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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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063:レーヌの大学校

レーヌ国の首都は緑深い森と、遺跡のような巨大な建造物がそびえる美しい所だった。リィン達は港での検閲を済ませレーヌの首都に無事入国した。石畳の道は綺麗に整備され、民家等の建物は屋根が赤色に統一された美しい町並み。坂道の多い町には小川のような用水路が澄んだ水を湛えて流れ、小さな橋が点々と渡されている。茶色の石造りの大学校は想像以上に大きく、立派な造りで遠くからでもすぐにそれと分かる程だ。その敷地も広く、一見愛想のない宮殿のようにも見える。それと対を為すように配置されている大聖堂は真っ白の外観で、どのような材質で建てられているのか見当もつかないような美しい壁面。ゆるやかにカーブを描く円天井に金の装飾が日に輝いている。


「リィン。行くぞ」


リィンは大学校の巨大な門扉の前で呆然と立ち尽くしていた。十ナルグでもきかない程の、大きな入り口。足元はピカピカに磨き上げられているかのような石の廊下。何だかこの上を歩いて汚してしまうのが悪い気がして、慎重に足を運ぶ。先頭のミッドラウはそんな事はお構いなしに高い靴音を響かせて、ずかずかと建物内に突き進んでゆく。校舎内は木目の美しい扉がいくつも並び、ランプの灯が柔らかくそれを照らしていた。廊下の脇には本棚がずらりと並んでいたり、年代物の甲冑が置かれていたり、リィンにとったら珍しいものばかりが陳列されていた。きょろきょろと辺りを見渡しながら歩くのでまた皆から少し遅れてしまい、小走りでラディスの隣へ並んだ。大きな広間のような場所に出ると、向かい側に三人の人間が立っているのが見えた。出迎えだろうか。


「遅い!」


中央に立つ女性が突然叱り飛ばした。リィンは驚いてラディスの背後に隠れる。


「もう昼前だ。今朝着くように、と書簡で通達したはずだ。約束が違うではないか、ミッドラウよ」


「しゃあねえだろ。こいつらばらばらにいやがって、拾うのに手間取ったんだ」


ミッドラウを冷ややかな表情で眺めている人物は、女性にしてはすらりとした長身で背筋をぴんと伸ばして立っていた。ストレートの黒髪を一つに結わえ、前髪は眉の辺りで綺麗に切り揃えられている。緑の瞳に意思の強そうな口元。その服装は独特で、左右に立つ女性達も同じ服を着ていた。首までボタンがついた立襟の深緑の上衣に、対のズボン。足元は底がフラットな柔らかな革の靴。町を歩いている時にも見かけたが、どうやらこの服が大学校の制服らしかった。


「…ここで立ち話をしている時間もないのだ。ラディス殿、このまますぐに講堂にお越し願いたい」


「待て待て。挨拶も抜きで何をそんなに急いでいるんだ」


ラディスは眉を上げながら答え、クレイが一歩前に出て固い口調で話す女性を咎める。


「たった今着いたばかりで、一体何事ですか」


「…これも書簡で知らせているはずだが?どういう事だ、ミッドラウ」


「ん?なんか書いてあったか?」


ミッドラウはとぼけた顔をして顎をぼりぼりと掻いた。背の高い女性の表情がますます険しくなってゆき、左右に控えている女性達もおろおろとし出した。女性がまた口を開こうとした時にクレイが先んじて言った。


「ソア、説明をしなさい」


「…本日この大学校で学生達への講義を、ラディス殿に要請していた。もう既に学生達は講堂に集合している。有名な人物の講義が聞けるとあって、たくさんの聴衆が集まっているのだ。今更中止には出来ない」


ラディスとクレイが同時にミッドラウを睨みつけた。運び屋は両手を上げて、


「すまん。忘れてた」


と素直に謝った。


「とにかくすぐに講堂へ」


「分かった」


「けれどソア様、そのままの格好ではさすがに…」


控えていた女性がラディスを見ながら遠慮がちに言った。黒のマントの下はブラウスに黒のベスト、スリムな黒のズボンに茶革の長靴。スタイルの良い彼に似合ってはいるが、確かにこの大学校には似つかわしくない旅人の格好だ。間違っても医師にだけは見えない。ラディスはやれやれ、と言いながらマントをとり腰の剣を外して女性に手渡してゆく。それから両手でばたばたと服の埃を払った。ソアは顎に手を当てて、ふむ、と頷いて続ける。


「致し方ない。ラディス殿、≪清廉なる織布≫はいかがされた?」


「おいおい、そんなもの用意してないぞ」


「おおっとぉ!そいつは俺が用意しといたぜ。診療所でニコルに出してもらっといたんだ」


ミッドラウが肩に担いでいた麻袋をどさりと足元に下ろし、中をごそごそと物色して白く輝く長布を引っ張り出した。


「ほらよ」


リリーネ・シルラの使徒の証であり、聖職者が命の次に大切にして丁重に扱うべき≪清廉なる織布≫が、しわだらけになっていた。ラディスはそれを掴んで無造作に首にかける。彼とミッドラウ以外の全員が愕然とした。希少な糸で精巧に編み上げられた、とても高価な布の端が、茶色に焼けてしまっていたのだ。皆の視線を感じて、ラディスが布の裾をつまみ上げた。


「こりゃあ、見事だな」


「ニコルが鍋つかみに使ったらしいぞ」


がはは、とミッドラウが笑う。ソアは片手で頭を抱えて呟いた。


「何という事を…。それには名が織り込まれていて、世界で一つと同じものがないのだぞ」


「い、今はそんな事を言っている場合ではありません。来賓用の長布で代用しなさい」


クレイがそう告げて、ラディスは控えていた女性と広間から伸びる左の通路へ歩いて行った。リィンは呆然とそれを見送る。


「大丈夫なのかな…講義なんて」


「何とかなるだろ。あいつはペテン師みてえに口先が回る」


「挨拶が遅れて申し訳ない。私はこの大学校の役員を務めるソアと言う者だ」


リィンははっとしてソアを見つめた。この人が、クレイの許嫁…。美人な人だ。ソアもリィンを見つめていて、少しだけ目を細めて微笑んだ。リィンはぺこりと頭を下げる。


「リィンと申します」


「あたなにも、会いたいと思っていた」


「…僕に?」


「それよりソアちゃんよ、俺は腹が減ってんだけどな」


「…ミッドラウよ、お前をもてなすのは不本意だが、客人は客人だ。レーヌは礼儀を重んじる。お前とリィンはそちらの部屋へ。準備は出来ている」


「相変わらずのその冷たい態度。たまらんね」


ソアはミッドラウを鮮やかに無視して、次にクレイに視線を向ける。


「クレイ、あなたは私と共に学長室へ」


「分かりました」


リィンとミッドラウは控えの女性と右の通路へ、ソアとクレイは正面の奥の通路へと分かれていった。


「ソアっていつもああいう口調なの?」


「少し変わってるだろ?あいつは昔っからああらしい。無愛想だしな。にっこり笑うなんて、年に数回あるかないかじゃねえか?」


「ふうん」


確かに冷たい印象は受けたが、彼女には嫌味な部分がまるでなかった。きっと心根は真っ直ぐで優しいに違いない。ミッドラウがリィンの肩に腕を回して声をひそめる。


「まあ、クレイの前じゃあ女なんじゃねえか?あいつはクレイにベタ惚れだからな」


「そうなの?」


「しかしかたぶつ同士じゃ進むもんも進まねえだろうなあ。お前とラディスよりひでえかもな」


「っな…」


前を歩く女性がごほん、と大きく咳払いをした。


「…クレイ様もソア様もとても優秀な方です。この大学校の者達ならば、皆が憧れる存在なのですよ」


そう言ってぎろりとミッドラウを睨む。暗にその二人をして下世話な話をするなと咎めているのだ。ミッドラウは女性に愛想笑いをして、片手をひらひらと振ってみせた。女性はため息をつきながら目の前の扉を押し開く。リィンの肩に腕を回したままの彼が、またぼそりと呟いた。


「ここの制服って禁欲的でな、そそるんだよなあ」


リィンが呆れ顔でミッドラウを見上げると、彼は楽しそうな笑顔を返してきた。


◇◇◇◆


前を歩いているソアが足を止めて振り返った。薄暗い廊下の先に学長室の重厚な扉が見えている。


「久しぶりだな、クレイ。…少し顔色が悪いようだが?」


クレイと同じ程の背丈のソアは、少しだけ眉根を寄せてクレイを見やった。


「私なら大丈夫です。それより、学長殿をお待たせするわけには…」


「あなたはいつもそれだ。私が手紙を書いてもちっとも返事をくれないくせに、シャウナルーズ様には律儀に手紙を書いていた」


「…ソア」


緑の瞳がクレイを真っ直ぐに睨みつけている。口調は静かだが、彼女は怒っていた。


「何だか論点がずれているように思いますが…」


クレイが呟くように言って、ソアは冷ややかにクレイを一瞥してからまた歩き出した。クレイは内心ひやりとする。これは、相当怒っている…。だからといってどうすれば良いのやら分からない。

数年ぶりに見た彼女はまた一層女性らしく、美しく成長したように思える。幼い時から知っているはずなのだが、全く知らない人物のようにも感じ、その初めての感覚がクレイには不思議でならなかった。

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