルスレイン、ルキリア皇族。…そうか。


ロガートとの国境にあるゲムの村。その村へ毎年定期視察へ向かうルキリア帝国軍元帥のアルスレイン王子。今回はその視察へイリアス族を同行させた。それは彼を失脚させ、亡きものにしようと企む第六王子の息のかかったガズナイル長官の提案であった。アルスレインは全てを承知で、この先の未来を切り開く為に、勇敢に勝負を挑んだ。案の定、村ではイグルと山賊が待ち構えていて命がけの戦闘になった。しかしその戦いに勝利し、彼は黒い謀略を見事に打ち砕いた。


「そ、それじゃあ…本当に…」


本当に?


「そうだよリィン!」


身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになる。ニコルとチェムカに抱えられ、そのまま診療所の応接室へ引きずられるようにして連れて行かれた。

それから一日中、その部屋に張り付けになってしまった。町の人々が挨拶や祝福をしにひっきりなしにやって来る。リィンは完全に思考の停止した頭をかくんと垂れて、何とかお辞儀をして笑顔を作って、当たり障りのない返事を返した。今日一日の出来事が突風のように通り過ぎてゆき、自分が何をどう受け答えしたのかも覚えていない状態だった。その一日を締めくくる最後の訪問客は、ルキリア皇族のエリナ王女と政府要人、ケイロスであった。


リィンはよろりと席を立ってルキリア皇族の二人に一礼をした。その場にいたニコルとチェムカも腰を折って深々と頭を垂れる。


「リィン、よくやったわ」


エリナが勝気な表情を向けて、リィンの手を両手できゅっと握り締めた。つり目に少し上向きの鼻、手入れの行き届いた金の髪。今日はブルーの宝石が嵌め込まれた髪留めをしていて、紫のワンピースに身を包んでいた。


「ありがとう、エリナ」


リィンよりも少しだけ背の低い彼女を見おろして笑顔を返す。するとエリナはリィンの頬に素早くキスをして、にっこりと微笑んだ。


「兄様を助けてくれたお礼よ」


扉が開いてクレイとソアが茶器を持ってやって来た。二人が人数分のティーカップに飴色の茶を注ぎ、それぞれの前へ音もなく置いてから、静かに席に着いた。応接室にはラディス以外の診療所の面々とルキリア皇族の二人が顔を並べている。この診療所の主は留守中に溜まりに溜まった事務仕事の片づけや製薬会社の決済処理と、悪戦苦闘の最中である。


「きっとさぞや驚いた事だろう。君には何も話していなかったからね。すぐに説明に行こうと思ったのだが仕事が立て込んでいてね、申し訳なかった」


白髪混じりの金髪に彫の深い顔。≪黄金の青い目≫の目尻にはしわが刻まれている。紺色の軍服に良く似た帝国政府の制服。ケイロスはリィンに視線を向けて続けた。


「アルスレイン王子も最後までここへ来ようとしていたが、執務が忙しく抜け出せなかったのだ」


「だから私が代わりに来たのよ。リィンにも会いたかったしね」


エリナが澄ました顔でティーカップを傾ける。


「リィン。これが君の成し遂げた結果だ。誇りを持ちたまえ」


リィンはケイロスに向き直り小さく声を発した。


「…これが、ラディスの出した交換条件ですか」


一瞬ケイロスは目を見張り、それから笑った。


「そうだ。彼は今回の視察が成功したら、イリアス族に対して発令されているあの警戒令を取り下げよと私に条件を突きつけた。それを約束しなければ君を寄こさないと言ったのだ。しかし振り返ればそれは必然的な流れであったと思う。何故なら実際に君が、アルスレイン王子の窮地を救ったという事実があるのだからね。警戒令の取り下げに反対をしていた皇族達を黙らせるだけの大きな力となったのだ。

 要するに君の起こした行動の結果が最大限良い方向へと転じるように、ラディスや私が手引きをしたに過ぎない。何せ全ての前提において、あの視察が成功する事が必須であったからだ。そして君はそれを見事にやり遂げた。イリアス族として、その『力』を行使し、恐ろしい脅威から私達を救ってくれたのだ」


リィンは視線をそらして俯いた。皆が誇らしげな表情でリィンを見つめている。


「それから…君にはまだ伝えるべき事がある。ルキリア帝国政府の中枢機関が議会で決定した事がもう一つあるのだ。それは、君に貴族の位を授与するというものだ。騎士ナイトの称号になる」


「ええっ!!」


チェムカが思わず叫んだ。


「そ、そんな…すごいわ…リィン。あ、あたしゃ感激しすぎて気を失いそうだよ…」


ニコルが片手で頭を押さえ、椅子の背に深々ともたれた。


「リィン、素晴らしい。何という快挙でしょうか…」


クレイも感嘆の呟きを洩らし、隣に座るソアは無言で頷いている。

元来貴族とは世襲制のもので、ルキリア族のみがその地位を独占している状態である。その他にルキリア国に対して、有益で多大な貢献をした功労者に対し、その功績を讃えて授与される貴族の位がある。それが騎士ナイトと男爵の位だ。


ケイロスが咳払いをして浮き立つ皆の注目を集め、後を続けた。


「ぬか喜びをさせるようで申し訳ないが、この称号は受け取らず返上する事に決まっている。この事もラディスと事前に話してあった事なのだ」


「ええっ!?」


チェムカが身を乗り出すようにして叫び、ニコルは憤慨した様子で口を開く。


「なっ…何ですって!?どういう事でございますか、ケイロス様。当の本人を差し置いて、へ、返上するだなんて!」


ケイロスが慌てふためくニコルとチェムカに片手を上げて、ゆっくりと説明を始めた。


「貴族の位を戴いた者は、ルキリア貴族と同等の権利を得る事が出来る。しかし同時に義務も発生するのだよ。ルキリア国の騎士ナイトとなるのだからね、ルキリア国に忠誠を誓わねばならない。そして今回の場合、リィンにとって好意的な感情で授与の可決があった訳ではなかった」


「え…?ど、どういう事だべ?だって称号の授与は、栄誉あるものだ…」


チェムカが眉をハの字にして困った顔をした。


「…なるほど。そういう事ですか」


クレイが無表情で前を見据えたまま呟く。隣にいるソアが顎に手を当てて、ふむ、と頷いて口を開いた。


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