022:冒険の終わり
その頃診療所では、玄関口にラディスとクレイ、ウォルハンドとナナンの四人がそれぞれに佇んでいた。慌てて戻って来たナナンから事の顛末を聞いて、すぐにでも軍を動かそうとしたウォルハンドだが、ラディスにそれを止められて苛々しながら二人の帰りを待っている状態だった。
「あのイリアス族め!エリナ王女をどうするつもりだ」
「待てよ。ナナンの言った事聞いてなかったのか?エリナがリィンを連れて行ったんだぜ。なあ?」
「は、はい。そのように見えました」
胸の前で両手を組んで、今にも消え入りそうな声でナナンが答えた。ウォルハンドが殺気のこもった鋭い目で彼女を睨みつける。短い悲鳴をあげて、ナナンはラディスの背後へ隠れた。
「ナナン、この愚か者め。ただで済むと思うな」
「それを言うならお前もだろう、ウォルハンド。診療所で悠長に留守番をしていたのは誰だっけ?」
面白そうにラディスがからかう。
「そ、それは!エリナ王女のご命令があったからだ!誰が好きこのんで、お前の診療所の留守番などするものか!」
ふん、と鼻で笑うラディスに剣を突き出し、ウォルハンドが低くうなった。
「エリナ王女に何かあってみろ、その時はお前をここで有無を言わさず斬り倒す」
「やれよ」
ラディスが即答する。
「リィンはうちの優秀な護衛だ。そうだろうクレイ」
「はい。ラディス様のおっしゃる通りでございます」
「…その言葉、忘れるでないぞ」
クレイは内心ひやりとした。
本当に無事なら良いのだが…。
◇◇◇◆
薄暗い石畳の上でエリナがまた立ち止まった。
日は既に落ち、一番星が輝きはじめている。
「足が痛い。もう歩けないわ」
「もう少しで診療所なんだけどな」
リィンが振り返ってエリナを見る。
「もう歩けないって言っているでしょう」
エリナはその場で腕組みをして動かない。
「仕方ないなあ。ほら」
リィンがエリナの前でしゃがんで、背を向けた。
「い、いやよ。子供じゃあるまいし」
「僕の背じゃ君をだっこ出来ないし。おんぶするから、それで勘弁してくれよ」
エリナは膨れながら、リィンの背にしがみついた。
よいしょ、とリィンがエリナを背負って歩き出す。
「お、重くない?」
「全然」
エリナは顔を赤らめながら無言でリィンの背中に身を預ける。何て華奢な肩だろう。首も細く、どこにそんな力があるのか分からなかった。頼りないように見えるのに、安心する。
「僕、どうなっちゃうんだろ」
「何よ」
「だってウォルハンドはきっと怒ってるだろ」
怒りで顔を真っ赤にさせたウォルハンドの顔を思い浮かべて、エリナは笑い声をあげた。
「そうね。きっとかんかんに怒ってるわ」
「だよね」
リィンも笑顔で答える。
やっと診療所が見えてきた。玄関前に馬車が止まっている。暗くて見えないが、人が数人立っているようだ。
「エリナ様ぁー!」
ナナンが叫びながら走ってくる。近づくと、ウォルハンドの他にラディスとクレイがいるのも見えた。
エリナを背から降ろしているところへ、ウォルハンドが地響きのような声を上げた。
「イリアス族め!許さんぞ!」
「止めなさい、ウォルハンド。リィンは悪くないわ」
エリナがすかさず制し、途端にウォルハンドは困惑する。
「し、しかし」
「今日の事はお父様には内緒よ」
リィンはようやく緊張がほぐれ、ため息をついた。
ラディスがリィンの頭にぽんと手を置いてから通り過ぎ、エリナの前へ立つ。
「エリナ、今日は済まなかった。約束を忘れていたわけじゃないんだが」
エリナには勝気な表情が戻り、ラディスを見上げながら顎を傾ける。
「良いわ。キスで許してあげる。私は心が広いのよ」
ラディスは優しく微笑んで少女を見下ろす。
「ありがとうございます、お姫様」
彼は長身を折り曲げ、エリナの額にキスを落した。満足そうに微笑んで、少女は颯爽と踵を返す。その後に憤りを隠せないウォルハンドが続き、涙を拭いながら、ナナンが続いた。
筋金入りのお姫様は、何とも逞しい。
三人が馬車に乗り込み使い手が馬に鞭を入れ、ゆっくりと動き出した。ラディスとクレイ、リィンは去ってゆく馬車を無言で見送る。するとエリナが窓から顔を出し、大きな声で言った。
「リィン。今日は楽しかったわ!」
リィンはそれに手を振って答えた。
馬車が小さくなってゆき、リィンが手を降ろそうとした時、腕を鷲掴みにされた。ラディスがブレスレットを見つめている。ガタガタになったビーダの腕輪。
「あ…。ごめん、壊しちゃった」
「驚いたな。とんだバカ『力』だ。やはり、強度が問題だと思っていた。数回使用して簡単に壊れるようじゃ、まだ完璧とは言えんな」
それからぶつぶつと何事かを呟きながら、ラディスは部屋に戻っていく。
そうしてリィンの長い一日は終わった。