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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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070:不器用な人

「これはシャウナの頭痛の薬で、こっちはテンペイジに渡してやってください」


ラディスが次々と小包を机の上へ置いてゆく。椅子に座ったままモドは眼鏡ごしに彼を見上げた。


「お前の調合の腕はピカ一じゃからのう。このわしでもここまで出来ん。相手によって薬品の配合の割合を変えるやり方は今もってお前にしかやれんからな。…で、テンペイジはどこか悪いのか?」


「相当胃痛に悩まされているはずだ。女帝にさんざん振り回されているんだろう」


モドは立派な白髭を揺らして笑う。


「お前は何でもお見通しじゃな!全然変わっとらんで安心したぞ!」


ラディスは苦笑をもらし部屋を片付け始めた。ここは研究室も兼ねているのだが、ひどい散らかりようだった。


「モド先生もお変わりないようだ。少しは片づけた方が良い」


「部屋が散らかっていても人は死なんぞ。どうだ、お前も料理の腕は少しは上がったか?鼻が良いくせにお前はちっとも料理が出来ん」


この青年がまだ彼の診療所で働いていた頃、一度だけ料理を作らせた事があった。ラディスは何でも難なくこなせてしまう多才な人物だったが、何故だか料理だけは驚く程下手だった。その時も長時間悪戦苦闘して彼が拵えたものは、人が口に出来るような代物ではなかった。殺人的な味で、返って芸術的と言える程の異様なものだった。


「人は料理が出来なくても生きていけるものですよ。それにうちには腕の良い料理人がいましてね」


「ふん。まあ人間一つくらい不得手がある方が、愛嬌があって良い。聞いたぞ、ルキリア国の研究員が、あの特効薬の精製を習得したそうじゃないか」


「ええ。三人がかりですが」


「なんの!素晴らしい快挙じゃ。元より調合という作業には研ぎ澄まされた集中力と繊細な感性がなければ出来んのだ。その時の天候、気温、季節。全てを鑑み、極小の単位で刻みながら適正な割合を弾き出し、配合してゆかねばならん。このレーヌの者達も、とりわけ手を焼いているのが特効薬の精製じゃ。あれはいまだに安定した割合を算出出来ておらんからの。

 …ラディスよ、お前はどうやって部下を育てた」


たくさんの書物を書棚に戻しながらラディスが答える。


「簡単です。寿命を縮める程の厳しい教育だ。何人も辞めていきましたよ」


モドが豪快に笑った。


「先生、診療所はどうされたんです?」


「娘婿に譲った。もうわしは隠居の身じゃ。ここで好きな研究をしながらゆっくり余生を楽しもうと思っておる。…で、ここの研究員達をどう思う?」


「良いですね。良い意味でも悪い意味でも、小さくまとまっている」


「最近骨のある若造が減ってつまらん」


モドはため息をついて眼鏡をはずし、首を左右に振った。


「…そうですかね。そうは思えないな」


「そう思うか?」


「ええ。人材というのはどこにでも転がっているものです。それを見出せないでいるのは、見つける側の人間に問題がある」


さらりと言う。ラディスには分かっていた。モドは自分の思考をよく知っている。このような質問をすれば、自分がどう言うかくらい想像が出来るはずだ。それをあえて言わせる事によって再確認をしているのだろう。彼も年を取ったようだ。


「ラディスよ、お前は神にでもなるつもりか」


「畏れ多い。俺は自分の器を知っていますよ。俺は俺の、為すべき事をするまでです」


「人の命をどう思う」


「そこに全ての可能性があります。善も悪も、幸も不幸も、その中に収まる」


「宇宙じゃな」


「ええ」


「人の死とは」


「永遠のうねりの中の一時です。長い瞬きみたいなものだ」


「哀しいな」


「ええ」


「ならば、わしらがやっている事は何だ」


ラディスはようやく見えてきた床を拭きつつ、笑った。


「人を、苦しめているだけでしょう。…モド先生、便秘ですか」


「もう五日も出とらん」


「あなたがこんな自嘲的な質問をする時は、たいがいが便秘の時だ」


二人は穏やかに笑い合った。


「お前が選んだ娘を見て安心したわい。小さな尻というのも、なかなか良いもんじゃ」


モドの弟子は両手に紙束やゴミを抱え、肩を落とす。


「ここの連中は勉強のしすぎで刺激が足りていないようだ。昨日からそればかりで困る」


部屋から出てゆこうとする彼に、モドは声をかけた。


「のう、ラディスよ」


美しい顔は年数を経て精悍さを増したようだ。身体つきもがっしりとしていて力強い。しかしその瞳は少年の時から変わらずに、時には冷酷に感じる程に冷静で、あまり感情を映さない。


「頼むから、わしより先に死んでくれるな」


青年は口元を上げて微笑んだ。


「先生も知っているでしょう。憎まれる者程、細く長く生きるもんです」


◇◇◇◆


ソアは廊下でテンペイジと数名の役員達と話をしている最中、モドの部屋から出て来たラディスを見つけ片手を上げて呼び止めた。


「ラディス殿、良い所に。今ちょうど引き継ぎの話をしていた所なのだが」


彼は両手いっぱいにゴミを抱えていたが、その場で立ち話の輪に加わった。ソアはレーヌ国の中枢で重要な役割を果たしている。無事に旅立つ為には全てをきちんと後継の人間に引き継いでゆかねばならない。大変ではあるが、やってやれない事はないのだ。そんな事は大した問題ではなく、ソアもそこは不安に思っていない。ただ、あの鈍感な生真面目人間が、ちっとも分かってくれていないのだ。

ふと視線を感じて顔を向けると、そこに当の本人がぼうっと突っ立っていた。


「ああ、クレイ。ちょうど良かった、君にも意見を…」


役員の一人がクレイに声をかけた時だった。クレイが慌てた様子で踵を返し、駈け出して行ってしまった。


「…廊下を走るとは、けしからん」


ソアはむっとした表情でぼそりと呟く。


「彼があの様に慌てるとは。何事ですかな」


テンペイジも不思議そうに顎に手を当てて遠くなってゆくクレイを眺めた。


「しまったな…。ソア、あいつを追いかけろ」


「は?」


ラディスの言葉にソアは目を丸くした。彼はうーん、と唸って続ける。


「あんまりにも煮え切らんから、少し苛めた」


「何っ」


ソアはぎろりとラディスを睨みつけて、急いでクレイの後を追いかけた。


「クレイッ」


大声で彼の名を呼んだ。クレイは振り返りもせずに走ってゆく。全く、この年でどうしてここまで全力疾走せねばならんのだ…。彼の背中を見つめて走りながらぼんやりと思う。


私はいつまで、この背中を追いかけ続けねばならんのだ。


廊下の角を折れて空いている教室に彼が飛び込んで扉を閉めた。肩で息をしながら、ためらいがちに扉を開いて中をのぞくと、クレイが机に手をついて荒い息を整えていた。


「一体、どうしたと言うのだ…」


普段びしりと身なりを崩さないクレイだが、全力で走ったせいで髪型が少し崩れていた。こうして見ると昔とちっとも変っていない。背が伸びただけで、自分の知っている彼だ。

俯いているクレイの頬に涙が伝った。彼が泣いている。ソアはぎょっとして慌てた。


「な、何だ。ラディス殿に何を言われた!?」


「…ち、違うんです…。わ、私が、悪いのです」


「クレイ…」


「あなたはレーヌにとって必要な人間なのです。ここにいた方が良いのです。なのに、私は…」


クレイは固く目を閉じたままぽろぽろと泣いている。


「わ、私は、あなたがっ…」


「泣きたいのはこっちだ」


ソアは鮮やかな緑の瞳で彼を睨みつけた。その瞳からも涙がこぼれる。


「ソア…」


「どこでどうやって生きるかは自分で決める…!」


ずかずかと近づいて、泣いているクレイを力任せに抱き締めた。


「どうしてクレイが泣くんだ!泣きたいのは私の方だぞっ」


「す、すみません…」


何て繊細な人なのだろう。ソアの胸に愛おしさが込み上げる。彼をずっと支えてゆきたいと思う。

なのに…どうしてそれが伝わらないのか。


「い、いい加減諦めたらどうだっ。私を嫁にしろ!それで全てが丸く収まる!」


「ソア…」


彼が震える声で自分の名を呼んだ。ソアはぎゅうと一層力を込めてクレイを抱き締め、鼻を啜りながら小さく呟いた。


「わ…私の幸せは、あなたの傍に、いる事だ…」


「ソア」


クレイの腕が遠慮がちにソアの背を抱き締めた。彼女の長い髪から良い香りが漂う。

温かい…。人の温もりがこれ程温かいものだとは思わなかった。


彼の瞳にまた涙が溢れる。


「…ありがとう…」



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