なんなんこの学校
--これは夢。
何百何千と繰り返した夢。だから分かる。これは夢……現実じゃないって。
過去の傷がズキズキ痛む。乗り越えたはずなのに、忘れたつもりなのに……こうして幾千と繰り返し、私の心を茨で縛る。
--お前なんか、死んじまえっ!
「--っ!!」
じっとりと張り付く汗、目覚めの悪い朝。まだ夜と朝の境界も曖昧な冬の静けさ包む寝室で、最悪の一日の始まり。
「……学校、行かなきゃ」
これが私の決意表明。
逃げ続け、縛られ続けた私の朝のおまじない。口にすることで、ようやく体がそれに備える。
大丈夫--私はもう、美夜に守られるだけの子じゃないの……
「……おはよう、美夜」
まだ隣の部屋で深い寝息を立ててるだろう妹に、私は届かないおはようを告げていた。
*******************
「浅野さん、出席日数が足りません」
登校してすぐ職員室に呼び出されちゃった。仕方ないよね……
担任の先生は苦々しい顔をしながらも、私に慈悲を投げかけてくれてる。
「このままじゃ進級出来ないから……補習を受けるように。成績は問題ないから……」
担任の熱い好意にグッと唇を噛み締める。本当は私にそんな資格ないんだ…
そうだ、言うんだ。本当のこと。全部精算して、学校生活をやり直すって決めたじゃない……
「--あの!先生、実は--」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
意を決した私の言葉は出鼻から職員室に響き渡る悲鳴に遮られてしまう。何事?
職員室中の視線が集まる。その中で中年の女性教師がペットボトル片手に立ち尽くしてた。
「どうしました?」「なんですか!?」「更年期ですか!?」
男性教師が心配して駆けつける中で、女性教師の顔が絶望に歪む。見てるこっちの心まで掻きむしるような、悲痛な顔。あまりの表情に思わず息を呑んじゃう…
一体なにが……?
「ペットボトルのキャップが…どこかに……」
「……っ!」「なん、だって……」「おいおい…まじか?」
?
なんですって?
海外映画みたいなリアクションで深刻そうに事態を受け止める周り。私の担任まで凍りついた表情でこっちを見てた。
「冗談だろ…?だって、そのペットボトルにはまだ半分以上……残ってるじゃないか!!」
「手を…滑らせたの……あれほど……注意してたのに……もうダメ……」
頭を抱える教師陣、泣き崩れる女性教師。
「おまっ……どうして!?どうしてよりによって……ペットボトルのキャップを!!」「落っことしたペットボトルのキャップは見つからないって相場が決まってるって言うのに!!」
「もう……私はおしまいよ……みんな……もう、無理……」
「根岸先生……っ!ああっ!くそっ!!あんたのクラスが今どれだけ大事な時期か分かってるのか!?あんたがここで……っ!くそっ!!どうすればいいんだっ!!」「諦めるな……探すんだ。時空の歪みに呑み込まれたんじゃなけりゃ必ずある。それが世界のルールだ。それと、他の者は代わりのキャップを…なんでもいい!探すんだ!!」
騒然とする職員室……騒然としてる……ペットボトルのキャップで……
……?
ここで事態を見守ってた担任がハッとして私を見た。その顔は焦りと不安を滲ませつつも、決して私にそれを悟らせまいとしてるような、取り繕った表情。そう、まるで大問題が発生してそれを生徒に悟らせないようにしてるみたいな……
「話はまたあとよ。あなたは教室に戻りなさい」
「え?あの先生……私話が……」
「いいから…ここから離れるのよ。大丈夫、何も心配することは無いから……いい?平常心よ」
「あの……」
「さぁ行って!誰にも言ってはダメよ!!さぁ!」
……???
*******************
ペットボトルのキャップが無くなるってそんな一大事なのか、知らなかった……
職員室を追い出された私はトボトボ教室に戻りながら考える。
先生に相手にされなかったんだから、元生徒会のメンバーに……
そうだ、昨日はよく分かんない状況で相手にされなかったけど、あの2人……
長篠さんと田畑さん。
調べたところあの人達は同じ1年生みたい……
まさに昨日、彼女達が私を尋ねてきたのはその話だった。
そう……元生徒会メンバーにはちゃんと説明する責任があるはず……
気後れする脚を無理矢理前に出して彼女達のクラスへ……再び語るべき言葉を整理しながら……
「きゃああああああああああああっ!!」
またしても悲鳴。いきなり鼓膜を叩く絹を裂くような悲鳴に心臓がびっくりする。
何が起きたの!?
廊下の染みばかり追いかけてた視線を持ち上げ前を見た。
その目の前の光景に思わず喉が引つる。ショッキングな光景…身を凍らせる恐怖が私の体を絡めとった。
教室の前の人だかり。皆ある2人を取り囲むように輪を作りながら、近寄らないようにと距離を取ってる。その表情は一様に不安と緊迫感に濡れていた。
そして廊下の真ん中--事件の当事者達。
1人は私に向かって背中を向けた黒髪の女生徒。何かを構えたように強ばった背中からはただならぬ雰囲気。
そして、僅かに覗く手元では、何かが光ってた。
幅広くて、細長い何か--
対するは栗色の髪の毛の、ものすごい美少女。
目の下のほくろがセクシーな女生徒が、その端正な顔を緊張感に張り詰めさせてた。
「……っ」
--死ね!!
--あんたなんか……っ!
--あんたが居なきゃ--
頭の中で、夢の中と同じ声がした。
灰色の、濁った記憶の中で、私に向かって白銀の刃が光ってた。
あの時と全く同じ状況に、私の手足が先から痺れる。
「レンっ!!」
後ろから声がして、ナイフらしきものを構える女生徒が振り向いた。その子は田畑さんだった。
そして駆け寄ってきたのは長篠さん。人混みをかき分けて田畑さんに近寄る。その時に「邪魔っ!!」って思いっきり頬を殴られた。
「……風香」
「こんなの間違ってる!!もうやめて!!」
「……だって!こいつは……」
「ジャンピエールを逃がした私達の責任でしょ!!日比谷に当たらないで!!」
「……っ!」
「お願い!!自暴自棄にならないで!!」
……一体なにが?
「……だから、わざとじゃないって言ってるじゃん。大体!ペットだかなんだか知らないけどあんな虫学校に持ってくるのが非常識!!」
日比谷と呼ばれた女生徒が怯えながらも気丈に反論した。
それに刺激されたのは田畑さんだ。彼女はみるみる表情を憤怒に染めてより強くナイフらしきものを握りしめ日比谷さんに構える。
「私達の家族を踏み潰しといてその態度!?お前は自分が何したか分かってないの!?命を…ひとつの命を終わらせたの!!この…っ!人殺し!!」
「虫でしょ!?」「日比谷さん反論しないで!!刺激しちゃダメ!!」「凪は下がってて!!」
「レン……お願いやめて」「風香!!私はあの子の仇を取らずに……石焼きビビンバを食べることなんて出来ないの!!」
状況はカオスを極める。
よく分からないけどこのままじゃ大変。田畑さんの気迫に周りも事態が一刻を争うって認識し始めた。
「2人ともやめて!!」「日比谷さん逃げろ!!」「先生!!誰か先生呼んでこい!!」
口々に生徒達が叫ぶ中、田畑さんが憎悪に濡れた瞳を日比谷さんに向けた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
田畑さんが走る。日比谷さんに向かって--
「レンっ!!!!」
その時、私の体が条件反射的に動いてた。
過去のトラウマがフラッシュバックした。体が強ばるのと同じくらいに、その先の光景を見たくなくて……
私達と同じ過ちを犯して欲しくなくて……ただそれだけを考えて、止めなきゃって真っ白になった頭で考えてた。
だから私は人混みを押しのけて田畑さんと日比谷さんの間に割り込んだ。
田畑さんに背中を向けて、日比谷さんを守るように両手を広げて。
目の前に現れた私に日比谷さんがギョッとする。私は来る痛みに耐えるようにぎゅっと目を瞑って……
--ブスッ!!
予想した激痛--からは程遠い痛み……というか挿入感に背中がビクンって跳ねた。
「ひゃうぅ!?」
思わず変な声が出ちゃった。
これ、なに?
恐る恐る自分の背中辺りを見た時、私は絶句した。視界に映った光景に……震えた。
私のお尻に……定規が……
…………?????
*******************
「…災難だったね」
「…はい」
「傷は浅い。跡になるようなことは無いから安心しなさい」
「はい」
跡になってたまるか。お尻の割れ目に定規ぶっ込まれただけだもん。
まさか保健室でお尻を診せる日が来ようとは……羞恥心と言いようのない怒りみたいな感情を渦巻かせながらスカートを履き直す。
「君を刺した生徒だけど、1日別室指導らしい。刺された君としては処分の甘さに憤るかもしれないが…」
「いや……どうでもいいです」
「そうか……」
「ありがとうございました、失礼します」
先生に会釈して保健室を出ようとした時、呼び止められた。
「…浅野君」
「はい?」
「……何か悩み事でもあるのかい?」
……っ。
零しかける表情を何とか取り繕ってから私は先生から視線を逸らした。
「……まぁ、深くは詮索しないよ」
「……」
「ただ、何か相談したいことがあるなら、いつでもおいで」
「……ありがとうございます」
「それが保健室の先生の仕事だからね」
優しい人だ……いや、先生の言うようにそれが仕事だからだろうな。
再度頭を下げて保健室を出ようとする私に、先生は「それと」と付け加えた。
「……なんでもあんまり深刻に考えすぎない事だ。浅野君」
「……?」
「案外君が思ってるほど深刻な問題でも無いかもしれないよ……それにね、この学校でそんな馬鹿正直に生活してると、疲れるよ?」
……?
「たまには馬鹿になりなさい」
……よく分かんないけど。
「ありがとうございます」
--優しい保健室の先生の好意を胸に、私は心に抱いた勇気を忘れてしまわぬうちにとグラウンドに走る。
元生徒会副会長、大葉雄太郎--
野球部の2年で、放課後は練習中のはず……
部活中に押しかけるのは迷惑だと思いながらも、私は逸る気持ちを抑えられなかった。早く喋ってしまわないと、どうにかなっちゃいそうだったから……
「--あのっ!!」
1月の寒空の下でも練習に精を出す部員たちの元に駆け込み声をかけた。何人かの部員が私に向かって振り向いたので、要件を……
「大葉先輩に用があっ--」
「あらん可愛いお客さん♡」
!?
低くて野太いねっとりした響きの声が突然私の耳にぶっかけられた。どう考えてもおかしい声音にさっきとは別種の恐怖を抱きつつ恐る恐る声の主を見上げた。
……でっかい。
私を見下ろす、浅黒い肌のガタイのいい少年。ただ、なんでだろう……よく分からないけど対峙してたら寒気が……
「あなた、特進コースの浅野さんよね?うふ、工業化の剛田よ。よろしく♡」
ああ寒気の理由が分かった。
「何か用かしら?」
「ひっ!?」
剛田…君?が距離を詰めてきて思わず大きく後退する。明らかに失礼な反応にも彼?は気を悪くする様子も見せなかった。
「あらあら…取って食べたりしないわよ」
「す…すみません……あの、どうして私の事を……?」
「何言ってるの、あなた、有名人じゃない。うふっ、会えて嬉しい。今度勉強教えて頂戴?」
悪い人では……ない?ないのかもしれないけどごめんなさい、無理。怖すぎる。
「ようやく学校に来る気になったのね。訳は聞かないわ。これからは学校に来てね?」
「え?…あ、はい」
「約束よ?」
ウインクと共にぶっとい小指を私に向けてきた。指切り……?
おっかなびっくり応じて小指を絡める。大人と子供みたいだ。
「約束したわね?嘘ついたら…うふっ♡お仕置なんだから」
ぞくっ!!
「さて、大葉ちゃんに会いに来たのよね?主将!お客様よ!!」
なんだろう、この人の声1つで部全体がびくびく震えてる気がする……
奥から呼ばれてやってきたのはやっぱり背の高い坊主頭の男子生徒……
凛々しい顔つきのいかにもなスポーツ男児…だけど少しやつれてる?
「…浅野か」
「……っ」
この人が副会長……
ちゃんと伝えなきゃって意を決して私は--
「こーら、大葉ちゃんったら、そんな怖い顔してたら浅野さん、怖がっちゃうわよ?」
大葉先輩の後ろからねっとりと抱きつく剛田君。胸に指が這うのに合わせて大葉先輩の体がバイブレーションみたいに震えてく。
「……お前は練習に戻れ」
「あらん、つれないじゃない。今は主将と居たい気分なの♡」
……なんだろう。一刻も早くこの場を離れたい。
「……学校に来たんだな」
「っ!はい……」
「俺に用だって…?今更出てきて一体なんの--」
「もーう、そんな怖いこと言わないの。ぶちゅ♡」
っ!!!!?
今ほっぺにキスした!?うわぁぁぁぁぁっ!!
分厚い唇が大葉先輩に押し付けられたと同時に、大葉先生の体が拒絶反応に跳ねる。が、剛田君の屈強な抱擁は振りほどくことを許さないみたい。
……もう帰りたい。何この野球部。
「浅野!!今となってはもうどうでもいいんだ!!」
「……っ、副会長…」
「お前に副会長などと呼ばれる筋合いは--」「も〜、すぐそうやって酷いこと言う。お仕置のチューよ♡」「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
っ!!!!!!!!!?!?
今度は正面から!?無理矢理大葉先輩の顔を正面に向けて、唇を迫る剛田君。
私の足は自然と後退する。見てはいけない、傷になる。またトラウマ増える。
「うわぁぁぁっ!!やめろ!!浅野!!助けてくれ!!おいっ!!逃げるなっ!!助けて……ひっ!ぎゃあああああああああああああっ!!!!」
--背後で響く悲鳴を背中に受けながら走る。走る……
ごめんなさい大葉先輩。私は逃げました。弱い私を許してください。
あとこの学校もう嫌です。なんですかこの学校。こんな学校だったっけ?
戦慄を禁じ得ない……今日だけでもうついていけない。
私の中で罪悪感が膨らんでいく。
私を守る為に、こんな所に足を運んでたなんて……
美夜。
「--ウワァァァァァァァァァァッ!!!!」




