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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第五章
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058:地図にない村1

二人の少年は兄弟で、兄がヒアカ、弟がノエルと言った。このシャルナンの港町まで徒歩で丸半日かけてやって来たのだという。彼らは聞いた事のない村の名を告げて、ラディスにその村まで一緒に来てほしいと懇願した。


「お願いします!僕達のおじいちゃんを助けてください」


「様子がおかしくなったのはいつからだ」


「ええと…多分一年くらい前になります。朝起きた時に、目眩がすると言ってました。それからだんだんと身体が弱っていったように見えて、話す言葉もよく分からなくなって、今ではずっと寝たきりです。起きてもぼんやりと天井を見上げて僕らの声にも返事をしてくれない…」


宿屋の食堂の一角で、ラディスとグレイア、ネルティエが二人の話を聞いている。長身の医師は弱り切っている二人の少年を前にして、無表情のまま鋭く相手を観察していた。全てを見抜く、青い瞳。


「お、お金ならあります…」


おずおずと兄のヒアカが先程から手に握り締めていた小袋をテーブルの上に置いた。グレイアがそれを取って中身を確認すると、中にはパンケーキ一つが買えるか買えないかくらいの小銭しか入っていなかった。グレイアの表情を盗み見たヒアカが慌てて言った。


「村に帰れば、まだあるんです」


「お医者様、お願いします!」


ノエルがテーブルに突っ伏すようにして頭を下げる。


「…行って診てみない限りは何とも言えんな。もう手遅れの可能性がある。お前達、馬は乗れるか」


そう言いながらラディスが席を立った。二人の少年ははっとして、がたがたと椅子を鳴らして立ち上がる。


「僕は乗れるけど、ノエルはまだ…。あの、ありがとうございます!」


「礼を言うのはまだ早いぞ」


ラディスは店の主人に馬を二頭用意するように言って、手早く支度を済ませ馬の背に大きな鞄を括りつけた。グレイアとネルティエも宿屋の外の道まで出て、彼を見送る。


「ラディス。あんたその剣で行くつもり?」


グレイアが呆れたような声を出す。彼の剣は特別なもので、人を斬るようには出来ていない。万が一事件に遭遇した時にやりづらいのではないか。


「これは少々扱いが難しい剣でな、本当は斬れないわけじゃない。ぎりぎりまで近付いて、叩きつけるようにするんだ」


ラディスがグレイアを見下ろし、口角を持ち上げて笑顔を作った。グレイアはぷっと吹き出す。


「原始的すぎるわね。そりゃあラディスにしか使えない剣だわ。あたしも一緒に行けたら良いんだけどねえ」


「お前はネルティエの傍にいてやれ」


「…ラディス、危険な事はしないでね」


ネルティエが虚空を見つめながら心配そうな声をかけ、彼のいる方へ右手を差し伸べる。


「ああ。ステージが始まる前には戻ってくるよ」


ネルティエの手をとり、その甲に優しく口づけた。しかし彼自身もグレイアも、簡単には済まないだろうと分かっていた。この二人の少年からは陰気で不幸な臭いがする。嫌な予感、というものだ。ラディスは弟のノエルを自分の前に乗せ、兄のヒアカを連れてシャルナンの町を後にした。


◇◇◇◆


全力で馬を駆って草原の道をひた走る。日がゆっくりと朱に色づき始めていて、東の空から幼い闇が現れている。ノエルが何とか首を曲げて後ろを見ると、兄のヒアカが必死になってついて来ているのが見えた。ノエル自身も振り落とされないようにしがみついているのがやっとだった。ちらりと見上げると、長身の医師の綺麗な顎が見える。まるで役者か何かみたいにスタイルが良く綺麗な顔だったので、ノエルは驚いていた。それに彼と一緒に話を聞いてくれていた女の人達もとても美人だった。帝都に住んでいる人達はみんな美しいんだろうか…。

あっという間に草原の切れ間が見え、林が見えて来たところで馬のスピードが落ちて止まった。


「僕らの村はこの林の先にあります。すごいなあ、あっという間に着いちゃうよ」


ノエルは弾んだ声を出してラディスを見上げ、それから急に不安になった。


「…お医者様?」


彼は眉間にしわを寄せて、前方を鋭く睨んでいる。


「ひどい臭いだ…。村がイグルに襲われているかも知れん」


「えっ!!」


ノエルとヒアカが同時に声を上げた。


「そ、そんなはずは…。どうしてうちばっかり…」


「まさか、また!?」


「ヒアカ。≪早馬≫に知らせに行け」


ラディスが振り返ってヒアカに告げる。≪早馬≫とはルキリア国に点在する連絡拠点の事であり、要所の町に駐在している軍に連絡をとる手段の事だ。軍に応援を頼むという事は、村は一体どうなってしまっているんだろうとノエルは恐怖に身を竦める。しかしヒアカはもじもじとしてその場を離れようとはしなかった。


「どうした?」


「この近所には≪早馬≫がいる村が少ないんです…」


「兄ちゃん、隣の村には≪早馬≫がいるじゃんか」


「ばかっ!あそこは随分昔に喧嘩した村じゃないか!」


「…ヒアカ、そんな事は良いから今すぐその村に行け」


「だ、だけど、もう何年も行き来がない村なんです。大人達からも行くなって言われてるし…」


「くだらない事を言っている場合か?良く考えろ。死ぬぞ」


「で、でも…」


ヒアカが俯きながらぼそぼそと言って決断できずにいる。すると突然、ラディスが腰に差していた剣を抜いた。


「お、お医者様?」


ノエルが驚いてラディスを見上げる。びくり、と背筋が凍りついた。怖い。ぞっとするような殺気があたりを包んでいる。殺される。ゆっくりと剣がヒアカに突き付けられた。


「行って≪早馬≫に知らせるか、今この場で俺に斬られるか、選べ」


「ひっ!い、い、行きます!!」


ヒアカが口をわななかせ、慌てて馬を操り走ってゆく。ラディスは息を吐き出しながら剣を収め、馬の手綱を手繰り村へと進む。ノエルは恐ろしくて彼を見る事が出来なくなってしまった。この人は、本当に医者だろうか…。もしかしたらとんでもない勘違いをしていて、医者ではない人を連れてきてしまっているんじゃなかろうか。どうしよう。僕も後ろからばっさりと斬られる…。


「ノエル」


「うわあああ!ごめんなさい!!殺さないで!」


「…悪かった。ああでもしないとあいつを動かせなかった。村が襲われる事は以前にもあったのか?」


「あ、ありました。三日前です…」


ノエルはがたがた震えながら何とかそれに答える。答えないと殺されてしまうような気がした。

林の中はすっかり闇に溶けていて、空を見上げると一番星が輝き始めていた。前方に村の灯が見える。おかしい。灯がやけに明るい。近づくにつれて、小さな村の様子が見えて来た。


「あっ!燃えてる!」


一軒の家からごうごうと炎が上がり、濃い煙が立ち昇っていた。十数棟の点在する家屋で村は形成されていて、道の整備もされておらず土埃もひどい。人の姿は見えず炎に照らされている道に、何か不穏な形の生き物がうろついているのが見えた。野犬型のイグルが数匹。


「うああ!イグルだっ」


ノエルが恐怖に引きつりながら叫ぶ。馬の速度が上がり、ラディスが片手で馬を操りながら剣を引き抜く。


「振り落とされないようにしっかりしがみついてろ」


ノエルはぎゅっと馬の首に掴まった。村の人達は無事なのだろうか。父さんや母さんは、おじいちゃんは無事なのだろうか…!

イグルがこちらに気づいて走り出す。口の端が裂けた割れ目から、真っ黒の牙を見せて高く飛び上がり、襲いかかってきた。


「わあああ!」


ノエルは恐怖のあまり叫んで目をつぶろうとした。しかし瞼が張り付いてしまったみたいに、目を見開いたまま閉じる事が出来ない。ラディスの剣が風を切り、イグルの胴体を真っ二つに斬り裂いた。背後からも数匹のイグルが追いかけてくる。馬も必死で駆ける。飛び上がってくる瞬間に容赦なく頭に切っ先を突き立て、イグルが突き刺さったままの剣を振るって別のイグルに叩きつけた。ごぼん、と奇妙な音がして紫色の化け物の血が飛び散る。

ノエルは大地を駆ける馬の足元だけを凝視していた。顔を上げる事も出来ないし、目を閉じる事もできない。馬の首にしがみついている手が痺れてきてしまった。ああ、どうしよう。ここから落ちたら死んでしまう!そう思っていた時、馬のスピードが徐々に落ちてきて、それから止まった。


「ノエル、大丈夫か」


ラディスの声。炎が家屋を燃やしている音だけが辺りに響く。ノエルはやっと身体を起こして背後を振り返った。朱色に照り返る道の上に、点々と盛り上がった塊が見える。


「…ぜ、ぜんぶ、やったの?」


「ああ」


「ノエル!」


向かいの家から、ノエルの母親が走り出て来た。


「母さん!」


ラディスが馬から降りてノエルを降ろしてやると、母親はしっかりと息子を抱き締めた。点在する家から人々が姿を現す。


「ノエル、ああ…。無事で良かった!どこ行ってたのよ!お母さんは心配で心配で…」


「僕、お医者様を連れて来たよっ。おじいちゃんを治してくれるよ!兄ちゃんは軍を連れてきてくれるんだ!」


村人達がぞろぞろと集まってくる。ノエルと母が炎を背にして立つ人物を見上げた。

すらりとした長身に目を見張るような美しい容姿。青い瞳の奥が金色に輝いていた。


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