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灰色の顔

 --3月中旬。

 修了式が終わり学校は春休みになった。つまり、この学校での1年が過ぎたということだ。

 冬休みから体感それほど時間は経っていないように感じる。しかし、あっという間に過ぎた3ヶ月。束の間の休みを経て僕らは2年へと進級する。


 もう直桜が咲き始め、この街は誇らしげにピンクに染まるだろう。

 そして春の匂いを感じるこの時期は、別れの時でもあるのだ。


 --世間では春休み。しかし、校門の前には少なくない数の在校生が訪れていた。中には学校に入っていく者もいる。僕はその中に1人ぽつんと紛れて澄み渡る青空を見つめていた。


 --今日は卒業式だ。


 在校生代表以外は春休みだが、共に過ごした先輩の門出を祝おうとこうして何人かの後輩は学校を訪れていた。

 当然式に参加できるのは代表だけだが、みんな式が終わって卒業生が出てくるのを待っているんだろう。


 僕--橋本圭介もその1人……

 唯一縁のある卒業生、小倉先輩の見送りにとはるばるやってきたんだけど……


 校門前に集った生徒達の中で小さなざわめきが起きていた。

 それは微かに聞こえてくる校内アナウンスを鼓膜に拾ったからだろう。その内容には少なからず困惑した。


『保護者、来賓のお客様にお伝えします。ただ今校舎内に不審者が侵入しております。職員が対応しておりますので、皆様そのままでお待ちください。尚、卒業証書授与式は30分延期させて頂きます』


 不審者?侵入?一体何が?

 よりによってこんな日に……なんて不安にメガネを曇らせていたその時、慌てて校門から先生が出てきた。


「お前らちょっと離れてろ!いいから!!」


 体育教師の屈強な体が僕らを押しのける。事態が呑み込めず置いてけぼりな僕らは言われるがまま校門の前から退かされる。


 その人混みの間に割り込まれたのは数人の教師に拘束され引っ張り出されてきた1人の男だった。


「だから!俺は卒業生だってば!!制服!!着てるじゃん!!生徒手帳も!!」

「それで誤魔化せると思ってるのか!!写真と別人だろうが!!」「小倉君の生徒手帳だ!お前これどこで手に入れた!!」


 え?小倉……?


 胸騒ぎに誘われ人垣から頭を覗かせた向こうに、アナウンスにあった不審者と思われる人物が居た。


 身長160センチくらいで、うちの制服を着た青年だ。くしゃっとした黒髪に、シュッと細い顔。通った鼻筋の両脇には縁なしのメガネに飾られた切れ長の瞳があった。

 パッと見不審者には見えない。むしろ爽やかなイケメンだ。その青年が支離滅裂なことを叫びながら外に引っ張り出された。


 そしてその手には僕の位置からもはっきり分かる、小倉先輩の生徒手帳が……


 なんで……?

 誰だこいつ……どうして先輩の手帳を……?


「小倉君はまだ来てなかったな…誰か小倉君の親御さんに連絡して。おい!お前これどこで手に入れたんだ!?」

「だから!俺は小倉だってば!!」


 教師の詰問に抑え込まれたその男は支離滅裂な事を言う。

 生徒手帳の写真でねっとりした笑みを浮かべる豚と、目の前のイケメンが同一人物なはずがない。つくならもっとマシな嘘をつくべきだ。


 騒然とする周りの生徒達……そして、小倉先輩の身に何かあったのかと僕の中で不安が加速する。

 だって、小倉先輩は他人に生徒手帳を渡すような人じゃない……

 もしかして、なにかの事件に……


「っ!?あ!橋本軍曹!?」


 ……?


 人混みを縫って絡まった視線に、そのイケメン不審者が僕の名を呼んだ。

 なぜ?どうして僕の名を…?不気味さと混乱に思考が真っ白になる。


「助けてくれ!!誰も俺を俺と分かってくれないんだ!!」

「……は?」

「おいおい!!俺だよ!!」「こら!暴れるな!!」

「小倉だよ!!現代カルチャー研究同好会の小倉だよ!!」


 …………………………………………

 え?


「適当な事を言うなお前!」「警察に突き出してやる!!」

「橋本軍曹!!助けて!!」


 ………………え?


 叫ぶ声が記憶の中の声とリンクする。重なる微かな面影に、何故か背筋に悪寒が走った。


「……嘘だ」

「いや嘘じゃないから!!軍曹まで何言ってんだい!!一緒にレッスンしたじゃないか!!」

「いや嘘だ」

「駅の角のカラオケで歌ったろ!?割引券の期限が切れてるの忘れて、2人でお金足りなくて困ったじゃないか!!」

「…………いや嘘だ」

「駅前のメイド喫茶に取材しに行ったじゃないか!!香菜ちゃん可愛かったなぁ!?」

「ありえない……」

「空閑プロデューサーはどうしてるんだい?ずっと見てないぞ!!」


 嘘だっ!!

 人間がそんなに変わるわけない!!だって……小倉先輩は服を着た豚だぞ!?

 それがこんな……こんな……っ!いくら僕らしか知り得ない話をされたって…こんな……っ!


「嘘だぁぁぁぁぁっ!!」


 目の前のシュッとしたイケメンが小倉先輩だと言うのか。


「……ほ、ほんとに小倉先輩ですか?嘘ですよね?嘘だ」

「なぜ否定…?悲しいじゃないか。どこをどう見ても小倉じゃないか」

「なんだ、知り合いなのか?」

「違います」「ちょっと頑な過ぎないか!?」

「だって小倉先輩ってもっとこう…肉々しい……」

「痩せたんだよ。失礼だな君は」


 嘘だ、人間そんなに簡単に痩せられるものか。だってこの前会ったばっかりじゃないか。


「俺、アイドルになるって言ったろ?」

「デブ専ナンタラでしょ?てか、なんで痩せたら一人称変わるんすか?」

「そうだよ…あのアイドル事務所…あそこでの地獄の日々…あそこに居れば誰だって50、100は痩せる」

「……え?アイドルレッスンで痩せたんですか?デブ専ナンタラでしょ?痩せてどーするんですか?」


 僕のツッコミに対して小倉先輩(未定)は顔をくしゃっと歪めてから衆人環視の中でガクリと膝から崩れ落ちた。


「俺は一生懸命やったんだっ!!レッスンに命をかけて!!なのに…真面目にやって痩せたばっかりに……っ!」


 ……ああ、駄目だったんだなぁ。


「痩せてしまったばっかりに……「お前もう要らないって」…うわぁぁぁぁぁぁっ!!」


 感情の発露。爆発する激情。本気だったからこそ、泣いてしまうんだろう……

 そして気まずい沈黙。


「うんわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!痩せたらアイドルになれなくて、痩せたら誰にも気づかれなくて…うわぁぁぁぁっ!!あんまりだ!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ………………

 どうしようこれ……


 *******************


 --漢には、どうしてもやらなければ行けない時が来る。

 それは、逃げられない宿命なのだ…男が男であるが故の……


 歩道橋を登る階段。こんなのあっても使わねーとか思ってたのは昨日の話。今日はこの傾斜に何よりも感謝している。

 そう、感謝……感謝するということが何よりも大切。

 歩道橋がそこにあることに。俺以外の誰かがそれを使うことに…そして、女がこの世に存在することに……


 俺の3段ほど前を歩く女……ミニスカを履いた女。多分中高生くらいの女……

 歩道橋の階段を登る前にちらりと横顔を見た。可愛い、派手に染めたツートンカラーのショートボブにクリクリした大きな瞳。タイプだ。


 そんな女がミニスカで俺の前を登ってる。そして俺はミニスカの下にいる。


 ……パンツが見えそうだ。


 日々の会社勤めに家に帰れば嫁や娘から邪魔者扱い。くたびれたワイシャツのような俺の人生。俺が灰色の日常を諦めないのはそんな扱いでもやはり愛すべき家族の存在……そしてこのような無味乾燥な日々にたまに咲く幸せがあるのを知っているからだ。


 ……あ、あと少しで見えそうだ。


 俺は意図的に歩調を緩める。そうすることで俺と彼女の高低差が開きスカートの中がより見えやすくなるから……


 ここで悪魔がそっと囁く。

 見えそうだから携帯を出せ。写真を撮るんだ。嫁とはご無沙汰だろう?たまには1人でムスコと対話するのも大事だぜ?そのお供に女学生のパンツは最高だ……


 邪念を振り払う。

 確かにここで写真に収められれば永久保存できるだろう……しかし、パンチラとは日常の一幕でほんの一瞬拝めるからこそ価値がある。逆に言えばそこまでがパンチラ。何時でも拝めるパンツに価値などないのだ。


 秘められた女の聖域なり--そこに踏み入ることが許されるのはその一瞬の価値を知る者のみ。

 もしバレて警察にでも突き出されてみろ?パンチラなんて一生拝めなくなるし家庭崩壊だ。


 だからこの一瞬に全てをかける。

 足下を見るふりをして頭を下げつつ、上目遣いに視線はしっかりスカートを捉える。

 パンツが見えるか見えないかの絶妙なライン。スカートから伸びる白い脚。

 それだけで眼福だが、お宝はその先に……


 見える……もう少し……


 このもどかしさもパンチラの醍醐味。全神経を視界に乗せて、ただその一点を見つめる。


 彼女と俺との間が開き、どんどん上に上がっていく。階段を登りきったならもうパンツは見えない。しかし、その刹那に女神は微笑むのだ。


 あ……見えそう……


 脚が動く度にスカートの裾がかすかに揺れて、上へ上へと向かっていくにつれて白い太ももから臀部にかけてのラインが見えてくる。

 より深く……


 そして……


 彼女の脚が最上段にかかる。申し分ない角度。俺は立ち止まっていた。


 期待に高鳴る鼓動……拳の中で滲む汗……さぁ、運命の瞬間が……


 --その時世界は俺を中心に回ってた。

 極限まで濃縮された時間は木々の擦れる音も鳥の鳴き声も風の音さえ止まって聞こえ、俺の時間を取り残して完全に静止した。

 限界を超えた角度が俺の視界いっぱいに広がりスカートの中をさらけ出す。この世の理に従ったその必然には何者も抗う術を持たないのだ。

 限りなく真上に近い俺と彼女の位置関係。

 微かに俺の視線にかかっていたスカートの裾が視界からフードアウト。鉄壁のカーテンが取り払われた世界は世界の真理に満ちている。

 臀部を包む至宝--その純白か、漆黒か、はたまたシマシマか……

 まだ見ぬ至高の布が俺の目の前に--


 その刹那、その一瞬、時間が止まっていた。

 比喩ではなく、止まったのだ。俺の中の時間が全て……


 結論から言おう。パンツは見えない。

 スカートの中を人が覗く時、スカートの中もまた人を見つめている。


 俺は目が合った。その“何か”と……


 それは見事な曲線を描いているであろう少女の尻に取ってつけたように重なった顔だ。


 灰色の肌と濡れた真っ黒な髪の毛、そこから覗く死んだ魚みたいな丸い双眼が俺をじっと見つめていた。


 ……なんだ、アレ。



『香菜、今下の男の人と目合っちゃった』

「なんやねん、うっさいな。目ェ合っても見えへんやろ。花子アンタ幽霊やん」

『いやでも確かに私を見てた』

「気のせいやって、見てたんはお前ちゃう、ウチのケツや」

『ケツ見られてんじゃん』

「ウチのケツは国宝級やさかい」

『確かに……』


 *******************


 校庭の梅が淡いピンクに空を染め上げ、卒業生達の旅立ちを祝っている。

 波乱の卒業式を終えた卒業生達が教師や在校生に見送られながら出てきて、思い思いに仲間達や後輩、家族と喜びを分かち合う。


 こんな時にさっさと帰ろうとする奴はその後ろ姿同様寂しい学校生活を送っていたことを物語っている。


「小倉先輩……」


 僕が声をかけなければ誰も呼び止めない、そもそもこいつ誰?状態の小倉先輩がゆっくり振り返った。


「お疲れ様でした…その、色々と……」

「……ありがとう。お別れだね」


 しんみりした声とその急上昇した顔面偏差値でそんな事言わないで。泣きそうになる。


「橋本軍曹…同好会はどうするんだい?」

「……続けますよ。僕は諦めませんから、アイドル……」


 傍から見たら何この会話と絵面。


「俺はもう無理だけど…橋本軍曹は頑張ってくれ。それと、君達のおかげで、楽しかった……」

「小倉先輩……」


 小倉先輩は上を見上げた。眩しいくらいの青空を目を細めて……空の先のどこか遠くを見つめているような……

 あるいは、涙を堪えるような……


「先輩……ステージで待ってます」


 だから僕は言った。

 共に過ごした日々、語った夢…忘れないでほしかったから。

 夢を諦めないでほしかったから……


 僕の言葉に視線を下ろして笑う彼の顔は、その言葉をどう受け取ったんだろう…その内面に内包された諦めの濃い色に僕の胸が痛んだ。

 壮絶な挫折だったんだ……でも……

 でもっ!!


「あのっ」


 いい感じの雰囲気だったのに誰かが横槍を入れてきた。

 2人してそちらを向いたらそこには在校生の女の子が居た。結構可愛い。

 知らない顔だ。一体どっちに用が……


「えっと…卒業生ですよね?」


 華麗に僕をスルーして小倉先輩に寄っていく女の子。その横顔は興奮と緊張に紅潮してた。


「卒業おめでとうございます!あの…あの……お名前と…連絡先とか……」


 ………………………………


 人って案外簡単に変わる。

 それは痩せただけでイケメンになった小倉先輩も、そしてさっきまで熱い気持ちで小倉先輩の夢を応援してた自分も……


 ああ、そうか……

 小倉先輩がアイドル目指してたのって、女の子にモテたいからなんだよな……


 ……じゃあ、もうアイドルやらなくていいじゃん。


 熱い気持ちが引いて殺意が湧いてきた僕の視線の先で、デレデレと情けなく笑うクソ野郎が居た。

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