浅野美夜の受験勉強!!
--あの事件からもう1ヶ月も経っていた。
季節の移ろい行く狭間…春の匂いを残した5月の青空は曇天の梅雨に移り変わり、大騒ぎもいつしか過去のものになり、皆が当たり前の日常を取り戻す。30日という時間は矢のように過ぎ去って、国会で新しい法案が可決されたり、どこぞの国の長い内戦が終わったりと、瞬きの間に世界は色を変える。
--ただ1人、私だけ置いて。
私、浅野美夜は今、失っていた時間を取り戻すようにみんなから遅れてゆっくりと新しい人生を初めていくんだ。
この人と一緒に…
「美夜、ハヨデテッテクンネーカ共和国の内戦が終わったんだって……キノコ派とタケノコ派が和解して新しい政権が樹立するんだって……今度からはかっぱえびせん派かぁ…」
「…………」
「あ、ここのチェーン店この近くにできたんだね…行こうか?」
「………………」
「美夜?どうしたの?聞いてる?」
チャラッ
……過去を取り戻すようにページを戻り、再び1枚1枚大切にめくっていく。そんな人生の第二幕……
今度こそ離れないようにと、私の姉詩音も今隣に居る。
一緒にページをめくるように……
チャラチャラッ
「美夜ー?」
「手錠外して!?」
これではページをめくるどころではないでしょう!?
リビングのソファに並んで腰かけた私達の手を鎖で繋ぐ手錠はどちらかが動く度にチャラチャラとやかましく音を鳴らす。
目をひん剥いて抗議する私にも姉さんはキョトンとした顔をして笑うだけ。
「え?なんで?これで絶っっ対離れないよ?安心だよ?」
不安しかない。怖い。
私はひとつ、償いようのない大罪を犯したのかもしれない。
姉さんが壊れた--
「やだよ!!私はそういう意味で言ったわけじゃないから!!トイレも風呂も寝る時も強制連行じゃん!!ねぇ、私が悪かった。許して?もういいよ?これからはお互いの人生生きよ?」
「美夜っ!!」
姉さんがバンッとテーブルを叩く。かつては見られなかった力強さと剣幕にこっちが萎縮する。手錠のせいで逃げられない。
「私は美夜のお姉ちゃんだから……」
「やかましいわ!!こんな姉貴ならいらない!!」
すごい顔で睨まれた。怒りというより悲しみのシワが刻まれた顔。端的に表現するなら般若。
「…………いや、ごめん……違うよ。その、まだ慣れてなくて…こういうの……」
やめろ私。馬鹿っぽい。なにが慣れてなくてだ、手錠繋いで生活するのに慣れるわけねーだろ。
「いいんだよ……ところで美夜、私に相談があったんじゃないの?」
「……っ」
……そう、朝っぱらから手錠で繋がれて仲良くテレビなんて呑気に観てるのは、私が姉さんに話があったから…
こんな真剣な話、手錠をかけたままするのか……?もう1回外すように交渉--いや…いいや。
「……姉さん、私さ……」
「うん」
「こんなこと…みんなや姉さんに迷惑ばっかりかけてきた私が言うのはおかしいんだけど……」
緊張で口の中が渇いていく。テーブルの上のグレープジュースで舌を湿らせて、意を決して告げる。
「……姉さんとこれから生きる為に…姉さんを邪魔しないように…なにより、もう一度向き合う為に……」
「……」
「……学校に行きたい」
*******************
保護観察処遇、1号観察。対象浅野美夜。
不良仲間数十人と市内高校に不法侵入し、生徒及び教職員に危害を加えた--
が、本人に反省の色が濃く、十分に社会復帰可能と認められた為、社会内処遇となった。
私は東坂愛子。
道を踏み外してしまった人達の更正を仕事とする非常勤の国家公務員…いわゆる保護司だ。
30歳。誕生日は2月29日。血液型AB型。独身、彼氏とは去年の大晦日別れた。原因は大雑把すぎるから。テープの端をテープカッターにとめないなんてありえない…破局を機に髪を切りました。
今日は担当になった1号観察対象、浅野美夜の下に面会に来ていた。
こうやって対象者がどんな生活をしてるか、更正するにあたって適切な環境にいるか、遵守事項を守っているか、なにか悩みはないかなど、定期的に対象の元に訪れて話をするのも私の仕事……
「学校か…行く気になったんだね…」
浅野美夜とその姉、詩音と応接室で面会した時、美夜本人の口からその意志を聞かされた。
……ところで。
「ところで…なんで手錠?」
「妹と離れないようにです」「助けてください!姉がおかしい!!」
…………大丈夫かしら?更正するにあたって適切な家庭環境?
まぁいいや。そんなことより美夜が前向きに未来を捉えるようになったのはとても好ましいこと。
この子は過去のトラウマや姉との確執が原因で今回の事件を起こしたみたい…
その経緯を考えると自分から学校へ行くことを決めたことや姉と仲良く(?)接している今の状況は確実に好転していってるはず。
私の目には、美夜はもう更正して第2の人生に向かって歩き出してるようにも見えた…
この子は悪い子じゃない。色んな悪いことが重なっただけ……
「それで…私の進学なんですが…」
「もちろん、サポートするよ。お姉さんに任せなさい」
「あの……お姉ちゃんは私なんですけど…?」
「市内の高校に入学したいと思ってます……可能ですか?」
「それはあなたの学力次第ね」
--北桜路市内の高校…
今パッと調べたかんじ、どこも偏差値が高い。ここら辺の高校はレベルが高いんだ…
「…………あの」
「ん?」
「……もし可能なら…姉と同じ高校に通いたいです」
「っ!美夜……」
俯きがちにそう告げた美夜には驚かされる。
つまり自分が事件を起こした学校に編入したいと……
流石に即「おっけー頑張ろう」とは返せない…学校側がなんて言うか分からないし彼女の事を考えてもそこだけはやめた方がいいとも思う……
「ちゃんと向き合いたいんです……」
でも、そんな懸念も美夜のまだ幼いながらも真っ直ぐな瞳にすぐに霧散することになる。
本人の為、この子が起こした事件に巻き込まれた生徒達の為にも決して背中を押してあげられることでは無いかもしれない。
けど、ひとつだけ言えることがある。
この子はもう、自分の罪と向き合って強く生きてる……
浅野美夜に保護観察の必要はない…私はそう思った。
「……できる限りサポートしてあげる。でも、可能かは分からないし、あの学校に入ることばかりが罪との向き合い方でも、償い方ではないんだよ…」
「美夜ーー。お姉ちゃんと一緒に学校行きたいんだね♡ちゅっ」「うわぁぁっ!!やめろぉぉっ!!寄るな…っ!姉さんクスリでもやってんの!?まじで壊れた!?」
「なにより、これからのあなたの人生…贖罪だけじゃなくて、あなた自身の為に生き…聞いてる?」
狂気に染まった姉と助けを求める妹…手錠で仲睦まじく繋がれた2人を眺めながら思う。
こんなお姉ちゃんなら非行に走っても納得だなって……
*******************
残念なお姉ちゃんを眺めてたら家のチャイムが来客を告げる。
「あ!きたきた…」「姉さんっ!!手錠!!痛い痛い痛い痛いっ!!」
もはやコントのような2人のやり取りをぼんやり眺めつつ尋ねる。
「誰か尋ねてくる予定があったの?じゃあ私はそろそろ……」
「大丈夫です。私の学校の先輩でして…」
「え?」「え?」
「…おじゃまします」
「久しぶり、浅野さん……えっと、独創的なお出迎えだね……」
「?よく分かりませんが…いらっしゃい、潮田先輩、広瀬先輩」
詩音が呼んだ先輩というのは眼鏡をかけた少女、潮田紬と糸目の男子、広瀬虎太郎。
この2人は知っている。たしかあの事件の時解決に奔走した無茶な生徒…
「今日は無理なお願いを聞いてもらってすみません……」
「いいよ。なんでも頼って、浅野さん」
「俺はともかく…紬さんには無理なお願いだよホント……」
応接室に新たに2人が加わる。
私がここにいていいのだろうかとも思ったけど、保護観察対象の交友や日常生活を知っておくのも仕事だと思って改めてソファに腰を落ち着けた。
「昨日美夜が学校に行きたいって言った時、おふたりに家庭教師をお願いしたの」
「は?」
明らかに居心地の悪そうな美夜が姉の突拍子もない発言に目を丸くする。そして呼ばれた2人は手錠にじっと視線を向けている。
「美夜…受験勉強なんてしたことないでしょ?私だけじゃ不安だから……」
「……は?いや…自分でするし…姉さんどういう神経してるの?この人達3年だし自分らの受験勉強あるでしょ?」
たしかに。
「それに私はこの人達に……」
再び不安に表情を曇らせて俯く美夜に詩音はその背中を叩きながら力強い言葉で美夜を励ました。
「向き合うんでしょ?」
「……っ」
次の瞬間、詩音は勢いよくその場で立ち上がり手錠に引っ張られた美夜も無理矢理起立させられた。
「姉さん!!痛い……っ!」
「この手錠はこうするためにつけてるの…詩音先輩、広瀬先輩……」
無理矢理美夜を立たせて2人並ぶ詩音が見上げる2人の先輩に向かって深々と頭を下げた。
「ずっとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。この子の為に力を貸していただけないでしょうか」
「……姉さん」
自らの頭を深く下げる姉の姿に美夜も唇をぎゅっと結ぶ。勇気のおまじないのように手錠の繋がった姉の手を握り美夜もまた詩音同様頭を深く下げていた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。いつかは失礼なことも…その……ごめんなさい……」
拙くビクビクと怯えた様子でも、たしかに自分の言葉で謝った。
2人並んだ姉妹の姿は微笑ましくも頼もしく映った。もう心配することは何も無いなって、改めて確信する……
私同様に、参ったように糸目君が笑って、眼鏡さんが柔らかく後輩を見つめて微笑んだ。
「……強くなったね。2人ともが……」
「「……はい」」
「私の指導は厳しいよ?覚悟するよーに」
「………………」
ふんすっと頼もしく胸を張る潮田を隣で糸目を薄く開いた広瀬が白い目で見つめていた……
--深い溝があるはずの皆がその溝を乗り越えて、さぁ始まった勉強会。
……は、あっさり暗礁に乗り上げることになる。
美夜が、では無い……
「……?……???…ど、どうしてこれが4に……?そもそも、この小さい2はなに…?」
「2の2乗は4だろ?」
「……?????????」
受験を控えたこの元生徒会長、どうやら全く授業についていけてないらしい。
始まる前の広瀬の白い目の正体はこれだ…
美夜に教える為にまず潮田が広瀬に教わるというところから始まった。何しに来たお前。
「どうして?3が2個あったら6だよ…?3+3は?6でしょ?」
「3×3なんだよ。9だろ?」
「だって…2の2乗は4でしょ?2が2個で4じゃん……だったら3が2個で6でしょ?」
「……は?」
「???????」
「やる気ある?」
「国語科は問題の中に必ず答えがあるからね。よく読んで」
「……ん」
合コンで完全分離した男女グループの如く、テーブルの対岸では浅野姉妹が勝手に勉強会を始めている。なぜ呼んだ?
学年1位の秀才だと言う浅野詩音…受験の過去問を用意して丁寧に美夜に教えていく。
……あの偏差値ならそこそこレベルも高いんだろうなぁ……
自分がどれくらい解けるかと気になって、ちょっと覗いて見たくなった。今やってるのは国語科みたい。国語、社会あたりは比較的優しいよね……
--次の一節から作者の心境を読み解きなさい。
どうしてだい?と先生は問いかける。俯いた少年はその問いに答えずにただ黙ってたかちゃんのリコーダーを握りしめていた。少年の唾液に濡れたたかちゃんのリコーダーはてらてらと斜陽を浴びて光っている。
知らん。
この一節をどんな気持ちで書いたかって?知るか。知りたくもないわ。
たかちゃんって男?なんか男っぽいよね?タカオとかタカシとかでしょ?
男が男のリコーダーを舐めてたのを担任に見つかったってこと?
中高生なら変態的趣向だろうけどリコーダーって小学生…よね?多分。イタズラ?
いやないな……
この少年は好きな子のリコーダーと間違えてたかちゃんのリコーダーをしゃぶってしまってそれを担任に咎められた時に気づいてショックから顔を俯けて……
なにを真剣に考察してるんだ私は……
「……作者の心境…これは多分作者自身の経験に基づいて書かれてる…だからこれは過去の罪の告白…リコーダー舐めちゃったたかちゃんへの懺悔?どう?姉さん……」
「よく読んで?そもそもこの文章の登場人物は「先生」と「少年」でしょ?「僕」とか「わたし」は居ない…つまりこの一節は先生と少年以外の第三者視点なの」
「……なるほど」
「これは昔そういう生徒がクラスに居たよって体験談…つまりこれは暴露本なんだ。作者はこの少年のことが嫌い。だから後年に少年の恥ずかしエピソードを小説にしてるの。『嫌がらせ』が正解だね」
「……なるほど」
何だこのクソみたいな問題は。てかこれなんの小説の一節だ。
「美夜は頭がいいね。これならすぐにうちの高校に入れるレベルまでいけるよ。問題は面接か……」
詩音はうーんと頭をこねくり回す。
たしかに面接練習は自宅では難しいだろうな……
詩音の目がキランっと光って私に向く。
「……すみません、面接練習で面接官やってもらっていいですか?」
「……」
……これも仕事。対象の更正への一歩。サポートすると言ったばかりじゃない。
「OK」
「……浅野美夜です。よろしくお願いします」
「どうぞお座りください」
練習だってのにガチガチに固まった美夜が向かいの椅子に座る。こうして見たらただの受験生だ。不良達を先導して事件を起こした首謀者になんてとても見えない。
面接練習か…懐かしいな……
「少し声が小さいよ、美夜。本番は教室だろうから、もっと声を張らないと」
「うん……」
奥でようやく中2レベルくらいにまでは到達したかという潮田、広瀬コンビの勉強会を眺めながら、こっちはこっちで面接練習を開始する。
詩音から自分が昔受けた面接の質問内容のメモを手渡される。
「では浅野さん、まず自己PRをお願いします」
「はい…私は……えっと…………その……中学時代は勉学に……励み…その後、反社会的運動を…………」
「……」
「……ダメだ…姉さん、私はなにをPRしたらいい?」
「頑張って美夜!!美夜のいい所はいっぱいあるじゃない!!」
「……っ!毎朝5時半に起きます!」
「……早起きですね」
「ご飯も沢山食べます!!」
馬鹿か。
まぁ……仕方ないか。中学では部活動、生徒会活動等はなし。その上こんな経歴では……
「えっと……では……」
……え?なにこれ?ほんとにこれ訊かれたの?
困惑しつつ私はメモ用紙にある通りに進める。
「……あなたはユーカリを法で取り締まるべきだと思いますか?」
「え?」
「コアラが心配ですか?」
「あ…………はい…心配です」
「あなたはコアラの為に今までどれだけのことをしてあげましたか?」
「…………え?コアラの…為に…?特に……何も……」
「そんなあなたにコアラを愛でる資格がありますか?」
「………………いえ」
「動物園に行ったことありますか?」
「昔……家族で……」
「虎におしっこかけられた事ありますか?」
「コアラじゃないんかい…いえ」
「客に小便ひっかける虎をどう思いますか?」
「……いいんじゃないですか?動物だし……」
「寛容さといい加減さは別です。ダメなものはダメと言わなければいけません。あなたに我が高に入学する資格はないでしょう」
「…………えぇ」
メモに書かれたいくつかのパターンのうち、美夜の答えに近いものを選んで返していった結果、落ちた。
「ダメだよ。面接では自分の意思と意見をしっかり伝えなきゃ……」
「え?……あんなふざけた面接で私のなにが分かるの?」
………………
手元のメモ用紙と、奥で中2の参考書に四苦八苦する高校生。
交互にそれらを見つめてから私はゆっくり立ち上がった。
そして……完全な善意で私は美夜の肩に手を置いていた。
「愛子さん?」
「……美夜、あなたが本気で自分の将来考えてるなら…この学校だけはやめておきなさい」




