026:その『力』、絶大
シャルナンからの帰り、右側は巨大な岩壁が続き左は鬱蒼とした森という道を幌馬車がガタガタと勢い良く走ってゆく。リィンは馬車にしがみつき、ミッドラウは座席に立ち上がり俊敏な手綱さばきで馬を操っている。その彼が前方の異変に気づき、大きな掛け声をかけて馬を止めた。
「参ったな。がけ崩れか」
大きな岩が一つ、ごろんと道いっぱいに横たわっていた。後ろを走っていた別の行商人の馬車も止まり、そこから降りてこちらへやってくる。
「どうしたー」
「でかい岩だ!ここは通れねえ!」
日は既に落ち始めている。来た道を引き返すのは大幅な時間のロスだ。それに、嫌な予感がする。
リィンが目の前の岩を見据えながら馬車から降りてミッドラウの横に並んだ。
「どかすよ」
「…頼むぜ。なるべく早くな」
そう言いながら荷台の幌から剣を引き抜く。ミッドラウの剣は芯の太い大振りのものだ。近づいて来たひげもじゃの商人が、その剣を見てぎょっとして、身体を硬直させた。リィンの瞳も険しくなる。
「こういう手を良く使うんだよ。奴らはな」
「ま、まさか。さ、山賊か」
ひげもじゃの商人が、おろおろとし出す。
「幸運だったな、あんた。このミッド様がいるから大丈夫だ。脇に隠れていろ」
商人は何度も頷き馬車の隅に隠れる。
リィンもフードをとり、腰に差した剣を抜いた。すぐに大きな岩に向き直る。瞬時に集中力を極限にまで引き上げ、瞳が紅く燃え上がった。
ごご、と岩が声を上げる。その時、森の茂みから奇声を上げながら数人の男達が飛び出してきた。獣の皮で作られた肘当てと編み上げ靴を履いた独特の格好。
「運が悪かったなあ!お前ら、皆殺しだ!」
「その台詞そっくりそのまま返してやるぜ」
ミッドラウは商人の背をむんずと掴んで、岩と対峙しているリィンとの間に立たせる。彼自身は背後に商人とリィンを庇う形で山賊に向き直った。
「ひいい!お助けえ!」
商人が頭を抱え叫ぶ。
リィンの後ろで戦闘が始まった。じわりと汗をかく。目の前の岩に集中しろ。自分に言い聞かす。
ゆうに八ナルグはあるかと思われる巨大な岩が、ガタガタと揺れ出す。ごごご、と不気味な音が辺りを包んでゆく。
ミッドラウは大きな剣を片手で操り、次々と山賊をなぎ倒してゆく。
敵二人が同時に斬りかかった。一方の攻撃をその大振りな剣で受け止め、もう一方は、切っ先を避けてその手首をがっちりと掴む。敵の剣を弾き返した瞬間、手首を掴んだ男のみぞおちに痛烈な膝蹴りを叩きこむ。その一撃で、相手は奇妙なうめき声を残しその場に崩れ落ちた。刹那怯んだ敵を逃さず、素早い動作で右腕を斬り落とす。少しも躊躇はしない。
「あのガキ!イリアス族か!」
岩が完全に持ちあがっている。リィンのすぐ横の茂みから山賊が一人飛び出してきた。咄嗟に剣で攻撃を凌ぐ。ずん、と大きな音を立てながら岩が地面にめり込んだ。リィンが目の前の山賊を睨んだ途端に、相手は吹き飛んで大木に叩きつけられた。
ミッドラウが口笛を吹く。
「こりゃあ無敵だ」
しかし多勢に無勢、いくら彼とリィンが敵をばたばたと倒していっても、森から次々と刺客が飛び出してくる。
「きりねえよ!おい、ずらかるしかねえ!」
リィンに大声で叫ぶ。するとリィンが大声で叫び返してきた。
「今片付ける!コツを掴んだ!」
ずどん、と地響きが起こり、その場にいた全員がよろける。見上げると、頭上高くに巨大な岩が浮かんでいた。ぱらぱらと小石が空から降ってくる。
「な、何だこれは!」
山賊の隊列が動揺し乱れる。ずず、と音を立てて岩が徐々に迫ってきた。ミッドラウも呆然とそれを見上げ、後ずさりながらリィンの傍へ立つ。商人は腰が抜け、その場で尻餅をついていた。
次の瞬間、巨大な岩がスピードを上げて山賊達の頭上へ落下し始めた。男達は怒号と悲鳴を上げて、ばらばらと辺りへ散らばる。耳を覆うばかりの炸裂音。ごごご、と足元を揺るがす地鳴りの後に、濛々たる砂煙が辺り一帯を覆い尽くした。しばらくして砂煙が切れ、遮られていた視界が晴れると、巨大な岩が森の木々を易々となぎ倒し横たわっているのが目に飛び込んできた。馬車はどちらも無事だが砂埃で汚れている。
山賊は倒れている者達を残し、綺麗に逃げ去っていた。
「…すげえな」
ミッドラウは小柄なリィンを見下ろす。少年はまるで全力疾走したみたいに、肩で息をしていた。
「し、下敷きにならなかったかな…」
「そいつあ自業自得ってやつだ、気にすんな」
がくり、とリィンの膝が折れる。ミッドラウは素早くリィンを抱きかかえた。
「ん?」
おかしい。感触が…。
「お前…」
がっちりとミッドラウの太い腕に抱えられたまま、リィンは顔を真っ赤にしてその腕から逃れようと必死にもがいている。
…女か。
「ば、化け物!」
尻餅をついたまま、ひげもじゃの商人がものすごい勢いで後退してゆく。ミッドラウは呆れた。
「あんたなあ、命が助かったのは誰のお陰だと…」
「ミッド。良いんだ」
腕の中のリィンを見る。栗色の髪が砂をかぶっていた。ついさっきあれだけの強大な『力』を使ったとは思えないくらい、小さな身体。子供みたいに熱い手の平。きめの細かい白い肌。
「…それから、もう大丈夫だから、離してくれ」
◇◇◇◆
診療所の前に馬車を止める。座席から飛び降りて、荷台から解放してやる。ゼぺスも相当疲れているはずた。首筋を撫でてやると、ぶるぶると鼻を鳴らした。見ると足元に水の入ったバケツが置かれ、新鮮な野菜が小さな山を作っていた。用意が良い。
座席にはリィンが静かに眠っている。
ミッドラウは初めてイリアス族の『力』を目の当たりにした。それで分かった事がある。あの『力』をこの目で見るまでは、それが魔法のようなものだと思っていた。だが実際は、そんな簡単なものではなかった。全神経を集中させて発動させるそれは、おいそれと使えるものではない。心身ともに度重なる鍛練と修練を必要とするものであった。
座席に戻り、リィンの寝顔を見つめる。長いまつげに滑らかな頬。薄く開かれた形の良い唇は、柔らかそうな膨らみを持つ。ミッドラウは吸い込まれるように、リィンの顔に近づいてゆく。
「お前にそういう趣味があったとは思わなかった」
ぎょっとして身体を大きくのけぞらせた。玄関の明かりを背に、長身のラディスが腕を組んで立っている。
「はっはあ!ちょっとした冗談だ」
「ん…」
リィンが目を覚ます。
ミッドラウは心の中で舌打ちをして、リィンに声をかけた。
「今日は色々助かったぜ!お前は大したもんだ」
リィンはぼんやりと寝起きの顔でミッドラウを見上げ、ふにゃりと笑った。
「ラディス、こいつをちゃんと護衛として傍に置けよ」
リィンの肩に腕を回し、なあ、とミッドラウはリィンの顔を覗き込む。
「…どうしてお前までリィンの味方するかな」
頭を掻きながらラディスはため息をついた。
「あの『力』はすげえぜ。俺様が確認した。お墨付きだ。それにこいつの意思は固い!俺は気に入ったぜ!いい加減折れたらどうだ」
「そうだよ」
リィンも力強い味方を得て、にっこりと笑う。
「とりあえず、風呂に入れ」
そう言い置いてラディスは踵を返して戻ってゆく。
「一緒に入ろうぜ、リィン」
「な…!嫌だよ」
こんな些細な冗談にも顔を真っ赤にする。堂々と物を言えるくせに擦れていない。思わず力いっぱい抱きしめてやりたくなるのをこらえて、ミッドラウはリィンに片目をつぶってみせた。