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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第二章
22/101

021:小さな逃避行

「な、何するんだ!」


両膝に手を当てて、ぜいぜいと息をする。エリナも胸に手を当てて呼吸を整えていた。あれからエリナはずっと全力で走り続け、見失うまいとリィンも必死に追いかけた。たくさんの通りを横切り、角を曲り、今は町のどこにいるのかさえも分からなくなってしまっていた。


「早く戻らないと…」


「だめよ!」


リィンのマントを掴み、エリナが見つめてくる。


「どうして。僕が君を誘拐した容疑をかけられてしまうだろう!?」


「ちょっと町を散歩するだけよ。良いでしょ。いつもナナンと一緒だから、たまには息抜きも必要なのよ」


エリナがきょろきょろと辺りを見やる。ここは小さな広場で、こじんまりとした噴水がちろちろと水を流している。広場の周りには規模は小さいが様々な商店が並んでいた。


エリナが、あ、と言って駆け出してしまう。


「エリナ」


リィンは困り果て、仕方なくエリナの後を追った。


「ねえ、これ買って。私これが食べたいわ」


パンケーキを売っている店の前で、エリナがリィンを振り返って言った。ここでは当たり前に食べられているおやつのようなもので、トッピングを様々なフルーツから選べ、買ってその場で食べられるようになっている甘いお菓子だ。リィンもニコルの荷物持ちで市場へ行った時に買ってもらって、二人でそれを食べながら歩いたりしている。


「一つ二十フィルだよ」


女性の店員がぶっきらぼうに告げた。

リィンは泣く泣く自分の少ない所持金を出して、一つ買った。エリナは奪い取るようにしてリィンの手からそれを持っていった。


「美味しい!」


嬉しそうに頬張るエリナ。


「それ食べた事ないの?」


「こんなの、皇族が食べるものじゃないって、皆言うわ。ずっと食べてみたかったの」


すぐ傍に石垣に囲まれた水路がある。ベンチに座ってエリナは遠くを見つめた。視線の先には若い恋人同士が、肩を寄り添い合うようにして会話を楽しんでいる。


「…私は二十歳になったら、結婚しなければならないのよ」


ベンチの横に立つリィンは驚いてエリナを見下ろす。

彼女の横顔は、怒っているように見えた。


「皇族の女性はね、政略結婚をしなくちゃいけないの。私もそう。見た事もないザイナスの大富豪の息子と、結婚するのがもう決まっているのよ」


「そんな…」


「馬っ鹿みたい!」


エリナは両足を前へ投げ出す。


「お父様は私の事なんか、何とも思っていないんだわ。兄様だけがいれば良いんだもの!お母様も、いっつもお父様の言いなり。私はそんなの絶対嫌よ!」


私は素敵な恋をして、大好きな人と結婚するんだから!


リィンは複雑な心境でいた。

恵まれていて、貧困を知らずに優雅に生きている少女。差別も知らず、苦労も知らない青い瞳。なのに、決して全てが満たされているわけではないのか。

きっと相手はリィンでなくても良かったのだろう。エリナは自分と近い年代の、皇族に関係のない人間に愚痴をこぼしたかったのだ。


「…エリナだったら大丈夫だよ。きっと出来る。だって可愛いだろ」


エリナは少し顔を赤くして、睨みつけてくる。


「当り前よ!」


こんな時でも勝気なエリナが少し可笑しくて、リィンは笑った。


「お前って不思議。イリアス族は野蛮で危ないって聞いていたけど。そのイリアス族なのに、不幸な顔をしてないのね」


「何だよそれ。野蛮だって言いふらしてんのはルキリアの政府じゃないか。そんなのでたらめだ。それにイリアス族がなんで不幸顔なの」


「だってそうでしょ?この世の中で一番不幸な種族だわ。自分の還るべき土地を持たずに生きている」


リィンはフード越しから真剣な表情で、エリナを真正面から見つめた。


「な、何よ」


「イリアス族は、気高い種族だ。今までどんな迫害にも屈しなかった。怒りにまかせて、この『力』を人を傷つける為に使ったりもしない」


「私だったら、使ってやるけど」


少し前までリィンもそう思っていた。でもそれは間違いだと気づいた。それで人を傷つけても、心は晴れなかったからだ。


「人が幸か不幸かなんて、還る土地があるかどうかとか、そんなもので決まらない」


「…分からないわ。どう見ても不幸よ」


「幸せかどうかは、その人の心の強さで決まる。だって心が強かったら、どんな事が起きても負けずに立ち向かえる。どんな些細な事にでも感謝できるようになる。心が強かったら、きっと環境だって変えていけるんだ」


ラディスを見ていると、そう思える。

どんなに辛い境遇だろうと、心が折れなければ、それは乗り越えるべき壁になり人生の糧となる。

強ければ、周りの大事な人達も守っていける。


そしてそうなる為に、僕はもっと強くなりたい。


じっとエリナを見つめていると、彼女の頬が少しずつ赤く染まってゆくように見えた。


「どうしたの」


リィンが声をかけると、エリナはそっぽを向いた。


太陽が傾き、朱に色づいている。本当にもうそろそろ帰りの道を見つけなくては。

エリナを促して歩き始めた時だった。


「へえ。珍しいもん見つけちまったなあ」


目の前に、二人の若者が立ちはだかる。ごてごてとした鎖を腰に巻きつけた奇抜な格好をして、耳や鼻にぎらぎらとピアスをつけていた。

気配を探ると、後ろには三人。ゆっくりとリィン達を囲むように近づいてくる。


「おいおい、これってえ、貴族じゃねえ?」


相手が馬鹿で良かった。どうやら皇族だとは気付いていないらしい。

若者の一人が口笛を鳴らし楽しげに言った。


「誘拐とかしちゃったらさ、金稼げるんじゃねえの」


エリナが臆する事なく、両手を腰に当て、つり目の瞳を更に釣り上げて言い放った。


「無礼者!下がりなさい!」


凛とした声が響く。


「何だこいつ。自分の置かれてる状況、わかってんの?」


若者が、示し合わせたように短剣を光らせた。一人は長剣を持っている。エリナはその鋭い光を見て、後ずさった。


「わ、私を傷つけたら、大変な事になるわよ!」


一斉にげらげらと若者達が笑い声をあげた。


「やってみろよ、ガキ二人に何ができるっていうんだ」


エリナの肩が震えている。

リィンはその肩を力強く引き寄せて、囁く。


「大丈夫だ。君は僕が守る。ラディスの大事な友人だから」


エリナが怯えながらリィンのマントを掴む。リィンはゆっくりとフードをとった。五人の若者はリィンの姿を見て、一瞬たじろぐ。


「何でこんなとこにイリアス族がいんだよ!」


「化け物じゃねえか」


「こっちは五人で相手はガキだぜ!やっちまえ!」


長剣を持った一人がリィンに向かって走り出した。その相手を睨みつけると、瞳が一瞬で深紅に燃え上がる。リィンは『力』を発動させた。

…はずだった。


「あれ、『力』が出ない」


「どういう事よ!」


素早くリィンは剣を抜き相手の剣を受け止め、そのまま力任せに弾き返した。ガキン、と鈍い金属音が響く。何と一撃で相手の剣が折れてしまった。腕も悪いが、剣も相当の粗悪品だったようだ。


「畜生!」


若者達がどよめく。


「リィン、『力』が出ないってどういう事!?」


小声で詰め寄るエリナ。リィンは右腕に嵌められているブレスレットの存在を、やっと思い出した。


見ると少し亀裂が入っている。そのせいか、中央の窪みをいくら強く押しても外れる気配がない。


「…歪んでブレスレットがとれない。これ外さないと、『力』が使えないんだ」


「ちょっと!どうするのよ!」


若者二人が奇声を発しながらリィンに向かって駆け出してくる。

リィンはエリナを背後に隠し、もう一度、強く念じた。


≪吹き飛べ!≫


二人の動きがぴたりと止まった。ブレスレットに亀裂が入ったせいで、『力』が戻りはじめている。


「く、くそお」


「身体が動かねえ!何だこれは!」


横から別の一人が斬り込んで来た。リィンは目の前の二人に『力』を発動させたまま、剣を振るってその一人をなぎ倒す。


「ぎゃあああ」


大きな声をあげて転がった。リィンは一瞬、怯む。


斬った。人を。


ただ、深手ではないはずだ。

刃先に血が付着している。エリナがリィンの背にぴったりと寄り添う。リィンの全身に不安が駆け巡った。

相手の腕が弱すぎる為に、習いたての剣では加減ができず深く傷つけてしまう可能性がある。やはりここは使い慣れた『力』の方が良い。

リィンがまた深く意思を込める。漆黒のブレスレットがピシッと高い音を立て、それと同時に目の前の二人が、大きく後ろへ吹き飛ばされた。『力』が完全に戻ったようだ。

そのイリアスの『力』の威力を、間近に見た他の若者達は戦意を喪失し悪態をつきながらその場から逃げ出して行った。


ため息をつき、リィンが呟く。


「帰り道を探さなきゃ」


エリナは素直に頷いた。

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