057:次なる戦いへ
それから程なくしてケイロスが呼んだ援軍が到着し事態の収拾に当たった。最初の報告では、ゲムの村人達が山賊に脅されて、彼らを村に引き入れてしまったという筋書きだった。それはあの場にいた誰もが嘘だと分かるような安い言い訳だ。どんな物好きが、国境沿いの何もない村をわざわざ襲うというのか。本当の筋書きはこうだ。
アルスレインを亡きものにしようとする皇族が山賊を雇い、村人達に金をばらまいて協力するように指示したのだ。しかしその事実をいくら村人や山賊が証言したところで、≪黄金の青い目≫を持つ皇族を捕らえる事は出来ない。それ程に手厚く保護されているからだ。悪事を企んで意地汚く笑っているその現場を、現行犯で押さえない限りは皇族を法で裁く事は不可能であろう。その法を作る側の人物なのだから自分達の都合で簡単にその秩序を捻じ曲げる事が出来る。
そのうえヒト型のイグルの件だが、あれは非常に恐ろしい可能性を孕んでいる。ロガートの極秘の研究が、もしかしたら前進したのかもしれない。今回の出来事がきっと、ロガートにとっては良い研究材料になるだろう。以前から噂があった。ロガートはイグルを操作しようとしており、あの怪物を武力に育てあげようとしているのだと。そうなるとルキリア皇族の中にも、ロガートに通じている者がいるのかもしれなかった。どうやってこの襲撃にイグルをねじ込んできたのか。これは今後も継続して調べ上げなくてはならない課題だ。
そして今回の最大の功績は、実行犯達を生きたまま捕らえられたという点だ。これで誰が黒幕で誰が一枚噛んでいるのか、存分に聞き出す事が出来る。敵味方双方とも極端に犠牲者が少なかったというのも幸いだ。これは視察に同行したイリアス族の存在が大きい。敵はイリアス族であるリィンの事を甘く見ていたのだ。それが大きな誤算となり、奴らは負けた。アルスレインがリィンに言った通り、この作戦は成功し、謀略に勝ったのだ。
そこまで考えを巡らせてから、まあそんなの俺の知ったこっちゃないけど、とウィリアムは鼻白んだ。
何にせよ無事に帝都に帰る事が出来る。シーカーに報告したら彼は何と言うだろうか。
ウィリアムはその事をまた思索しながら笑みをこぼした。
きっと、リィンも欲しいと言うに違いない。
◇◇◇◆
一行はその後の対応を別の部隊に任せ、ゲムの村から近い小さな町で休息をとる事にした。皆、多かれ少なかれ怪我を負っている。この町には診療所等の医療機関がない為、軍の医療部隊がその治療に当たった。
ウィリアムはあの激戦の中にいて肘を少し擦り剥いただけで済んだ。彼の身の軽さは伊達ではない。
リィンはと言うと、大きな怪我こそないものの疲弊し切っており、今も酒場のカウンターにうなだれるように腰をかけていた。風呂に入って汗を流し、こざっぱりとしていたが身体が重く感じられる。
「あの…リィンさん」
控えめな声がしてリィンは気だるそうに背後を振り返った。ブラウスに黒のズボンというくだけた格好の若い軍人がそこに立っていた。
「良かったらこっちで一緒に食事をとりませんか?」
リィンは彼を見たまま動けなかった。
「おい化け物!こっち来いよ。みんなお前の話が聞きたいんだとよ」
テーブル席に座っているウィリアムが気安い声をかけた。そこにも数人の若い軍人達がいて、皆笑顔を向けている。
「僕は…」
リィンは戸惑いを隠せなかった。ルキリア帝国軍の軍人達と、食事を共にする事があるなんて思ってもみなかった事だ。イリアス族の自分の、何の話が聞きたいというのだろうか。その好意を素直に受け取りたいと思う気持ちと、迫害され続けた歴史でも聞かせてやろうかと罵りたくなる気持ちがぶつかり混乱してしまう。それと同時に頭の片隅で、全く別の事を考えている自分がいた。
ラディスに、会いたくて仕方ない。
その時、酒場の扉が開いて懐かしい人物が目に飛び込んできた。
健康的な褐色の肌に、眉の太い精悍な顔立ち。生き生きとした黒髪を一つに束ね、浅葱色の不思議な服に逞しい身を包んだ人物は、リィンを見つけて大きな笑顔になった。
「よおリィン!お前すげえ武勲を上げたらしいな」
「…ミッドラウ?」
酒場にいる者達が彼の大声に振り返り注目している。ミッドラウの隣にはケイロスがいて、彼は軍人達の座るテーブルに足を向けた。運び屋は靴音を立ててずかずかと近寄り、がしりとリィンを抱き締めた。
「大したもんだぜ。お前って奴は!」
「ミッド!?どうしてここにいるんだ」
「お前を≪運び≫に来た」
「え?」
ミッドラウは華奢なリィンをひょいと抱き上げ、軍人達に向かって言った。
「そういう訳だ。邪魔したな!」
そしてずんずんと酒場を出てゆく。背後からウィリアムの声が聞こえた。
「どうなってんだ!?」
ミッドラウの愛馬ゼペスは暗闇の中、町の入り口に大人しく佇んでいた。幌馬車の荷台に、問答無用で荷物と一緒に放り込まれる。
「ってえ!」
リィンが声を上げて、馬車はすぐに動き出した。がたがたと振動が伝わってくる。
「リィン。無事で何よりです」
「クレイ!?」
暗闇に目を凝らすと様々な荷物の間に窮屈そうに座るクレイが見えた。穏やかな表情を浮かべているが、普段の彼らしくない。髪は乱れているし、その服装はよれよれだった。
「これ、一体何?」
リィンは状況が飲み込めずに声を上げる。
「ようし。あとはラディスだな!少し急ぐぞ」
外からミッドラウの大声が響いた。
◇◇◆◆
話の時間軸は、少しだけ巻き戻る。昨日ネルティエとグレイアは、これも恒例となっている孤児院の慰問へと出向き、その後は知り合いの家を回って歩いた。一方ラディスはシャルナンの小さな診療所に詰めて終日診察にかかりきりになり、三人は夕食だけを共にした。
今日は夜にコンサートを控えている為、歌姫達は宿屋の部屋で静かに時を過ごしていた。グレイアはネルティエの美しい白の髪に念入りに櫛を通す。
「今夜は真っ赤なドレスが良いわ。それに目を隠す布は薄紫で決まりね」
とグレイア。ネルティエの舞台衣装は全て彼女が決める。盲目のネルティエに変わって、彼女の魅力を十分に熟知しているグレイアが、小物に至るまでの組み合わせを決めているのだった。
「ふふ。赤を着るのは久しぶりだわ」
不意にネルティエの髪を梳いていた手が止まった。
「…どうしたの?」
「階下の食堂が騒がしいわね。何かあったのかしら。見に行きましょう」
そう言ってネルティエの手をとって二人で部屋を出る。いざという時、傍にいた方が守りやすい為に二人は常に行動を共にしていた。
階下へ降りると店の主人と常連の客達が玄関先で固まっているのが見えた。壁際にネルティエを立たせ、グレイアは大股でそちらへ向かう。
「そんな村の名前、聞いた事がねえな」
「ううむ」
「あ、あの。ここに有名なお医者様がいるって、聞いて来たんですが…」
十二、三歳くらいの黒髪の少年が店の主人を見上げている。その隣に立つ十代後半の少年が続けて口を開いた。
「どうしても会いたいんです。いませんか?」
兄弟だろうか。小動物を思わせる目元がそっくりで、今は少し怯えているような様子だ。二人とも痩せていて、身なりも随分とみすぼらしい。顔も泥ですすけており、とても貧しい村の出身であるのがうかがえる。
「うーん。ラディス先生の事かな」
店の主人は彼らにラディスの居場所を教えて良いものかどうか迷っているようだった。
「待ってな。あたしが呼んできたげる」
グレイアの声にそこにいた大人達が振り返った。
「グレイア…。良いのかい」
少年達は、グレイアの下着姿のような格好を見て顔を真っ赤にして固まっている。グレイアは店の主人の問いかけには片手を上げただけで、すぐに外へ歩き出した。
良いも悪いも、身なりだけで人を判断して、何になるっていうんだか。
今ラディスは診療所の医師の家にいるはずだ。空にある太陽は昼間の輝きから西日へと変わろうとしている。四角い石造りの家の玄関を素通りし、裏に回って窓をのぞきこんだ。中では全身を布で覆ったような奇妙な格好をしたラディスとシャルナンの老医師が、大きな鍋と大きな杓子で何かを煮込んでいる最中らしかった。窓ガラスを叩くとラディスが気づいて窓を開けた。白い布の間から青い目だけを出している。薬草を煮て薬を作っている途中らしく、辺りに苦い臭いが充満した。
「あんたに小さいお客さんだよ」
グレイアは鼻にしわを寄せながら告げた。