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お母様!お邪魔します!!

 --4月末から5月にかけて大型連休がある。ゴールデンウィークだ。

 私も世間の人々同様今日から休みだ。とはいえ連休の合間に一日とか平日が挟まるから正直連休という気分ならない。


 さて、とはいえ貴重な大型連休。おバカな生徒達の相手も楽しいものだが、たまには心身共に休息が必要だ。

 私の体を癒してくれるのはマッサージでもアロマでも温泉でもない。動物性タンパク質だ。しかも、油ギトギトのやつがいい……


 というわけで焼肉だ。


「予約していた葛城です」

「葛城莉子様ですね。お待ちしておりました」


 今日の為にわざわざ高い焼肉屋を予約してた。そう、いつか行って他人の焼肉代だけ出して帰ったあそこだ。

 今日こそは肉を油で流し込もうと決めていた。焼肉を食べる為に消費者金融にも借りた。何が起きても問題ない。10人前でも払える。


 人様から見ればくだらないと思うかもしれないが、労働者は休息に全力を尽くさなければならないのだ。なぜなら、労働とは全力勝負だからだ。

 黄金の休日を消化した時、次の一週間を全力で乗り切るパワーが蓄えられていなければ休日の意味が無い。

 なのでしっかり栄養補給する。その為ならサラ金だって頼るのだ。ブラックリストに乗る前に借りておかねばならない。


 暗い色調の店内ではお上品なBGMが流れ、店内に響く鉄板の上で踊る肉の焼ける匂いと音が食欲をそそる。

 メニュー表をめくってこれから訪れる至福の一時を奏でるメンバーを厳選する。


 ……まずは和牛だな。


 盛り合わせとかもあるが、そんなのは知らない。好きな肉だけ、腹に詰め込む。サラダ?キムチ?そんなのは後だ。ビールと牛、まずこの空きっ腹を埋めるのはこのメンツ…スタメンが決まった。


 早速注文し、その時を待つ…

 先に来たビールを流し込むと喉から胃にかけてアルコールのパレードが駆け抜ける。場が盛り上がった。後は主役の到着を待つのみ……


「--おねーさん」


 何人も犯すことの許されない聖なる時に割り込んだ不信心者は、私のテーブルに図々しく尻を乗せてニヤニヤ笑っていた。恐らく。

 恐らくというのは、彼らの口元はマスクで隠れていたから。


 キャップやニット帽とマスクで極力顔の露出を隠した若者達…全員が白いお揃いのパーカーを身につけていた。


 一人焼肉をしに来た女をナンパする物好きな若者……その一言で片付けるには彼らは少々不審だった。

 何がという訳では無いが…強いて言うなら全員が顔を隠し服装を揃えている点。

 それに…女性を引っ掛けようなんて生易しいものでは済まなそうな悪意の表れた目元か……


 私は勝手に手が離さないジョッキに口をつけたまま彼らを警戒の眼差しで見つめていた。


「1人?」「若いねー、幾つ?」「名前教えてよ」「仕事なにしてんの?」


 店員は奥だ…私の席は仕切りのすぐ側の角。店の人間からは彼らは見えないんだろう。

 誰か呼ぶか?迷惑だし……

 それが1番だろう。この手合は私が言っても引き下がらないし、嫌な予感もした。

 しかしどうしたことだろう…ジョッキから口が離れないんだ。

 まるで結合手術でも受けたみたいに、私の唇がジョッキに吸い付いて離れようとしない。

 これでは声が出せないではないか。


「教えてよおねーさん、ビールばっか飲んでないでさ」「無視しないでー」


 なんだ……凄く嫌な予感がする。直感だが彼らはただのナンパ野郎ではない。


 この胸騒ぎは……一体……


 わざとではないのだが、ビールを口から離せなくなった私に、彼らはその笑みを引っ込めた。


「……無視しないでよ。葛城先生」


 ……っ!

 なぜ……私の名前を……?

 流石にビールが止まった。いや、ジョッキが空になっただけだった。

 うちの生徒……?いや、こんな奴らは居ない。卒業生含め、全校生徒の顔と名前は頭に入っている。

 当然、こんな知り合いは居ない……


 彼らは一体……


 --最近近隣の中学、高校で、ボウリング球が投げ込まれたりガラスを割られたりする被害が多発しています。加えて教師や学校関係者も無差別に攻撃される事件が発生していますので、皆さんも十分に気をつけて……


 はっ!?

 いつかの朝礼の光景がフラッシュバック。その時私の胸騒ぎの正体が判明した。不明瞭だった彼らのビジョンがはっきりしてきた。しかし輪郭はぼやけてきた。アルコールのせいだ。


 逃げなければ--

 本能的な恐怖が体を弾く。慌てて席から逃げ出そうとするが、やはりアルコールのせいで脚がもつれた。

 そんな私を嘲笑うように彼らは容赦なく牙を剥いたのだ。


「腐った学校教育に鉄槌をっ!!」「鉄槌をっ!!」「鉄槌をっ!!」「鉄槌をっ!!」


 前のめりに倒れかける私に向かって、彼らは懐から取り出したものを一斉に頭からぶっかけた。


 瞬間鼻を突く不快な臭い。つんとする、鼻腔の奥が痛くなるような……鼻にまとわりつく臭い……


 何をかけられた!?劇薬!?


 液体の冷たさと臭いにパニックになる私を前に若者達が駆け出して逃げていく。

 その様子をただ見送ることしか出来ない私の視界の先、床に白い雫が滴って点々と落ちた。


 ……これは。


「お待たせしましたー、和牛1人前……っ!?お客様!?うわっ!臭っ!!」


 *******************


 --私は可愛い。

 この街の美しくも儚げな幻想的な光景は私という美しさの結晶にさらに気品を付け加えてくれる。

 私がこの街を歩く……ただそれだけで映画が一本できるような……

 調和--そう、調和。この街は私と調和してる。

 見栄えのする料理や絵画は盛る皿や額縁によってさらに輝きを増し、さらにそれを店内の内装や美術館の静謐かつ荘厳な空気が際立たせる。

 この街はこの日比谷真紀奈という世界の主役を際立たせてくれる。

 桜の美しいこの街ももうそのピークをすぎて、散り始めた桜は地面に落ちてなお私をさらなる高みへと押し上げる。

 もう少ししたら完全に散るかな……寂しい。


 ……しかし、そんなことは全て、全てどうでもいい。


 街の情景が私と調和してるとか、桜がそろそろ散るとか、そんなことより--


 この道、この電柱、この壁のポスター、この景色……

 それは全て、彼の毎日の中で色づいている世界なの。それが重要なの。

 つまりこの空気も彼が今朝にでも吸った空気ってこと。そう考えると二酸化炭素として吐き出すのが勿体ない。


 そう--つまり。

 私は今、空閑君の家に来ている。

 厳密には、彼の家の前に来ている。

 連休だから、そして私が彼の家を知っているから。

 そう!私が!空閑君の!家を!!知っているから!!


 ……ああ、なんて甘美な響き。イきそう…


 私の目の前に映るボロアパート。そこは聖域。この世で最も尊く神聖な聖地。そしてこの日比谷真紀奈にこそ相応しい--


 意気揚々と階段を登る。空閑君居るかな?連絡先は知らないからなにも連絡してないけど……

 今日は避妊具も浣腸も蝋燭も鞭も用意してきたから抜かりなし!!!!


 くーーーがーーーくーーーんーーー……


 --勢いよく彼の家の前に躍り出た時、私は凍りついた。

 なぜか?女でも居たって?ううん。ならマシだった。


「あら?日比谷さんじゃない」


 私に世にも恐ろしいねっとりとした声を投げてきたのは、無駄に露出した筋骨隆々の巨体……

 日焼けした黒光りするゴツゴツの体と純白、しかも若干透けてるワンピースは決して合わせてはいけない禁断の調合……


「……ご、剛田…くん。」

「剛でいいわよ…あたし達、体育祭で熱く戦ったライバル♡じゃない。もちろん、恋もね♡」


 剛田剛……

 こんなやつすっかり忘れてた……しかし、何故ここに?なぜ空閑君の家に!?


 ……怪物メドゥーサはポセイドンとアテナの神殿で交わり、アテナの怒りをかって怪物にされたという。

 まさにその所業!この神域に黒光りオカマなど、出雲大社の境内で全裸でコサックダンスを踊るようなもの……

 しかし……その大罪人が元からモンスターだったとしたら、いかなアテナ神でもどうしようもないだろう。これ以上酷くは出来ない。


「あなた、睦月ちゃんのお家知ってたのね。なんの用?」


 なんの用?まるで自分家みたいに言うじゃない!!というかこいつ、校内の男子を喰いまくってると噂だったけど、まだ空閑君のことを!?


「……あ、あああなたは?私は遊びに来ただけだけど……」

「あら、もうそんな仲なのね。羨ましいわ。彼ったらプライベートが謎すぎて誰も家も連絡先も知らないから、担任に“教えて貰って”尋ねたの。今度大事な試合だから、元気もらおうと思ってね♡」


 ……帰ってくれない?私はこれからお楽しみなの。

 なんてこったい、私以外に彼の家を知ってる奴が…しかもよりによってオカマ……


 今インターホンを押す訳にはいかない…何とかオカマを撃退せねばと思案していたら、突然木製のドアが軋みながら開いた。


「っ!?」「っ」


 2人してビクッとそちらを向くと、扉を半開きにした内側から、サラサラした美しい黒い長髪を垂らした無防備な格好の美女が……


 だっ!?だだだだだだだっ!!誰っ!?

 若いぞ!?しかも……タンクトップに下は履いてない!?こいつ一体……っ!何者!?まさかアテナの神殿でクソする狼藉者がまだ--


「はじめまして、空閑君のお母さんですか?」

「……はい。息子のお客さん?」


 ……あ、なんだお母さん。

 外面のいいオカマが柔らかな物腰でお母さんにお愛想する。空閑君のお母さん--すなわちゴッドマザーは眠たそうな顔で目を擦りながら「息子は出かけてていませんよ」と告げた。


 ……なんだ、留守か。ほっとしたような…残念なような……


「いつ頃戻られますか?」


 こいつ……っ!諦めてとっとと帰れよ!!しかもこいつ、お母さんの前では普通に喋りやがる!!


「……さぁ、何も言わなかったんで…まぁすぐに戻るとは思いますが……」

「待たせて--「待たせてもらってもよろしいでしょうか?お母様」


 これ以上調子に乗るな。剛田の巨体を押しのけて最高のスマイル。老若男女恋に落とす日比谷スマイル!!


「……いいですよ」


 うわ、今一瞬凄く嫌そうな顔した。


 *******************


「あら、素敵なお家」


 上がり込んですぐ剛田が思ってもないであろうことをいけしゃあしゃあと吐かす。


「……そう?私はそうは思わないけど」


 まさかのゴッドマザーから直接否定されながら私達は懐かしの愛の巣の最奥へ…

 ああ、このちゃぶ台でカレーを食べたのもまだ新しい記憶……確かあの日はお母様はいらっしゃらなかったっけ……


「あ、すみませんご挨拶が遅れまして…私、睦月さんのクラスメイトの日比谷真紀奈と申します」


 きゃーーーーーっ!睦月さんなんて読んじゃったっ!!きゃーーーーー♡


「あた--僕は剛田剛と申します。よろしくお願いします。お母さん」

「……はぁ、ご丁寧に。むっちゃんのお母さんです」


 丁寧な挨拶に気の抜けたどーでも良さそうな挨拶が返ってきた。

 なんかこの無気力な感じ…どこか壁を感じる感じ……空閑君に似てる。

 お母様…空閑君のことむっちゃんって呼んでるんだ…いいな。


 なんて思ってたらなんか名刺が出てきた。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」「ご丁寧に……」


 剛田……てめーは受けとんな。なんて思いながら名刺を見る。高校生に名刺くれるなんて流石むっちゃんのお母様。なんの仕事を--


 --倶楽部『女豹』

 メイ


 ……あ、だから夜いないんだ。


「お母さんすみません。御手洗を--」

「トイレなら玄関横だよ、剛田君」


 空閑家ビギナーな剛田に先制攻撃。なんせ私は2回目。そう…オカマなんぞとはレベルが違う。レヴェルがっ!お前ごときが私とむっちゃんの間に割り込もうなんて一億と二千年早い。


「……あー、なんか飲みます?」

「ああっお母様!私がやりますので!」

「いや、人に台所使われるの嫌なんで、座っててください」


 だりぃって呟きながら冷蔵庫から麦茶を出してるお母様……いずれ私もこの台所に立つんだ……

 今のうちに外堀を埋めておこう…この日比谷真紀奈が婚約相手なら誰も異論を挟むまい。私とむっちゃんは結ばれたも同然なのだから、今のうちから取り入ってもいいでしょ。


 ……ところで、むっちゃんどこに行ったんだろ。


 なんて何気なくちゃぶ台の上を見たら見ただけで欲情してくるような文字が書かれたメモ紙が……

 間違いない、彼の置き手紙--


 --沖縄行ってきます


「……」「あら、それ何?……ねぇこれ今日帰ってこないんじゃない?」

「お待たせしましたぁ、麦茶ッス」

「……お母様これ読まれました?」


 メモ紙を受け取ったお母様は「ええ、起きたら置いてたんで」って言った。でもあなた、さっきすぐに戻ると思うって仰られましたよね?


「睦月さん、今日戻られます?」

「すぐ戻るんじゃないですか?」


 沖縄ですよ?


「お茶どうぞ」

「あ、ありがとうございます--」「お母さんっ!」


 私が麦茶を受け取ると同時に剛田が突然居住まいを正しお母様と向かい合った。

 相変わらずぽやーっとした態度のお母様は剛田を見つめ「ん?」と気の抜けた返事をしたけど、私の直感は危険信号を発した!


 これっ!まずいっ!!


 言わせてはならないと、本能的な予感がした。そして剛田の分厚い唇から紡がれたのはまさにその予想をなぞるような台詞で--


「息子さんをあたしにくだ「睦月さんを私に下さいっ!!」

「っ!?日比谷さん…あなたっ!」


 剛田を押しのけてお母様の前で土下座。剛田と全く同じ台詞を上書きして奴の暴走を防ぐと共に勝負をかける。

 正直こんな事態は全く想像してなかったけど、勝負は勢いが大切だがら!!


「……?むっちゃんを?」

「むっちゃんを!」

「日比谷さん!ずるいわよ!!お母さん、あた--痛っ!!」


 肘鉄で黙らせる。今は私の勝負だ。あんたは私とむっちゃんの婚姻が成立した後で負け戦でもしてろ。


「私、日比谷真紀奈なら器量もよく気立てもいい、家事もこなせて床上手っ!どこに出してもお恥ずかしくない立派なお嫁さんだと思います!息子さんとは本気です!!是非っ!!」

「ふざけないで!お母さん、あたしだって本気です。後悔させません。女より男の方が男のこと分かってるでしょ?あたしなら旦那も嫁もこなせて一石二鳥--」

「ええいっ!あんたに勝ち目なんてないんだから引っ込んでよ!この日比谷真紀奈に勝てると思ってるの!?私はこの世界で最高の美貌を持って生まれた至高の存在だよ!?」

「あら、井の中の蛙ね。その思い上がり、すぐに目を覚ますことになるわ」

「あんた昔私に告ったじゃん!!」

「過去の話よ」

「…………あのー」


 お母様が遠慮がちに声を上げた。

 結果は分かってる。誰が息子の相手にオカマなんぞ選ぶか!いや、相手がマリリン・モンローだろうがこの日比谷真紀--


「むっちゃんは私のむっちゃんなので…どこにもやる気ないんで……」


 …………っ!?

 な……っ、なに…っ!まさか……この人…なんてこと……むっちゃんを独り占めする気だ……渡さない気だ。生涯抱えて、老後の世話させる気だ!!


「いや……私本気です!お母様の老後の世話でも何でもします!嫌がりません!」

「あたしに任せてもらったらなーんにも心配いらないですよ?お母さん」

「いや……老後は老人ホーム入るんで…むっちゃんの世話にはならないので……」


 クソがっ!息子大好きかよっ!!


「じゃあっ、どうしたら睦月君を頂けますか?あたし、何でもします!」


 必死に懇願する無様なオカマ。もう黙れ筋肉ダルマ、お前に端から勝機はない。これはもう、私とむっちゃんの婚約か、お母様がむっちゃんを手放さないかの勝負なのだ。


 お母様はオカマの言葉に思案顔。おや、考えている。条件次第で考えてもいいと?

 この世界の宝、日比谷真紀奈が嫁に行くんだからそれ以上を望むってのは欲張りすぎってものだけど……仕方ないむっちゃんの為。出来うる限りの条件を呑--


「……今、離婚調停中だから、金」

「……」「……」

「旦那と別れたら金に困るから…金、むっちゃんの大学進学費用」


 …………カネ。

 カネ?高校生に……カネ?


 お母様って……かなり常識ハズレな人?

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