000:遠い記憶
「リィンよく聞いて」
幼い頃のリィンが瓦礫の片隅に立って泣いている。
向かい合って背の低いリィンに目線を合わせ、両肩に手を置いている女性。
彼女の目は真剣で、緊張感と強い意志が見てとれる。
二人の周囲には濛々たる煙が流れ、火薬の臭いが充満している。ここ一帯が元は小さな町であったが今ではその跡形もなく、たくさんの瓦礫の山とひびの入った石畳の道でかろうじて想像できる程度だ。
女性のウェーブがかった飴色の艶やかな髪は、砂煙を伴う風に乱れ、服装も泥や埃で汚れて所々破れている。
しかし息を飲む程に整った顔立ちから、隠しようのない気品が立ち上る。すらりと伸びた鼻梁に薄い唇、何よりその瞳が印象的だ。
「母様…こわい」
泣きじゃくり、いやいやを繰り返すリィンの両肩を強く揺さぶり、語気を強め叫ぶ。
「リィン!こっちを見て!母様の目を見なさい!」
肩をびくりと震わせ、涙と鼻水でめちゃくちゃな顔を上向けると、目の前の女性は優しい微笑みを向ける。
怒号と轟音、そして悲鳴が反響する中で彼女は微笑んだ。
ただ、目の前のわが子のために。
「あなたの事は全てゼストとライサに頼んであるわ。何も心配いらない」
「いやだ!母様も一緒に…」
「何があっても強くありなさい。気高い心を、忘れては駄目よ」
「かあさま!」
「そしてこれだけは、絶対に守りなさい。あなたの本当の『力』は、誰にも知られてはいけない。何があってもよ。いい?」
「う…どうして…」
リィンはしゃくりあげる鳴咽のせいで、うまく喋る事が出来ない。
「リィン泣かないで。母様はいつもあなたを見守っているわ」
「かあさま!かあさま!」
固く抱きしめ合う母子の傍らには、若き青年と初老の女性が立っている。女性は声もなく、ただただ涙を流し、青年は鋭い眼光を周囲に向けながら警戒を怠らない。その目は、紅く光っている。
「シルヴィ!もう時間がない!」
「リィン、あなたを守るわ。あなたは私の全て」
我が子を抱きしめたままシルヴィは低く呟き、顔を空へ向ける。
レッドブラウンの瞳が揺らぎはじめ、ゆらゆらと深紅の炎が瞳に宿る。
「さあ行きなさい!ゼスト、リィンとライサを頼みます!」
立ち上る砂煙、びりびりと地鳴りが始まる。
「かあさまー!」
掻き消される声。
遠ざかる記憶。始まりを告げる悲しい記憶。