エラスモパニック
ーー夏の陽気に浮かれたビーチで何も知らない海水浴客が騒いでる。湾岸警備隊のジョニーとスコッチはボートで沖を巡回しながら遊び回る若者達を遠巻きに眺めていた。
「おい、スコッチ…仕事中に酒はやめろよ」
「おいおいおいジョニー…お前の堅物さには太陽も呆れ果てるぜ。折角の海なのに馬鹿が騒いでるのを眺めるだけで満足か?ん?」
「まったく…」
「夏は馬鹿にならなきゃいけねぇんだよ…おいおい、マジかよ」
仰向けに寝っ転がるスコッチが目を見開いて海岸の方を凝視する。ジョニーもボートの舵を取りながらそちらに注視する。
海岸の方の海上ステージからこちらに手を振る水着姿の女達…挑発的な笑みと共に腰を振る美女達にスコッチは口笛を鳴らしてみせた。
「まったく……」
呆れたため息を吐きながら淡々と仕事をこなすジョニーの乗るボートは、平穏な遠洋を決まったコースの軌跡をなぞりながら進む…
ーービーチが平穏だったのは、その時までだった。
「きゃあああああああああっ‼︎」
絹を裂くような金髪ギャルの悲鳴と共に海上ステージが水飛沫に呑まれた。
直後白い飛沫に混じる鮮血の赤に、ビーチは一気にパニックと化す。
「おいおい…なんだありゃ」「くそっ!スコッチ‼︎本部に連絡ーー」
慌ててボートの舵を切り海岸の方に向かおうとするジョニーの手が止まった。
それはあまりに現実離れしていて、我が目を疑う他ない光景だったから……
水面を突き破るように飛び出した蛇のような怪物が、水と共に海水浴客を呑み込んでいた。
重低音の鳴き声が水面を揺らし、腹の底に響く怪物の声が本能的な恐怖を掻き立てる。
「……まじかよ」
茫然とするジョニーとスコッチの乗るボートの真下で真っ黒な影が揺らめいた。
酒に溺れていたはずのスコッチの反応は、ジョニーよりも早かった。
「ジョニーっ‼︎」「⁉︎」
訳も分からぬままスコッチから突き落とされたジョニーが目にしたのは、真下から突き上がる怪物の顎がそのままボートを噛み砕く光景だ。
まさに今海岸付近に現れた怪物と同じ…
「スコーーーーッチッ‼︎‼︎」
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「まさか…エラスモサウルスだって⁉︎」
モッツァレラ博士の研究室でジョニーは驚きの色を隠せない。
今まさにテレビ中継の向こうで軍の攻撃を受けているのは、大昔に絶滅した首長竜だと言うのだから……
「馬鹿なっ!恐竜が生きてる訳ないじゃないか‼︎それに…エラスモサウルスってのはあんなにデカいのか⁉︎寝ぼけんのはまだ早いぞじいさん‼︎」
「ジョニー!博士への侮辱は、許さない」
モッツァレラ博士の助手ーーそしてジョニーの元々恋人の考古学者、マリーがきつい口調でジョニーを指差す。
「ふむ…間違いないだろう…先日の海底探索でアリアナ海溝付近から採取した未知の物質…あれが深く関わっとるのは間違いない。ワシの仮説は…間違って無かった…」
「博士…それはまさか。奴らがあの化学物質を完成させたと…?」
「おいおい、俺は置き去りかよ!なんなんだ奴ってのは…化学物質?」
「カマンベール教授…奴の完成させた化学物質が、マリアナ海溝に眠る恐竜の化石を復活させたのよ!」
「…カマンベール教授だって?」
「…あの未知の物質は、かつてワシが完成させることの出来なかった細胞活性化物質…『ブタノハナ』…そして、カマンベール教授はかつてのワシの研究仲間じゃ…奴はワシの研究を盗み出し、姿を消した」
「その『タカノハナ』だか『クサイハナ』だかを、そのなんとかって教授が使って、その結果俺のダチはトカゲの餌になった…そういうことかよ?」
「カマンベール教授はワシの研究を完成させたんだろう…まさか、自分の研究成果をこんな形で目にすることになるとな…」
テレビ中継を眺めるモッツァレラ博士にジョニーが掴みかかった。博士の白衣の胸倉を掴み、標本の飾られた棚に老体を叩きつける。
「他人事みたいに言ってんじゃねぇぞ‼︎てめぇの作った訳わからんモンのせいで、俺のダチはあの化け物の胃袋の中なんだぜ‼︎」
「博士に何するの‼︎」
モッツァレラ博士とジョニーの間に割って入るマリーが無理矢理にジョニーを引き離した。
今度はマリーと掴み合いになるジョニー。勢い余った2人が壁際で至近距離見つめ合う。気まずい沈黙が2人を包んでいた。
「…軍の総攻撃が始まった」
モッツァレラ博士の言葉に見つめ合うマリーがジョニーを跳ね除けてテレビに向かう。
画面では水面から顔を出したエラスモサウルスが上空の戦闘ヘリを睨んでいる。
「勝てんのかよ…」
「奴らは『ブタノハナ』に手を加えとる…あれはもはやただの首長竜ではない」
「じゃあ……」
「死体が増えるだけじゃ……」
戦闘ヘリの機銃掃射が爆発のような飛沫を撒き散らす。爆ぜる海面で飛沫のカーテンに包まれたエラスモサウルスはその硬い皮膚で弾丸を受けながら涼しい顔をしていた。
そのまま伸びる首が鞭のようにしなりヘリを横から叩く。モーターの駆動音と共に制御不能になったヘリが海に落下していく。それを待ち受けていたもう一匹のエラスモサウルスが巨大な口の中にヘリを呑み込んだ。
結果は凄惨たる内容だ。
逃げ惑うヘリを次々叩き落とし、噛み砕き、蘇った太古の力を非力な人間に見せつける。
それは人間達に、この星の真の支配者は誰かと語りかけているようだった…
「そんな…」
目の前の光景にショックから蹲るマリー。その横で立ち尽くすジョニーへ、モッツァレラ博士が語りかけた。
「こうなれば…カマンベール教授の研究室から奴らを化石に戻す薬を手に入れる他あるまい」
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研究室から『ブタノハナ』を無効化する薬品、『ヘソノニオイ』を奪取したジョニーとマリーを待っていたのは、閃光のように飛び交う銃弾だ。
遮蔽物に隠れた2人が互いの無事を確認し合う側で、壁や床に乱射された弾丸が火花を散らす。
「だから言わんこっちゃない‼︎お前は昔から計画性がないからこうなるんだ‼︎どこの世界に秘密の研究所にチーズフォンデュを届けに来るUberEatsが居るんだ‼︎」
「私の作戦は完璧よ‼︎あんたがチーズフォンデュとトコロテンを間違えなきゃこんなことにはならなかったわ‼︎あなたって昔からそうよ!私の言ったことも忘れて…っ!同棲中もあれほどあなたのパンツと私の下着を一緒に洗濯しないでって言ったのに…っ!」
「あれは洗濯籠に入れてたお前が悪いだろ‼︎大体あんなことで別れるお前がおかしいんだっ‼︎」
「なんですって⁉︎」
「おぉっと、痴話喧嘩はその辺にしてもらおうか…」
いつの間にか2人の間に回り込んでいたカマンベール教授が腹心のポール田中と共に銃口を突きつける。
「2人共、銃を捨てるんだ…無駄な抵抗はしない方がいい…さもなくば、この爆弾がこの研究所を更地にしてしまうからな……」
「……っ、くそっ!」
ポール田中が掲げるダイナマイトにジョニーとマリーは拳銃を手放す。
抵抗を諦めた2人を前に勝ち誇った笑みを浮かべるカマンベール教授。教授の顔が凶悪に歪み悪役特有の勝利を確信した後のお喋りを始める。
「俺は幼少期に博物館で見た首長竜の化石に感動を覚えた…あれこそが地球の支配者に相応しい姿だと…モッツァレラは馬鹿だ…『ブタノハナ』を翼竜に使うなどと言い出したからな…だから裏切った。見ろ!現代に蘇った首長竜の姿を…全ての生命は母なる海のもの…そして太古の昔その海を統べた首長竜こそが、地球の覇者に相応しい。悪しき人類を抹殺し、今こそ地球を本来あるべき姿に回帰させる‼︎」
「…そんな理由で、罪もない人々を…っ‼︎」
「おっと!君達と議論する気はないよ。首長竜の素晴らしさを理解できないトンチキと言葉を交わす意味はないからな…もうじき警察もここを嗅ぎつけるだろう。その前にこの研究所は爆発するとしよう。私はまだ捕まる訳にはいかないからね。無論…君らと一緒に…」
「くっ!…卑怯者‼︎」
「はははっ‼︎勝者とは常にそういうものだ。さぁポール!こいつらのケツにダイナマイトをぶち込んでやれ‼︎」
「……」
「どうした?ポール。」
カマンベール教授が怪訝そうに振り向いた直後、ポール田中が手にしたダイナマイトをカマンベール教授の尻の割れ目に突き刺した。
「っ⁉︎おふぅっ‼︎」
人の腕ほどの太さの異物を突き刺されカマンベール教授の口から気の抜けた悲鳴が上がる。そのまま力なくへたり込むカマンベール教授にジョニーもマリーも茫然とする。
「……教授、あんたの才能は尊敬するが、あんたは道を間違えた。」
「ポール…っ、貴様っ‼︎」
「俺は純粋に、首長竜のロマンを追い求めるあんたが好きだった。だが、あんたは変わった…恐竜は過去のもの…だからこそロマンがあるんだ。あんたはそれを忘れちまった」
ポール田中がカマンベール教授のケツに刺さったダイナマイトに着火した。
「出口はこの先だ…急げ」
「ポール…お前」
「ここにある研究は負の遺産だ…残してはおけねぇ…俺はこの人の為に人生を捧げた。最期まで付き合うさ……」
「ポールっ‼︎」
「行けっ‼︎人類の未来を、お前らに託す‼︎」
ポール田中の激励と共にジョニーとマリーが走り出す。
疾走する2人の背後で次々に爆発が起こる。迫りくる爆炎…2人は必死に走り、研究所の窓を突き破る。
下のプールにダイブする2人の頭上で研究所が爆発と共に黒煙を噴き上げた。
プールの中で爆発の余波を凌いだ2人が顔を水面に出す。濡れた2人の瞳が見つめ合う。死地からの脱出に茫然とする様に、互いの視線が交わる。
高まる熱をそのままに、2人は熱い口づけを交わしていた。
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なんてこった!!『ヘソノニオイ』入り魚雷が潜水艦ごと沈められてしまった。
『ジョニー聞こえる!?あと一体そこにいるわ!!』
潜水艇の無線からマリーの悲鳴のような声が聞こえてくる。その横を『ヘソノニオイ』を食らった一体が沈んでいく。
しかしまだ一体、ジョニーの頭上を泳いでいた。
灰色の目玉が真下の潜水艇に向かう。
『ジョニー!!逃げるんだ!!』
海軍司令官オイ・マッコイが叫ぶ。ここまで一緒に戦ってきた仲間達が逃げろと声を重ねている。
ジョニーは静かに息を吐いて、真上から迫るエラスモサウルスを見つめた。
「……マリー、すまなかった。お前に謝らないといけないことがある」
『後で聞くわ!!ジョニー!!逃げて!!』
「2年前のあの時……お前のゼリーを食べたのは……家に呼んだ情婦のものだと思ったからだ……」
『ジョニー……』
「互いの買ったものは食べない……その約束を違えたわけじゃない……それだけずっと、心残りだった」
『ちょっとジョニー!!その女って誰よ!!』
「……愛してる」
『逃げるなジョニー!!こら!!』
耳のインカムを投げ捨てて、覚悟の瞳を燃やすジョニーの顔がアップになる。
潜水艇のガラスの向こうから、石臼のような歯が並んだ口が迫る。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
気合いの声と共に潜水艇の操縦桿をあげる。海底に向かって頭から突っ込むように船頭を下げる潜水艇が間一髪でエラスモサウルスを避ける。
船尾のモーターがエラスモサウルスの首を切り裂いた。
赤い泡を撒き散らしながらエラスモサウルスの横をすり抜ける潜水艇を怒り心頭のエラスモサウルスが追いかける。
遊泳能力の差か…あっという間に追いつかれた潜水艇が上下から迫る巨大な顎に挟み込まれる。
潜水艇内部で赤い警告灯が光り、圧力限界の警告アナウンスが響く。
船体を激しく振りながら振り払おうとするが船体にヒビが走り、隙間から海水が侵入する。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
圧力に負けたガラスが割れ、ジョニーがそこから飛び出した!!
その直後、逃げ出そうとするジョニーごとエラスモサウルスが潜水艇を呑み込んだ。
激しく波の立つ海面を破りエラスモサウルスが首を伸ばす。
怪物の浮上に揺れる海面に揺らされマリー達の乗る軍艦が大きく傾く。船上のマリー達が天に昇るエラスモサウルスを絶望の表情で見つめていた。
「……ジョニー」「オーマイガー……」
海面に滝のように海水を流すエラスモサウルスの顔は神々しくすら見える。人類に対する神罰か……太古の海の悪魔の威容に誰もが諦めを感じていた。
--その時、エラスモサウルスが吠えた。
海を揺らす咆哮が天高く駆け登り、怒りにも似た叫びと共にエラスモサウルスの口から血飛沫が上がった。
ゆっくり倒れていくエラスモサウルスの口から海面へ、血まみれのジョニーが銛を手に飛び出した。
「ジョニーっ!!」「やりやがった!!」「ワァーォォォッ!!」
海に沈んでいくエラスモサウルスの横からジョニーが軍艦に向かって泳いでくる。血の洗い流されたその勇姿は紛うことなき世界の救世主の姿だった。
海水を吐き出しながら軍艦に引き上げられたジョニーにマリーが駆け寄る。2人の距離が詰まる傍から熱い抱擁がジョニーを包み、2人の体が力強く絡み合った。
「ジョニー…さっきの話、詳しく聞かせてもらうわよ」
「おいおい…勘弁してくれ」
冗談で笑いあった2人は熱視線を交え、熱い口付けを交わしあったのであった…
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「結構面白かった。ね?凪?」
私は可愛い--そして、映画はいいものだ。
本日公開のモンスターパニックものを凪と観に来た。最初は全然期待してなかったけど、終わってみれば陳腐なストーリーとガバガバな設定以外は楽しめた。
ただ、凪との付き合いで色んな映画を観てこういうのはそういう雑なところを楽しむものって知ったから、結論としてお金を払って観るだけの価値はあったと思う。
……が、隣の凪は何故か不機嫌。
「……凪?」
「日比谷さん、面白かったって?」
「……え?うん。あれ?つまんなかった?こーいうしょーもない映画凪好きじゃん」
「分かってないよ!!日比谷さん!!」
隣を歩く凪が肩パン食らわせてきた。痛いっ!!この全身国宝級の美少女日比谷真紀奈を殴るなんて!!ガンジーでも機関銃持ち出して乱射するレベルの狼藉!!
「全っっっ然グロ描写ないじゃん!!期待してたのに!!」
「…………」
「この監督、ドS村の監督なんだよ!?もうすっごいエログロ描写期待するじゃん!!」
「いや…………そーいう感じの映画じゃないのは予告とかで分かって--」
「うわぁぁぁぁっ!!駄作!!モンスターパニックでグロ描写無しとか何を見るの!?」
「別にこのジャンルはグロが売りじゃないじゃん!?モンスターを見なよ!!」
凪……まだスプラッターが一般的な映画ジャンルだと勘違いしてる……もうスプラッター描写がない映画は映画じゃないという勢い…
この私がツッコミ側に回るなんて……凪あんた……
「いや…エラスモサウルスとか凄かったじゃん?」
「舐めてるよもー!エラスモサウルス見て何が楽しいん?」
「何を観に来たのあんた……」
「客がスクリーンに何を観に来たのか分かってないよ。あんなの映画とは呼べない!」
「凪……」
謎の沸点沸き散らかしプンスカしながら劇場から出た私達の前に突然カメラがにゅっと躍り出た。
カメラっ!!
反射的にポーズ取っちゃった。これテレビのカメラだ。わー、全国に私のご尊顔が…こんなサービスするつもりなかったのになー。
「えっと…?ちょっといいですか?」
「この日比谷真紀奈になにか?」
「…………あの…本日公開のエラスモパニックの感想を--」
……あ。
多分映画のCM用か、なんかの番組コーナー用の撮影だ。
私は隣の凪がギンッと目の色を変えたのを見てそそくさと画角から退避した。
だってこのおバカ何言うか分かってるし……仲間と思われたくない……
「感想ですか?」
「はい、お時間よろしいで--」
「…正直期待外れです!巨匠ヤリスギーノ監督の一ファンとして!!皆さんに伝えたいのはっ!!」
「……………………(なんだこいつら)」
「この映画全っっっっ然!グロくないです!!!!」




