あなたのこと忘れないからっ!!
「ただいまー」
「むっちゃんおかえり」
空閑睦月、帰還--
今日は酷い一日だった……
オカマに掘られかけるし脱糞女から突然絡まれるしで、ヒヤヒヤしっぱなしの一日だ。
何とか今日も乗り切って帰宅したところ珍しいことにお袋が家にいた。この時間ならもう仕事に出てる頃なんだが…
「お袋今日仕事休み?」
「んー…カレー食べる?」
「うん」
お袋の仕事が休みと聞いて自然心が弾む。いつも一人きりの夜だが、今日はお袋が家にいてくれるから…
もしかしたら俺はマザコンなのかもしれない。
風呂の掃除でもしようかと台所に向かうお袋を眺めながら風呂場へ足を伸ばす俺にお袋が不意に口を開いた。
「むっちゃん」
「なんだ?あ、風呂桶で寒天作っていい?」
「お母さんとお父さん、離婚することにしたよ」
レトルトカレーを鍋で温めながらそんなことを口走るお袋の言葉はまさに寝耳に水で、頭に乾燥した巨大チーズを叩きつけられたのかと思うほどの衝撃を与えた。
同時に、この衝撃が突然の告白に対して驚いている…というより、見ないように、意識しないようにと思っていた事柄を目の前に叩きつけられたショックによるものだと瞬時に自己解析する。
「……なんで?」
「もう決めたの。今更あの人とはやり直せないから…実はね、弁護士さんを挟んで今までずっとお父さんとそういう話はしてた。ただ、言うのが遅れてごめん……」
感情を殺したお袋の声…こういう時のお袋はいつも俺の目を見ない。この人は俺に負い目がある時はいつもよそ見をしたまま話す。
情けないことに、俺の中にどうしようもない、行き場のない感情が渦を巻いて抑えが効かなくなっていた。
漠然と信じていたものが崩落する音がした。足下にぽっかり穴が空いたみたいだ。
俺は狭いボロアパートの部屋を見つめる。親父と住んでいたこの家にもうあの人は帰ってこないんだという現実を、がらんどうな部屋が突きつける…
「……そうか」
「うん、そうなの……」
お袋は無感情だった。少なくとも、表面上は。
「……まぁ、2人で決めたことなら……」
「うん……でさ、むっちゃんはどうする?お父さんと…お母さんと……」
「……」
「お母さんはほら……お金ないから……むっちゃんがもし、このままの生活が嫌なら…お母さんは--」
レトルトカレーを温める鍋の中をじっと見つめたお袋の目がゆらゆらと揺れていたのを見た。
その微かな感情の揺らぎに俺は母親からの愛情を感じ取れた。
お袋は昔からあまり喋らないし、ぼーっとしてて何考えてるか分からないし、今も家に居ないことも多いけど……
俺がお袋の愛情を感じ取るには、それくらいのことで充分だった。
それくらい、俺達は親子だった。
「……お袋生活力ないからなー…俺もバイトしないとね」
「……」
カレーできたよと、お袋は言った。
風呂場の掃除は後でいい。先に夕飯にしよう。
「……むっちゃん」
「ん?」
「お母さんと暮らすなら今度から苗字は小比類巻だからね?」
*******************
「はい、今日は校外ボランティア活動で街のゴミ拾いをします。班別に分かれて割り振られた区域のゴミ拾いをして下さい 」
こんにちは!本田千夜です!!
今日はとってもいい天気、校外ボランティアの日です!!
グラウンドに全校生徒が集合して班ごとに火バサミとゴミ袋、軍手が支給されました。
普段お世話になってる街を綺麗にするのはいいことだと思うので、頑張ります!!
さて、私達は4人班です。
「……はぁ…はぁ…宇宙からの電波を感じる…」
サブカルチャー女子の宮村さん。
「……………………」
喋ってるところを聞いたことない室井さん。
「萎えー」
そして香曽我部さんです。
個性的な人達ばっかりだけど頑張ります。
さて、私達の班は駅とは反対側の住宅地当辺りを担当するそうです。他の班と一緒に先生の引率で向かいます。
「……ゴミ拾いとかまぢ無理。汚い、臭い、ばっちい」
「香曽我部さん、頑張ろ?終わったらジュース貰えるらしいよ」
「人が触ったジュースとか無理。死ぬ」
香曽我部さんは潔癖症です。しかも度を越した潔癖症です。体に他人の指先が触れただけで蕁麻疹が出て失神するみたいです。
担当する区画に辿り着いたら解散して班ごとにゴミ拾いします。香曽我部さんはまだグチグチ言ってます。
「ゴミ拾うどころか見てるだけで体が痒くなってきた…まぢ無理」
「香曽我部さん…私心配になってきたよ。大丈夫?改善した方が良くないそれ?日常生活に支障きたすレベルでは?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
体を掻きむしる香曽我部さんをみつめてたら突然刺されたみたいな悲鳴がっ!!何事!?
あの声は…サブカルチャー女子の宮村さん!!
「宮村さん!?どうしたの!?」
ただならぬ事態を察して少し離れた宮村さんの所に駆け寄る。彼女は公園の真ん中に佇むジャングルジムの頂上で背筋ピーンして硬直していた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!あああああああっ!!」
その体勢のまま狂ったように叫んでます。
なんで叫んでるの?そもそもなんでそんなとこに登ってるの?
「宮村さん!?大丈夫!?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「宮村さん!?」
「あいつクスリでもやってんじゃね?」
香曽我部さんドン引き。私もドン引き。ほんとに薬物中毒者。
とにかくこのままではまずい気がします!!私はジャングルジムによじ登ります。
「ああああああああっ!!」
「宮村さんしっかりして!!どうしたの!?」
「ああああああああああああっ!!」
「宮村さん!?」
「本田さん……あそこ……私を見てる…別次元の住人が……っ!!」
……………………?
「千夜ちゃん離れるんだ。まぢヤバい。うちの同好会の先輩と同じ目をしてる!!」
「宮村さん?何も無いよ?青空だよ?誰も見てないよ?」
「わぁぁぁぁっ!!魅入られる…引きずり込まれるぅぅぅ!!」
「宮村さん落ちる!!暴れないで!!」
「莉子せんせーーっ!!あそこで生徒が狂ってます!!」
*******************
宮村さんは連れて行かれちゃった。
莉子先生に羽交い締めにされた宮村さんが連れて行かれたら周りの生徒達は何事もなかったかのようにゴミ拾いに戻っていきます。
私の班は3人になってしまいました…
宮村さんは心配だけど、私達も仕事に戻ります。
「こっちはみんながしてるから、あっちの方行こう?」
「ちょべりばー」「…………」
個性的な班員を連れて住宅街の奥に入っていきます。
ここら辺は結構広いお家が多くてお金持ちが住んでるイメージです。平日昼間の住宅街は心を落ち着かせてくれる穏やかな静けさに包まれてます。
「千夜ちゃん、ゴミないじゃん……もう帰ろう」
「だ、だめだよ…空のゴミ袋で帰ったらみんなに悪いよ。ね?室井さん」
「………………」
この人本当に喋らない…
と、困り果ててた私の目の前でカラスがゴミステーションのゴミを漁ってました。渡りに船とはこのことです。
「おらぁぁぁぁぁっ!!焼き鳥にしたろかっ!!」
「……千夜ちゃん…カラス相手に凄みすぎでしょ……怖。」
気合いでカラスを追っ払って散らかされたゴミを拾っていく。
折角ゴミがあるのに全く近寄ろうとしない香曽我部さんと何故か石ころを拾い始めた室井さん…
この人達やる気がないようです…
「やれやれ……」
散らばったゴミを一通り回収してゴミ袋を戻してたんです。
カラスに啄まれて穴の空いたゴミ袋を持ち上げて元の位置に戻そうとしたその時!!
--ズルッ
カラスの空けた穴からなにか白くて細長いものが落ちてきました。ゴミが出てきちゃったと思って火バサミで拾いあげようとそれに目を落としたら……
人の腕でした。
全身の血の気がサーーーッと、定時にさっさと退社する中年管理職みたいに引いていきます。異様な寒気が背筋を登り私の喉から引きつった声が……
「うわぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」
「なんだ!?」「………………」
尻もちついてひっくり返る私に香曽我部さんと室井さんが駆け寄って来ます。そして私の視線を追ってそれを目にして……
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!?」「……………………」
ひひひひ、人の腕がゴミ袋から飛び出して来ました!!マネキンではありません!!リアルな質感、血の抜けた真っ白な皮膚、皺のひとつひとつまでしっかり刻まれたそれはどっからどう見てもマジモンの人の腕です!!
パニックです!!冷静な思考が出来ません!!だって人の腕が捨てられてたんですから!!ぶったまげて目玉がブラジルまで飛んでいきます。
3人で全速力でその場から駆け出してギャーギャー悲鳴をあげながら逃げます。どうしたらいいんでしょうか!?
「りりりりりりりり!」
「ん?」
「莉子せんせーーーーーーーっ!!」
「ぐはっ!?」
走った先で見つけた莉子先生をラリアットでなぎ倒しました。良かった。
「ただただ助けてぇぇ!?え?は?え?」「うううう腕がぁぁぁっ!!」「………………」
「落ち着きたまえ…腕がどうしたんだい?見せてごらん」
「腕がぁぁぁぁぁっ!!」
なんでそんなに落ち着いてるんですか莉子先生!!どうして信じてくれないんですか莉子先生!!
「莉子せんせーの不信心者ーーーーっ!!」
--ドゴォォッ!!
「うぐはぁっ!?」
……莉子先生を3人で3分ほどフクロにした辺りで正気に戻りました。
落ちついてクリアさを取り戻した思考で事態を説明し、莉子先生を現場に連れていきます。
先生を連れてさっきのゴミステーションまで戻ってきました。さっきと変わらない状態で私達を待っていたゴミステーションの方を指さします。
「あそこに…人の腕が……ももも、もしかしたらゴミ袋の中にバラバラ死体が……」「はよ見てきて……」「………………」
「分かったから…落ち着きなさい」
莉子先生が問題のゴミ袋を確認しに行きます。腕は道に落ちてるのですぐに分かるはず…
「……どこにあるのかね?」
「「え?」」「…………」
が、しかし。莉子先生はゴミステーションの方からそんな呑気な声を投げかけてきました。
何をしょうもない悪ふざけをと腹を立てながら私達は恐る恐るゴミステーションに近づきます。
「……あれ?」「あれ?」「…………」
でもそこには人の腕なんてありませんでした。ただ散乱したゴミと穴の空いたゴミ袋が放置されてるだけです。
「そんな……っ私達確かに見たんです!!」「まぢだって、腕がポローンて」「……」
でもいくら見てもそんなものないんです。莉子先生も怪訝そうに私達を見つめたままため息を吐いて「揶揄うのはよしなさい」と私達を叱って戻っていきます。
取り残された私達は困惑するしかありません……
「……見間違えたのかな?」
「いや…んな訳ないっしょ。だってぜってーあったもん。3人で見間違えないっしょ?」
「…………」
「じゃあ……誰かが持っていった?」
私の憶測に香曽我部さんと室井さんの顔が青くなります。
私達が戻ってくるまで数分でした。その間に腕を持ち去った人物が居るとすると、このゴミステーションに腕を遺棄したことと合わせて考えたら…
「……ここら辺に住んでる人が腕を捨てたのかな?」
「ちょっ…怖いこと言うなって!!てか、アタシらが腕を見つけたから持ち去ったんならアタシらのこと見てたってことっしょ!?」
腹の底が冷えるような怖気が……
とにかく一刻も早くこの場を離れなくてはっ!確証もなくそう確信しました。
「その話、詳しく聞かせて貰おうか」
恐怖に駆られて逃げ出そうとする私達を呼び止める声がありました。
3人揃って振り返ったらそこにはチンピラと和服の女の子が2人立っています。
派手で趣味の悪いシャツに金縁のグラサンと虎柄の髪の毛、全身毛深い胡散臭い男の人です。
両脇に連れているのはおかっぱ頭で和服の似合う小さな女の子でした。
つまり事案です。
「千夜ちゃん!やべー犯人が殺しに来たぞ!?」「いや……この人…」
「落ち着け。私の話を聞くんだ…君達--」
「誘拐犯です!!」
「違う」
*******************
男はジョナサン・小西というらしい。名前からふざけてます。
彼は自称霊媒師とのことで、どうやら私達が目撃した腕について話を聞きたいらしいのです。胡散臭いです。
「その女の子は?」
「弟子です」
香曽我部さんが軽蔑しきった目で見つめています。だって怪しい上にちょっと気持ち悪いです。
警戒しまくりの私達をよそにジョナサン・小西さんは事情を説明し始めました。
「実はここら辺に住み着いている地縛霊が悪さをしているという話を聞いて成仏させに来たんだがその幽霊は昔事故で片腕を無くしていてね…」
「ウケるー、それがさっきアタシらが見た腕だって言うんスか?」
「察しがいいね…そういうことだ。その霊が地縛霊になったのは事故で無くした腕を探していたからなんだ…つまり腕を返してあげれば成仏できる」
なるほど事情は分かりました…
で?
その肝心の腕は綺麗さっぱり消えてなくなってしまってますが…?
私達がその事に言及するとジョナサン・小西さんは「うむ」と大きく頷きます。そしてとんでもないことを言い出すんです。
「消えたのではない…吸収されたのだ」
「「吸収?」」
「霊体とはすなわち肉体から解放された生命エネルギーの残滓…その不確かな存在が近しいものに同化して吸収されている」
……?
何言ってんのかよく分かんないです。やっぱりこの人怪しいです。
「その腕を切り離さなければならない」
「アタシらの腕を!?」
「違う…魂に引っ付いた腕をだ」
「それが私達の魂に吸収されたと言うんですか?」
「そうだ……」
ジョナサン・小西さんはそう言って1人の少女を見つめます。
先程から…というかずっっと沈黙を貫いている室井さんを……
「…室井さんに?」
「言っただろう…霊体は近しいものに惹き付けられ同化する。生命エネルギーの強いもの--俗に言う霊感が強いものに霊が見えたり取り憑いたりするように…この場合は霊そのものだが……」
………………?
「…なんだか室井さんが幽霊だと言っているようです」
「そうだ」
……………………???
香曽我部さんが真に受けて距離を取ります。なんだか知らないけどこの人急に現れて怪しい上に失礼です。
すかさず私が反論します。
「何言ってるんですか、室井さんは--」
『…いいよ。本田さん』
……?今どこからか声がしました。
しかしその声はこの場の誰の声とも一致しません。まるで脳内に直接再生されるみたいな変に響く声音でした。
……………………
私達は恐る恐る室井さんの方を見ます。
私達の視線を受けた室井さんは鉄仮面のような無表情を微かに綻ばせていました。
『いつかこの日が来ると思ってたんだ…』
「……っ」「まぢ?」
衝撃です。展開が早すぎて追いつけません。フリーズする脳内に室井さんの声だけが聞こえてきます。それ以外の音が全てシャットアウトされたように、彼女の静かな佇まいのように粛々と……
『私はとっくの昔に死んでるの…でも、その事実を受け入れることが出来なかった。私はほんとうはあなた達の同級生じゃないの』
「…そんな」
『いいの……今日は楽しかった。こっそり紛れ込んだ私にもあなた達は優しくしてくれた。それだけでもう満足…最後の未練だった友達が出来て、私ようやく成仏できるよ…』
「……ちょっと待てよ。じゃあアンタ、アタシらにしか見えてないの?」
『私が消えればみんなこの事は忘れる…でも、あなた達だけは覚えていてくれる?』
なんですかこれ?なんで突然こんなお涙頂戴な展開に?急展開すぎませんか?
そんなことはどうでも良くて……室井さんのとっても切なそうな、それでいてとても晴れやかな笑顔を前に私はどうしたらいいのか分からなかったです。
『……腕は返します。勝手に引っ付いてきたので…その人もちゃんと成仏させてあげてください』
「……それが私の仕事だ」
室井さんの姿が透け始めた。目の前で1人の少女が消滅しようとしている。私は思わず声をあげようとしてた。それを止めたのは室井さんでした。
『ありがとう…私の為に泣いてくれるんだね』
私は気づいたら泣いていました。
『でもいいの…やっと天国のおばあちゃんに会いに行ける……欲を言えば最後に今週のシャンプとブリキュアと…あと明日から発売されるモンモンハンターの新作と…あぁ、今度できたケーキ屋さんのモンブランも食べたかった……』
未練タラタラじゃないですか……
ふわりと足が地面から離れて青空に室井さんが吸い込まれていきます…
手を伸ばしても私の指は虚しく空をかくだけで、届きません。そんな私の肩にジョナサン・小西さんが手を置きました。
「……いいんだ。彼女はここに居るべきではない…これで現世に縛られたあの子も楽になれる。せめて、笑顔で見送ってやれ…」
「……っ」
--ありがとう。さようなら。
そんな声が霞んでいく室井さんから降ってきたような気がしました。
もうその声も姿も朧気で……頼りなくも確かなその声に私は返しました。
「今週のシャンプとブリキュアとモンモンハンターとモンブランはあなたの分まで私が堪能するからっ!!あなたのこと、忘れないからーーーっ!!」
私の声は届いたでしょうか?
きっと届いたはずです。
最後に室井さんが、微笑んだ気がしましたから……
「……てか今日初めて会った子によくそんな感情移入できるね千夜ちゃん……」




