あなたの肛門、私に貸して
人っ子一人居ない廊下をひたすら走る。
俺と紬さんの後を追いかけるのは数人の足音。荒々しく床を蹴るつま先の音が急かすように背中に覆いかぶさってくる。
--広瀬虎太郎。人生最大の危機!
本日は晴天--なぜ雨も降ってないのにこんな目に…?
「虎太郎……っ虎太郎、追いつかれる!」
「分かってる分かってる!早く早く!」
「待てやこらぁっ!」「元生徒会長の潮田紬と広報の広瀬虎太郎だっ!あの2人で最後だ!!」「早く捕まえろっ!!」
あの2人で最後…?
てことは他の元役員は捕まったのか?
小河原は彼らの狙いは元生徒会役員だとか言っていた。どういうことかは分からないし、こんな連中に狙われる覚えもないが、俺らの事を知っている。
「あたっ!?」
「虎太郎っ!?」
手を引いた紬さんと追っ手に気を取られて足下を見てなかった。なにかの段差につまづいて前のめりにコケかける。
転びそうになるのを後ろから紬さんが引っ張ってなんとか踏みとどまるが、追いつかれた。
「捕まえろっ!!」「タコ殴りにして縛り上げろ!!」
うわぁっ!なんか投げてきたっ!!
分厚いガラス瓶を投げつけられた。間一髪で避けたけど床に落ちて割れたガラス瓶から白い液体が飛び散る。
く……臭いっ!なんだこの白くて濁った液体はっ!!
「虎太郎っ!!」
「っ!?」
投げつけられた得体の知れないものに気を取られていたら、上から抑え込まれた。2人がかりでのしかかられ完全に脱出不可。
「紬さんっ!!逃げろっ!!」
……ってあれ?言う前にもう居ないし!!あっさり見捨てられた!?
「1人逃げたぞ!!」「おい!あいつが1番肝心だろうが!!」「とにかくこいつを縛れ!!」
無理矢理起こされた俺の腕が後ろに回され縄で縛られる。
ついさっき見た袋叩きにあう小河原の姿が浮かぶ……ああ、ここまで--
「伏せてっ!!」
走馬灯が走るより早く頭を鋭い警告が突き抜ける。
慌てて首を引っ込めるようにして下げる俺の頭上をモップの柄が通過していく……
いやちょっと当たった。漫画ならそこだけ頭髪が削れて禿げてる。
いつの間にかモップを持って戻ってきた紬さんがモップで俺を捕まえた2人の顔面を叩く。痛そうにしながら2人とも後ろに倒れた。
「このアマァっ!!」
残った2人が血走った目を剥いて襲いかかった。1人が紬さんのモップに掴みかかり動きを止める。もう1人が鉄パイプを振り上げた。
やばいっ!!
咄嗟に脚を上にあげたら鉄パイプの男の股間で柔らかい感触が潰れた。一人ダウン。こいつはしばらく起きれない。間違いない。
「うわ……ブニュってした…気持ち悪い…」
「てめぇ--あがっ!!」
紬さんを捕まえたもう1人が仲間の脱落に焦って俺の方に振り向いた。目の前の女子から気を逸らしたのが運の尽き。彼の股間も潰れた。跨ぐらを蹴り上げられた男が30センチくらい浮いてから倒れた。
「……この人の股間ってなんか柔らかいんだけど…なにか隠してる?」
「いや……」
「武器だったら危ないからよく調べよう」
「必要ないんじゃないかな!?もう気絶してるよ!?それよりほら!!また足音が!!早く逃げよう!!」
この人この非常事態に敵のパンツ下ろそうとしてた!!
お馬鹿を連れて追っ手の増援から身を隠す場所を探す。そもそもここどこだ?焦って走ったからどこら辺かも分からない。
多分……1年生の教室の辺りか…?
とりあえず目についたのが女子トイレだった。紬さんを押し込めながら滑り込むと同時にトイレの外をバタバタと足音が通り過ぎていく。
「ここら辺だ!」「探せっ!!」
「……やばい…窓から逃げるか…?」
「ここ3階だよ?落ちたら死んじゃう。虎太郎!こっち!!」
紬さんに手を引かれて慌てて最奥の個室に潜り込む。
狭い……閉鎖的なトイレの個室で紬さんと体を寄せ合い息を潜める。女子トイレというのがさらにイケない。いや、そんなことを言ってる場合じゃない…
「……行った?」
「足音聞こえないよ…でも、まだ出ない方がいいかも……」
それもそうだ…奴らが通り過ぎて静かになった周囲に意識を集中させつつ、とりあえずほっと息を吐く。
一応、ピンチは切り抜けたか……
「……虎太郎、平気?」
「大丈夫…紬さんは?」
「虎太郎より強いから、平気」
弓道部は逞しいですね…しかし、さっきは紬さんが助けてくれなかったら危なかった。
「……ありがと、紬さん…俺、殺されるかと思った」
「……私も…怖かった」
まだ呼吸が整わない紬さんが正面から俺の方に体を預けてくる。胸元に額をくっつけた紬さんは床の一点を見つめて必死に落ち着きを取り戻そうとしていた…
「……紬さん、大丈夫だよ」
「虎太郎……」
怖がる女の子にかける言葉なんて知らない。けど、脚の震えた紬さんをこのままにするのは忍びなかったかららしくない言葉をかけた。
「俺が……今度はちゃんと守るからね」
「………………え?」
なんスかその態度、俺だって必死なんですよ。
汗ばんで上気した顔で目を丸くする紬さんがこっちが耐えられないくらい真っ直ぐに俺の事を見つめて--
「……あの、紬さん?」
「……」
「あのー……」
「……虎太郎」
え?なに?なんスか?
「虎太郎、あの--」
『--あのー…誰ですか?ここで立ち話するのやめてもらっていいですか?』
…このトイレの個室には俺と紬さんしかいない。それは先に断っておく。断じて3人目はいない…
そもそもトイレの個室だ。そんなに何人も入れない。
…しかし、今の声は俺はもちろん、紬さんの声でもない。
では誰か--
「……え?」「……え?」
俺と紬さんの声がシンクロして、声のした方--ありえないが、声のした便器の方に目を向けた。
上げられたままの便座の蓋…そこからにゅっと覗いていたのは……ありえないが、覗いていたのは、血の気のない女の顔……
ギョロリと疲れた死んだ魚のような目。濡れてべっとり張り付いた髪の毛…
『あのー、ここ私の家なんで……トイレじゃないなら出てってもらっていい?』
……………………
「「ぎゃああああああああああああっ!!!?」」
*******************
「……みんな、この学校教育をどう思いますか?」
体育館のステージ上で浅野とやらがなにやら演説を始めた。まるでドラマの一幕に迷い込んだみたいだ。それより喉が渇いた。
「生徒の安全かつ健全な教育を守るはずの学校で、いじめや、学校のルールで、生徒が健全に育てない現実!教師は生徒に無関心で、生徒の自主性を育てるを建前にいじめも見て見ぬふり、学校側は体面を気にして問題にしない!この国で何人の子供達が自ら命を絶っているか…」
マイクもないのに体育館全体に響く演説。そんなことより喉が乾いた。
「……橋本、飲み物持ってないか?」
「空閑君、今は浅野さんの演説を聞く時間だよ。敵側が自分の正義をぶつけてきてるんだから僕らは真剣に聞かなきゃいけないんだよ。今はそういう時間。空気読も?」
「いやなに場の空気に乗せられてんの?俺ら関係ないからね?巻き込まれただけだからね?聞く必要ないからね?」
「敵側の信念を深堀りすることでそのキャラの魅力が引き立つんだよ?」
「お前何言ってんだ?」
「何度も社会で問題提議されていながら答えは出ず周りも騒ぐのはその時だけ。いじめも、学校の教育問題も時間が経てばみんな忘れる。だからいつまで経っても改善しない!結局誰も真剣に受け取らない!!表沙汰にならないだけで、明るみになっていない問題も沢山ある、この瞬間にも、学校という環境に殺されている子供達が居る!!私達はそんな学校教育に虐げられた被害者達です!!」
「ふざけんなー!!」「余計なお世話だ!!」「何言ってんのか分かんねーよ!!」
大ブーイングが爆発してボウリング球が飛んできてまた黙る。3人くらいピンみたいにすっ飛んでいく。
浅野は目の前で座らされた生徒の1人の頭を引っ掴んで持ち上げる。坊主頭の屈強な男が為す術なくいいようにされる。
「この腐った学校教育に鉄槌を下す!!そして、その学校教育の象徴がこの生徒会だっ!!この場でこいつらを血祭りにあげて、私達は学校教育を改革するっ!!」
血なまぐさい宣言に生徒達から悲鳴が上がる。壇上で顔を青くする生徒会メンバー……いや元生徒会メンバー達。自分達が今から辿る末路を想像して震えだす。
……これ、俺達には特に危害を加えるつもりは無いのか?
だったら寝てていいかな?眠いし喉渇いた。
俺は全校集会とか帰りの会での教室の一般ゴミ用のゴミ箱に空き缶分別しないで捨てたの誰か問題とか自分の関係ない長話の時は寝ちゃうタイプ。
どうやらこれは生徒会とこいつらの問題らしい。その断罪ショーが終われば解放されるのだろうか。ならばそれまで眠らせてもらうとする。おやすみマーマレード。
「そこの君!!」
その時、俺の夢への逃避行を妨げるように浅野から鋭い声が飛んだ。
ステージ上から指をビシィィッ!!と指した彼女は真っ直ぐ俺の方を--
「そこのメガネの君!!」
「わひっ!?ぷっ!?」
あ、なんだ橋本か。
どうやら俺の後ろの橋本少年に用があるみたいだ。指名された彼は後ろに居たせいし會に引きずられて行く。
「くくく空閑君っ!助けてっ!!ねぇ!助けてよぉぉぉっ!?おおおおおおおおおっ!?」
断末魔がうるさいし不細工だ。静かに退場できないのかこいつは……人生最後の花道だぞ?
ステージ上まで引っ張られて行った橋本はその場で浅野と対面する。完全にガチガチに固まった彼に浅野は敵意を向ける様子もなく、あろうことか薄く不気味に微笑んだ。
一体何が始まるんだろうか……?
「君はいじめられっ子だ」
「へ?」
「私には分かる…そんな顔してる」
いやその発言がいじめ。
「いや別にいじめられて--」
「いいや……君はスクールカースト最下層の顔だ。学校の無関心と暴走した生徒達に虐げられた可哀想な被害者……そうだろ?」
「いや……」
「そうなんだよ」
「…………はい」
「よし」
俺には分かる……この浅野とか言うやつ、こいつは間違いなくいじめる側の人間だ。しかもアレだ、自分はいじめっ子グループの主犯に引っ付いてるだけで、いざとなったら「いや?私やってません」って言うタイプの金魚のフンやろう……
「この腐った学校教育の被害者の象徴とも呼べる彼が、加害者の象徴である元生徒会メンバーを処刑することで!今までの学校教育の概念を根本から打ち砕く!その始まりの儀式とする!!」
大勢の目の前で哀れないじめられっ子に仕立て上げられた可哀想な橋本少年。顔を真っ青にしながら震える彼の元に2人のせいし會がでっかい斧を抱えて持ってきた。
「きゃーーっ!!」「あ、あれで首をちょん切るつもりかっ!!」「やめろーーーっ!!」「これから処刑が始まるぞっ!!」「浅野…先生を見ろ!頼むから考え直せっ!!」
巨大な斧を押し付けられてもうガチガチブルブルの橋本少年。
橋本は処刑人に選出されてしまった…
「まだこの場には、元生徒会広報の広瀬虎太郎と、元生徒会長の潮田紬が居ない!!この2人が揃った時、儀式を行い歴史を変えるっ!!」
「くくく空閑君……」
「腐った学校教育に鉄槌をっ!!!!」
「空閑くーーーんっ!!助けてーーーーっ!」
……………………
寝よ。
*******************
「あ、あんた誰よっ!!」
『あたし?あたしは花子。トイレの花子さん。』
女子トイレの1番奥の個室……
そこで思わず変な声を出してしまう俺と紬さんの前で便器から顔を出した女は衝撃発言をブチかましていた。
「トイレの…花子さんて……それ、トイレに入った人の魂を強制的に茶色にしてあの世に送るっていう……」
「え?花子さんには魂の色を塗り替える力があるのか?怖い……」
では俺の黄金の精神も茶色くされてしまうのか……
『いやそんな力ない…私はここの呪縛霊。私にできるのは人の肛門に取り憑くくらいだから……』
「え…肛門に取り憑くのか?怖い…」
『女の子限定だから、あんたは関係ないから』
紬さんがお尻を抑えながら俺の後ろに隠れた。
つまりアレだ…幽霊だと……浣腸みたいな幽霊だと…?
便器から顔が覗いてるだけで恐怖だしその正体が幽霊なら尚更恐怖だが、なんか普通に会話出来てるので恐怖心が薄れている。
「えっと……そうでしたか、あぁびっくりした。それでここで何を?」
『いやこっちの台詞だし。なんで女子トイレに男が居るの?しかも…女と一緒に……まさかここでそういうヤラシイことしようとしてた?許さない。呪ってやる』
「いや断じて違う」「呪わわないでください私の肛門に取り憑かないでください。悪いのは彼なんです!」
紬さん!?
『いや許さない…人の家でそんな…ハレンチな……自分ん家でクソ垂れられて我慢出来るの?私は出来ない』
「いやここトイレだよ?毎日されてるのでは……?」
『それはいいの、私は美少女のウ〇コを顔面で受けるのが好きだからここに居るし……』
うわぁ……怖い。何この人。控えめに言って狂人……
「……だったらあなたの家でクソ垂れても我慢出来るよね?許して?」
「紬さん、それは比喩だよ…彼女はそういうことを言いたいんじゃないんだ」
『あなたのウ〇コくれたら考えてあげる。できないならお前らの家のトイレットペーパー補充する度使い切ってやるからな』
呪いが地味だ……
『で?ホントに何してるの?さっきなんかごちゃごちゃ喋ってたし、慌てて駆け込んできたし、なにか事情があるのでは?』
「おぉ…虎太郎、この幽霊さん話が分かるよ」
「だね…なんか優しい幽れ……?ん?俺ら今ホントに幽霊と話してる?これ現実?」
『お姉さんに話してみ?』
「実は--」
--俺らはここに逃げ込んだ事の顛末を何故か幽霊に説明してやった。
話を聞き終えた幽霊、花子さんは難しい顔をしながらウンウンと便器の中で頷いて、まず俺らの不法侵入を寛容な心で許してくれた。
……そもそも学校のトイレに勝手に住み着いてるので、不法侵入はこの幽霊では?
いやそんなことはどうでもいい…
深刻そうな顔をしたまま目を閉じた花子さんはゆっくりと俺らを見つめてあることを問いかけた。
『……楠畑って子は無事なの?』
「……くすはた?」「誰それ?俺らは知らない子だ」
『私の友達なんだ』
え?この学校に友達が居るの?幽霊が友達!?
「……その子も幽霊?」
『違う、ちょうど君みたいな可愛いプリケツガールさ…君たちの話によると、生徒の教室はその侵入者に襲われてるし校内に人は居なかったんでしょ?』
「俺らがここまで逃げてくる間には、誰も居なかった」
『じゃあ、もうほとんどの生徒はそいつらに捕まったってことだ…香菜も……』
かな……くすはたかなって言うのか…どんな子だ?霊感がある女の子……会ったら色々話を聞いてみたい…気もする。
「ただ、友達が言うにはその人達の目的は私達元生徒会役員みたい…だからその子は無事……だと信じたい」
『でも、どうなってるのかは分からないでしょ?そんな危ない連中に捕まってるかもしれないなら……』
紬さんの希望論に反論する花子さんは真剣な顔でそう言った。気休めの言葉は要らない--今知りたいのは友人の安否。
しかし彼女は地縛霊…ここから離れることはできないのだろう。友人が心配で歯痒いことだろう……
……しかし、美少女のウ〇コを顔面で受けるのが好きな幽霊と友達というのはどういう精神状態をしてるのだろう…そのくすはたという子は……
「……花子さん、その子は私達が助けるよ」
「紬さん!?」
「だから心配しないで……ここに匿ってくれたお礼をさせてください。元々連中の狙いは私達なんだから……私達が何とかしてみせる」
なんて無茶なことを……っ。
俺らに何ができると言うのか--そんな俺の心中を花子さんが大便…あ、間違えた、代弁する。
『どうやって?あなた達2人でどうやって助けるの?ここまで逃げてきたんでしょ?あなた達』
「……っ、私達の友達も捕まってる…だから、助けないと……」
『だから、どうやって?』
「……諦める訳にはいかない」
「紬さん…」
『数も多くて武器も持ってる男達と女の子とモヤシだけでどうやって闘うの?』
紬さんは花子さんの厳しい指摘に口を閉ざしてしまった。厳しいが、事実だ。ここまで命からがら逃げてきた。俺らの力ではどうすることもできない…
あと、俺がモヤシなのは否定しないが、もうちょっと…本人の前での言い方ってもんがあるだろう?
ぐっと唇を噛み締めた紬さんがそれでも折れない意志を瞳に宿していた。
「……それでも、何とかする!小河原君は…私達を庇って捕まった…無事だって信じてるし…このまま逃げることはできない」
『それは私も同じだよ』
「……え?」
カッコイイやり取りを片方が便器から顔だけ出した状態で繰り広げる傍から見たら茶番以外の何物でもない光景で、やはり雰囲気ぶち壊しのトイレの呪縛霊さんが超真面目な顔で告げた。
策を授けるように……
『あなたの肛門、私に貸して』