067:クレイとソア
一つの長テーブルの上が片づけられ、酒の入った瓶がずらりと並べられる。次々と用意された席が埋まった。中には女性もいて、皆ミッドラウとの飲み比べの勝負に意気揚々と挑もうとしている。その賞品はリィンだが面白半分に参加している者達が大半で、それを見物する人々も片手にグラスを持って談笑しながらその周りに集まって来ていた。長テーブルの端と端、向かい合うようにしてラディスとミッドラウが席に着き、一番最後にクレイがミッドラウの隣の席に座った。
「おいおい、お前確か下戸じゃあなかったか!?」
面白そうに目をむくミッドラウをぎろりと睨み、クレイが言った。
「このような不謹慎な事は許されません。それにリィンはラディス様の…」
「かー!くそ真面目もここまで来れば立派なもんだ!」
人垣が割れ、赤いドレス姿のシャウナルーズが姿を現して片手に持っているグラスを掲げる。従者がそれぞれのグラスに真っ赤な酒を注いでいった。
「勇猛果敢な者達よ。この無敗の豪傑、ミッドラウを倒す者がこの夜を制す。その褒美は伝説の者が遺した麗しき娘。今宵の宴にふさわしい戦いを見せるがよい」
テーブルにずらりと並んだ人々の中にはリィンに手を振る者や熱い視線を投げて寄こす者もいるが、遠くでそれを見つめるリィンには完全に悪乗りしているようにしか見えない。女帝の隣に控えるテンペイジが凛とした声を上げる。
「いざ、勝負!」
全員が一斉にグラスを傾け、飲み干してからテーブルに戻す。一拍の間を置いて、派手な音を立と共にクレイが椅子ごと倒れ込んだ。
◇◇◇◆
「ミッドの奴、何であんな事!シャウナルーズ様もどうかしてるよ」
リィンはぷりぷりと怒りながらクレイをベッドに寝かせた。彼は真っ赤な顔で苦しそうに目を閉じて、ふうふうと呼吸をしている。倒れたクレイをリィンとソアが二人がかりで部屋に連れて帰ったのだ。ソアが彼の靴を脱がせ、ふむ、と頷く。
「シャウナルーズ様はああいったお祭り騒ぎがお好きな方なのだ。一国の女王でありながら、身分も何も関係なくレーヌの民と肩を並べて酒を飲む。素晴らしいお方だと思わないか」
至極真面目な答えに、リィンは苦笑した。
「それはそうだけど。ソアとクレイって、似てるね」
ソアがきょとんとした顔を向ける。
「そうか。そうかも知れんな。リィン、手伝ってもらい礼を言う。茶を入れよう」
唸っているクレイを置いて、部屋のテーブル席に場を移した。
「ミッドから聞いたんだけどさ、ソアってクレイの許嫁なんだって?」
リィンは屈託なくソアに質問をした。彼女は目を細めてそれに答える。
「そうだ。まあ、私が勝手に言いだした事に過ぎないのだが…。ゆくゆくは嫁にしてもらうつもりだ」
その言い方が可笑しくてリィンは少しだけ笑った。
「何だか格好良いね」
「ふ。そうだろう」
ソアは目を伏せて茶を一口飲んでから、語り出した。
「私はみなしごで、六つの時まで孤児院で暮らしていた。その当時女帝になったばかりのシャウナルーズ様に見出され、それからクレイの父母に育ててもらったのだ。クレイとは同い年だ」
リィンが真剣な表情で耳を傾けている。
「この口調は変わっているとたまに言われるが、おそらくクレイの父の影響が大きい。彼の家柄は、代々女帝を支える役割を担っている格式の高い名家だ。その両親の教育も厳格なものだった」
「そうか。だから二人は似ているんだね。でもそうしたら、本当はクレイもこの大学校で役員をするはずじゃなかったのかな」
現在の彼は、ルキリア国のベイルナグルでラディスの助手として暮らしている。そんな名家の生まれであるのにそれが許されるのであろうか。
「その通りだ。彼は生まれながらに、義務付けられた使命を持っていたのだ。十三の時に大学校に入るまでにもずっと勉強づくめの毎日であったし、それに彼自身とても賢かった。周囲の誰も彼に一目置いていた。私も彼に負けじと勉学に励み、良きライバル同士であり、ずっと憧れの存在だった。
あの当時のクレイはひどく覚めていて冷たい人間だったと思う。それが大学校に入学してからがらりと変わってしまった」
ソアが遠くを見つめて微笑んだ。リィンはその表情に思わず見惚れてしまう。
もちろんソアも大学校に入学をしていた。しかし組み分けで二人は同じ組にはならず、広い校舎内ではあまり顔を合わす機会もなかった。家に帰ってもタイミングが合わず会話も挨拶程度だけという日々が長く続いた。そんなある日、大事件が起こったのだ。
クレイ少年が、突然、家を継がないと言いだした。
古来より連綿と受け継がれてきた名家の一大事である。両親が怒鳴っても宥めすかしても、頑としてその方針を曲げようとしない。ほとほと嘆いて、彼らの主であるシャウナルーズに相談を持ちかけた。すると女帝は既に全ての事情を知っていて、クレイの父母に告げたのだ。今大学校に面白い少年がおり、直々に訓練をしている最中なのだという。女帝はその少年に大きな期待を寄せていた。そしてクレイを変えてしまったのは、何を隠そうその少年なのだという。女帝は彼らに言った。
面白いではないか。我が目をかけている者を、クレイも認めたようだぞ。あやつは子供ながらにして自分の主を決めたのだ。好きにさせてやるが良い。
父母は愕然とした。何と無礼な事を自分達の子はしでかしてしまったのだろうかと。主はこの世でたった一人、レーヌ国の女帝シャウナルーズ様だけのはず。しかし当の主がそれを認めよというのだ。前代未聞である。噂の少年とは一体どのような人物であるのか。
名をラディス・ハイゼルという。
≪黄金の青い目≫を持つ正統なルキリア皇族でありながらその位を持たず、数年前までかの国で奴隷として虐げられていたイリアス族とともに暮らしていた。右胸に奴隷の烙印を刻まれた数奇な運命を生きる、容姿端麗な少年。
クレイの両親はラディスと会い、彼と話し、変わってしまった我が子と真剣に向き合って結論を出した。何よりクレイ少年の成長ぶりが目覚ましく、その瞳は今までにない程に生き生きとしており、使命に燃えているようだった。
「私は驚いた。クレイにあのような、命の燃え立つような情熱が隠されていたとは、その時まで気付かなかったのだ。そして私は自分の気持ちに気付いてしまった…」
夢を語る彼の横顔。普段物静かな彼が、静かに信念を語った。
自分がずっと探し求めていた答えを、ラディスが教えてくれた。彼は全てにおいて自分を超越していて、力強く導いてくれる。彼の思い描く未来が、自分の求めていた未来だ。
私は、ラディス様のお力になりたい。その為ならば、どんな苦労もいとわない。
ソアはその横顔を見つめて思った。
ああ、この人はあっと言う間に私の遥か先へ行ってしまった。いつも追いかけていた背中がぐんと大きくなったようだ。
私はきっとこの人の力になろう。ずっとこの人の背を見つめて、生きてゆこう。
ソアが物思いから覚め、気まずそうな咳払いをして頭を掻いた。
「私も少し酔っ払っているようだ。このようなくだらない話を…」
「そんな事ない。ソアは素敵だ」
リィンの力強い視線が、ソアに真っ直ぐに向けられている。
「リィン…。ありがとう」
「うー…ん。うう。」
クレイがベッドの上で唸り声をあげた。リィンとソアは静かに視線を交わして笑った。
◇◇◇◆
ミッドラウは音を立ててグラスをテーブルに置いた。隣に座るシャウナルーズが頬杖をつき、片手で瓶を傾けて空いたグラスに酒を注ぐ。
「まさかラディス殿がこのような挑発に乗るとは思いませんでしたな」
テンペイジが隣に座っているラディスに言った。彼のグラスにも、斜向かいにいるシャウナルーズがこんこんと酒を注いでゆく。ラディスとミッドラウは同時にグラスを掴み、一気に酒を飲み干した。
「テンペイジ、こいつは阿呆だ。こんな馬鹿らしい勝負でもいつだって本気なんだよ」
ラディスは呆れ顔で運び屋を睨みながら答えた。
既に何時間もこうして酒を飲み続けている。ミッドラウに飲み比べを挑んだ者達はばたばたと倒れてゆき、その残骸が広間に点々と転がっていた。テーブルに突っ伏して眠っている者、地べたに伸びている者。先程までは別のテーブルで飲んでいた者達もいたが挨拶をして帰っていった。現在広間にいて、きちんと目を開けて会話をしているのはたったの四人。
「さすがは親友、俺様の事を良く分かってるぜ」
「お前の単細胞にはさんざん振り回されてきたからな」
「お前は昔っから、色んな事を難しく考えすぎなんだよ」
「お前は昔から、下半身でものを考えすぎる」
「それのどこが悪い?」
「…そうきたか」
「ふふ。それにしてもあの娘、初な。お主が大事にしたくなる気持ちも分かる」
ラディスがグラスを空けて深いため息をつく。
「どうして皆余計なおせっかいを焼いてくれるかな。優しい奴らばかりで俺は本当に嬉しいよ」
「そりゃあだって、なあ!」
ミッドラウは身を乗り出して、シャウナルーズとにやりと笑い合った。
「ああ。お主が選んだ娘だ。興味がないわけなかろう。それにその娘が、ただの女ではない…」
「シャウナ様、そろそろ行きましょう。この者達に付き合っていては、朝になってしまう」
テンペイジが声をかけると、女帝はそうだな、と呟いて席を立った。
「ラディスよ。明朝は研究員達との会議が入っておる。遅れるでないぞ」
「ああ」
女帝は腹心の部下を連れ悠然と歩き出す。広間の中央あたりで、ふと思い出したように振り返った。
「…ラディス」
切れ長の緑の瞳が、ラディスを見据えている。口元には微笑、黒の巻き髪がふくよかな胸元に垂れる。細身の赤のドレスが彼女の均整のとれた容姿を一層際立たせていた。慈愛を湛える美しさ。
「あの娘を手放すでないぞ。リィンに見限られれば、この先一生、お主は孤独のままであろう」
不吉な予言を言い置いて、女帝は去って行った。
ミッドラウの豪快な笑い声が広間に響き渡る。ラディスは無表情のまま、しゃれにならん、と呟いた。