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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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064:女帝に宣戦布告

従者の女性に荷物やマント、剣を預けてテーブルに着くと、すぐに昼食が開始された。ここはホールのような大きな広間で長テーブルが整然と並べられており、学生達も使用する食堂のようだ。豪華ではないが様々な料理が運ばれて来て、ミッドラウは遠慮なく豪快に食事を楽しんだ。彼は今日も浅葱色の不思議な服に身を包んでいるが、何故だかそれが良く似合っていた。


「お前、ほんとに食が細いな。もう少し食え。それじゃあ胸も育たんぞ」


「う、うるさいなっ。ミッドが食べ過ぎなんだってば」


リィンはティーカップを手に取り、ぼんやりと考え込んでいた。

レーヌに来たは良いが、果たして何の為に呼ばれたのだろう。ラディスやクレイには何かと用事がありそうだけれど、僕はどうすれば良いのだろうか…。


「この後臨時の会議が始まる。それにはあなた方もご出席願いたい」


声のした方へ顔を向けると、ソアとクレイがやって来るのが見えた。クレイはレーヌの制服に着替えている。リィンの隣へソアが座り、向かいのミッドラウの横の席へクレイが着いた。するとまた二人分の料理が運ばれてくる。


「…僕も出て良いの?」


遠慮がちにソアに問いかけた。


「もちろんだ。あなたの同席はシャウナルーズ様たってのご要望だからな」


ソアは静かな動作で食事を口に運びながら言った。リィンはきょとんとする。


「シャウナルーズ様?」


「この国の女王陛下です」


クレイが告げた。


◇◇◇◆


場所を会議室に移し、木目が美しい立派な円卓に八人の人間が座っている。リィンは慣れない雰囲気にごくりと唾を飲み込んだ。リィンの見知っている人間は、ミッドラウにクレイ、ソアにラディスの四人だ。席に着く前に簡単な自己紹介を済ませた。他の三人はこの大学校の役員であり、レーヌ国においても重要な人物達であるらしい。白髪の交じる黒の短髪に鋭い切れ長の目をした壮年。その隣には黒の髪を結い上げた深緑の瞳の婦人。この二人はクレイの両親だ。彼はどちらかと言えば母親似になるだろうか。あとの一人は、背が低く真っ白な髭を蓄えたモドという老人。彼は大学校の名誉教授であり、研究員であり医師である。そしてラディスの師に当たる。ラディスは彼の元で二年間の研修期間を過ごし医師になった。リィンとラディス、ミッドラウの三人以外は皆それぞれの丈に合ったレーヌの制服を着ている。円卓には二つの空席。


「お前はあれだけの講義を何の用意もせずにやったというのか?」


モドが愉快そうに隣のラディスに話しかけた。リィンのちょうど向かい辺りにラディスが座っていて、その右隣にはクレイ、クレイの両親、ソアが並んでいる。ソアの隣にはリィンが座り、続いてミッドラウ、空席二つの先にモドという並びだ。


「モド先生に教わったとおりにしたまでですよ。案外ごまかせるもんだ」


「そうじゃろう。あんな講義なんてな、それらしい事を言っていればそれらしく聞こえるもんじゃ」


立派な髭を揺らしてモドが笑っているところに、扉が開き大柄な男性が入って来た。皆が席を立とうとするのを片手で制して告げる。


「堅苦しい挨拶は割愛する。ここにいるのは限られた人間で既に周知の間柄だ。…イリアス族のリィン」


「は、はい」


名を呼ばれ、硬直して席を立つ。男性はリィンに身体を向けて深々とお辞儀をした。


「ようこそおいで下さいました。私はレーヌ国枢機議会の議長、テンペイジと申します」


顔を上げた男性は、眼鏡ごしの目元を少しだけ緩ませて微笑んだ。顔に刻まれたしわを見ると五十代のようだが、彫の深い顔立ちと鍛え上げられた逞しい体躯の為、もっと若く感じられる。大学校の制服と作りは同じだが、色は深緑ではなく黒に金の線が入った服に身を包んでいた。リィンはぺこりとお辞儀を返す。


「全員集まっておるようだな。では、始めよう」


そう言いながら入って来た女性に対し、リィンとテンペイジ以外の皆が席に座ったまま頭を垂れた。

リィンはその場で彼女に釘付けになってしまった。白のドレスに≪清廉なる織布≫を首から下げ、胸元には漆黒の宝石が嵌め込まれたペンダントをしている。鮮やかな緑の瞳に、緑の髪。そのストレートの髪は肩のあたりで真っ直ぐにばっさりと揃えられており、前髪も眉のあたりで一直線に切り揃えられていた。迫力のある美しい顔立ちで、年齢がさっぱり分からない。落ち着いた雰囲気は四十代かそれ以上にも思えるが、容姿だけを見ると二十代のようにも思える。少し細めの瞳には鋭い眼光が宿り確固たる意思を感じ、その全身から威厳と気品が立ちのぼる。リィンは手の平に汗をかいていた。一国の主の気迫に、完全に呑まれてしまった状態だった。


「誇り高きイリアス族、高潔なる英雄ティルガの子、リィンよ。お初にお目にかかる。我はレーヌ王国の統治者、シャウナルーズ・ルメンディアナだ」


リィンは緊張のあまり呆然としたままがっくりと腰を折って、何とかお辞儀をした。


「ふふ…。そう固くならずともよい。席につけ」


室内の空気が一変し、全員がびしりと背筋を伸ばした。


「多忙な皆を召集しているので、早速本題に入りたい」


テンペイジがこの場を仕切り、一瞬だけ視線を全員に巡らす。


「ラディス・ハイゼル。報告を」


「…報告も何も。突然呼び付けられたのはこっちの方なんだが」


彼はこの緊張感の漂う場所でも、いつもと変わらない飄々とした態度で言った。


「久しいな、ラディス。お主を見るのは数年ぶりだ。アルスレインやカイエリオスは息災か」


「俺に聞くなよ。アルスレインは何とか生きてる」


「何ゆえ正式な書簡で通達し、ミッドラウをつけてまで呼び寄せたか…」


シャウナルーズは斜め向かいに座るラディスに顔を向けて続けた。


「我との約束を違えるつもりか?幾度となくミッドラウを通じてお主に告げておったはずだが?」


「知らん」


ラディスはしれっと言い放った。それに慌てたのはミッドラウだ。


「おい、俺は伝言はちゃんとその都度伝えただろうが!人のせいにするな」


「そうだったか?」


「…ほう。俺様に喧嘩売る気か」


「ラディス殿、既に八年もの歳月が流れているのだぞ」


テンペイジが脱線しそうになる話を元に戻した。


「昨今ではロガート国の動きにも変化が見られた。この国にも密偵が入っているという情報もあるくらいだ」


クレイの父も静かに話し出す。


「そうだ。それにレーヌやルキリア、ザイナスでも山村等では悲惨な現状が続いている。早急に手を打たねばならない」


「しかしなあ。俺一人に何が出来る。たかが知れてるだろうに」


「ラディス。見え透いた芝居は止めよ。何の為に我のクレイをお主に譲ったと思うておるのだ」


シャウナルーズとラディスが見つめ合う。無言の攻防。


「お言葉でございますが、シャウナ様。ベイルナグルでの基礎を盤石にする為には必要な年月であったと思います。この私はラディス様の労苦を間近に見ておりましたので…」


「クレイ、そのような事は我も百も承知であるぞ」


リィンは唖然としてそのやりとりを見守っていた。全然、話が見えない。何の話をしているのがさっぱり分からない。どうやら自分だけが知らされていないらしい。不安と疎外感を募らせて向かいに座るラディスを睨みつけた。彼は話に集中していて、こちらには目も向けない。


「今更逃れられると思うておるのか?全てお主の望み通りにしてやったつもりだ。今度はお主が我の願いを叶える番であろう。ラディス、お主は我のものだ」


レーヌの女帝は口元に笑みを浮かべてラディスを見据えている。リィンはあからさまにむっとした。


「分かっている。…それで今回はソアも一緒に連れて帰りたいんだが」


分かってる!?どういう事だよ!

リィンの苛立ちをよそに話は着々と進んでゆく。ラディスのその言葉を聞いて、ソアが身を乗り出した。


「では、ラディス殿」


「ああ。時は熟した。診療所の事はクレイに任せようと思う」


おお、とモドやクレイの両親が声を上げ、ソアはきらきらと瞳を輝かせた。クレイが驚いた様子でラディスを見ている。


「…な、に。診療所って、あのベイルナグルの…?」


リィンは無意識に呟いていた。皆が一斉にリィンに顔を向け、リィンは真っ直ぐにラディスを見つめていた。彼は目を閉じて腕を組んでいる。シャウナルーズが視線をリィンに向けたまま呟いた。


「ラディス。お主、話しておらんのか。リィンは確かお主の護衛とな…」


「時間がなくてな」


「ほう。これはいかなる事ぞ…」


女帝が面白そうに目を細めて笑った。リィンはじっとラディスを睨みつけているが、彼は目を上げようとしない。わざと目を合わせないようにしている。


「ラディス!」


ついに痺れを切らして叫んだ。どうして僕だけ知らないんだ。

沈黙したままのミッドラウが声を殺して笑っている。


「リィン。お主には我が後でゆっくり説明してやろう。我とあやつとの固い誓いの話を…」


女帝が意味深な笑みを向けてきた。リィンは鋭く女帝を睨みつける。


「シャウナルーズ様、僕はラディスに聞いているんです。それにラディスはあなたのものじゃない。人の事をもの扱いするのは、良くありません」


緑の瞳が大きく見開かれた。


「ほう…面白い」


シャウナルーズはリィンに向き直り、じっと見据えた。


「確かに人をもの扱いするのは、良くはない。しかしそれは言葉遊びの範囲を出ないものであろう?現にあやつ自身はそう言われた事を気にしている風でもないぞ。あやつは誰のものでもない。我が勝手に言うておるに過ぎぬのだ。何をそれ程に咎める必要があろうか。それはお主が感情的に、我があやつの事をそう言うのが気に食わぬだけなのではないか?」


リィンは言葉に詰まる。冷や汗が背筋を伝った。気押されている。


「シャウナ、からかうのはよせ。こいつにその手の冗談は通じないぞ」


ラディスは指でこめかみの辺りを押さえて呆れ顔、モドとソアは興味津々で傍観している。


「ち…違う…」


リィンにも分かっている。この女帝は自分をからかって挑発しているのだ。分かっているが、何故だか無性に腹が立つ。

僕だけ知らない事実がある。僕はラディスの護衛なのに…。この女帝は、僕の知らないラディスを知っている。僕が出会う前の彼だ。この感情は何だ。不安と苛立ち、焦り。


「ん?何が違うというのだ?」


「ラ、ラディスは…」


女帝は余裕の笑みでこちらを見ている。

瞬間、表現のしようもない自分の感情に混乱し、思考が停止した。


「ラディスは僕のものだっ」


沈黙。


「ぐわっはっはっはっは!!い、いいぞリィン!くくっ…良く言った!…かっかっか!」


ミッドラウが腹を抱えて笑い出した。シャウナルーズも口元に細い指を添えて上品に笑っている。ラディスは深いため息をつき、モドは立派な髭を手でしごき肩を揺らして笑う。他の皆も少し困惑しつつ穏やかな笑みを浮かべていた。咄嗟に出た言葉とはいえ、とんでもない事を口走ってしまったリィンは顔を真っ赤にしてわなわなしている。


「何と豪気な娘だ。美しいイリアスの子。…気に入ったぞ」


リィンの赤茶の瞳に羞恥の涙が滲んだ。完全に笑いものにされてしまった…。



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