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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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074:禁忌の『力』

片手に荷物を抱え、もう一方の手に先程調達してきた馬の手綱を引いて、町から大学校の巨大な校舎へと引き返す。朝日に輝く瑞々しい緑、茶けた校舎の壁面。大学校の庭園は隅々まで手入れが行き届き、噴水には満々たる水が流れている。なかなか良い眺めじゃねえか。ミッドラウは独り言ちた。朝のすがすがしいその風景に見知った形を発見する。向こうもこちらに気付いてちらりと視線を寄こした。運び屋は相手を指差して思い切り笑ってやった。


「…気でも狂ったか」


ラディスがじろりとこちらに一瞥を向ける。彼は黒のマントを羽織り腰に剣を差して、準備万端で突っ立っていた。


「よおじじい!くっくっく…俺は笑いが止まらん!お前の禁欲生活はまだまだ続きそうだな。…ぷっ」


「お前の呑気な笑い顔を見ていると安心するよ。こんな阿呆でも世界は優しく受け入れてくれるんだってな」


「今は何を言われてもちっとも効かんな!愛しい女を抱けない哀れな男のひがみってところか。くくっ。苦しめ苦しめ。今までさんざん遊んでいやがった罰だぜ」


「俺に罰が当たるとしたら、お前はとっくに呪い殺されているはずだろうが」


「何を言う。俺様のは遊びじゃねえ。全ての女達を平等に愛している!」


ミッドラウがふんぞり返って宣言し、ラディスがふん、と鼻で笑った。


「どうしてお前がここの制服を着ているんだ。さっさと脱げ。品格が落ちる」


「うるせえよ。俺様程似合う男はいねえ!それより他の連中は?まだ挨拶でもしてんのか」


「そのようだ」


「俺はこのまま≪配達≫へ行く。ザイナス経由だ。帰りはどっかで馬車を拾って勝手に帰れよ。じゃあな、他の連中に宜しく言っといてくれ」


言いながら慣れた手つきで荷を立派な茶の馬の背に括りつけてゆく。


「ミッド」


彼の背にラディスが声をかけた。


「あん?」


作業の手を止めずに返事を返す。


「俺がもしもの時は、リィンを頼む」


はたと手が止まる。ミッドラウはゆっくりと長身を伸ばし、振り返った。

腕を組んで佇んでいるラディスは柔らかく微笑んでいた。ゆるやかな風が、薄茶色の髪を揺らす。


ミッドラウは刹那、殺気が立ちのぼる程の鋭い視線を親友に向け、それからにんまりと笑った。


「任せろ」


大股でラディスに近寄り肩に腕を回して、力づくで彼を引き寄せた。お互いの頭を突き合わせる。彼のミントハーブの良い香りがミッドラウを包んだ。


「また会いに来るまで、死ぬんじゃねえぞ!」


ラディスがミッドラウの背を、宥めるようにぽんぽんと叩いた。


「…お互いにな」


◇◇◇◆


リィンは大聖堂を後にし、校舎内の長い廊下をゆっくりと歩いていた。


シャウナルーズ様の緑の瞳。冷静で全てを見通しているかのようなその視線は、どこかで見た事があるような気がする。


*


大聖堂の高い円天井にシャウナルーズの声が響く。


「お主の特別な『力』。それは自らの命を削り、他者に命を分け与える事の出来る『命の力』だ。しかしその『力』を発動させるには制限がある。それはおそらく本人の命を落としかねない禁忌の『力』であるからだろう」


『命の力』を発動させる事が出来る相手は世界にただ一人。自らが選んだ、たった一人にのみ限られる。

そして、たとえそれを発動させて命を分け与えても、全てを救える訳ではない。


「…実を申せば、この『命の力』の事は実際には良く分かっておらぬ事が多い。何せ症例がない。お主の父、ティルガの事しか分からぬからな。…その点においては我よりもラディスの方が詳しく知っておるやもしれぬ。

 相手を救いたいと、嘘偽りなく心の底から念じた時、体内から青白い光が発光し、相手の体力・治癒力を倍に引き上げるという効果が現れる。しかしその行為は自らの命を削って与えるものであるから、『力』の加減によっては本人が死に至るものである、と推測されている」


リィンはじっとりと汗をかいていた。

僕は、ゼストにその『命の力』を使った事がある。…多分。だけど、なのに…。


「ゼストは助からなかった。僕が『命の力』を使っても、死んでしまった…」


「…そうか。リィンよ。あの『力』は魔法のような、万能なものとは違うのだ。相手が怪我を負っている場合、その現実的な外傷が跡形もなく消えてなくなる、という類いのものではない。身体の負担を軽減させたり、奪われた体力を回復させるようなものだと思えば良いだろう」


だからゼストは死んでしまった…。僕のたった一人は、今はラディスだ。


「何が、『命の力』だ」


リィンの瞳が怒りに潤んだ。


「そんな中途半端な『力』なんて、いらない…」


では自分は常に、この世界でたった一人救う事が出来れば良いと思っているようなものだ。何て卑屈で矮小な、命だ。しかもそれでさえも救えないのなら、一体何の為の『力』だと言うのか。


「リィン」


凜としたシャウナルーズの声。


「何故イリアス族でもない我が、この事実を知り得たか。それはかの嘆願書の中で、ティルガが告白しているのだ」


「父様が…?」


「彼は愛する女性、シルヴィと出会い、この『命の力』の存在を初めて知る事になる。医師であった彼は自らの起こした現象を冷静に分析し論理的にまとめていった。そして本来はたった一人にのみ有効であるべき『命の力』を、その他の何人にも施す手段を編み出したのだ」


ゆらりと女帝が身体を起こしてリィンを見つめた。僅かに眉根を寄せて。


「…何故、当時の若いイリアス族達が首輪を外す術を見つける事が出来たのか」


どくん、とリィンの心臓が鳴った。まさか。父様。


「『命の力』はたった一人にしか発動されない。しかしその一人を媒体にすれば第三者にも有効になるのだ。言うている意味が分かるか?ティルガはシルヴィの身体を通して自らの命を削り、仲間のイリアス族達にも生命力を分け与えていたのだ」


だからこそあの忌まわしき漆黒の首輪を、破壊する事が出来た。

『力』を発動させると体内に深刻な被害を及ぼすその首輪に、一体どれだけのイリアス族の人々が傷つき死んでいった事であろうか。数十年と続いてきた奴隷の歴史の中で、数え切れない程たくさんのイリアス族が、その首輪の犠牲になって来たのだ。

シルヴィや若いイリアス族達は首輪を壊す手段を見つける為に幾度となく『力』を発動させ、ぼろぼろに傷ついていったに違いない。そしてその度にティルガはシルヴィを癒し、シルヴィを解して仲間達を癒して立ち上がらせていた。自分の命を削りながら。

シルヴィはティルガが段々と弱ってゆくのを感じていたが、しかしその手を止める事はしなかった。

何故か。


そんな事、分かりきっている。


「ティルガはその嘆願書の最後に、イリアス族解放の願いを聞き入れられるならば、自分の身は研究の為に捧げても構わない、と綴った。

 …結果的に処刑され命を落としたが元よりお前の父はどう転んでも、命を賭す覚悟でいたのかも知れぬ」


「とうさま…」


呼吸をするだけでも胸が苦しい。締め付けられる。

ティルガとシルヴィの覚悟が、その心が、痛いくらいに打ち込まれてゆく。何故それ程まで…。

けれど、命をかけた父と母がいたからこそ、今自分はここにいて生きている。


「…リィンよ、これで分かったであろう。何故お主の家族が『命の力』の事を告げずにいたのかを。何故ラディスがこの事を話さずにいるのかを…。この『力』を持つ当人にとって、何一つ利点がないのだ」


リィンの細い肩がぴくりと動いた。


そうだ…。たった一人を解して、第三者にも『命の力』を与える事が出来るなら。


自分の思いついた事に、鼓動が早まってゆくのを感じた。呼吸が浅くなる。


ラディスを媒体とすれば、ユマにそれが出来るという事だ。ユマの体力と治癒力を引き上げる事が出来たら、もしかしたら…。


「それはならん。決してラディスに言うでない」


リィンは驚いてシャウナルーズを凝視する。僕の考えている事を見通した…?


「ラディス以外の誰かに、この『命の力』を使おうと考えておるのであろう?その様な事、お主の性格を知って考えそうな事だとは思うておったわ」


女帝はため息をついて弱々しく微笑んだ。彼女もとても疲れているように見える。


「あの男はこの『命の力』を恐れておる。残酷な『力』であるのは間違いないからな。もしかしたらティルガが仲間達に『命の力』を発動させていた場面を見ていたのかも知れぬ。研究さえしようともしない所を見ると、極端に恐れておるようだ。あやつ程の男を、そこまで怯えさせる『力』なのだ。

 お主に使わせるはずがあろうか、リィンよ。お主の命を削ってまで自らが助かりたいと、他の誰かを助けたいと、あの男が欲すると思うか?」


ラディス…。


鼻の奥がつんと痛んだ。泣きそうになる。


「我があえて伝えたのにも、思いがある。リィン、お主はこれを心に留めておくがよい。いずれその特別な『力』を使いたいと思うような時が訪れるまで。じっと一人で見つめ続けてゆくのだ。誰の手を借りてもならぬ。…耐えられるか?」


リィンは真剣な瞳をシャウナルーズに向けて、こっくりと頷いた。


「シャウナルーズ様、ありがとうございます。僕なら大丈夫。この『命の力』も、父様がくれたものだと思うと、とても大事なものだ…」


そう告げて、ゆるゆると微笑む。


このレーヌの女帝と、こうやって話す事が出来て本当に良かった。ティルガの事、『力』の事を教えてくれたのがシャウナルーズで良かったと感じる。そしてその話を聞いたのが今の自分で良かったと、心の底から、そう思う。もしこれがラディスと出会って間もない頃の自分ならば、父の話を聞いてシャウナルーズを敵と罵り、『力』の話を聞いて混乱し、心を閉ざしてしまったかも知れない。


あの診療所での日々がなければ、この場に耐えられる事も出来ない小さな自分のままだっただろう。

そもそもラディスがいなければ、自分がレーヌの女帝と言葉を交わす機会すらなかったのだ。


「…ラディスの力になりたいと願うならば、リィンよ」


シャウナルーズは切れ長の瞳を細めて優しい声音で呟いた。大きくて力強い、母のような声。その声を聞いただけで心の闇が消え安心して眠たくなってしまいそうな、慈愛に満ちた声。


「あやつより先に、死んではならぬぞ」


*


廊下の先に朝日に輝く庭園が見えて来た。爽やかな緑が胸の中に清々しい風を運んで来てくれる。大きな噴水が見え、そこにソアにクレイ、ラディスが佇んでいるのが見えた。

やって来るリィンに気がついて、ソアが片手を上げた。緑のマントの下はブラウスに茶のベスト、黒のロングスカート。足元は強度の高い編み上げ靴で腰に剣を差している。彼女の荷物は大きな鞄が一つだけのようだ。まるで旅支度のような身軽さだが、それが彼女らしくて格好良かった。

リィンは笑顔になり皆の元へ駆けていった。



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