表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い月 青の太陽  作者: 茂治
第一章
12/101

011:生きる意味

真夜中、リィンは真っ暗な部屋の中でその瞳を開けた。案の定隣にラディスはいない。まだ書斎で仕事をしているのだろう。この時間ならクレイとニコルも寝室で寝入っている。数日間同じ屋根の下で暮らして、リィンは個々の動きをしっかりと熟知していた。シーツを剥ぐとすでに身支度が整えられており、ベッドの下に置いてある剣を取り出した。それをベルトに差し、フードの付いたマントを羽織る。音を立てないように部屋を横切り窓を開けた。外は月明かりが落ち、室内よりは幾分明るい。窓枠に手をかけ身を乗り出し、ひらりと飛び降りた。この窓の下には、背の低い緑が生えていて芝生になっているのも確認済みである。飛び降りたリィンの目の前に黒い森が広がっていて、わずかに虫の音が響く。見上げるとやはり書斎からは光が洩れているが、人が動く気配はない。そのまま息を殺して表に回り、町へと続く石畳の上を走りだした。


町の中心部に近づくにつれて民家は多くなってくるがどこにも人の気配はない。真夜中のベイルナグルの町並みは、昼間のそれと全く別のものであるかのように静まり返っている。町の中心である大きな広場に辿りついて、やっと足を止めた。広場の中央には噴水があり、その縁に手をついて荒い息を整える。

この円形の広場から放射線上に幾筋も道が伸びて、ベイルナグルの町が形成されている。ラディスの診療所は町はずれの北東に位置し、この広場から西へ伸びる道がニコルと歩いた市場や商店が並ぶ通りだ。そして南へ続く道の一本に、一番広く造られていて、敷石も他のものと比べると上等なものを使用している道がある。この道こそが、ルキリア国王と皇族の住む宮殿へと続いている道である。遠くに高い石垣が見える。暗くて分からないが、出入り口には門番が立っているはずだ。リィンはその宮殿を睨みつけゆっくりと歩き出した。


ゼスト…。僕はこの憎しみを捨てられそうもない。

ごめん。


一歩ずつ踏みしめながら静かに考えていた。


きっと僕が死んでも、母様やゼストと同じところへは行けないだろう。


でも、こうする他ないんだ…。


前へ進んでゆくにつれ、悲壮な決意が固まってゆく。


「こんな夜中に何をしようってんだか」


低い声が響く。リィンは素早く剣に手を添えて体勢を低く構えた。聞き覚えのある声。何故ここにいるのか。脇の道から長い影が現れ、行く手に立ちはだかる。右手に銀色に光る剣。


「どうやって僕の先を越した。そこをどけ。ラディス」


「俺の目の前で、命を捨てにいく奴を野放しにしておけるか」


それを聞いて瞬間動揺したが、剣を抜いてラディスと対峙する。


「『力』も使えないイリアスが、たった一人であそこへ乗り込んで何になる。お前ほどの剣では門番の一人も倒せないだろうさ」


「…お前には関係ない」


「復讐なんて愚かな考えは捨てろ。そんな事をして何になる。例え奇跡が起こってお前がルキリア国王を斬れたとして、誰が幸せになるっていうんだ」


「うるさい!僕は許さない!イリアス族の苦しみを少しでも味わわせてやるんだ!」


「阿呆かお前は」


「何だと!」


黒い空には黄色い半月が昇っている。無数の星が瞬いて、地上で生活する人々とは無関係な旋律を奏でる。辺りは青白い月明かりに包まれて物音ひとつ聞こえない。ラディスの落ち着いた低い声が響く。


「国王を殺したければ殺せよ。だがな、その後はどうするつもりだ?誰が国を動かす?ザイナスとロガートとどう対等に外交するんだ。誰がそれをやっていくんだ。イリアス族への偏見はどうやって変えていく?否、変わらないだろうな」


じりじりと間合いを詰めようとするが、踏み込めずにいる。話をしながらでもラディスには全く隙がないからだ。


「そんな事、僕には関係ない」


「だから阿呆だっていうんだ。それでお前は満足か?ならば単なる自己満足だ」


「な…」


ラディスの言葉が、容赦なくリィンの胸に突き刺さる。


「偉そうにイリアスの名を語るな。お前一人のちっぽけな問題に罪もない人々を巻き込むな」


「お前に、お前に何が分かる!僕の苦しみの、何が分かるっていうんだ!」


やり場のない怒りと憤りに、肩を震わせて叫んだ。ラディスは非情な程冷静で、瞳は冷たくリィンを見おろしている。


「…それでもその愚行を犯そうっていうんなら、俺が相手になろう。俺に髪の毛一本も触れられないだろうがな」


「馬鹿にするな!」


リィンは勢いよく斬りかかった。ぎりぎりのところでラディスが横にかわす。その彼の動きに瞬時に反応し、振り向きざまに剣を振りかぶるが剣先で弾かれる。キィン、と高い金属音が夜空に響いた。弾かれた勢いのまま、下方から振り上げるようにしてラディスを狙うが、それもかわされる。咄嗟に体勢を立て直そうとしたところへ、ラディスの蹴りがまともに脇腹に食い込んだ。


「ぐっ」


よろめいたところへ手加減なく剣が振り落とされる。がくん、と身体が沈んだ。何とか受け止めたが、その力の差は歴然だ。ラディスが腕を返し、リィンの剣を弾き飛ばす。カラカラと石畳の上を剣が滑ってゆく。リィンは急いでその剣を掴み、ラディスを睨みつける。彼は冷たい表情のまま言い捨てた。


「どうした、もう終わりか?」


ぎりりと歯を食いしばり、もう一度斬りかかった。ラディスは右腕一本でリィンと闘っていたが、大人と子供程も差があるかのように、リィンにはまるで歯が立たない。何度斬りかかろうと、かすることさえできず蹴られ転がされて、剣を弾き落とされる。リィンは汗と泥にまみれ、かすり傷を数多に作り、ふらつきながら、また剣を構えた。ラディスは息一つ乱れずに無表情のままリィンを見据えている。

その瞳は鋭く、彫像のような美しさは残酷な冷たさを帯びている。医師である時とは全く違う雰囲気をまとっており、その迫力だけで気押されそうになってしまう。

そんな戦いの最中だというのに、リィンの脳裏には自分がまだ幼かった頃の、何の不安も抱かずに過ごしていた頃の記憶が、次々とよぎってゆく。


母様は料理がへたっぴだったけど、ライサに教えてもらいながらよくクッキーを焼いてくれた。鼻の頭を白くして、楽しそうに笑って…。ライサの作るそれよりもとびきり甘かったけど、嫌いじゃなかった。

ライサが針仕事をしている隣で、いつも絵を描いたりして遊んでいた。うまく描けた絵を得意げにライサに見せるとにっこりと笑って、リィンは絵が上手だねえ、と言って褒めてくれた。


何も、たくさんのものを欲しいなんて思ってなかった。何もいらなかった。

その穏やかな日々が続くだけで幸せだったんだ。大好きだった。僕の家族。


なのに、なのに…!


リィンは悔しさに目を潤ませながら、全魂の力を込めて斬り込んだ。ラディスが表情を変えずに迎え撃つ。

ガギン、と鈍い音がしてリィンの剣が真っ二つに折れ、その衝撃に耐え切れず倒れ込んだ。両手にしびれが走り、身体を海老のように丸めてその痛みに耐える。あえぐように肩で息をし、もう立ち上がる体力さえ残っていない。震える唇から、絞り出すような苦しい呟きを吐き出す。


「…ど…うして」


僕は敵を取る事も出来ないのか。


「…お前にはまだやるべき事があるはずだ」


「ない。…そんなの、ない。僕には、何もない…」


夜中にリィンが眠れずに一人で泣いていると、すぐにゼストが気づいて背中をさすってくれた。

母様の、あの子守唄を歌ってくれた。けれどゼストは母様みたいに歌がうまくなくて、少し音程を外して歌うから、いつの間にか涙は収まって、二人でくすくすと笑い合った。


そのゼストも、今はもういない。

自分を支えてくれていた人は一人として、この世にはいない。その大好きな人達にはもう会えない。

自分は、何も返せないまま…。


ラディスがゆっくりとリィンの傍にひざまづき、静かに語りかける。


「いいや、ある。良く考えろ。ゼストはお前に人として生き、人を憎まず傷つけるなと言ったんだ。それがどれだけ難しく、そして誇り高い生き方か。それこそがイリアス族の生き方だろう」


リィンは小さく丸まったまま、泣いていた。

誇り高きイリアスの民。どうしてこの男がそれを言うのか。どうして自分はこんなにも弱く無力なのか。

つかえていた感情が一気に溢れ出し、涙が次々とこぼれてゆく。


「でも、ここにはいられない。僕はここにいちゃけないんだ。僕がいたら皆に迷惑が、かかるから。ゼストは死んじゃったから、僕は、僕はもう…」


この世界でたった一人。


誰にも必要とされず、嫌われたまま生きていくなんて…。


それならば死んだ方がましだと思えた。


不安で仕方なかった。心がいつも震えているようだった。イリアス族の生き残りとして、たった一人で生きていけるか分からなかった。教えてくれる人はもういない。甘すぎるクッキーを焼いてくれる人も、背中をさすってくれる人も、もういないのだ。


黙って聞いていたラディスの手が伸び、優しくリィンの頭を包む。


「…どんなに辛くても、逃げずに生きろ。お前の父と母と、ゼストが守り続けてきた命だ」


ラディスの低く澄んだ声が響く。意志のある、優しくて力強い声。


「お前は他の何にも代えがたいものを、既に持っているんだ。世界で一つしかないものだ。

 

 お前の中で鼓動している、それは大事な命だ」


リィンは声を上げて泣き出した。まるで子供のように、顔を腕で覆い泣いている。

ラディスはリィンを軽々と抱き上げた。


「さて、帰るか」


そこへ背後から、人が駆け寄る物音が近付く。


「待て。お前達、ここで何をしている!」


振り返ると武装をしたルキリア帝国軍の軍人が仁王立ちしてラディスを睨みつけている。どうやら宮殿を守る門番の一人らしい。軍人はラディスの顔を見て驚く。


「ラディス殿、一体こんな時間にこのような場所で何をなさっておいでですか!」


ラディスは片腕で抱きかかえたままのリィンに、ちらりと目をやり答える。


「癇癪もちの患者でね、たまにあるんだよ。突然暴れ出したりな。今はもうだいぶ落ち着いたんで、入院施設のある診療所へ搬送するところだ」


リィンはラディスの肩にしがみつく様にして、わんわん泣いている。軍人は複雑な表情を浮かべ、関わらない方が良いと感じたのか、ラディスに一礼をしてすぐに去っていった。


月に照らされた石畳の上を歩き出す。ラディスは何も話さずリィンを泣かせるままにしている。ミントハーブの匂いが優しくリィンを包み、そのうちに泣き疲れて眠ってしまった。


◇◇◇◆


診療所まで帰ってくると、玄関に灯が入っているのが見えた。戸口にクレイとニコルが立っている。


「ラディス様」


「リィン!」


二人が同時にそれぞれの名を口にした。


「珍しいな。起きていたのか」


「いいえ、ちょうどあたしがトイレに起きたらね、外を誰かが走ってく音が聞こえたもんだから。見たらリィンじゃないの。先生を呼びに書斎に行ったら先生までいないんだもの!慌ててクレイを起こして、ずっと待ってたのよ」


そこまで話してから、ラディスに抱えられているリィンが傷だらけなのを見て、ニコルはラディスを睨みつけた。


「ちょっと先生、何もこんなにしなくっても!かわいそうじゃないの!」


「やっと寝入ったところだ。起こさないでくれよ、面倒だからな」


ニコルは腰に両手を当てて、憮然としたままラディスを見上げる。


「何があったかは知りませんけどね、リィンは先生ほど頑丈に出来ていないんですからね!まったく、何て乱暴なんでしょ」


ラディスは困った顔をしながらニコルを見下ろした。


「必死の人間を止めるにはこうする他なかったんだよ。悪かった」


それからクレイに向けて呟く。


「すっかりニコルを味方につけやがって」


クレイは苦笑し、そのようですね、と呟き返した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ