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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第四章
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038:恋のゲーム

エンポリオの研究施設は真四角の建物で、無機質な存在感を辺りに放っていた。窓は少なく二階建てで、隣にも似たような造りの建物があり、そちらはこの研究施設で働く者達の寝起きする場所になっていた。

玄関の呼び鈴を鳴らすと、しばらくしてがちゃがちゃと施錠を開く音がし、それからぎぎぎ、と音を立てて扉が開いた。


「やあラディス、皆がお待ちかねだ。また問題が発生したようだよ」


出迎えたのはエンポリオだった。にんまりと笑う彼は、やはりキツネに似ていると思う。ラディスは彼に雑な挨拶をして大股で室内へと入ってゆく。

研究施設の内部は通常の家のそれとだいぶ異なっていた。玄関から短い廊下を歩いて左の扉を開くと、そこは間仕切りのない大きなフロアで四方の壁にはぐるりと棚が配置され、その中にはぎっしりと様々な瓶が収まっている。長テーブルが整然と並び、リィンには分からないし見た事もないような器具が載っていて、その間を丈の長い上着を来た研究員達が行き来していた。この面積に対して従事している人の数は少ないように思うが、これ程高技術の研究施設があるのはレーヌ国以外には、この一か所だけである。


「やあリィン、今日も可愛いね」


エンポリオがすかさず迫ってきて、リィンは身構えた。この部屋の内部ではあまり物音を立ててはいけないので、何とも動きにくい。すぐに壁際に追い込まれ、リィンは壁を背に目の前のエンポリオを恨めしそうに見上げた。


「毎回、こういうのやめて欲しい」


「ふふ。そういう表情も可愛いよね」


エンポリオは壁に両手をつきリィンを逃がさないようにして、にこにことリィンを見下ろす。


「ねえリィン。今日は僕とデートしないかい」


「…しないよ」


「どうして?つれないなあ」


そう言いながらエンポリオが顔を近づけてくる。紺色の瞳が楽しそうに揺れる。リィンは身体を横にして、狭い空間の中で何とか逃れようともがいた。そこへエンポリオがリィンの耳元に息を吹きかける。身をすくめて顔から火が出そうになりながら彼を非難した。


「エンポリオ、冗談もほどほどに…」


「じゃあデートしてくれるかい?」


「い、嫌だよ。僕らは男同士なんだから、そんなのおかしいだろ」


「大丈夫だって。僕は変態で名が通ってるからね。ばれないばれない」


堂々と自分の事を変態呼ばわりして、エンポリオはにっこりと微笑む。リィンはそんな彼を横目で睨んで、ため息をついた。

その時、ラディスの低い声が部屋に響いた。意思のある、強い声。


「まだそんな事をしているのか。一体今まで何をしていた?」


エンポリオは肩をすくめて振り返る。ラディスは資料を片手に仁王立ちしていた。


「す、すみません…。こちらの薬の調合がうまくいかなくて…。それに調合の作業と並行して、研究資料をまとめていましたので時間が…」


ラディスの前には顔を真っ青にした数人の研究員達がいる。それを遠くで見つめる者達も皆、顔を硬直させて息をのむ。長身の彼が仁王立ちすると何とも言えない迫力があり、リィンはその後ろ姿を見ているだけで自分が怒られているみたいに、身を縮めてしまう。


「それは分かっている。そんな事は今聞いていない。何故今まで報告しない?何故期限を守ろうとしない。事前の報告ぐらいできるだろう。それに時間がないというのは言い訳にもならん」


「すみません!」


前に出てラディスの静かな怒りをかぶっているのは、確かワドレットという研究員だ。ラディスよりもいくぶん背が低く、黒の短髪で眼鏡をかけている。見るからに真面目そうな瞳は、必死になって打開策を模索する。


「すぐに作業に取り掛かります」


「何をどうする」


「オーガードの成分の抽出を三人がかりで、それから…研究資料の方は新人に任せます。特効薬はイゴーとムノアと…ええと私で…」


「分かった。お前は取引先へ行って事情を説明して来い。特効薬の調合には俺が入る」


「はい!」


皆一斉に作業に取り掛かった。ぴんと張りつめた緊張感が部屋を満たす。


「こりゃ、徹夜だね」


エンポリオが小さく呟いて、リィンの腕をとって部屋を出た。


◇◇◇◆


「ラディスもあんな風に言わなくたって良いのに…。あそこは少ない人数でやってるんだからさ」


エンポリオに連れられて、ベイルナグルの広場へと歩く。フード付きのマントを羽織っているが今はフードをしていない。彼と歩く時はいつもフードをとるよう言われるのだ。顔を見ながら歩きたいという、良く分からない理由からだった。リィンは余計な諍いや不躾な視線を避ける為にしたいのだが、あんまりにも彼がうるさく言うので、仕方なく言うとおりにしている。


リィンはいつも思っていた。ラディスはあの場所へ行くと、厳しくなる。彼が怒ると顔が整っているだけに、余計に恐ろしいのだ。声を荒げて罵ったりするような怒り方はしないが、冷静に怒られるのも相当こたえるだろう。


「まあねえ。でもああいう役回りって、ラディス以外出来ないから。見ての通り、僕やクレイは人を怒るなんて出来ないだろう?心優しいからねえ」


「でもワドレットに厳しすぎない?いっつも怒られていて可哀そうだよ」


「ああそれね。仕方ないのさ。彼があの会社の、実質の責任者になるんだ。ラディスはそのうち彼に全権を任せるつもりでいるからね。それにイグルの解毒剤、特効薬ね、あれを作り出せるようになったんだよ。ワドレットとイゴーとムノアの三人がかりでね」


「そうなの!?すごいじゃないか!…だったらもっと褒めてあげたら良いのに」


あの特効薬は、世界でも数名にしか作り出す事の出来ない、調合の非常に難しい薬だと以前にクレイが言っていた。レーヌ国にも数人いるだけで、このルキリア国ではラディスたった一人が精製できるものだ。それを三人がかりであろうと精製出来るようになったというのは、とてつもない快挙である。


「うーん。まあ、ワドレットの場合はまた別の理由もあるからラディスも厳しくなるんじゃないかな」


「別の理由って?」


エンポリオが口を開きかけて途中で止め、リィンの顔を覗き込んだ。


「知りたい?」


「え…うん」


「キスしてくれたら教えてあげても良いけど?」


リィンは顔を赤くしながらむすっとして答える。


「…じゃあ止めとく」


「なんだ、残念」


「…それより、いい加減、手を離してくれないか」


会社から出る時からずっと、エンポリオは繋いだ手を離してくれない。


「どうして?手を繋ぐくらい良いんじゃないかな。僕はもっとそれ以上の事がしたいんだけど、我慢してあげてるんだからね」


「…何だよそれ。僕をからかったって、面白くないよ」


「嫌だな、本気だよ」


そう言ってリィンを見つめる。紺色の瞳は切なそうに潤んでいて、リィンは自分がとてもひどい事を言ったような気になってしまう。エンポリオはラディスよりも年上の三十三歳にもなるのだが、ふわふわとした金色の髪や童顔のせいでずっと若く見え、その上切なげに見つめてくる瞳は少し頼りなさそうにも感じる。しかしこの表情は見た相手がそう思わずにはいられないように、計算されたものだ。分かっているのに、それでも少し赤面して視線を外しながら言った。


「エンポリオは僕を好きなんじゃないよ」


「どうしてそんな事言うんだい?そんなに僕が嫌い?」


「違うよ。エンポリオは僕じゃなくて、僕が珍しい種族だから」


すっとエンポリオを見上げた赤茶の瞳は、真っ直ぐに彼を射抜いた。


「僕がイリアス族だからだよ」


そう告げてリィンは手を離し、栗色の柔らかな髪を風になびかせて、すたすたと先へ歩いて行ってしまった。

その小さな後ろ姿を呆然と見つめてエンポリオは一人呟く。


「驚いたな…」


図星だった。


◇◇◆◆


「はい」


リィンの目の前に、パンケーキを差し出す。持ち手の部分は紙で包まれているそれは、歩きながら食べるお菓子で、リィンの好物である。しかし小さな頭はじっとそれを見つめて、手に取る気配がない。


「ここのは特別美味しいんだよ、好きだろ?」


「…ありがとう」


遠慮がちにそれを受け取り、ぱくりと一口。途端にむすっとしていたリィンの表情がゆるんだ。

エンポリオはそれを見て満足げに笑う。…リィンてば、分かりやすいな。

ベイルナグルの西の通りを北に向かって歩く。この通りは様々な商店が立ち並んでいて活気があり、たしか先には現在絵画展を催している店があったはずだ。


「ほんとに美味しいや」


「ふふ。良かった」


「エンポリオは食べないの?」


きょとんとした表情で見上げてくる。エンポリオはリィンの腕を掴み、そのままパンケーキを一口頬張った。


「うん、美味しいね」


にっこりと笑ってリィンを見ると、案の定、透き通るような白い頬がうっすらと赤く染まっている。

通りをすれ違う人がくすくすと笑って去っていった。


「…ちょ、ちょっと。そういうのはだめだって」


「どうして?」


「はたから見たら僕らは男同士だろ、気持ち悪い」


「いいじゃない。どう見られようが」


笑いながらリィンの空いている手をとって歩き出した。強引な彼にほとほと呆れたのか、リィンは大人しくされるがままになっている。それから色々な出店をひやかして歩き、絵画展で展示されているレーヌ出身の新進画家の描いた難解な絵を、首をひねりながら鑑賞した。

基本的にリィンは素直で、うぶだ。ちょっとした事にも驚いたり感動したりして、エンポリオから見ればそれが逆に新鮮でもあった。こういった男女の関係には全く慣れていないようで、それは今までの事情から推して測れば当然の事だと思われた。それだけに、彼は内心楽勝だと思っていたのだ。

しかしこの可憐で美しい容姿を男性として隠しているリィンは、人の本質を見抜く力が備わっているようだった。それはイリアス族として差別を受け、耐えながら暮らした日々の中で鍛え上げられたものかも知れない。これはなかなか、面白い事になりそうだ。


「何だか通りが騒がしいね」


「うん?」


表へ出てみると、小さな人だかりが出来ていた。その中心にいる人物を見て、ああ、とエンポリオはため息まじりに呟く。

白い法衣を身にまとった壮年。背は高くなく後退した頭髪を油でなでつけている。まるで目がなくなってしまったかのような笑顔で周囲の人々と握手を交わす。その首には、それだけで三百万フィルはくだらないと言われている程高価な≪清廉なる織布≫が下げられていた。


「このすぐ近くに講堂があるんだよ。あれはベイルナグル一の高尚な司教様さ」


「ふうん。そういやみんな、司教様って呼んでるね」


「それに、医者でもある」


「え?」


「あれがルーベンだよ。聞いてるよね?ラディスを本気で殺そうと企んでる人物さ」


リィンはそこで棒立ちになって、目の前の光景にくぎ付けになってしまった。


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