お姉ちゃん逃げない
「……浅野さん!?」
「どうしてここに…っ」
糞尿に塗れた汚物地獄--その真ん中で予想外の人達との邂逅を果たす。
元生徒会会長の潮田先輩と元広報の広瀬先輩…2人の驚きの声がゆるゆるの汚物の上に人が倒れる音に混じって届いた。
--私、浅野詩音は今、学校に居ます。
妹を助ける為に……
--校内に侵入してきた謎の不審者集団。
先生からのお使いで別館に居た私は彼らの襲撃を辛うじて回避できたけど、他の生徒や先生方は彼らに捕まってしまった……
と、思ってた。
現在、妹--美夜がこの学校に来ているというメッセージを受け取り、私は意を決して本校舎へやって来ていた。
そこでまさかこの2人と遭遇するなんて……
しかも、何この状況?
立ち込める悪臭。不快な熱気。倒れる人達……いや、うち1人は私が殴り倒したけど。
どういう状況なのか、お互いぽかんとして見つめ合う私達。硬直を解いたのは汚物に沈んだ不審者の人だった。
「……ボス?なぜ…ここに……どうして俺を……?」
……ボス?私の事を言ってるの?
………………
「浅野さんじゃないか!!ここで何して--」
頭が勝手に情報処理を始める中で興奮した様子で広瀬先輩が私の方に寄ってきた。
勢いよく近寄ってくるものだから、足下に広がった汚物に思いっきり滑った。
「ぎゃーーーーっ!!」
「うわぁぁぁ!!虎太郎ーーーっ!!」
「きゃあっ!?」
混沌を極めた事態は…不穏な気配を孕んだままゆっくりと前進していく……
by.浅野詩音
*******************
「……先輩、この服はもう捨てた方がいいと思います」
「……うん」
「虎太郎…臭い……」
「うん……」
先輩可哀想……
上裸になった広瀬先輩と鼻に洗濯バサミを装着した潮田先輩がパーティーに加わった。1人より3人の方がいいに決まってる。
私達は汚物まみれの廊下で汚物に汚れた不審者--金剛さんを拘束する。全身汚物まみれだから、トイレからゴム手袋持ってきた。
「さて…お前には色々訊くことがあるぞ?」
転んで汚物まみれになった広瀬先輩が八つ当たり気味にキレながら金剛さんに凄む。その前に茶色い視線を私に向けた。
「でも先にお互いの現状を把握しておこう。浅野さん、なんでここに…?君は無事だったのか?」
「……はい。私、この人達が入ってきた時別館に居て……」
「なるほど……それで1人で脱出して来たんだね。でもそれなら学校から逃げ出せば良かったのでは?」
広瀬先輩の言う通りだけど……私には行かなきゃならない事情がある。
「……妹が、ここに居るんです」
私の言葉に先輩達は目を丸くした。驚きもするだろう…なんせ妹はここの生徒じゃない。あの子がこの学校に来た時、この学校にとってろくなことが起きない……
「妹さんが?どうして?」
「……分かりません。ただ昨日、そういうメッセージが届いてて…そしたらこんな事に……」
自分で口にしながら、私の中で嫌な予感が募っていく。まさかと思いながらも拭えない可能性--
メッセージにあった、今日は学校に来るなという忠告とも取れる文章…今自分で心の中で口にした、あの子が来る時学校にとってろくなことが起きないという言葉…
あの子はこの騒動に関わっているのでは?
それにさっき、この金剛さんが気になることを口にした…
「……なるほど、妹さんを助けに来たのね…浅野さん」
「……はい」
はいと口にしながら、疑惑を抱えた私。『助けに』ではなく、『確かめに』が正確なのかも……
「私達もたまたまこいつらから逃げきれたの…ただ、他の生徒は捕まったみたい」
「それは私も見ました…みんな体育館に連れていかれて……」
「……うん、当たったね。体育館に居るって……うるさい。臭いのはあなたのせい…虎太郎に謝って」
…?
1人で突然喋りだす潮田先輩。臭いでおかしくなったのかな?って心配してたら、会話が戻ってきた。
「それでね、この人達元生徒会メンバーを狙ってるんだ」
--視線と共に戻ってきた潮田先輩の説明に私の心臓が凍りついた。
「だから浅野さんも狙われてるかもしれない」という言葉が遠くで響く。
『生徒会』という単語が氷塊のように嫌な冷たさを伴ってお腹の底に沈んでいく…
まさか……
まだ情報が足りない…でも、はまってほしくないピースがはまった気がした。
「……どういうことですか?」
「小河原が言ってたんだよ…狙いは元生徒会役員だって。君だって、そうだろ?」
「私達と一緒に居た方が安全…え?この子の肛門がいい?可愛いから?死ね。あ、もう死んでたね」
…………潮田先輩、ほんとにどうしたんだろ……
「俺らは今からみんなを助けに行くんだが…浅野さんはどうする?妹さんも他の生徒と一緒かもしれない」
「もしかしたら…妹さんを浅野さんと勘違いして捕まえてるかも……」
今サラッと言ったけどこの人達救出しようとしてるの?行動力の塊魂だ。警察もう来たのに…
「……そう、ですね……」
落ち着け…平静を取り戻すの。まだ情報が足りない…結論を出すには早い……
情報交換が済んだ私達は改めて汚物に塗れた金剛さんに向き直る。金剛さんはぐったりしたまま壁にもたれて抵抗する意志を見せない。
そんな金剛さんに広瀬先輩が詰め寄った。
「おい、まず何者だ?『せいし會』とか名乗ってたな?」
--せいし會。たしかこの人達の仲間が持ってた旗にもそう書いてあった…
広瀬先輩が至近距離で問いかけると、あっさり金剛さんは話し出す。
「……そう、俺達は『生徒会に虐げられた會』…略してせいし會」
……っ。
「……なにそれ、なんで略すんだ?」
「覚えやすさが肝心だろ?長すぎる名前は言い難い。記憶にも残りにくい」
「で?具体的にはどんな組織なんだ?目的は?」
「その名の通りだ……俺達は今の腐った学校教育に虐げられた被害者だ。俺達は団結して立ち上がり、今の教育制度を根本から壊し、革命を起こす…その為に集まった」
「生徒会関係ないじゃん…」
「その学校教育の象徴が生徒会なのだ…」
「教育委員会に言ってくれる?」
「民衆に対して…形ある行動を見せる必要がある。言葉は無力だ…時に強引な手段も長年の流れを断ち切るには必要だ」
「分かった。それで?この学校で何をするつもりなんだ?みんなは無事なのか?」
「……拘束した生徒達は無事だ。今のところはな。俺達はこの学校で負の象徴である生徒会と教師を断罪する…それを世間に見せる為に、此処を舞台に選んだのさ」
「断罪…?何をする気だ?具体的に教えろ」
「……公開処刑だ。その為に元生徒会メンバーのお前ら2人が必要なんだ…」
思ったより過激派だった。
「……お前らの思想とか主張はあんまりよく分からんけど分かった…つまり公開処刑する為に元生徒会メンバーを狙ってたと…」
「そうだ……お前ら2人が居なければ始まらんからな……」
「2人?浅野さんは?一応元生徒会メンバーだが……」
広瀬先輩が私を指し示すと金剛さんは虚ろな目で困惑した様子だった。その態度に、私は確信に近いものを得る。
「……なんのことを言ってるのか分からん……ボス、どうしてここに…?」
「…………ボス?お前さっきら何を言ってるんだ?」
うわ言のように問いかける金剛さんと広瀬先輩のやり取りの間に私は口を挟んだ。それは、勇気のいる一言だったけど、多分、受け入れるしかない真実だから……
「……私はあなた達のボスの双子の姉、浅野詩音です。浅野美夜ではありません」
意を決した私の発言にその場が凍りついた。
「……え?」
「浅野さん?今なんて?」
「……ボスに姉が…?まさか…っ!?口のホクロがねぇ……」
私が美夜でないことを理解した金剛さんは愕然とし、潮田先輩はまだ理解が追いついてない。
広瀬先輩が私の前に出て、目を合わせて問いかける。
「せいし會のリーダーが、あの君の妹さんだっていうのか?」
「……あの子と瓜二つの私を見て、彼は私をボスだと思い込んだんだと思います。それに…せいし會が元生徒会メンバーを攻撃するのも、指導者が美夜なら納得のいく理屈です…」
「ま、待て…確かに君の妹さんは君に成りすましてまで生徒会を解散させたけど…そもそも生徒会が解散したのにその上俺らを攻撃するのはなぜ?それほど過去の出来事への恨みが募ってると?それにだ、分かってるのか?君が今言ったことは自分の妹さんがこの犯罪者集団のボスだってことだぞ?」
「それが事実でしょう」
広瀬先輩の方が狼狽えてる。私は俯くことも、視線を泳がせることもせず、妹のしたことを真っ直ぐ受け止める意志を込めて毅然として広瀬先輩に返した。
「……私が」
その時、ぽつりと潮田先輩がなにかこぼした。
「……私が、妹さんを怒らせたから…?」
……多分、潮田先輩はあの時の--先輩達が私の家まで来て美夜を説得しようとした時のことを言ってる。
……そして、それは多分多少なりとも影響してると思う。直接の動機なのかは分からないけど、あの一件のすぐ後に美夜は家を出た。心境の変化が起こる一因にはなったはず…
でも、先輩達のせいじゃない……
私は潮田先輩に向かって首を横に振ったけど、彼女はそれに納得した表情は浮かべなかった…
場を重い沈黙が流れていく。
沈黙の中遠慮がちに割り込んでくるのは外の騒音。何やら屋外で激しい音が響いてる。
「……浅野さん」
広瀬先輩が私に向き直る。私の意識は外から先輩達に戻った。
「これからどうするの?警察が来てる。本来なら警察に全部任せるのが1番いい…警察が来た以上事件はこのまま解決するだろうし…」
「……」
先輩は私に逃げ道を用意してくれている。
辛い現実になにも自分から向かっていくことは無いと…せめて今は目を背けていればいいと……
私は、贖罪をしなきゃいけない。
私のせいで傷つけた妹の--その妹が傷つけたみんなへ……
逃げる訳にはいかない。
全部、立ち直れなかったあの子を1人置いて行ってしまった私の責任。私はこれから、ずっと、ずっっとあの子の手を引いて一緒に歩いていく……
いかなきゃいけない。
私は美夜のお姉ちゃんだ--
「……先輩達は警察の方に保護してもらってください……私は妹に会いに行きます」
「……正気か?君の妹はもう君の思ってるただの子供ではないぞ?」
広瀬先輩が私の肩に触れる。説得するように必死に……ただ、汚物に向かってダイブした手はだいぶ臭いので離れて欲しい。
いや今はそんなことどうでもいい。
「……あの子…………美夜のやってることはもう家庭内の問題では済みません。きっと捕まるでしょう…なら、会えるうちに、会って話しをしないと」
「……本気、なんだな」
「はい」
今度は折れない。揺れない。真っ直ぐの決意を瞳に込めて返した。
先輩のため息がふっと漏れた。説得は無理だと、諦めたようだ。
そして言った。
「……元生徒会メンバーの処刑は、俺と紬さんが揃わないと行われないはず…本気なのかは分からないが、俺らが捕まらなければ、君の妹は人殺しにならずに済む。妹さんが先走る前に、俺らで止めるんだ…」
「……先輩」
「浅野さん」
広瀬先輩に続くように潮田先輩も私の肩に手をかけて言った。泣きたくなるような優しい言葉を……
「あなたは生徒会の仲間だった。そして私の後輩…あなた1人では行かせはしないよ」
「……っ」
……この人達は馬鹿で、かつ頑固者。
やっぱり、この学校は変な人ばっかりだな……
「--行くぞ」
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「……おい」
ステージ上で気分よく生徒達を見下ろしてる私の耳に水を差すような声が呼びかけてきた。
痛めつけられ虫けらのように這うことしかできないクソムシ風情が、縛られたまま私を見上げてる。気分が一気に悪くなった。
……いや、それは元々だな。気分がいい気がしたのは勘違い。
ここに立って、ゴミ共を見下したって、なんにも気分なんて晴れやしないし、むしろ不愉快。
私は何をやってるんだろう……
元生徒会会計長--小河原秀哉。
部下にボコボコにやられながら、今だ反抗的な視線を向けている奴が何やら勝手に喋りだした。
「お前…浅野の妹だな?」
「……」
「お前らの話は潮田から聞いている…生徒会を解散させたのもお前だ。何が目的だ?この学校の生徒会はお前が望んだとおりに解散した。そのうえで俺らを血祭りにあげることになんの意味がある?」
「……」
虫が喋るというのはこんなにも不快な気分にさせるものか。
汚らしいもの…醜いもの…視界に入れるだけでムカムカする。
特にこの、自分は頭がいいと思い込んでる馬鹿、自分は特別だと思い込んでる馬鹿、自分をどこまでも過信し、そして正当化する馬鹿。
お前のような人種が1番嫌いだ。『学生』という立場を免罪符に人を傷つけてもなんの責任も問われないクズ共の中でも、特に嫌い。
なぜかって?こいつらは自分らが本気で正しいと信じてるからだっ!
……落ち着け、浅野美夜。
だからこれから殺す……
「……なんの意味もないよ。お前らみたいなゴミ、殺すのに……お前はうっかり蟻を踏み殺した時、その意味を考えるか?」
「……」
「考えない。意味なんてない。たまたまうっかりだから。同じさ…偶然だ。偶然私の人生にお前ら『学生』という害虫が転がってたから、たまたま踏み殺すだけ……それだけ。お前らは踏み殺されるただの蟻だ」
「私は蟻を踏んだことなんてないけどね!?」「あんた!!蟻を踏み殺しても平気な人!?良くないよそういうの!!」
……元生徒会書記長篠風香、元庶務、田畑レン……
こういう騒々しいやつも嫌い。視界に入ってるだけで不快なのに騒音を撒き散らすとかありえない。
早く殺したい……
「……残りの2人はまだ捕まらないの?」
「金剛兄弟との連絡が途絶えてます」
「だから?」
「おそらく…やられたのかと……」
あの2人が?あいつらは少年院からわざわざ引っ張ってきた格闘のスペシャリストだぞ?
……まぁどうでもいいけど。
「あと、外にサツが…どうします?ボス?」
--ボウリングの田島。私の右腕として腕っ節を買って引き入れた男。しかし、ただの指示待ち人間。暴れることしか興味のない、使えない奴。
他の奴らも同じ……所詮、ただ暴れる口実が欲しいだけのクズ……自己の正当化の為なら平気で他人を陥れる学生と変わらない。
「……ギャラリーは多い方がいいから、警察が来たなら巻き込めば?挨拶してやりなさい」
「了解……」
私の指示で数人の部下が動く。
体育館の2階通路に登って上から外を攻撃する。
ボウリングの田島の最大の武器は腕力にものを言わせたそのボウリング球の破壊力。放たれたボウリング球がパトカーを粉砕してるのが音だけで分かる。
その他、部下たちが我が組織の主武装である腐った牛乳を手に警察に反撃する。
「こっちには人質がいるぞ!!」
外の戦闘音と、部下達の脅し文句が生徒達の不安を煽っていく……
私のすぐ横で、ステージ上大斧を抱えたメガネの少年もガクガク震えてる。
私はそのクズ--クズの中でも虐げられる方のクズ、いじめる側よりはまだマシなクズの方に歩いていって耳打ちする。
「…そんなに緊張してたら、いざって時にちゃんと首を落とせないよ?リラックスして」
「うひっ!?」
「……心配しなくても、きちんと仕事が終わったら“君だけ”は安全を約束するよ…お礼もしてあげる。悪いようにはしないわ」
しなだれかかって胸元に指を這わせる。このクズも所詮クズなんだ。安全の為なら仲間の首だって簡単に落とせる…そうでしょ?
「……ぼ、僕は--」
「……ん?」
クズが唇を震わせながらなにか言おうとしている。何を言うのかと耳を傾けてやる。外の騒音でよく聞こえない。耳を近づけた。
その時--
「すみません!!」
外の戦闘音をかき消す一際大きな声が体育館内に響いた。
私を含め、その声の方に全員の視線が集まる。その先では勝手に立ち上がって挙手しているクズの女学生が1人--
「トイレ行きたいんやけど!!」
舐め腐った態度のクズがそんな要求を私に飛ばしてきていた。