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紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第二章
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015:青い瞳の真実

ラディスを身篭った事を知った彼女は、すぐに仕事を辞め宮殿を後にした。

前国王と一従者との間に何があったのかは分からないが、この事を知っていたのは当事者のグランハートと側近の数名のみであった。ラディスの母は彼をたった一人で産み育てる覚悟で、ひっそりと姿を消したのだ。

しかし前国王はその彼女の消息を探し続け、やがて辺鄙な田舎村で二人を探し当てた。産まれて来た子が、皮肉にもルキリア皇族の正統な血族である証の≪黄金の青い目≫を持っていたのだ。噂は濁流の如く乱暴で急速に広がり、宮殿内部の知る事となった。

中枢部にいる人間達から、前代未聞の不祥事ではあるが、前国王と王妃の間に子が授からなかった事もあり、後継ぎにしてはどうかという意見も出た。しかし王妃はそれを頑なに拒絶し、憎悪と憤怒の矛先をラディスとその母に向けたのだった。


ある満月の晩、赤ん坊だったラディスは母の手から強引に拉致された。幼い柔肌に地獄の痛みを伴う奴隷の証である焼印を刻みつけられ、イリアス族が収容されていた強制労働施設に放り込まれた。それは事実上の死を意味する行為であった。

ラディスの母は失意の中で心痛を募らせ、孤独のまま息を引き取る。自らが招いた悲劇に打ちのめされた前国王は、王妃の行った非道な行いを諌められずにいた。


それから八年後、グランハート前国王はイリアス族の解放を宣言し、病に倒れた。


貴族達の間では、前国王の急逝は暗殺によるものであり、その黒幕が王妃であったと、まことしやかに囁かれている。いずれにせよ真実は闇の中で、次に国王に即位したのがグランハート前国王の実弟、カイエリオスであった。


クレイは険しい表情のまま、最後に呟いた。


「今でもなお、前王妃はラディス様のお命を狙っているのです」


アルスレインとエリナは夕闇が迫る頃、馬車で診療所を去っていった。

それからラディスは簡単に食事を済ませてから、往診に出掛けた。腰に剣を差し鞣革の大きな鞄を下げ、足元は強度の高い編み上げ靴という、一見医師には見えないような格好である。リィンも連れていってくれるよう頼んだが、今夜は治安の悪い地区へ出向くのでだめだと断られた。尚更ついて行きたかったのだが、仕方なくその背中を見送った。


食器を片付け洗濯物を畳み、風呂に入っている間中もリィンはずっと難しい表情で考え込んでいた。


あの胸の烙印、それにシルヴィとティルガを知っていた事にも合点がいく。きっとラディスはイリアス族が収容されていた施設で、イリアス族によって命を救われ、育てられたのだ。彼はその後の奴隷解放宣言によりイリアス族の人々と共に、自由の身となった。それからは元王妃から身を隠しながら医師になり、この帝都ベイルナグルに戻ってきたのだろう。


しかし…。


それ程簡単に、割り切れるものではなかった。


リィンはラディスの残り香のするベッドの上で、眠れずに何度も寝返りを打った。

ラディスの生い立ちを知り、今までの人生を想像しただけで苦しさに胸が張り裂けそうになる。


イリアス族に囲まれて育った彼は、自分が白い肌と紅い瞳を持っておらず、世間で皇族と呼ばれている人々と同じ瞳をしている事に、きっと疑問を持っていたに違いない。本当の事を知った時、何をどう思ったのだろう。そして当時も国王として覇権を手中に収めながら、その息子には何一つ救いの手を差し伸べなかった父を、憎みはしなかったのだろうか。

それに、この事をラディス自身が隠そうとはしていない、とクレイは言った。

リィンには何故、彼がそれ程に強くいられるのか分からない。今日の昼間の事を思い出す。アルスレインとエリナと、親しげに話していたラディスからは怨念や復讐といった暗い印象は欠片もなかった。そればかりかまるで二人の兄のように接していた。

母親から引き離され、自らも奴隷として生きなければならなかった過去を既に乗り越えていて、ずっと先を見ているようだ。


自分だったら、きっとそんな事は出来ない。


ラディスの言葉が胸に響いてくる。


復讐なんて愚かな考えは捨てろ。そんな事をして何になる。例え奇跡が起こってお前がルキリア国王を斬れたとして、誰が幸せになるっていうんだ。


どんなに辛くても、逃げずに生きろ。


彼は、望まれてこの世に生を受けたわけではなかった。この世界で唯一、彼の存在を手放しで祝福してくれた母は、儚く消えた。彼はきっとその面影さえ覚えていないだろう。


リィンはシーツを頭からかぶった。自分の行いを恥じずにはいられなかった。胸がずきずきと痛んで、息が苦しい。自分は何も知らなかった。自分だけが辛い思いをして、痛めつけられているとでも思っていた。

母のシルヴィやゼストに守られていたのに、そのお陰で今こうしていられるのに、何を嘆く事があるのか。


目を閉じて、今ではおぼろげにしか思い出せない母の顔を思い浮かべた。


「かあさま…」


扉の開く音。

リィンは反射的に身体を起こしていた。


「まだ起きていたのか」


ラディスが呑気な声をかけてきた。ブラウスの前がはだけていて、胸の烙印が見える。風呂上がりのようで髪が濡れていて、ばさばさと無造作に布で滴を拭う。そんなどうでも良い仕草でも、絵になってしまうのだ。その彼には到底普通では背負いきれない程の、重く残酷な過去がある。リィンは言葉の発音の仕方を忘れてしまったように、ぼんやりと口を薄く開いたまま、ラディスを見つめていた。


「何だその顔は」


ラディスは薄暗い部屋の中で笑った。既に夜が明け始めているようだ。呆けているリィンには構わずに、ベッドに入ってくる。


「寝てないの?」


驚いてリィンは聞いた。もう朝まで二時間程しかないだろう。


「ああ。緊急の手術が入ってな。もうへとへとだ」


とても話を聞ける状態ではない。リィンも大人しくベッドにもぐり込んだ。それでも何か言葉を交わしたいと思い、彼の名を呼んだ。


「ラディス」


「ん」


面倒臭そうな返事が返ってくる。


「あんたってすごいや」


「…当り前の事を言うな」


「僕も、あんたみたいになれる?」


「無理だ」


即答されてリィンは思わず身体を起こし、眠ろうと目を閉じているラディスの顔をのぞき込んだ。


「何で!」


ラディスは目を閉じたまま、鬱陶しそうな表情で寝がえりをうち、リィンに背を向けた。


「ラディス、ねえ」


少し寂しくなり、なおもリィンは彼に話しかける。もっと話したい。もっと声を聞きたい。


「ねえってば」


もう一度ラディスは寝返りをうってリィンに向き直りながら、自分の方へ引き寄せるようにして、リィンをベッドへ無理矢理に沈めた。


「うわっ」


「今すぐ寝ないと襲うぞ」


すぐ目の前にラディスの顔がある。彼の息が顔にかかった。青い瞳がじっと睨みつけている。リィンは顔に全身の血液が集中してゆくのを感じながら、身体を硬直させて固く目をつぶった。


「ね、寝る!今すぐ!」


「…寝たか」


「うん、寝たっ」


「…よし」


すぐに彼の静かな寝息が聞こえてきた。

リィンは自分の破裂しそうな心臓の音を聞きながら、おそるおそる目を開く。ラディスの寝顔が目の前にあった。

長めのまつ毛に形の良い鼻筋、薄い唇。薄茶色の髪は乱れて顔に少しかかっている。彼の腕はリィンの背中に回ったままで、リィンはどうして良いか分からずまた目を閉じた。急に自分が薄着であった事を思い出して、一人でまた赤面する。

上はブラウスを着ているが、いつも巻きつけている布はなかった。身体に悪いと言われてから、寝る時には布を外して寝るようにしているからだ。その上、下は下着しか身につけていない。以前は警戒して昼間の格好そのままで寝ていたが、ラディスが何かをするような事は、当然なかった。そればかりか全くリィンの事など気にしていないのだ。自分だけがびくびくして気にしているのが馬鹿らしくなってからは、もうずっとこの格好だった。


こんな状態で寝られるわけないじゃないか。でも今動いたら、ラディスを起こしてしまうかも知れない。


リィンはこの状況をどうするか思案している内に、眠りに落ちていった。


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