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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第三章
26/101

025:運び屋

「せいや!行け、ゼぺスよ!」


立派な躯をした茶色の艶やかな馬の背に鞭を入れる。馬がいななき、がたんと馬車が大きく揺れて動き出した。

朝早くミッドラウとリィンは配達の為に診療所を出発した。運び屋は幌の張った荷台の前の座席で、立ったまま器用に馬を操る。その隣に座っているリィンは手すりにしがみ付いているので精一杯だ。順調に速度を増し走り出すと、ミッドラウはどっかりと腰を下ろした。


「この馬、ゼぺスっていうの?」


「ん。たった今雰囲気で名付けた。さーあ、今日はベイルナグルから隣町のリエズに、海沿いのシャルナンまで行くからな。ケツが三つに割れないように気をつけろよ」


リィンは笑いながら、うん、と返事を返した。


ミッドラウは昨日と同じような異国の服装をしている。少年はブラウスに緑のだぼついたベスト、麻のズボンに革の編み上げ靴という地味な服装。その上に暗い臙脂色のフードの付いたマントで身体を包んでいる。フードをかぶっているのはイリアス族特有の白い肌と紅い瞳を隠す為のものだろう。それにしたってミッドラウからして見れば、地味すぎる。


「せめてもっと明るい色のマントにしたらどうだ」


そう言うとリィンはきょとんとして彼を見上げてくる。少年は耳に銀色のピアスをしており、それがきらりと光った。


「色なんてあんまり関係ないんじゃないかな」


「馬鹿だなお前、そんなんじゃモテねえぞ」


「ミッドが派手すぎるんだよ」


得意先の客の家へ荷物を届けてゆく。そこでやっと報酬が手に入り、次の依頼も入ってくる。ズボンのポケットにねじ込んだメモとペンを取り出し、書きなぐる。リィンはその小柄な身体の倍もあるかという荷物も意外にあっさりと運んでゆく。それには彼も驚いた。

道の整備された帝都ベイルナグルを出ると一変して悪路が続く。山沿いのでこぼこ道を登った先に、リエズの町がある。


「ミッド、ここへ、来るまでに、イリアス族を、見たかい?」


がたがたと馬車全体が揺れる中でリィンが話しかけてきた。


「いいや。そういや最近見ねえな。イリアスは流浪の民で、しかも警戒心が強い。いたとしても俺の前には姿を現さなかったんじゃねえかな」


「そう、なんだ」


「もう黙っといた方が良いぜ。慣れない奴は舌をかんじまう」


言ったそばから、リィンがいて、と声を上げた。


◇◇◇◆


標高の高い位置にあるリエズの町は年中気温が低い。しかしこの町からの眺めは最高だった。

澄み渡った青い空に細長く雲がなびく。遠くに青く霞んだ山々が見え、その手前から海が始まっていた。

海の傍には小さな港町がこじんまりと海沿いに張り付くように広がる。ベイルナグルの町は、この眺めからすると反対にあるようだ。

ミッドラウは馬車の見張りをリィンに言いつけ、軽々とたくさんの荷物を担ぎリエズの町に消えた。


「ミッド!久しぶりじゃない!」


リエズの恋人が彼に抱きつき、熱いキスをする。ミッドラウは荷物を落とさないようにしながら、片手で彼女の腰を抱いた。


「おっと。マリー、俺は今配達の途中だ。また来るぜ」


「そんな事言って、ちっとも来てくれないじゃない」


赤毛でスタイルの良い女性は、彼の広い胸板を指先でなぞる。


「ほら、これは土産だ。またな」


こめかみに口づけし、風のように去ってゆく。

彼女の手にはブルーの宝石が嵌め込まれた繊細な細工のネックレスが残されていた。まじまじと見つめて、興奮した面持ちで歓声を上げる。


「素敵!ミッド、愛してるわ!名前間違えてるけど許してあげる!」


配達を終えて戻ってみると、リィンは飽きることなく景色を眺めていた。


「良い眺めだろ」


「うん。…僕も色んな町へ行ったけど、こんな綺麗な景色見た事あったかな」


柔らかく微笑みながら、遠くを見つめる少年の横顔。ミッドラウはそこで初めて気がついた。

顔は小さくレッドブラウンの瞳は大きくて、線の細いその少年は美しい容姿をしていた。


「そりゃあ、景色を楽しむ余裕なんて今までなかったからだろうさ」


「そうか…」


「イリアス族が何であいつの護衛なんかしてる?」


「…どうしてそんな聞き方するんだ。イリアス族だから、悪いみたいに聞こえる」


赤茶の瞳がまっすぐに彼を見つめてくる。ミッドラウは舌をまいた。なかなか利発じゃねえか。


「知ってるだろう。あいつはイリアス族に育てられた。イリアス族はてめえらを奴隷にして好き放題してるルキリアの、しかも皇族の子供を大事に育てたんだ」


八つ裂きにしてしまう事だって出来た。現にそれを目論んで、トワ妃は赤ん坊のラディスを投げ入れたのだ。


生まれたばかりの幼い命に善も悪もない。

気高きイリアスの民。尊く偉大な心を持つ。


「…うん」


「だからだよ。あいつがそのイリアス族に、しかもお前みてえなガキに、そんな危険な事やらせるはずがねえ。そういう所はきっちり律儀なんだ」


リィンの瞳が揺れた。きっと考えもしなかった事なのだろう。


「やべ、さっさと次に行かねえと。昼飯はシャルナンでとろうぜ!あそこのシーフード料理はウマいんだ」


「…僕はガキじゃないよ」


からからと笑いながらミッドラウは馬に鞭を入れた。


「お前はまだ若い。色んな可能性がまだ十分にあるって事さ!」


「イリアス族でも?」


「そうだ!それが若さだ!」


「ミッドは、いつから、この仕事、してるの?」


「十七だ!」


「どうして、運び屋なんて、危険な仕事、しようと思ったの?」


盛大に揺れる馬車に乗りながら、必死になってリィンが話しかけてくる。懲りない奴だ。


「簡単だ、女にモテたかった!」


それを聞いてリィンは楽しそうに笑ってから、いて、と叫んだ。


◇◇◆◆


「あいつと俺が初めて会ったのは八年前で、えーと、確か俺が二十二の時だったから、ラディスは十八だ」


ボイルした大きな海老を口いっぱいに頬張りながら、ミッドラウは器用に喋った。

海沿いの港町シャルナンで荷を全て降ろし終え、遅めの昼食をとっている最中である。


「十八!?今の僕と同じ年じゃないか。さっき、会った頃ラディスは医者になりたてだったって言ってなかった?」


目をまん丸にしてリィンが聞いてくる。くるくると表情が変わる少年だ。海を見ては驚き、見た事のない海産物を見ては目を輝かせ、何かと忙しい。イリアス族にしては感情が豊かだ。きっと、愛されて育てられたのだろう。


「ああ。十二の頃にレーヌの大学校に入学して十六で全ての課程を修了したんだ。それから二年間レーヌの医者の下で働いてたらしいぜ」


「信じられない…」


「ちなみに、その頃にクレイとも出会ってる。あいつもレーヌ族の中では、ずば抜けて優秀だったそうだ」


「そうなの!?クレイってレーヌ族だったんだ…」


リィンは驚きすぎて疲れたのか、椅子の背もたれに身を預けた。


「あいつは年下のくせに、あの時から憎たらしい奴だったぜ。抜群のスタイルにあの顔だろ?向かうところ敵なしだ。しかも強い。俺は一発で気に入っちまった。お前、もう食わねえのか。食が細いな。そんなんじゃ強くなれねえぞ」


「もうお腹いっぱいだよ。ミッドが大食らいなんだ。その頃のラディスって、どんなだったの?」


「んー。今よりは身体の線は細かったな。一緒になって色んな遊びを豪快にやったりしてな。破天荒この上ない」


「色んな遊びって?」


「お前にゃまだ早い」


「何だよ、ラディスだって十八だったんだろ」


「お、そうか」


グラスに入った水を一気に飲み干す。


今思えば、あの頃何故あれ程派手に遊んでいたのか、その真意が分かる気がする。ラディスは当時既に運び屋として名を上げていたミッドラウに近づき、彼の心を掴む為に魅力的なイベントを次々と提示していった。そしてそこで大騒ぎをする事によって、同時にラディスの命を狙う輩をその場所に引きつけていたのだ。ルキリア皇族の正統な血族の証≪黄金の青い目≫を持つ彼は、嫌でも噂になり話題の中心となる。

そうしている間に着々と、帝都で診療所を開く準備を進めていたのだ。そして全ての用意を終え、彼は医師としてベイルナグルに開業を果たした。


食えねえ奴だ。だが、小気味好い。


「さぞかしモテたんだろうね」


おや、とミッドラウはリィンを見やる。

なるほど、そういう事か。確かにラディスは魅力的な人物だ。性別も年齢も関係なく、奴に惚れる。

だからこそ敵も半端なく多いのだが。


「そりゃあ、モテるってもんじゃないぜ。もうあそこまでいくと催眠術みたいなもんだ。女がばたばたと倒れる」


リィンが可笑しそうに笑った。


「恋人はやきもちしっぱなしだったんじゃない?」


「いいや。あの当時も奴は本気の相手は作らなかった。過去にも未来にも、そういう相手を持つ気がないんだろうよ。近頃のあいつを見てると、仙人にでもなっちまったかと思うぜ」


「…どうしてラディスはモテるのに恋人を作らないのだろう」


「あいつは、もうそんな次元にゃいねえんだろうよ。例え愛する女が出来たとしたって、その女を幸せにしてやれねえのが分かってるのさ。だってそうだろ?あいつの時間は、一分一秒でも、無駄にはできねえ。観劇を見たり、見つめ合って楽しく会話したり、そんなフツーの事さえあいつにはする暇がない」


それはミッドラウがずっとラディスを見続けてきて出した結論だった。そして彼にはそんなラディスの生き方は理解不能である。その信念や行動は確かに立派なものだ。


だけど、女がいねえ人生なんて、何が楽しいんだ?


「女にゃ酷だ。あいつの背負ってる厳しい現実を、一緒になって背負える程の気骨のある女なんて、まずいねえよ。

 どうだ、かわいそうな奴だろ?あんな男前のくせに、宝の持ち腐れってのはこういう事を言うんだぜ」


そこまで言って、ふっと彼の脳裏に一人の女性の姿がよぎった。ブラウンの柔らかな巻き毛に、理知的な瞳。優しい微笑みをたたえる、たおやかな女性。


「…ユマが、身体の丈夫な女なら、また違ってたのかも知れねえがな…」


「ユマって?」


はっとしてミッドラウは目の前のリィンを見た。興味深そうな顔をこちらへ向けている。知らず声に出してしまっていたようだ。ミッドラウは咳払いをして話題を変えた。


「それで?何でお前はあいつの護衛なんかやろうとしてるんだ。わざわざ死にに行く事もあるまいよ」


そうだ、もっとうまい具合に生きていけるはずだ。ラディスだったら、そうなるようにいくらでもこの少年にしてやれる。そうするつもりで保護したのだろうし。


「ラディスは命の恩人だから」


「…それだけ?」


「それ以外に何がある」


意志のこもった瞳。綺麗だ、と思う。


「それに僕には『力』がある。これを誰かを護る為に使いたいんだ。僕はイリアス族だ。どんなに辛く困難だろうと、誇りを持って生きていきたい。ラディスはこの世界に必要な人間だ。…だから、僕がラディスを護ると決めたのは、僕自身の為だ」


ばん、とミッドラウがテーブルを平手で叩いた。リィンはびくりと肩を震わせる。


「な、何?」


「良く言った!なかなか男気のある奴じゃねえか!」


はっきりと物を言う。潔い。豪気な運び屋は、だんだんとリィンを気に入りはじめていた。


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