私の家族
「……今日は、帰りたくないの……」
収まってきた雨足が控えめに窓ガラスをノックする。ポツポツとガラスを打つ雨音がやけに大きく響く室内で--
私と空閑君は向かい合ってた……
「……そ、じゃあどうする?泊まる?」
ふぁぅっ!?そんなあっさりっ!?
なんとも呆気からんと提案する空閑君のこの余裕。私が今の一言を捻り出すにあたってどれだけのドキドキと胸を締め付けるモヤモヤが混在したことか……っ!!
「……と、泊まる」
「そう。じゃあメシだな。カレーでいい?」
「………………はい」
スタスタと台所に向かっていく空閑君の背中をじっっと見つめる。この光景、しっかり目に焼き付けないと……
…………………………………………
お泊まりとは、そういうことだよな?
この日比谷真紀奈。生まれながらにこの世の全ての美が凝縮された存在。そんな現世のヴィーナスがひとつ屋根の下男の子と一緒に夜を共にするとなればこれはもう……ねぇ?
我慢できないでしょ?ねぇ!?
……と、とりあえず、お風呂には入った…下着は……大丈夫なやつだ。
あとは……避妊具。一応必要ですよね?ね?ね!?買ってこなきゃ!!
いやぁ……まさかこの私の恋愛がこんな形で成就するなんて……
だ、大丈夫……やり方は分かる。毎日しっかり自主練してるもんね!!ビデオで!!
コンビニ行かなきゃ……!!
「く、空閑君!!」
「ん?」
「ちょっと…コンビニ行ってくるよ!!私!」
「え?もうできるよカレー…」
「いや、でも…ね?アレ、あ、もしかして準備してるのかな!?」
「は?アレ?」
「あの……アレだよ。ね?ほら、やっぱりその今から……ね?あれ、始まる訳ですし!?」
「…………?」
……はっ!?まさか使わない!?
いや…それは……え!えぇ!?いいの!?いや、そこはしっかりしなきゃダメだよ!!この日比谷真紀奈、その美しき遺伝子を後世に残す義務があると言えばあるけれど……
………………い、いいの?
凪に聞いてみよう。
「……初体験、ゴム無しでいいと思う?…送信……よし」
「できたよー」
「あ、ありがとう!いただきます!」
まずは腹ごしらえということですか。そうですね?
うわぁぁ空閑君が私のためにご飯つくってくれたぁぁぁ……うわぁぁぁぁっ!!
これは…米粒ひとつとて残すことはまかり通らん。全てを胃袋に収めなければ……
「空閑君料理も出来るんだ!すごいね!!」
「ん?レトルトだけどね……」
--ブブッ!ブブッ!!
畳の上でスマホが踊る。着信画面を見たら凪からだ。ちょっとほっとして着信をとる。会話を聞かれないようになるべく部屋の端に移動して小声で。
「もしもし?」
『日比谷さん!?さっきのLIMEどういうこと!?』
「いや、ゴム無しでヤろうって…」
『だだだだだ誰と!?今どこに居るの!?何してるの!?』
「ふっふっふっ…凪、ごめんね?先に大人の階段登るよ私は…心配しなくても交際は内緒でするから、私のファン達には今まで通りの日比谷真紀奈を--」
『待って!!落ち着いて!!まず避妊は絶対して!!それと考え直した方がいい!!ヤケにならないで!!日比谷さんならきっと--』
「私今空閑君の家に居るんだ」
『………………え?』
「空閑君の家で、お泊まりなの」
『……………………………………えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?え?え!?えぇ!?ふぁぁぁっ!?ふぁっ!?あ?え?ぇぇえ!?』
「うるさい」
『おおおおお泊まり!?じゃあ相手って空閑君!?そんな馬鹿な!!大体なんで空閑君の家に居るの!?は?え!』
「いや……実は今家出してて……」
『家出!?』
「うん……でね、たまたま会っちゃったんだ〜っ!!きゃーっ!!それで家にあげてもらってぇ……今夜は熱々なの!!」
電話越しで凪が固まる。この場にいなくてもあの子の驚愕具合が目に見えるように想像できる。きっと私の純潔が今宵捧げられることへのショックと先に大人になられるジェラシーだね。
『……いや、色々ツッコミたいけど…その、さっきの……ヤるだのなんだのって…く、空閑君が…?言ったの?ゴム無しで…その……は?はぁ!?』
「まぁ?そういうことになるかなー?」
さっきのはそういう態度だよね?私は鈍感女子じゃないから分かってるよ空閑君。
『そんな馬鹿な……え、もし事実ならサイテーだけど……え?だって空閑君って楠畑さんのことを……』
「ん?なに?」
『……いや…その……あの……えっと……やっぱり考え直した方がいいと思う…てか、それはつまり…もう告白は済ませ--』
「まだ」
『まままままだ!?え?じゃあ恋人にもなってないの!?なのにヤるの!?』
「夜中に同じ家に泊まるってそういうことでしょ?告白同然では?」
『ままままままっ!!だーーーーっ!!避妊しないのは論外だし!!告白もまだならそれも論外だし!!日比谷さん!!私の家来て!!その男と居たらダメだよ!!信じらんない!!クズだ!!』
「来ない。まぁ分かった。私今忙しいから…忠告通り避妊はするよちゃんと、ありがとう。じゃあ」
『ちょっと待っ--』
終わり。ごめんね凪、あなたの嫉妬に付き合ってる程今は暇じゃないの!!
「…カレー、冷めるよ」
「あ、うん!」
「食ったら寝るか…明日学校だしね」
「っ!!」
寝る!!寝る……ネル……
こここここ心の準備が……あと、避妊具の準備がっ!!
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「狭いけど、おふくろの布団使いな。おやすみ」
「おおおおおおやすみ?あれ?一緒の布団では……」
「は?」
「ああああそういうことね?なるほどおっけいです」
「……?」
部屋の電気が消えても外では雨が降ってるみたいで、勢いの収まった雨がしとしとと外を濡らしている。私の股も濡れている。
あれですか……私が寝静まった頃に襲ってくる感じですか?そういうのがいいんですね?分かりました。
互いに背中を向けた六畳一間…布団を2つ敷いたらいっぱいで、すぐ後ろで空閑君の体温を感じる。
いつ来るんだい?いつでもいいよ?
しかし避妊具……よく考えたら私お金持ってきてないからどの道買えない……
ごめん凪、やっぱり避妊出来ません。
「……日比谷さん」
!?来た!?とうとう!!この!!日比谷真紀奈の色香に辛抱堪らんくなって!!カモーンっ!!
「……さっきの電話でちょっとだけ聞こえたんだけど…家出したって……」
「え?あれ?え?あ、うん?そうだね?」
いきなりは来ないのね?そうなのね?
「……父さんと喧嘩して」
「そう……」
……そうだった。私父さんと喧嘩してここに居るんだった。折角空閑君とひとつ屋根の下なのにまた気分が盛り下がってきた。
雨音しかしない音のない世界で、頭の中を父さんの声がぐるぐる回る。
父さんの気持ちもちゃんと分かってる…父さんは純粋に私達が心配なんだ。
姉さんも彼氏さんもまだ地に足着いてるとは言えないだろうし…そんな2人が結婚なんて言い出したら、父さん不安だよ。
分かってる……
父さんの言葉の真意くらい……言葉通りになんて受け取ってない。父さんが意地悪で姉さんと彼氏さんの仲を認めてないことも、私に向かって言ったことの意味も……
嫌になるのは自分……それが分かってて父さんを殴った自分。家を飛び出してみんなを心配させてる自分……
ただ子供扱いされてる気がした、束縛されてるように感じた、それだけでカッとなった感情に身を任せた。
父さんと母さんからの愛を疑ったことなんてないのに……
「……まぁ、色々あるよな」
「……うん」
心の中でぐるぐる浮かぶ自分への罵倒と嫌悪に空閑君は優しくそう言ってくれた。深く詮索することなく……
そう、訳も聞かずに私のわがままを聞いてくれた。いきなり泊めてなんてきっと迷惑してる。この日比谷真紀奈が世界一の美少女であることを差し引いても……多分。
「……俺、今親父居なくて」
「え?」
「別居中でな……」
突然そんなことを口にした空閑君の言葉にドキリとした。静かな雨音の溶ける暗い部屋で空閑君は続けた。
「喧嘩なんてきっかけは些細なもんだよな…でも、その場でカッとなっちまったら分かってることも忘れちまうから……でも、それは仕方ないこと」
「……」
「ちゃんと仲直りできれば、それでいい…喧嘩なんて、何回したっていい。親父とおふくろは、出来てないけどな?」
「……空閑君」
「明日ちゃんと親父さんと話な?」
……っ。
……今日はいい日だ。
父さんと喧嘩したけど……空閑君のこといっぱい知れたよ。
家の場所とか…普段どんな服きてるのかとか……家の事情とか……優しいんだってこととか……
好きな人のこと、いっぱい知れた……
布団のめくれる音がした。
畳の上を膝が擦れる音。その音に遅れて、私の上に空閑君の気配がぬっと被さった。
「っ!?」
マ!?このタイミングで!?来た!?
「……日比谷さん」
上から覗き込む空閑君の声が優しく降ってくる。脳が蕩けるような囁き声…
時間が……止まる……
心臓の音が凄い……体が熱い…頭がぐるぐる回る。緊張と期待に全身が強ばっていきながら、来るその時に備える。
ぎゅっと目を固く瞑る私に空閑君がそっと手を……
いいよ!来て!!
「……やっぱり熱ある」
「……え?」
触られたのはおでこ。自分のおでこと熱さを比べて空閑君は困ったように呟いてた。
あれ?
「カレー食べてる時ら辺から顔赤かったから……雨に濡れたからだね……平気?」
「…………平気じゃない」
「きつい?困ったな……保険証とか持ってる?今」
「……モッテナイ」
「俺金ないしなー…とにかく病院行くか…日比谷さん、家族に連絡して迎えに来てもらいな」
「……エ?」
「しょうがないだろー?きついんでしょ?」
……………………エ?
オワリ?ワタシトカレノミツゲツ……シュウリョウ?
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「……風邪ですね。お薬出しときますから、安静にしていて下さい」
「……はい」
空閑君にタクシーで病院まで連れてきてもらった。診察結果は風邪。
診察室から出たら父さんと母さん、姉さんと彼氏まで駆けつけてた。待合室で座ってる空閑君と話してる。
……どうしよう。どんな顔をして出ていけば……
--ちゃんと仲直りできれば、それでいい……
……そうだね。空閑君。
私が意を決してみんなの方に歩いて--
「--お前が真紀奈の相手か。こんな時間にうちの娘を……」「父さん、この子は真紀奈を病院に連れてきてくれたんだよ?話聞きなよ!」「愛梨は黙ってなさい!!」「あなた…」
……なんだかヤバい雰囲気だ!!
「あのー…なんか誤解されてますけど娘さんとは何もありませんからね?たまたま会ったから……」
「だったらすぐに家に送ってくれれば良かったじゃないか…こんな時間に男の家に年頃の娘がいるのは…感心しないな」「ちょっと、直弘は黙ってなよ…」
空閑君に食ってかかってるのはなんと姉さんの彼氏。父さんと彼氏からの詰問に空閑君は特に動じた様子もなく淡々と事情を説明してるみたい。
……まぁそりゃそうだよね。だって、何も無かったんだもん……はは。
「娘さんが家に帰りたくないと言うので……いや…まぁ仰ることはごもっともなんですが……」
「貴様…っ!」「あなた」
いい加減止めた方がいいか……
早足で現場に駆けつけようとしたその時、大きく一歩を踏み込んだ彼氏が空閑君を威嚇するように睨んだ。
怒り、というより大人が子供に言い聞かせる時の…そう、説教するかのような表情で--
「君と真紀奈ちゃんとの仲をどうこう言うつもりは無いけど、学生のうちは健全な交際を心がけて欲しい」
「いや、そういうのではないって……」
「真紀奈ちゃんは僕の家族も同然なんだ……君には、責任感を持ってもらいたい。それが、女性と付き合うということだよ」
……彼氏さん。
「いや、あのさ!?皆さん俺の話聞い--」
「--みんなやめてよ。空閑君とは何もなかったって…もう!」
そろそろ可哀想だから割って入った。父さんとは顔を合わせるのが気まずくて母さん達の顔を見る。
「あんた…こんなに心配かけて……どうなの?平気なの?」
「ただの風邪だよ……それより……」
「真紀奈」
「……っ」
後ろから父さんが声をかける。背中越しに感じる視線にどう返せばいいのか分からなくて助けを求めるように姉さんを--
「初めまして…真紀奈の姉の愛梨です。君が空閑睦月君?真紀奈から話は聞いてるよー。妹のケツをぶっ叩いたんだって?やるねぇ」「は?」
あぁ姉さん……
しょうがないから1人で向き合う。
意外にも面と向かった父さんはバツが悪そうに視線を逸らした。
そんな子供みたいな父さんの姿がなんだかおかしくて、自然と私の口元が綻んだ。
「真紀奈…すまない。言いすぎた」
「……ん」
「ただ、お父さんはお前達が心配なんだ…それだけ分かってくれ。お前は誰よりも可愛いからな……」
「知ってるよ」
「…そうか」
……決まりが悪い時、視線を逸らす時のこの顔、私にそっくりだな……
「私もごめん。父さんの気持ち、ちゃんと分かってる…」
「……そうか」
……ねぇ父さん、私達親子だね。
私が笑って見せたら父さんも安心したように笑った。まぁこの日比谷真紀奈が最高のスマイルをくれてやったんだから、釣られて笑うのも必然だ。
綻んだ父さんの表情はすぐに引き締まり、私達のやり取りを見守っていた彼氏に向かう。
相変わらず厳しい視線を彼に向けていた、が……
「……君が愛梨だけではなく、愛梨の家族も大切に想ってくれていることが分かった」
「お父さん……」
「ふんっ、君にお父さん等と呼ばれる筋合いはないぞ……まだな」
「……っはい!」
……あれ?なんだかいい感じ…?
私が父さんと彼氏の仲を取り持った感じか?父さんって意外とチョロいな…
「やれやれね」「やれやれだね」
私と母さんが同時にため息を吐いて笑う。2人顔を見合わせてまた笑いあった。
私達は、やっぱり家族だ。
「真紀奈のケツは柔らかかったかい?」「あんたなんなんだ?」




