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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第四章
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049:揺れる想いの先

ラディスが肩で息をしながらリィンの元へやって来て、抱きかかえるようにリィンを立たせた。


「何で、来たんだ。これくらい僕一人で片づけられた!」


リィンは心とは反対の事を口にした。本当は涙が出る程嬉しかった。すぐ傍にラディスがいて、自分を助けに来てくれた。そう思っただけで、心が震えた。


「こんなにぼろぼろのくせに、良く言う」


「は、離せ!」


乱暴にラディスの手を払って、よろめきながら一人で立った。久々に嗅いだ彼の匂い。心から安心するミントハーブの香り。


「あ、あんたは大変だな。助けたくもないのに、こうやって来なきゃいけない…」


「…何だと?」


ラディスの端正な眉が僅かに歪んだ。

リィンはあれからずっと考えていた。ベルシェに言われた言葉が、刺さったままのトゲのように痛んだ。


イリアス族だからって、ラディス先生に恩を着せているんでしょう?


あの時はそんな事はしていないと思っていた。だけど、本当にそうではないと言い切れるだろうか…。


僕はユマにもラディスにも、迷惑ばかりかけてる。何も返せていないのに、傍にいる資格なんて、ない。


「僕がイリアス族だから。…僕が、ティルガの子だから、嫌でも面倒見なくちゃいけないもんな!」


ラディスは目を見開いて、凍りついたようにリィンを凝視している。


「それに僕だって迷惑してるんだ!こうやってあんたのごたごたに巻き込まれて!」


リィンは必死になって大声を張り上げた。肩で喘ぐように息をする。

ラディスは優しい。そんなのもう分かっている事だ。こういう事になれば、きっとリィンを見捨てるなんて、出来るわけがない。それくらい分かる。


だったら、嫌われれば良い。ラディスに嫌われれば良い。こんな奴知るかと思わせれば良い。


恩人の子だからって、責任をとらなくて良いんだ。


「もうたくさんなんだよ!あ、あんたの顔なんかもう見たくない!あんたなんか、き、嫌いだっ!もう僕を放っておいてくれ!!」


素早くラディスの手が伸びてリィンの腕を掴み、そのまま壁に打ちつけられた。


「って…」


リィンの細い腕を掴んでいる彼の手に、力がこもる。リィンは痛みに目を閉じた。

怒らせた。せっかく助けに来てくれたのに、あんな事を言ったのだから当たり前だ。


苦しい…。


自分で仕向けた事なのに、心がばらばらに千切れてしまいそうな程苦しかった。泣きそうになる。


泣いちゃだめだ…。


「まったく…お前は…」


低く、小さくて吐息とともにこぼれ出した言葉。リィンがおそるおそる目を開くと、すぐ目の前にラディスの美しい顔があった。彼はリィンの腕を掴んでいた手を解いて、両手を壁について俯いている。長いまつげが、かすかに震えていた。


「下手くそな芝居だ」


「…え」


ラディスが真っ直ぐにリィンを睨みつけた。息が止まる。ゆっくりと彼が近づく。

その時、がががが、と鉄の扉が開いて大勢の人間が押し寄せてきた。


「リィン!無事かい!?」


「エンポリオ…」


軍の保安部隊とエンポリオ、それにシーカーの手下のウィリアムまでいる。


「ここからならロンバートの病院が近い。行って手当をしてもらえ」


ラディスが背を向けて去っていく。リィンは呆然とその背中を見つめる。


「ラディス…」


「うっわ。これ、全部あんたがやったの?もう全滅じゃん」


ウィリアムが倒れている男達を見下ろしながら言った。


「正当防衛だ。シーカーに言っておけよ、これは貸しだ」


ラディスは大股で歩き、すぐに姿が見えなくなった。エンポリオが駆け寄ってきてリィンを抱き締める。


「ああ、こんなにされて!怖かっただろう?もう大丈夫だよ」


「い、いてて。エンポリオ、痛いよ…」


◇◇◇◆


ロンバートの病院で手当てを受けて部屋に戻った。エンポリオが心配していて今日はもう部屋にいろと言う。リィンは素直にそれに従った。もっと強くならなければ、と自戒を込めて部屋で反省する。偉そうな事を言っていても、結局今回もラディスに助けてもらった。それに…。

つい先程ロンバートの病院で、聞いてしまったことを思い出す。若い医師達が廊下で声をひそめて話していた。


帝都の有識者達が集まる会議で、ラディスの出生や過去の事で批判を受けているのは知っていた。しかし本当は、リィンの事でも非難されていたのだ。

イリアス族は元々は奴隷だった。それほど低い身分の者を、雇うのはいかがなものか。たしかに解放宣言が出されて久しいが、帝国政府はいまだに警戒令を解いていない。イリアス族が危険な種族であるのは変わりはないのだ。それを神聖な医師という職業に従事する者が雇い、多くの患者が訪れる場所で働かせているのは、配慮が足りない。狂気の沙汰だ。


若い医師達は、先生は何も恐れないのだろうか、と囁き合っていた。


リィンはぼんやりと窓の外を眺める。下の通りを小さな子供達が駆けてゆく。


どうしてラディスはあんなに強くて、揺るがずにいられるのだろう。


会議のあった夜、ラディスは僕に、自分らしくいれば良いのだと言ってくれた…。


心が震える。

このままここにいた方が良い。その方が良いに決まってる。僕がいなくたって、ラディスは十分強いし、味方だっている。イリアス族の僕がいたら、きっと迷惑がかかる。


僕は、弱い。とても…。


リィンがラディスの護衛になると言った時に笑われた事を思い出す。未熟だからと断られた。


玄関の呼び鈴が鳴った。

リィンは慌てて瞳に溜まった涙を拭い、玄関へ向かう。扉を開くとベルシェがそこに立っていた。


「あらあなた、まだここにいるの!?」


ベルシェは頼まれていたと言って、書類の束を手渡した。

これワドレットに渡してちょうだい。


「全く、何をのんびりしているのよ。早く診療所に戻りなさい!あなたはラディス先生の護衛でしょ」


彼女は腕組みをしてリィンを睨みつける。僕は、やっぱり怒られてる…。


「…でも、僕はここに居た方が良いんだ」


「それは何の冗談?私に反抗していたあなたはどこいっちゃったわけ?」


リィンは歯切れが悪く、口の中でもごもごと言い訳を言う。ベルシェはわざとらしく大きなため息をついて続けた。


「あのねえ、自分の事ばっかり考えてんじゃないわよ」


「べ、別にそんなつもりは」


「先生はね、あのあと二つも手術をこなしたのよ。それがどれだけ大変な事か分かってるの?」


「そりゃ、大変だろうけど…」


意味が掴めず、困り果ててベルシェを見る。彼女の顔は口調とは裏腹に怒ってなどいなかった。


「知っているでしょう。先生の嗅覚は人より優れているのよ。本当の専門は薬品の調合なのだけど、先生より腕の良い医者がいないから、外科の手術もしているの」


「…あ」


リィンは急に胸騒ぎを覚えた。

ラディスはいつも相手の事を優先させる。愚痴も泣き事も、一切口にしない。でも、何も感じていないわけじゃないと言った。彼だって疲れる。そういう時は決まってリィンに子守唄を歌ってくれと言うのだった。幼い時に聞いた、優しい旋律。

リィンの胸中に様々な事が思い浮かんでくる。急にラディスの事が心配になった。


僕があんなにひどい事を言ったのに、彼は怒りもせず全てを見抜いていた。

でも僕は、ラディスの事を何か分かっていたのだろうか…?

そう言えば少し様子がおかしかった気がする。彼のまつげが震えていたのを思い出した。


「きっと疲れているはずよ。あなた、心配じゃないの?恩知らずな子ね」


ざわざわと胸が騒ぐ。どうしよう。すぐにでもラディスの所へ行きたい。心配で仕方ない。でも…。


「リィン!」


ベルシェが叱咤するようにリィンの名を叫ぶ。


ラディス。僕は…。


「僕、ちょっと様子を見てくる!ベルシェ、ありがとう!」


リィンはそのまま夕闇の迫る石畳の上を駆けていった。その後ろ姿を眺め、ベルシェはゆっくりと息を吐き出す。


「ベルシェ、君まで僕の敵なの?」


隣の建物からエンポリオがにこにこと笑いながら歩いてくる。


「あなたもいい加減、真剣に生きたらどう?」


ベルシェは鋭く彼を睨んで言った。


「そろそろ名を継ぎなさい。良い年して、自分の母親を泣かせるんじゃないわよ」


「…嫌だな。君ってはっきりすぎる位、ものを言う」


「言われる内が華よ」


エンポリオがうーん、と唸って、それもそうだねと笑った。


◇◇◇◆


「クレイ、ラディスは!」


ランプの灯が入った診療所にたどり着いて、居室に駆け込むとクレイが驚いた顔をリィンに向けた。


「ああ、リィン。もう大丈夫なのですか?」


「うん、平気!」


「ラディス様でしたら、まだ戻られておりません。北地区へ行かれましたよ」


「分かった!」


すぐにリィンは踵を返して走ってゆく。クレイが呆然とそれを見送った。


何だか嫌な予感がする。

リィンは町へと駆けながら、ざわざわとこみ上げる胸騒ぎに緊張していた。


ベルシェの言うとおりだ。僕は自分の事しか考えていなかった。


あれほど律儀な彼が、人殺しと罵られて平気なはずがない。

茶に混ざった微量な毒の臭いを嗅ぎ分けられる程の、鋭い嗅覚をもった彼が、いくつも手術をこなして平気なわけがない。

ずっと、休まずに突き進んでゆく。向かい風をその身一つで受け止めながら、後ろに守るべき人々を抱えて走り続ける。自分が倒れてしまえば、それで全てが終わってしまう事を知っている。彼が負けてしまえば、全てが駄目になる。だからこそラディスは強い。だからこそ、皆が信頼し、愛している。


「ラディス…」


ああ僕は、こんなにも、彼の事が好きだ。




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