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クラウザー公爵の嘘

作者: 亜逸

 豪奢な館の一室。

 天蓋付きのベッドに伏せっている、クラウザー公爵家の若き当主ダニエルの前には、王国の名だたる名医が顔を揃えていた。


 その名医たちが出した結論に、ダニエルはただでさえ青くなっていた顔を、さらに青ざめさせる。


「駄目なのか? 其方(そなた)たちをもってしても?」


 名医たちを代表して、老年の医師がダニエルに応じる。


「誠に申し訳ありませんが……貴方様の心臓を冒す病は、現代の医学ではどうすることもできません」


 老年の医師も、他の名医たちも、誰も彼もが表情に悔恨を滲ませていた。

 最早覚悟を決めるしかないと思ったダニエルは、向こうからは言いにくいであろう話題を、あえてこちらから振ることにする。


「私は、あとどれくらい生きられる?」

「……長くても半年ほどかと」

「短かった場合は?」

「貴方様の心臓は、いつ発作が起きてもおかしくない状態にあります。発作の重さ次第では……」


 老年の医師が口ごもる。

 それだけで悟ったダニエルは、諦念を吐き出すように言い当てた。


「今日明日死んでも、不思議ではないということか」


 重々しい首肯が返ってくるのを見て、ダニエルは思わずため息をついてしまう。


 先代当主である父が病で急逝したことで、ダニエルは二二歳という若さでクラウザー公爵家を継ぐこととなった。

 そして、母であるクラウザー夫人も、ダニエルが生まれてすぐに病に倒れ、亡くなっているため他に兄弟はいない。

 ダニエルにはアルシアという妻がいるが、公爵家を継いでからの一年間、当主としての仕事に忙殺されていたせいもあって子宝には恵まれていない。


 つまりはいないのだ。

 クラウザー家を継ぐ者が。


(……いや。こうなってしまった以上、家のことはどうでもいい。問題はアルシアだ)


 ダニエルよりも二歳年下の、妻のことを想う。

 このままでは、アルシアは二一歳という若さで未亡人になってしまう。


 ダニエルはアルシアのことを心の底から愛しており、アルシアもダニエルのことを心の底から愛している。

 だからこそ願うのだ。

 自分の死が原因で、アルシアに不幸になってほしくないと。


 幸いアルシアはまだ若い。

 外見にしろ人柄にしろ、若くして公爵家当主となったダニエルをして、自分には勿体ないと思えるほどに優れている。

 子宝に恵まれなかったことも、クラウザー家にとっては不幸だが、彼女の将来を(おもんぱか)れば幸いだったのかもしれない。


(私のことなどさっさと忘れて、私よりも良い男性(ひと)に巡り会う……アルシアの優しい性格を考えると、死んだ夫のことをすぐに忘れろというのは酷な話かもしれないが、彼女の将来を思えばその方が間違いなく幸せになれる)


 だからダニエルは決意した。

 死ぬまでの間に、アルシアに嫌われるための嘘をつき続けることを。




 ◇ ◇ ◇




 その後、ダニエルは名医たちに二つのお願いをした。

 自分がいつ死ぬかもわからない身であることを、自分のいないところで、名医たちの口からアルシアに伝えてほしいと。

 伝えた後は、直ちにこの館を離れてほしいと。

 アルシアに嫌われるための嘘を考える時間と、最愛の妻を傷つけてまで嘘をつかなければならないことへの覚悟を固めるための時間を得るために。


(まずはアルシアに植え付けることから始めなければな。最早いつ死んでもおかしくないことを知った私が、自暴自棄になってしまったという印象を)


 アルシアと婚約を結んでから今日に至るまで、ダニエルは心の底から彼女を愛し、誰よりも何よりも大切にしてきた。

 その全てをなかったことにする――そのことに胸が引き裂かれるほどの痛みを覚えるも、砕けんばかりに歯を噛み締めることで堪えきる。


 それからしばらくして――


 そろそろだろうと思ったダニエルは、少し動いただけで動悸や息切れがするようになった体に鞭を打ち、ベッドから立ち上がって窓の外の様子を窺う。

 二階にある寝室の窓から見て右手側には館の玄関があり、今まさしく館から出て行く名医たちと、彼らを見送るアルシアの姿を確認することができた。


 おそらくアルシアは今、内心の不安と動揺を押し殺しながらも、公爵夫人として恥じない振る舞いで名医たちを見送っていることだろう。

 名医たちの姿が完全に見えなくなったら、内心の不安と動揺を露わにして、すぐさまこの部屋にやってくることだろう。


(……いかんな)


 これからアルシアを傷つけなければならない――その事実を前に、どうしようもないほどに気後れしていることを自覚する。

 いつの間にか握り込んでいた掌は、汗でびっしょりと濡れていた。


(しっかりしろ、ダニエル・クラウザー。確かにこれから私がつく嘘は、こっぴどくアルシアを傷つけるものになる。だがそれも、全てはアルシアのため。今傷つけておかないと、アルシアはいつまでも私の死を引きずるかもしれない。気後れしている場合ではないぞ!)


 無理矢理にでも覚悟を固めてベッドに戻った、その時。

 はかったようなタイミングで、寝室の扉を慎ましやかにノックする音が聞こえてくる。

 すぐにでも返事をかえしてやりたいところだが、「もう今までのダニエルではない」ことを演出するためにも、グッと堪えて無視を決め込む。


 再び、慎ましやかなノックが響く。

 ダニエルも、再び無視を決め込む。


 三度(みたび)ノックが響いたところで、業を煮やしたのか、アルシアの声が扉の向こうから聞こえてくる。


「ダニエル。入ってもよろしいでしょうか?」


 声音は、毅然としていながらもわずかに震えていた。

 それだけで、アルシアがどれほどこちらのことを心配しているのかがわかってしまったダニエルは、根負けしたように、されど険のある物言いを意識しながら返事をかえした。


「好きにしろ」


 初めて聞く物言いに驚いたのか、わずかな沈黙を挟んでから扉が開き、アルシアが中に入ってくる。

 今にも涙が溢れそうなほどに、瞳を潤ませながら。


「ダニエル……医師の方たちの話は本当なのですか?」


 その問いに対し、ダニエルはあえてアルシアの目をしっかりと睨みつけ、突き放すように答える。


「本当だと言ったら、どうするつもりなんだ? 君が私の病を治してくれるのか?」


 我ながら意地の悪い質問だと、ダニエルは思う。

 だからこそ、最愛の妻に嫌われる第一歩としては最適だとも。


 アルシアは唇を噛み締め、目尻に溜まっていた涙を力尽くで引かせる。

 普段のダニエルとは様子が違うのを見て、彼女はこう思ったのだろう。

 今一番つらいのはダニエル。だから、自分が泣いて取り乱すわけにはいかない――と。

 だからアルシアは、無理矢理にでも涙を引かせたのだ。


 そんな彼女の優しさと強さに惚れているからこそ、あらためて思う。

 いつ死ぬかもわからない私に、これ以上構わないでくれ――と。


 そうこうしている内に、アルシアが完全に涙が引いた瞳で、真っ直ぐにこちらを見返してくる。


「口惜しいですが、わたくしにあなたの病を治すことはできません。ですが、あなたを支えることはできます」


 微塵の曇りもない視線に、ダニエルは気後れしそうになる。

 しかし、ここで退いてしまっては全てが台無しになってしまうので、気力を振り絞って、負けじと彼女の瞳を睨み返した。


「どうやって支えるつもりだ?」

「これからは、あなたの身の回りの世話はわたくしがします」

「なるほど。使用人たちの仕事を奪うというわけか」


 我ながら本当に、意地の悪い物言いだとダニエルは思う。

 アルシアが優しさを向ける対象は、何も(ダニエル)に限った話ではない。

 ダニエル一人では独占しきれない彼女の優しさは、使用人たちに対しても向けられていた。


 だからこそ彼らの仕事を奪っていることを指摘するのは、彼女には(こた)えるだろうと確信していた。


 しかし、


「はい。そのとおりです」


 迷いなく返され、ダニエルは目を丸くしそうになる。

 今の自分が、アルシアにとって初めて見るダニエルならば、今の彼女は、ダニエルにとって初めて見るアルシアだった。


 内心の動揺を押し殺すのに精一杯だったダニエルは、


「……そうか。好きにしろ」


 と、返すことしかできなかった。




 ◇ ◇ ◇




 その日以降、宣言どおりアルシアは、ダニエルの身の回りの世話をするようになった。


「あなた。朝ですよ」


 朝一番、使用人の代わりに起こしに来たアルシアに、ダニエルは意識的につくった渋面で応じる。


「わかっている」


 ベッドから下り、無言で着替えを催促すると、アルシアは微笑を浮かべながらも首肯を返し、すぐさま着替えに取りかかった。

 病床のダニエルの場合、着替えるといっても寝間着から寝間着になるため、よそ行きの堅苦しい服装に着替える時に比べたらその難度は格段に下がる。

 それでも、人に着替えさせるという行為自体に慣れていないであろうアルシアには、難しい作業になるとダニエルは確信していた。

 していたから、少しでもアルシアがミスをすれば、心を鬼にして叱責しようと覚悟を固めるも、


 数分後――


「終わりましたわ。ダニエル」


 アルシアの仕事ぶりは完璧だった。

 何だったら、使用人よりも着替えやすいくらいだった。


 普段ならば称賛の一つや二つ贈っているところだが、アルシアに嫌われなければならない現状ではできるはずもなく、


「……腰回りがきつい。やり直しだ」


 睨むようにアルシアの目を見据え、やり直しを命じる。


「ごめんなさい。すぐにやり直しますわ」


 こちらの視線を真っ向から受け止めながらも、微笑を崩すことなく、されど申し訳なさが滲み出た声音でアルシアは応じた。


 その後ダニエルは、アルシアの仕事ぶりが完璧であるにもかかわらず、何度も着替えのやり直しを命じた。

 その度にアルシアは嫌な顔一つせず、粛々とダニエルの命令に従った。


 八度目のやり直しを命じたところで、根負けしたダニエルは言う。


「もういい。まだ気にくわないが、これ以上続けたところで時間の無駄だからな」

「ごめんなさい。わたくしが不手際なばかりに」

「まったくだ。着替え一つにこんなにも時間がかかっているようでは話にならん。なのによく言えたものだな。使用人の代わりに私の身の回りの世話をするなどと」

「返す言葉もありませんわ」


 粛々と嫌味を受け止める、アルシア。

 その凜とした佇まいを見ただけで、彼女がこちらに対して一つも悪感情を抱いていないことをダニエルは悟る。


(これは、思っていた以上に厳しいたたかいになりそうだな)




 ◇ ◇ ◇




 確かにアルシアは、使用人に代わってダニエルの身の回りの世話をすると言った。

 しかしそれが料理にまで及んでいたことは、想定外もいいところだった。


(だが、これは好機かもしれない)


 基本、貴族は専属の料理人を雇っている。

 ゆえに、公爵夫人であるアルシアは料理をする必要がなく、事実、彼女が厨房に立っているところを、ダニエルは今まで一度も見たことがなかった。


 今度こそ、彼女を徹底的にこき下ろす好機――と思っていたら、


(……匂いからして旨そうだな)


 食卓に並ぶ妻の手料理を前に、ダニエルは素直にそう思った。

 おまけに料理の献立(メニュー)が、柔らかめのパンに野菜のポタージュ、魚の煮込み料理と、こちらの体調を慮ったものになっている。


 着替えの時と同様、良くできた妻に称賛の二つや三つ贈ってやりたいところだったが、そんな内心を無理矢理にでも押し殺して、妻の手料理を前にした夫としては最低な行動に出る覚悟を固める。


「なんだこれは?」


 威圧の意味も込めて、配膳を終えたばかりのアルシアの瞳に睨むような視線をぶつける。

 やはりというべきか、アルシアは少しも気圧されることなく、柔らかな微笑を(たた)えながら答えた。


「朝食でございますわ。ダニエル」

「そんなことはわかっている。私は、なぜこんな庶民が食べるような低俗な料理を用意したのかと訊いているのだ」


 貴族の食卓は基本、味の濃い肉料理がメインとなっている。

 一方、アルシアがつくった料理は、パンや野菜、煮込んだ魚をメインとした、言ってしまえば味の薄いものばかりで構成されていた。

 手の込んだ魚の煮込み料理はともかく、パンや野菜のポタージュは、ダニエルが言ったとおり庶民の食卓によく並ぶ献立(メニュー)だった。


「食欲が落ちたあなたには、朝から味付けの濃い肉料理はつらいだろうと思いまして」


 事実そのとおりだった。が、ここで認めてしまっては全てが台無しになってしまうので、引き続き睨むような視線をアルシアにぶつける。


「だから、こんな低俗な料理を用意したと?」

「ええ。そのとおりです」


「ふざけるなッ!!」


 嘘の怒号を吐き散らしながら、目の前の料理を乱雑に払いのける。

 けたたましい音とともに、最愛の妻がつくってくれた料理が床にぶちまけられる。


 どうだ?


 君が私のためにつくった料理を、こんな扱いにしたのだぞ?


 さあ嫌え。


 私のことを嫌え。


 そして……私なんかよりもはるかに素敵な男性(ひと)を見つけて、幸せになってくれ。


 そんな諸々の感情を押し殺し、無理矢理捻り出した怒りを滲ませた双眸で、最愛の妻(アルシア)を睨みつける。

 凶眼といっても差し支えない視線を前に、アルシアは微笑を崩すことなく謝罪した。


「ごめんなさい、ダニエル」


 彼女には全く非がないのに何度も何度も謝らせていることに、痛いと、苦しいと、もうこれ以上やめてくれと心が訴えてくる。

 そんな訴えに耳を塞ぎながらも、ダニエルはアルシアに冷たく言い放った。


「つくり直せ。今すぐにだ」

「ええ。かしこまりました。ですが……」


 アルシアは真っ直ぐにこちらの目を見返しながら、言葉をつぐ。


献立(メニュー)は、今出した料理と全く同じ物を用意します」

「くどいぞ、アルシア。私はあのような低俗な料理に口をつけるつもりはない」

「低俗であろうとも、あなたの体には良いことは事実です」

「事実だと? 誰がそんなことを決めた」

「この国において、名医と呼ばれている方々がです」


 不覚にも口ごもってしまう。

 どうやらアルシアは、先日名医たちを見送った際に、今のダニエルの体に合った料理を聞き出していたようだ。

 どこまでもできた妻だと、心の底から思う。

 本当に、自分には勿体ないくらいに。


 名医たちの意見が反映されているせいもあって、ろくな反論が見つからなかったダニエルは、


「……ふん。好きにしろ」


 着替えに引き続き、ここでも自分から折れる形になってしまったのであった。




 ◇ ◇ ◇




 ダニエルは、ひたすらに、ただひたすらに、甲斐甲斐しく世話をしてくれるアルシアを(なじ)った。

 やれベッドメイキングがなっていないだ、やれ料理がまずいだ、やれ顔を見るのも鬱陶しいだ……毎日毎日アルシアを詰り続けた。

 にもかかわらず、アルシアは嫌な顔一つせず、不平不満を一つもこぼすことなく、甲斐甲斐しくダニエルの世話を続けた。


 そんな生活が二週間ほど続き、このままではまずいと思ったダニエルは、決してやりたくはなかった最後の手段に出ることにする。


 朝、起こしにきてくれたアルシアに対し、


「いい加減にしろッ!!」


 ダニエルは怒鳴り散らしながらも、彼女の頬を張った。


「毎日毎日毎日毎日ッ!! ニヤついた君の顔を見るのはもうウンザリだッ!! 顔も見たくないッ!! 今すぐこの館から出て行けッ!!」


 最愛の妻(アルシア)に向けるにはあまりにも非道すぎる言葉に、この身を引き裂かれた方がマシだと思えるほどの苦痛を覚える。

 しかし、だからこそ顔に出すわけにはいかないので、苦痛すらも偽りの怒りに変えて、アルシアの目を真っ直ぐに睨みつけた。


 アルシアは、ダニエルの凶眼を真っ直ぐに見つめ返してくる。

 その瞳には、ダニエルに対する怒りも、失望も、憐憫すらも映っていなかった。


 映っているのは、ただ一つだけ。

 溢れんばかりの、最愛の夫(ダニエル)への愛。

 それだけだった。


 身を引き裂かれんばかりの苦痛に耐えて嘘をついているというのに、アルシアの愛は小波(さざなみ)ほども揺らいでいない。


 そのことに気づいた瞬間、


 ダニエルの心はポッキリと折れてしまった。


「なぜだ……なぜ君は、私のことを愛してくれる? 君に、こんなにも……こんなにも非道い仕打ちをしているのに……」


 項垂れるダニエルに、アルシアはクスリと笑った。


「非道い仕打ちだなんて。わたくしはそんなもの、一つも受けていませんよ」


 まさかすぎる言葉に、ダニエルは思わず顔を上げる。


「それは、どういう意味だ?」

「どういう意味だも何も、あなたがこの二週間、わたくしに対してきつく当たっていたのは、全てはわたくしのため。大方、わたくしが未亡人になることを憂いて、若いうちに他の男性(ひと)のもとへ嫁いでくれればとか考えていたのでしょうけど、そうはいきませんわ」

「待て……待て待て待て! まさか、()()()()()()()()()()!?」


 狼狽するダニエルに、アルシアは思わずといった風情でクスクスと笑った。


「やはり、気づいていらっしゃらないようですね。あなたが嘘をつく時、必ずやってしまう癖があることを」

「癖……だと?」


 呆けた声で問い返してしまう。

 おそらくは、表情はもっと呆けた有り様になっているだろう。


「そうです。癖です。普段あなたが誰かと話す時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことは、ご存じですか?」

「……そうなのか?」


 全く意識していなかったことなので、またしても問い返してしまう。

 

「そうなのです。逆に嘘をつく時は――」

「いや。わかった。さすがにもうわかった」


 アルシアの言葉を遮り、ため息をつく。

 言われてみれば確かに、自分は嘘をつく時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを思い出す。

 だからこそ、確信をもって言い当てることができた。


「私は嘘をつく時、相手の目をしっかりと見て話している……そういうことなのだな? アルシア」

「そういうことなのです」


 アルシアは嬉しげに楽しげに笑みを深め、宣言するように言葉をつぐ。

 

「言っておきますけど、あなたが何と言おうと、わたくしはあなた以外の男性(ひと)を愛する気はありませんから」

「……どうしてもか?」

「どうしてもです。わたくしに嫌われてでも、わたくしの幸せを望んでくれる……そんなあなたよりも素敵な男性(ひと)など、この世には存在しませんから」


 臆面もなく断言され、ダニエルは心の底から思う。


(敵わないな。アルシアには)


 これほどまでの愛を示された以上、他の男性に嫁いで幸せになってくれと願うこと自体、野暮というもの。

 だからといってこのまま何もせずに、アルシアを一人残して逝くことは許容できない。


(ならば、私がアルシアにしてやれることは一つしかないな)


 短い黙考を経て結論を出したダニエルは、話の流れを無視してアルシアに言う。


「アルシア。私たちの子供をつくろう」


 これにはさしものアルシアも驚いたらしく、彼女の目はこれ以上ないほどにまで見開いていた。


「そう言っていただけるのは嬉しいですけど……心臓に負担がかかる行為は、あなたの死期を早めることになるのでは……」

「わかっている。最悪、ただ死期を早めるだけの結果に終わってしまうかもしれない。それでも私は遺したいのだ。私が、この世の誰よりも君を愛したという証しを」


 ダニエルがいつ死んでもおかしくない身であることを聞かされた時も、こちらのことを慮って泣くのを堪えたアルシアの目尻から、涙が伝っていく。


 そんな彼女に向かって、ダニエルは手を差し伸べる。


「受けてくれるか? 私の愛を」

「ええ……ええ!」


 アルシアは感極まったように何度も返事をしながらも、溢れる涙をそのままにダニエルの手を取った。























 六年後――


「そうしてできた子供が、あなたというわけです。ニコラス」


 館の庭先にある椅子に腰掛けていたアルシアは、目の前にいるダニエルによく似た少年――ニコラスに優しい眼差しを向けながらも、話を締めくくる。

 ニコラスは母親(アルシア)の話がいまいち理解できていないのか、きょとんとしていた。


「ふふ。あなたにはまだ少し早い話だったみたいですね」


 笑みを浮かべながらも、愛しい我が子の頭を撫でる。

 すると、ニコラスが満面の笑みを返してくるものだから、アルシアの笑みは深まるばかりだった。


 子供をつくると誓い合ってから一ヶ月後にダニエルは逝ってしまったが、誰よりも君を愛しているという言葉を証明するように、ダニエルはしっかりとアルシアに子宝を遺してくれた。

 そうして生まれたのがニコラスだった。


 男の子が生まれたことでクラウザー家は存続となり、ニコラスが大人になるまでの間は、アルシアが仮の当主を務めることになった。

 仮とはいえ、公爵家の当主を女性が務めることになったのはこの王国においては初めてのことであり、その際は本当に色々あったことはさておき。


 アルシアは空を見上げ、その向こう側にいるであろう最愛の夫に謝罪する。


(ごめんなさい、ダニエル。この世にはあなたよりも素敵な男性(ひと)は存在しないと言いましたが……それ、嘘になってしまうかもしれません)


 そして、愛しい我が子に視線を戻すと、ますます笑みを深めながらも、心の中でこう付け加えた。


(だってわたくし、この子のことをあなた以上に素敵な男性に育てるつもりでいますもの)


 その言葉に、天国にいるダニエルがヤキモチを焼いたのか。

 突風と呼ぶにはあまりにも優しい風が、アルシアとニコラスの髪を揺らした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 妻を思いやる夫に、夫の気持ちを分かっている妻、いい夫婦でした。 ニコラスがダニエル以上の男になってくれることが確信できますね。
[良い点] きれいなお話ですね~。 このサイトに掲載される多くの作品とはちょっと趣が異なっていて楽しく読ませて頂きました。 [気になる点] ラノベではこれでもかというほど解説回や後日談を入れてくるもの…
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