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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第二章
18/101

017:毒と薬と

診療所の一番近くにある一軒家に立ち寄る。そこには広い小屋があり、馬が四頭薄暗い小屋の中で出番を待っていた。その小屋のすぐ前に椅子に座って本を読んでいる老人が、ちらりとクレイを見やる。


「馬を二頭お借りします」


クレイは老人に声をかけて、硬貨を差し出す。

老人は無言で手の平を突き出し、クレイから金を受け取った。立派な白ひげと白い眉毛に覆われており、老犬を連想させる風貌だ。


「奥の二頭だ」


それだけ言ってまた本に視線を落とす。それから盗み見るように、リィンを見上げた。リィンは気付かないふりでクレイの後についてゆき、馬の前に立つ。

美しい毛並みの、立派な馬。とても落ち着いていて良く慣れてもいるようだ。


「きれいだ…」


思わず感嘆する。


「良く僕にも貸してくれたね」


荷物を固定し、馬の首筋をなでる。

きっとイリアス族だと分かったはずだ。フードをかぶってはいるが、完全に隠せるわけではない。あの老人は見上げるようにリィンを見ていたので、この白い肌に気づいたはずである。


「そうですね、あの方には種族なんて関係ないのでしょう。馬に対する敬意があるかどうかで判断しているのでは、と思いますよ」


なるほど、人は色んな物差しを持っているらしい。

何を基準に判断を下すのか。それは、人それぞれであるはずなのだ。リィンは思う。


その判断でさえ他人任せにしている人間の、何と多い事だろう。そして僕は何を基準に、判断をしているのだろう。何が善か、誰が悪なのか…。


「さあ、急がないと日が暮れてしまいますよ」


ベイルナグルの町に点在する宿屋や集会所を回り、薬を届けてゆく。鞄の中に入っていたのは、小さな瓶に密閉された薄緑の液体状の薬品だった。全て同じもので、各所に数本渡してゆく。リィンは不思議に思い、クレイに尋ねた。


「これ、どれも同じものだね。何の薬なの?」


「イグルの毒を中和する特効薬です」


「これがそうなの!?」


「ええ」


異形の化け物イグルは肉食の野獣に近い個体であり、動物のみならず人間をも襲う天敵である。しかも猛毒を有しており、傷を受けただけで体内に毒が回り、一晩のうちに必ずイグル化をして化け物へと変貌してしまうのだ。その為イグルに襲われた生物は、そのイグルの毒を上回る強毒性の注射を打たれ、命を絶つ。従来はこの方法以外に傷を受けた者を救う手立てはなかった。

それがこの特効薬の開発により、イグルに傷を受けても、すぐに処方しさえすればイグルの毒を中和して、イグル化せずに一命を取り留めることができるようになったのだ。画期的な開発である。


「この薬は、ルキリア国一帯にどこでも自生しているアグデント草から作られています」


「あの青い花をつける?」


「ええ」


「本当にどこにでもある草じゃないか」


「そうです。しかしこの特効薬を作るには、その他の多くの薬品と化合物を、厳正で的確な割合で調合しなければならないのです。その割合を、多くの学者や医師達が研究に研究を重ねて、やっと導き出したのです。広大な砂漠の中にいて、たった一粒の特別な砂粒を見つけるような、奇跡なのです」


「…すごい」


「この特効薬は薬学のエキスパートであるレーヌの研究員と、ルキリアの医師による共同研究によって八年前に開発されました。今現在でも、この薬の調合は難関中の難関で、世界でも数名にしか作り出す事ができないものなのです」


それはリィンもいつだったか聞いた事があった。元々レーヌ国は小さな島国であるが、その薬学たるや世界一を誇り、ルキリア国をはじめザイナスやロガートからも一目置かれる技術力である。そしてこの世界で医師という職業に就くには、レーヌ国から認められ、契約を交わさなくてはならない。薬品の多くがレーヌ産である。


「ラディス様はその数少ない、特効薬を精製できる方なのです。ルキリア国ではたった一人のお医者様です」


リィンは唖然とするが、クレイは誇らしげな表情で続ける。


「ラディス様は現在、その特効薬の更なる開発に取り組んでおいでです。今はイグルに傷を受けてから三十分以内に処方しないと効果が出ませんが、将来はもっと有力な特効薬が出来る事でしょう。

 エンポリオさんのいらっしゃる製薬会社で、学者達と日夜研究に励んでおられます」


「…ラディスって天才か何かかな」


唖然としたまま呟く。クレイは苦笑して答えた。


「いいえ。あの方はとてつもない努力の塊のような方ですよ。しかし一つ言えるのは、あの方の嗅覚は人のそれを超えているようなところがありますね」


「嗅覚?」


「ええ。診療の時も、患者の体臭、臭いの微妙なズレや分泌物の割合によって病気を割り出す事があります。…それに、お茶に混ざる毒の匂いも瞬時に嗅ぎ分けられるのです」


「…どういう事?」


「ラディス様のお命を狙う輩には、毒を盛って亡きものにしようと企てる者もおりました。ことごとく失敗に終わりましたが…。

 着きましたよ。ここが最後です」


目の前に大きな四角い建物。立派な病院である。ラディスの家の三倍くらいはありそうだ。たくさんの窓があり、西日に照らされている。

馬を繋いで荷物を持ち、受付の女性にクレイが声をかける。すると女性は立ち上がり、広い廊下を歩き奥の部屋へと案内した。


「ロンバート先生、クレイさんがお見えです」


「おう」


女性は一礼をして引き返していった。クレイが扉を開いて中に入る。リィンにも入るように目で合図した。


「すまんなクレイ、そこに置いといてくれ」


「お久しぶりです。ロンバート先生」


書斎のような部屋で、植木鉢に水をやる男性がいる。

彼はこちらを見ずに片手をひらひらとさせた。初老で少し腹が出ており、よれよれのブラウスにだぶだぶのズボン。足元はつっかけのようなサンダル履きだ。ラディスに輪をかけたような、だらしない格好。

クレイがリィンに指示を出し、薬品棚の所定の位置に数十本の特効薬を並べてゆく。


「おや、新顔かい」


振り向くとロンバートがリィンを面白そうに見つめていた。少し頬が赤く、人の良さそうな顔をしている。


「リィン、フードをとってご挨拶を。ロンバート先生は、この大病院の院長であられる方です」


リィンがおもむろにフードを外した。ロンバートは息を飲む。


「リィンと申します」


初老の医師はよろよろと二、三歩後ずさりをして、机に片手をついてから大きな笑い声をあげた。


「あっはっはっはっは。…こりゃ失礼。リィンだね、私はロンバートだ。老いぼれ医者さ」


まだ笑っている。リィンには何がそんなに可笑しいのか訳が分らない。


「こりゃあ、またこの町のお偉方に何を言われるか分からんぞ。クレイ、お前んとこの先生には全く、驚かされるばかりだな!」


◇◇◇◆


帰りの道すがら、クレイが説明をしてくれた。ロンバートという医師は、ラディスの診療所と提携をしている病院の院長であり、ラディスの革新的な診療システムに賛同を示してくれている一人なのだ。

旧体制に異を唱えるラディスのやり方は、今までの概念を根底から覆すものだ。医学会や聖職者からも反感を買っている。


「しかしラディス様が今まで無事でいられたのには理由があるのです。先程お話した特効薬を精製できるのも、この国ではラディス様だけなのですから」


なるほど、だからこそ殺したい程憎んでいる存在ではあるが、そう簡単には手を下せないでいるわけだ。きっと悔しいに違いない。せめてこの国から出て行って欲しいと思って嫌がらせをするのだろう。もちろん、そんなものに屈する彼ではない。リィンはあらためてラディスの抜け目のなさに感服した。


馬を小屋へ返し、夕闇が迫る石畳の道を歩いてゆく。先を歩くクレイの足が止まった。


「…リィン。あなたに言っておかなければならない事があります」


ゆっくりと振り返る。緑がかった彼の髪が、風で揺れた。感情を映さない深緑の瞳が、真っ直ぐにリィンを見つめている。


「嫉妬に狂った人々の中には、前後を考えずにラディス様のお命を奪おうとする者がいます。ルキリア皇族のトワ元王妃もその一人です。それに、医師を兼業しているルーベン司教。彼らこそ気をつけねばなりません。ラディス様の護衛としてあなたは知っておかねば」


リィンは顎を引き頷いた。より一層厳しい表情になり、クレイが質問する。


「人を斬った経験はありますか?」


「…まだ、ない」


人を刺した事ならある。過去にラディスを手にかけた嫌な感触が蘇った。それに『力』を人に向けて使う事さえ、今まででは稀な事であった。リィンは事の重大さに気づき、両手を握り締める。


そういう事か。


「…ラディス様の剣を見た事はありますか?あれは特注品の特別な剣なのです」


「え?」


あるにはある。以前に戦った時だ。でもあの時はそんな余裕はなかった。ラディスは鬼のように強い。それこそ護衛なんていらないのではと思う程だ。

しかし次にクレイから聞かされた事実に、リィンは自分の耳を疑った。


「あの剣で人は斬れません。そのように出来ているのです。怪我を負わせる事は出来ても、それは打撲程度でしょう」


「…そ、そんな!」


「ラディス様は剣の達人です。ですが決して、人を斬るなんていう真似はしない。あれはあくまで、悪い連中を寄せ付けない為のパフォーマンスであり飾りのようなものなのです」


静かに瞳を閉じて、続ける。


「私はラディス様から剣を教わりました。そしてラディス様の護衛としてお傍に仕えようとしましたが、それを許していただけなかった…」


クレイは痛みをこらえるように眉間にしわを寄せた。


「私には人が斬れないと。そんな事をしてはならないとおっしゃるのです」


リィンは喉がひりひりと干上がってゆくのを感じた。背筋に汗が伝う。


では僕に、人が斬れるのか?

ラディスを護る為にはそれが不可欠なのではないか?


「ラディス様は護衛としてあなたを雇いましたが、それは形だけです。イリアス族を雇うには、周囲の納得がいくように≪護衛≫と言った方が良かったからにすぎません。

 …ラディス様は最初から、あなたに護衛としての仕事をさせようとは思っておられないのです」


リィンは言葉を失った。


「あの方は優しすぎるのです。そして強すぎる。だからこそ、私は心配でたまらない」


クレイが思いつめたような眼差しを向ける。


「私は、あなたに本当の護衛として、ラディス様に仕えていただきたいと願っているのです」


空気が凍りついて時が止まる。


「ぼ、僕は…」


クレイが静かにリィンの言葉の先を待つが、沈黙が辺りを包んだ。どうしても次の言葉が出てこない。


「…すみません。差し出がましい事を言ってしまいました。忘れてください」


背を向けて歩き出す。遠く診療所が見えた。薄暗い森を背に無言で佇む建物。二階の書斎に灯が入っているのが見える。そこでラディスが今も仕事をしているのだろう。リィンは石畳の道の上で、動けずにいた。遠くなっていくクレイの背中。脳裏にラディスの美しい寝顔が浮かんだ。胸の烙印。なんて強い。


僕は、彼を護れるのだろうか…。





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