099:≪番外編≫紡ぎ出す、運命
「まだ少し…早かったか」
ラディスは息を切らし、抱えているリィンごとベッドに倒れ込んだ。
「だから自分で歩くって言ったのに。あんた、まだ完全に良くなってないんだからさ…」
リィンは呆れてため息をつく。彼はあの酒場からリィンを抱えてこの診療所へと歩いて帰った。何度も下ろしてくれと言ったのに結局聞いてもらえず、ラディスは意地になって自分を抱えているみたいだった。そんな彼は、いつも冷静で飄々としている彼らしくない。どこか子供じみている。
「変なラディス」
寝そべったまま寝室の天井に向かって小さく呟いた。隣にいるラディスはうつ伏せで、顔だけをリィンに向けてふん、と鼻を鳴らす。
「そう言うな。大事な女も抱えられないんじゃ、情けないだろう」
どきりとする。リィンは複雑な心境になり無言で身体を起こした。またずきりと胸が痛む。
ネルティエのあの涙は、ラディスを想う心そのものだ。
「リィン。余計な事を考えるんじゃないぞ」
「余計じゃ、ないよ…」
確かに自分にはどうする事も出来ない問題だ。しかし考えずにはいられない。
人が人を愛おしいと思う事は素敵だ。だけどそれがいつだって通じ合うとは限らない…。
リィンは俯いて、はあ、と息を吐き出した。
僕はいつの間に、こんなに我がままになってしまったんだろうか。
以前の自分ならば、ラディスの傍にいられるだけで良いと思っていた。彼が自分以外の誰かを好きでいても護衛として傍にいられるなら、それだけで満足出来た。たくさんの事を求めてはいけないと思っていたし、それは贅沢な事だと思っていた。それなのに。
僕はどんどん欲深になって、傲慢になって、嫌な奴になっていく…。
ラディスに触れるのは僕だけであって欲しい。ラディスが触れるのは、僕だけであって欲しい。
僕を、好きでいて欲しい。僕がラディスを求めるように、同じように…。
ラディスの心が、全てが、僕のものであって欲しい。
はっとした。ラディスの右腕がリィンの方へ僅かに揺れながら近づいてくる。
ラディスは右腕を動かす為に全神経を集中させ、真剣な表情をリィンに向けていた。リィンはじっと息を詰めて、懸命に腕を操ろうとする彼を見守る。その長い指先が、髪に触れた。ゆっくりと柔らかく、大切そうにリィンの髪を梳き、そのまま頬へと伝って優しく撫でられる。
リィンの胸にじわりと愛おしさが広がってゆく。
彼の右手はリィンの肩の上で止まった。ラディスが深く息を吐き出して笑う。
「参ったな。まだこれくらいしか動かん」
「ラディス…」
青い瞳がじっとリィンを見つめている。静かな青い海に沈む黄金色の琥珀。眼鏡も眼帯もしていない左目は、少しだけ紫色をしていて、それがまた綺麗な宝石みたいだ。その瞳がおさまっている美しい顔に見入ってしまう。前から思っていた。ラディスの瞳はあのルキリア皇族と同じ≪黄金の青い目≫なのに、不思議と嫌悪感を感じない。綺麗だ、と思う。ずっと見ていたい。
「リィン。俺はお前が好きだ。…口に出して言うのを、今まで抑えていた。あまり言うと歯止めがきかなくなるから」
ベッドの上に座って見つめ合う二人を、ランプの灯が温かく照らしている。
「お前が好きだよ。その栗色の髪も紅い瞳も、大好きだ。頑固で正義感溢れる性格も、自分の事を僕、という口調もたまらない」
リィンの顔がほのかに赤く染まる。それを眺めてラディスは微笑んだ。
「…柔らかい唇も透き通るような白い肌も、細い手足も。…お前は気に入っていないようだが、小ぶりな胸も俺は好きだ。お前の全てが愛おしい」
驚くような事を呟きながら、ラディスがリィンの方へと近づいてくる。リィンは落ち着かない気分で、じりりと後ずさった。
「あ、あんた、何か変だよ…。ほんとにラディス?」
壁際に追い詰められたリィンはおそるおそる彼を見上げる。彫像のような綺麗な顔がゆっくりと迫り、リィンの耳元に唇を寄せて、また囁く。
「本当は、ずっと言いたかった。リィン。お前が好きでたまらない…」
彼の息が耳にかかり、小さく震えてぎゅっと目をつぶった。
「お前の歌声が好きだ。お前の子守唄を聞いていると、疲れが消し飛んでゆくようだった。その声が、掠れるように喘ぐのも好きなんだ。声にならない吐息も良い。だからたまにいじめたくなる。それに…」
「ラディス!もう良いよっ!分かったから…」
リィンが顔を赤くして俯いたまま声を上げた。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。
これは一体どういう事だ…。
「あ、あのさ…。酔っ払ってる?」
あまりの豹変ぶりに、そう聞かずにはいられなかった。彼からミントハーブの優しい香りがする。いつもはその匂いに心から安心するのに、どうしてだか心が落ち着かない。どくどくとうるさいくらいに心臓が高鳴って、自然と呼吸が浅くなってしまう。
「酔ってない」
「…じゃあ、頭でも打った?」
「打ってない。…リィン」
ラディスの指がリィンの顎にかかり、顔を持ち上げられる。すぐ目の前に彼の整った顔が迫る。
「俺は正気だ。少しタガが外れかかっているだけだ」
呆然とするリィンに彼は優しくキスをした。触れ合うだけのキスにも身体が反応してしまう。リィンは恥ずかしさに気を失ってしまいそうになり、目を閉じた。
ああ、くらくらする…。
ラディスの舌がリィンの唇をゆっくりとなぞり、柔らかく噛みつかれ、薄く開いた間からするりと侵入する。
深く口付けられ、リィンは小さく身じろいでラディスの服を掴んだ。
熱い。
一気に理性がぐらつくような、絡みついてリィンを逃さず、全てを奪ってゆこうとするような、濃厚なキスだった。リィンが身を引いて逃げようとすると、一層強く求められ角度を変えて口付けられる。
「…う…ンッ」
息が思うように出来ず彼の胸をばしばしと叩いて抵抗した。やっと唇が離れ、リィンは肩で息をしながら目の前のラディスを精いっぱい睨みつける。
「…な、何すんだよっ」
「ああ…その目だ…。酒場でお前に殺されるかと思ったぞ。あの場で押し倒してめちゃくちゃにしてやりたかった」
「なっ…」
真っ赤な顔でわなわなと震えているリィンに構わずに、ラディスの指がリィンの服のボタンを外してゆく。
「ちょっ…ラディス?あ、あの…明日も早いし、ねえ…」
何だか今日のラディスは変だ。自分も、変だ。異様に反応してしまう。さっきから背中がぞくぞくとして落ち着かない。少し、怖い。
「俺は牢獄の中で考えていたんだ。もし死なずに生きてここを出る事が出来たら、もうなりふり構わずにお前を食らおうと、心に固く誓いを立てた」
言葉を失うリィンに、彼は色気を含んだ笑みを向けた。
…ちょっと待ってよ。何をそんな勝手な事…。僕の、意思は?
「やっと問題が全て片付いた。帝都の基盤は盤石だしチェムカも戻った。万々歳だ。…そうだろう?」
青い瞳がリィンを射抜く。その瞳に宿る艶やかな光にぞくりと背筋が粟立った。
「もう逃がさない」彼の目が、そう言っている。
強く熱い視線に貫かれて呼吸をするのさえおぼつかない。
僕は…何かとんでもない勘違いをしていたのかも知れない…。
慌ててラディスの身体を押し返そうとするが、どういうわけか思うように力が入らない。そのまま強引に口付けらる。激しくて熱のこもったキスに意識が溶かされ、身体が痺れてゆく。
「…あっ…ラディ、ス。ま、待って…」
「やっと、お前を抱ける…」
彼の耳を疑うような言葉に、リィンは目を見開いた。
「な、に言って…今までだってさんざん…」
その間にも彼の指先がリィンの肌の上を伝ってゆく。ラディスが端正な眉を寄せて切ない表情でリィンを見つめ、ため息をこぼした。
「リィン…。俺の本気はあんなもんじゃない」
何の事だよ!
そう叫びたかったのに、口からは弱々しく震える息しか吐き出されなかった。
ラディスはリィンの細い首筋に噛みつくようなキスをして、抵抗するリィンをベッドの上へと押し倒した。その行為は乱暴なのに、指先はこれ以上にない程に優しく、リィンの身体を愛おしそうに愛撫する。
リィンは耳や首元まで真っ赤にして、やけくそになりながら叫んだ。
「このっ…ケダモノッ」
ラディスがリィンの耳朶に柔らかく噛みついて、囁く。
「ああ…そうだ」
熱さに耐え切れずリィンは震えて吐息をこぼした。その口を塞ぐようにまた口付けられ、翻弄される。
「…ん…っ」
ラディスの指先が、唇が、その声が、リィンの心を高ぶらせてゆく。
これ程あからさまに、激しく求められた事は今までなかったように思う。
彼は全身で、リィンが欲しいと叫んでいる。
リィンは浅く息を継いで、涙目で訴えた。
「だ、だめ…待って…」
「リィン…駄目だ。もう待てない…」
真っ白になってゆく思考。もう何も考えられない。
リィンは最後に思った。
ラディスって、こんな奴だったの…。
◇◇◇◆
翌朝、リィンとラディスはベイルナグルの人々に盛大に見送られ、レーヌ国に向けて出発した。
ニコルやチェムカが泣きながら大きく手を振ってくれた光景が、リィンの胸に大事な思い出として刻まれた。
新たな物語の始まり。遠大なる旅の始まり。
これから先の事を考えようとしても、未知のものが多すぎて考えがまとまらない。たくさん危険な目に遭うかもしれないし、命がけの仕事になるだろう事は簡単に想像がつく。それにラディスに恨みを持つ者達だって、残念ながらいなくなった訳ではないのだ。ルーベンとその信者達は既にルキリア国の帝都から離れていたが、今後も命を狙ってくる可能性がないわけではない。不安な要素は考え出したらきりがない。
けれど世界を旅するという事に、胸が高なるのも事実。その先で出会う人達は一体どんな人物なのだろうか。どんな風景が待っているのだろうか。同じイリアス族の人々にもきっとどこかで出会えるはずだ。そして以前と違うのは、自分には帰る場所があるという事。
ちゃんと手紙を書いてね、と何度もニコルとチェムカに念を押された。クレイとソアの結婚式には帰って来れるようにしたいと思う。
期待と不安とで弾けそうな胸を押さえて、リィンは力強く馬を駆る。すぐ目の前にはラディスがいる。
自分にとってのたった一つが揺るがずにいればそれで良い。
ラディスは僕が護る。
僕の『力』は、その為にあるんだ。
【番外編・完】
【紅い月 青の太陽・完】
紅い月 青の太陽をご覧いただき、ありがとうございました。
この物語はこれで完結します。
最後の最後で彼の本性を垣間見る。
信念を持って生きるというのは、自らに制約と制限を課して生きる事に他ならないと思います。
彼は今後、リィンを溺愛する事でしょう。色んな意味で(笑)
これから二人の物語は第二幕へ。
レーヌの女帝を上司に据えて、世直し行脚の旅へ。舞台は世界。
帝都に残った人々の戦いも続いてゆく事でしょう。
最後に、ここまでお付き合いくださった方々に最大の敬意と感謝を。
一人一人を思い切り抱き締めて回りたいくらいです。
あ、やめてくれ…。ですよね。
一言でも感想落として行ってくださいませぬか。最後のお願い。