反撃、そして最強のジョーカー
「トイレ行きたいんやけどっ!!」
え?ウチが何をしとるかって?
トイレに行かせてほしいんや。
勘違いせんでな?いっつも催しとる女みたいに思うたらアカン。
これにはちゃんと訳があるんや。
楠畑香菜、17歳。好きな食べ物はお茶漬け。
ウチは今、よくわからん状況に巻き込まとる。
突然ウチの学校に押し入った謎の集団、『生徒会に虐げられた會』略して『せいし會』。そいつらにこの体育館まで連れてこられて今身動き封じられとんのやけど……
ウチの見つめるステージ上……
そこで頭から白い液体被って縛られとる2人の女子--
長篠風香と田畑レン。残念なウチの友人達や。
このせいし會っちゅー奴らの狙いは学校教育がどーとかよく分からんこと言いよったけどつまり元生徒会のメンバーを処刑することらしい。
つまりっ!ウチの友人2人は今命の危機!!
メイド喫茶常連のメガネが斧を抱えてその時を待っとる。物騒この上ない絵面や。数分後この体育館は真っ赤に染まることになるやろう。
友人の血で……
それを黙って見とる訳にもいかん。
そういう訳で、ウチはこうして連中の気を引くことにしたんや。ウチの勇気ある行動に賞賛を送ってもらってもええで?
「……楠畑。お前…」「こんな時にもウ○コかよ……」「あんた空気読みなさいよ…筋金入りの脱糞女ね…」「ちょっと!言い過ぎよ!生理現象なんだから!仕方ないじゃない!!」
………………
トイレに行かせてもらったところで、特に考えがあるわけやなかった。
驚いたやろ?なんか考えがあるんやと思ったやろ?ないんよ。気づいたら口が動いとったんよ。
ウチが気ぃ引いとるうちに逃げられへんかなー?みたいな、それくらいのふわっとした考えなんよ。ウケるやろ?
死のうかな?そうや死のう。どうせウチは脱糞するしか能がない女……
「--黙れっ!!!!」
体育館内を震わせる怒号。ウチのウ○コ要求に大ブーイングの館内もしんと静まり返った。
いや、ウ○コとは言ってへんけどな…?
館内を静まらせたんはステージ上の浅野やった。無機質な印象すら覚える冷淡だった浅野の顔が、怒りのような感情で赤くなっとった。
「お前らだってトイレくらい行くだろっ!!」
……え?なに?
「行かないのか?え?行くだろ!トイレに行きたくなって何が悪い!?ウ○コが状況を選んで出てきてくれるか!?ウ○コはいつだって催す!!」
…………
「そうやって恥ずかしいことを勇気を出して行動した者に対して、理不尽な怒りやからかいで罵声を浴びせる!!そしてそれを黙って見ている大人達!!これだっ!!」
………………いや、あの……
「これが私達を虐げた腐った学校教育なんだっ!!」
…………なんやこいつ、良い奴やん。
でも、ひとつ知っといてほしいのは、その優しさが人を傷つけることもあるっちゅう事やな…
恥ずかしいからやめてくれへんやろか…あと、別にウ○コとは誰も言ってないし…
「そこの君!!」
「え?」
浅野がウチのことビシィィッ!!て指で指し示した。
「行ってきなさい。トイレでも…家でも…好きな所へ……あなたは自由よ」
「へ?」
「あなたは私達の同志…さぁ、心ゆくまで脱糞するといいわ」
「……………………」
「名も知らぬ少女よ……あなたはこれから何者にも囚われることなく、自由にいつでも好きな時に脱糞しなさい。みんな!!よく見なさいっ!!この子がっ!この顔がっ!!学校教育から解放された脱糞の戦士っ!!」
「…………………………」
「あなたの勇気ある行動が脱糞の自由を勝ち取ったの。おめでとう。これこそ今から私達の成す革命の姿…真の自由と脱糞を手に入れた本物の脱糞女の--」
「あの」
「ん?」
「何を言うとるのか全く分からんのと…脱糞はもうええんよ……」
「……?」
「脱糞はもうええけ…殺して?」
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1人の勇気ある行動が脱糞の自由を勝ち取った。しかしこの勇者の真に勇気ある行動とはその先--自らの自由を放棄してまで仲間を救おうとするその自己犠牲の精神だった!
脱糞女は脱糞の戦士にランクアップした。
私、空閑睦月はこの歴史的瞬間に立ち会えたことを光栄に思う。
「何を言ってるの?あなたは自由だ」
「いや殺して!?ウチが代わりに処刑されたるけんっ!!あんなことみんなの前で言われたらウチ明日からどんな顔して学校通ったらええの!?ええからっ!!ウチが代わりに殺されたるから!!」
「楠畑っ!あんた何言ってんの!?」「馬鹿なこと言わないでっ!!」
羞恥心から顔面崩壊させながら殺せコールを飛ばす脱糞の戦士にステージ上で女子2人が叫ぶ。
みんなの目の前で女の子に『脱糞』を連呼した浅野何某はポカンとした顔で脱糞の戦士を見つめていた。
正直、浅野がなんの逆鱗に触れてキレて、何に感動してあの意味不明な演説をしたのか全く分からん……
そしてこの危機的状況でも変わらず催す香菜ちゃんはやはりどこまで行っても脱糞女なのだ。
「殺せぇぇぇぇぇぇっ!!辱めるだけ辱めて!!なんのつもりやねんっ!!おいお前!!大勢の前でウ○コ女とか脱糞とか言われる女子の気持ちが分かっとんのか!?」
「……っ?……??」
「ウチだってなぁ!?傷ついとんのやぞ!?みーんな平気な顔して脱糞女とか言うけどな!?ウチだって好きで漏らしよる訳やないんよ!!ウチだってなぁ!?好きでパンツ汚しよるんやないんよ!!」
「…………ど、どうしたの?脱糞の戦士……」
「だからそれやめろやっ!!張り倒すぞ!?大体おどれらは漏らしたら脱糞女言うし、トイレ行きたい言うたら空気読めとかいっつも催してんなとか…おどれらには優しさっちゅうモンはないんか!?」
「…………」「楠畑……」「……」「…………」「香菜ちゃん……」
脱糞の戦士の心の叫び--それは今日まで脱糞の称号を背負い続けてきた香菜の秘められたる心の叫び……
人々の心に直接殴りかかってくるような、暴風のような心の叫びに皆が視線を俯かせた。
「ウチだって……ウチだって…たまには可愛いとか綺麗とか……言われたいんよ…」
膝から崩れ落ちた脱糞の戦士。その姿は長年背負い続けた茶色い自らのレッテルの重さに耐えかねたかの様だった。
「……ウチは脱糞女やなくて…楠畑香菜なんよ……」
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「……どういう状況?」
数々の刺客を(漏らさせて)倒し、なんとか体育館の入口まで辿り着いた…が。
こっそり覗いた先で繰り広げられてるのはちょっとよく分からない展開だ。
「虎太郎!よく見えないよ…どうなってる?みんな無事?」
「広瀬先輩……美夜は…?」
後ろから紬さんと浅野さんがグイグイ押してくる。
先程から様子を伺っていたが、俺らが到着した時、浅野美夜と思われる人物がステージ上で何やら脱糞の戦士だの真の自由と脱糞だのと叫び出し、それに対しおそらく脱糞の戦士だと思われる女子が発狂してた。
「……よく分からないが、とりあえずみんな無事だ。そして、勇敢な(脱糞の)戦士が自分が人質になると申し出ている…」
「……っ!なんてこと…その子が時間を稼いでくれたの?」
「いや……違う。多分ヤケになってるだけ…そういえば自分で楠畑香菜とか名乗ってるぞ?」
『なに!?』
俺の言葉に紬さんのケツが引っ張られて薄く開かれた扉の隙間にめり込む勢いでくっ付いた。バレたらどうする……
『香菜!!間違いない…っ!なんか泣き崩れてるけど…あいつらっ、私の友達に何を……』
「お、落ち着くんだ花子さん!今飛び出してもやられる!なんか知らんけど今事態は拗れてるようだ!今のうちになにか手を打つぞ!」
俺らは一旦体育館から離れる。
渡り廊下から見える校門前では、警察とせいし會が膠着状態だった。
外の連中に見つからないように身を屈めて、これからどうするかを相談する。
「……浅野さん、今なら妹さんを捕まえるチャンスはある…警察はまだ来ない…」
「はい……妹に会いに行きます」
「私達はみんなを助けないと……」
「落ち着け」
気持ちの逸る2人を抑えてから冷静に頭を働かせる。焦るな……見極めるんだ……
「敵の数が多い……それに元生徒会メンバーはみんなステージ上で拘束されている…敵の数と人質の存在…こちらが不利だ。奴らの不意をつかなければ…」
「花子さんが脱糞させられるのは一度に1人……」
「あの…先輩、さっきから花子さんってなんですか?それに…突然敵がみんなみんな漏らすあれは一体……」
浅野さんには霊感がないらしい。ないなら気にしなくていいんだ…
「……また紬さんのケツを見せたら泡吹いて気絶しないだろうか……」
「全校生徒の前で?絶対やだ」
『早くしようよ!!考えたってしょうがないでしょ!?』
「俺らが捕まったら終わりなんだぞ!?」
「……私に考えがあります」
纏まらない作戦に案を出したのは浅野さんだ。
彼女は武器として持ってきてた消火器を抱えあげて説明する。
「さっきちらっと中を覗いた様子では、ほとんどの生徒は縛られてなくて手足が自由でした…なにかのキッカケがあれば、人質になってる生徒達が加勢してくれるのでは…」
「キッカケ……」
「木を伝って体育館の2階から侵入して、消火器で攻撃します。ステージ上の元生徒会メンバーが自由になれば…」
反撃の可能性はある…か。
それは賭けだ……生徒達が加勢してくれるかも分からないし、危険も伴う。ステージ上を奇襲したとして、全員を解放できるか……
「虎太郎…やるしかない」
運に大きく委ねた作戦に不安を募らせる俺の背中を紬さんが押した。確かに奴らがいつまでも大人しくしているとは限らない…
時間は限られているのだ……
「……よし。やるぞ」
『1人なら無力化できる。任せて』
--ミッション
消火器奇襲大作戦!!
木を伝って体育館の2階通路から侵入、ステージ上を消火器で奇襲して生徒達の反撃を煽る。
あとはまぁ上手いことやって俺と紬さんで元生徒会メンバーを救出、花子さんは敵の無力化、浅野さんは妹の相手だ……
この作戦--最終的な勝利は浅野さんにかかっている。組織の頭である浅野妹を倒さねば、奴らは攻撃は終息しないだろう。
校舎から消火器を持ってきて、いざ作戦開始……
「はぁ…はぁ……」
「虎太郎、しっかりして……」
「くっ…消火器担いで木登りは…無理がありました……」
早速作戦が頓挫しかけている。エージェント虎太郎と詩音の体力が木登り出来ない程にもやしだった。
まして木の上から2階の窓を割って侵入なんてアクロバットが可能なのか…?
早くも雲行きが怪しいが…やるしかない。頑張れ虎太郎!!
なんとか紬さんの手を借りて目的の高さまで来た……
「ふぅ…もう疲れたよ……ここからあの窓目掛けて飛び込むよ」
「ひぇ…結構高いじゃないか…落ちたらどうしよう……ガラス片で怪我しそう」
『この期に及んでナヨナヨ女々しいこと言ってんなよ!!行け!!はよ!!』
いや……ジャッキー・チェンじゃないと無理だって……
やっぱり無理があったか……消火器抱えて2階に飛び移るなんて……
「……紬さん、ここは1番身体能力が高い紬さんが--」
『はよ行け』
なんか押された…ような気がする!!
不安定な木の上でバランスを崩した俺の体が直前で枝を蹴った推進力と重力に引きずられて弧を描きつつ、しかし確実に落下を--
「うんぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」
「--こない言われて生きていけんわっ!!アンタらが殺らんのなら自殺するっ!!」
「いやちょっと待って…ごめんなさい…そんなつもりなかったから…ごめんて。完全に誤解だから。私は君の勇気に敬意を--」
--バリンッ!!
緊迫の体育館に割り込むガラスを突き破る音と共に、俺の体が転がりながら体育館2階通路に突っ込んだ。
危うくそのまま下まで落下するところだったが、手すりにぶつかって辛うじてそこで止まる。しかし全身にガラス片が刺さった。
「痛ぁぁぁぁぁぁっ!!」
「っ!?」「なに?」「誰?」「何かが飛び込んで来たぞっ!!」
ざわめきと共にステージ上のせいし會メンバーと目が合った。
中央に並べられた元生徒会メンバー達が顔を上げて唖然とする。その後ろで浅野美夜が俺を見上げて血走った目を剥いていた。
驚きと、動揺の硬直。
俺はすかさず消火器のピンを抜いた。
「みんなぁっ!!こいつらを抑えるんだァァァァッ!!!!」
叫びながら身を乗り出して真下のステージ上に向かって消火液を噴射する。真っ白な消火液が煙幕のようにステージ上に降り注ぎ俺とせいし會の視界を分断した。
状況が飲み込めずぽかんとする生徒達。
固まって動かない生徒達が見守る中、遅れて紬さんも飛び込んだ。
「みんなっ!!今がチャンス!!私達が抑えるからステージの上のみんなをっ!!」
上から声を張り上げる紬さん。その声に真っ先に弾かれたように反応したのは壁際に追いやられていた先生達だった。
勇敢な男性教師達が次々消火液にまみれた壇上にかけ登っていく。
それを見て俺らも2階から梯子を伝って降りる。
早く……奴らが奇襲で面食らってるうちに……みんなを助けないと……っ!
「みんな!動ける人は直ぐに逃げるん--」
下まで降りた俺の叫びが遅れてパニックになる生徒達に向かって飛ぶ。それを寸断したのは腹に直撃した重たい衝撃だった。
「うごっ!?」「虎太郎っ!!」
体が吹っ飛んで壁に叩きつけられる。これは……ボウリング球!?
ステージ上から煙幕を割って飛んできたその凶器--ボウリング球を手に持った敵が、消火液をかき分けて悠然と姿を現す。
それから遅れて次々ステージ上から落ちてくるのは、白い液体まみれになった先生達……
「ふんっ!」
ボウリングの男が手にした球を追い打ちで放ってくる。すんでのところで紬さんが空の消火器の容器で球を弾いてくれた。
『紬!気をつけて!!こいつはさっきの兄弟より強いよ!!』
「……っ」
「……舐めた真似をしてくれたな。やはり貴様らはどこまで行ってもクズだ…俺はせいし會最高幹部、ボウリングの田島。神聖な儀式をぶち壊した貴様らは俺の手で頭を潰してやろう。」
くそっ!失敗だ!!
消火液での奇襲で敵の視界を封じて、先生達も加勢してくれたのに…まだこんな化け物が居たなんて……っ!!
そういえば……浅野さんと妹は!?
今だ白い煙幕が立ち込めるステージ上の様子は伺えない。元生徒会メンバーが助かったのかも……
しかし、今はそれどころでは無い……
呼吸がしずらい……口の中で血の味がする……動けない……
「…紬さん、俺があいつを止めるから…みんなを……」
「ダメっ!こんな状態で置いていけないっ!!」
「行くんだっ!!」
「……っ!」
痛みに軋む体で大声を張り上げるが、紬さんは退かなかった。この人は、相当頑固だ。
「行くぞっ!!ボウリングナックルっ!!」
片手で泥団子でも持つようにボウリング球を振り上げてボウリングの田島が迫ってくる。まさか殴りかかってくるとは…
「はぁぁぁっ!!」
しかし怯まない紬さんは空の消火器を田島に投げつける。しかし、消火器という重量物の投擲、奴ほどの男に当たるはずもなく虚しく躱される。
しかし、躱す為に身をよじった田島の回避先に紬さんが回り込んだっ!
「むっ!!」
「食らえっ!!」
わざと避けさせたんだ……どっちに動くかコントロールする為に……
田島に背中を向けて腰を引き、脚を踏ん張ってケツ力を振り絞る。こんなに気合いの入ったヒップドロップがあるかという構えから紬さんの体がロケットみたいに発射した。
が--
「無駄だァっ!!」
「っ!?」
紬さんのヒップドロップをあろうことか重たいボウリング球を素早く盾にして受け止め、そのまま紬さんを弾き返したっ!!
こいつ…本当に金剛兄弟より強い!!
「きゃあああっ!!」『うわぁぁぁっ!!』
紬さんと花子さんが俺の方まで吹っ飛ばされる。
ダメだ…強すぎる……俺らでは勝てない…
「紬さんっ!!」
「…虎太郎……逃げて……」
「…っ!約束したろ?守るって!!」
『あの、私の心配もしてよ……』
体が痛い…脚がガクガク震えてる。痛みか、恐怖か--
それでも、逃げるわけにはいかない。俺は倒れる紬さんの前に立ち田島と対峙する。
「…ほう、腰抜けかと思ったが…ふん、骨のある奴だ。度胸と覚悟だけは認めよう…が、お前では俺には勝てない」
「……っ!」
「無駄な足掻きだったな…せっかくお前らが作ったチャンスも……パニックで混乱した生徒達は無駄にした。逃げようとした生徒、生徒会を助けようとした教師…もう部下にやられてるはずだ…あとはお前ら2人--」
勝ちを確信してにじり寄る田島…逃げ出そうとする脚を叱咤して覚悟を決める。
そんな俺と田島の前に、床を滑るようにして人が突っ込んできた。
その姿に田島はぎょっとして驚きを隠せない声をあげた。
それはせいし會の白ずくめの服の男で、激しく全身を打ち付けたような…まるでトラックにでもはねられたようなものすごい傷を負っていたから。
まさに今、田島自らが発した生徒達と教師達はとっくに部下が始末してるだろう--という言葉を裏切るような光景だ。
「……なっ、お前…何が--」
「田島さん…後ろ……」
かすれた男の声に俺も田島もハッと視線を向けた。
充満した消火液のカーテンが薄れ行く中で、その男は立っていた。
全身に返り血を浴び、両手にボロボロの敵の頭を掴んだ姿は鬼や悪霊を思わせる凄まじさで、不安から固まる生徒達を背に庇うように経つ姿は仁王のようにすらも見える……
細い体と両腕は枯れ枝のようで、曲がった背から前に生え出す頭を覆う髪の毛は目元に深い影を落とす。
影の中で爛々と輝く瞳には見るものを圧倒する闘志--あるいは殺気があった。
そして周囲に散らばった倒れたせいし會のメンバー達は、彼にやられたのは明白だった。
この男……バッチの色からして1年生…
だ、誰……?
「……っ、貴様…たった1人でうちの精鋭を!?なっ…何者だっ!!」
俺の疑問を田島が口にする。
男はゆっくりとナイフのような視線を向けて名乗る。
「……彼岸三途」
………………あ、剣道部に入ったものすごい強いと噂の…?
「……貴様、只者ではないな。これほどのプレッシャーを感じたのは生まれて初めてだ。それほどの牙を持ちながら…よく大人しくしていたものだ」
「……買い被り過ぎ…俺が暴れて誰かが傷ついたら困る……でも、消火液がお前らの視界を上手いこと覆い隠してくれた」
「……っ。ふん、不意打ちか。それはお前自身、正面からこの数を打ち倒す自信がなかったと言うこと…残念だが俺はせいし會の全メンバーを相手にしても10秒で皆殺しにできる」
なんてやつ……
「つまりお前では俺には勝てんぞ…彼岸三途」
「……………………」
ゆるゆると田島の体が揺れだした。脱力した体が手に持ったボウリング球を重りに振り子のように振れていく。
まるで田島の輪郭がぼやけていくような……
「遺言を言え--貴様の力に敬意を表し、最期の言葉を聞いてやる」
「………………それは死ぬ時に言うよ。先に地獄に逝って待ってな」
「死ねぇいっ!!!!」
田島が消えた!
まるで霧のように掻き消えたように見えた。次の瞬間、彼岸君の真横に現れた田島の手からメジャーリーガーの投げる豪速球くらいのスピードでボウリング球が放たれた。
それを見もせずに右腕1本で払う彼岸君。腕で受けただけで痛そうなのに……
「--見事っ!!だが隙ありだっ!!」
右腕で球を弾いたことで体の右側が無防備になる。そこに滑り込むように田島が彼岸君の懐を取った。
田島のボウリング球が拳と化して迫る。間に合わない。右の肋骨を確実に粉砕する一撃--
--パァンッ!!!!!!
すごい音だった。
まさに今、田島の一撃がヒットするかと思われたその時、空気が破裂するような音と衝撃が走り抜け耳がキーンってなる。
何が起きたのか--それは俺の目には見えなかった。
ただ、瞬きの間に終わっていた攻防の結果だけ見るに、彼岸君の持ち上げた膝の直線上で頭を引っこ抜かれた田島が天井に激突して落下していた。
「…………」「…………」「…………」「…………」『……』
その場の全員が言葉を失った。その中央で彼岸君はなんだか照れ臭そうに頬をかきながら小さく会釈。
「……終わったッス」
人間とはあんなに飛ぶんだってことを、俺は初めて知ったのだ。




