金が足りねぇんだ
--人には時に、どうしても避けられない問題ってのがある。
俺達は1人で生きているようで、社会という大きな枠組みの中に囚われている集団の1個人なのだ。
生まれた時から定められたルールの中に当たり前のように身を置いて生きていく。しかし時に、そんな当たり前のルールが俺達を苦しめる。
大局的に見て、一丸となってその問題を解決しなければならない。でも、ごく稀に見通しの甘さが乗り越えられない大きな壁となって襲いかかってくる……
今回ばかりは、参った。
年末。俺達は生徒会お疲れ会と称して、焼肉を食べに来ていた。
メンバーは会長の紬さん、副会長の大葉、会計長の小河原、書記長の花菱、書記の長篠、庶務の田畑、そして広報の俺、広瀬虎太郎。
街の中心にある繁華街……高校生には少し背伸びしすぎないいお店が今回の事件の舞台だ。
「うわぉ。すごい良さげな店ですね!」「しかもペット同伴可!」
店内の落ち着いた高級感のある雰囲気に長篠と田畑が歓声をあげている。しかしなぜスローロリス連れて来た?
「先輩、私達お金ないですけど…」「風香、広瀬先輩が奢ってくれるって」
「言ってない……けどまぁ、今日は2年の奢りだから。君らはお金出さなくていいよ?」
「マジすか…」「広瀬先輩が途端に輝いて見える……」
一々一言多い後輩だよね。元から輝いてるよ?俺は。
「マジか虎太郎、ゴチになります!」
「花菱!?お前は出せよ!?この店に決めたのお前だろ!?」
「冗談冗談。2年で割り勘ね?流石にここで虎太郎に全部押し付けたらいじめだもんね。一線超えちゃう」
「……普段俺をこき使ってる自覚はあったんだね」
騒がしい7人と1匹は席に着き各々メニュー表を開く。真っ先に顔色を悪くしたのは大葉だった。
「……結構するな。ヤバい、俺今日2000円しかないんだが……」
「マジかよ副会長…2000円て小学生の財布より薄いぞ」
「そういう小河原はいくら持ってんだ?」
「12000円」
「お前…俺は部活が忙しいからバイトしてないし、当然として、お前もバイトしてないだろ?なぜそんな大金を……」
「12000円って高校生からして大金か?」
「ウケるー」
「ウケてる場合ではない。花菱は?」
「6000円」
「お前バイトしてんだろ?」「少ないぞ」
「虎太郎は?」
「……11100円」
「みんなビンボーだな」
平均的な高校生の財布事情は知らんからどうなのか知らんけど俺らは貧乏らしい。これは財布と要相談だろうか。
「紬さんいくら持ってる?」
紬さんはいっぱい持ってそう。あんまり遊んでるイメージ無いし。
2年の期待を一身に受けた紬さんはチャラチャラという小銭の音と共にがま口財布をおもむろに取り出していた。緑のカエルのデザインで、ご丁寧に首から下げる紐まで付いてた。
「いっぱい持ってきた」
「合計で31100円か…」「まーいっぱい食えるっしょ」
「……いっぱい持ってきた」
戦力外の紬さんを無視して31100円とメニュー表を交互に見る。若干の不安はあるものの常識的な量ならばまぁ……
「先輩、頼んでいいですか?」「お腹空いたです」
こそこそ情けない密談をする2年達に長篠と田畑が輝いた目線を向けてくる。後輩の前で恥はかけない。
大葉が白い歯を煌めかせて笑った。1番持ってない方なのにその姿はやり手実業家のそれだ。
「腹いっぱい食え!!」
流石野球部…こうやって後輩を引っ張ってきたんだな…金は他力本願だけど…
*******************
「この盛り合わせと、カルビと、タンと、鶏肉と和牛とホルモンとあとキムチとサラダとー……」
どんどん運ばれてくる皿、そして立ち込める暗雲……
俺達は後輩の前で張り付く予感をおくびにも出さずに焼肉を楽しんだ。
調子に乗って次々追加する後輩達に乗せられて俺達もあれやこれや頼みだす。この時点でもう歯車は止まることのできないところまで回りだしてしまっていた……
「ドリンクおかわりしよ」「へー…猿って肉食べるんだ…」「高いだけあって美味いな…」「ねー」
…………
積み上げられた皿。皿…そして皿……
俺の腹八分目まできたところで俺は事態を把握する。
……これ、食い過ぎじゃね?
盛り合わせ4人前、カルビ4人前、和牛3人前、ホルモン…etc……
「?どうしたの虎太郎。なにか頼む?」
メニュー表を凝視する俺の隣で紬さんが尋ねてくる。そんな呑気なこと言ってる場合じゃない俺はメニューから目が離せない。
ざっと計算しても4万いった……
ば、馬鹿な……あれほど予算と相談と頭に叩き込んだのに……
あっという間に予算をオーバーしてこの時点でもヤバいのに、肉の油に汚染された頭パーチクリン達はどんどんチョーシに乗って追加の注文を始めた。ヤバい。
「ちょっ…みんな待った!」
「広瀬先輩食べてなくなーい?」「広瀬先輩何が好きですか?」
「え?……ホルモン」
「すみませーん、ホルモン1人前!」
やめろぉぉぉっ!!!!お前ら人の金で調子に乗ってんじゃない!!
「いや、待った。君達少し食べ過ぎ--」
「広瀬」
「小河原!これヤバい!!これ既に予算オーバー……」
「牛と鳥なら鳥だよな?」
「牛だろ?」
「鳥だろ?牛は油っこくていっぱい食えない」
「馬鹿か、焼肉来て牛食わないなんて選択肢はないだろ?」
「大葉……脂身ばかり食ってたら余計な肉がつくぞ?」
「牛だ」「鳥だ」
「2人共待ってくれ!牛も鳥もダメだ!!もうとっくに予算オーバー……」
「和牛1皿!!」「鶏肉!!」
「頼むな!!」
うわぁぁどうすんだこれ!甘かった!!育ち盛り7人と焼肉行って31100円で間に合うわけがなかった!!
「いえーい虎太郎飲んでる〜?」
「花菱!!聞いてくれ!既に金額が大変なことに……」
「こたろぉ……これ飲んでみ?美味いよ?」
「いや要らない!それよりだ--」
「なんだぁ!?私のドリンクは飲めねーってのかァ!?」
うるせぇ!!烏龍茶で酔っ払ってんじゃねぇっ!!
ダメだ……もうみんな飲み食いに夢中だ…終わった。
みんな気づいてないのか?このどう考えても大変なことになっている皿の量に…マズイ。
「虎太郎、さっきから難しい顔してどうしたの?焼肉嫌い?」
「紬さん!ヤバい。予算オーバーなんだよ!みんな食いすぎ!!」
「……私いっぱい持ってるよ?」
え?あのがま口財布に?小銭の音しかしなかったぞ?
「……持ってる」
「…………」
「任せろ」
おぉ紬さん……あんたって人は!!
信じるよ?信じていいんだね?
「さぁ、食べよう」
「先輩達食べてるー?」「もっと頼も!!」
*******************
散々食って騒いで、紬さんに全てを委ねたお会計……
レジに行く前にメニュー表と注文を照らし合わせていくらになるのか計算。
お会計は120000円にまで膨れ上がっていた。食いすぎ。
「……ちょっとトイレ行こうか」
大葉の声に合わせて2年全員が席を立つ。
「え?みんな?」「先輩達みんなで連れション?ウケる」
後輩には聞かせられない話。先輩は見栄張ってなんぼだから…
キョトンとする長篠と田畑を置いて店の奥に集まる2年生。
「……ヤバいな」
「ああ、食いすぎた……」
今更何言ってんのこの人達。おい小河原、お前会計だろ。
「もー2人共何言ってんの?ウケるんですけどー」
お前もだ花菱、なんでそんな他人事だ。
「分かってたことじゃーん?」
分かってて食うな。
何故か烏龍茶でほろ酔いの花菱。烏龍茶だよな?ウーロンハイじゃないよね?
ハイになってるというか自暴自棄になってる花菱の言葉に大葉と小河原も苦い顔をした。
そして2人の困り果てた湿っぽい視線が俺に向かう。
「広瀬……後輩が楽しそうに食ってるのを誰が止められる?」「ああ、小河原の言う通りだよね。」
「いや止めろよ。逆に他に誰が止めんだよ」
「分かってたさ…薄々な。これお金足りんのかなって……でも気づいた時にはもうオーバーしてたし、あいつら調子に乗って食いまくるし……もういいかなって……」
財布の中身も計算できない脳みそをどっかに忘れてきた会計長はドラマの終盤で罪を告白するかの如く独白した。どれだけ深刻そうにしても暴走する後輩を止められなかったダサい先輩だ。
「で?どうする?12万だぞ?」
今まで頼りなる奴だと思ってた副会長が丸投げした。どうする?じゃねーよ……
「……まぁ、食べちゃったもんはしょうがないよ。ごめん紬さん……」
俺が頭を下げると気にするなと紬さんは首を横に振った。男前だよこの人。やっぱりこの面子を纏められるのはこの人しか居ないよ。
「え?会長お金あるん?」「がま口財布だろ……?」「小銭の音しかしなかったぞ?」
口々に不安を口にするメンバーの前で紬さんががま口財布を取り出した。カエルさんの口が空いてその中身が今御開帳される。
任せろと頼もしく口にした紬さん……しかし12万は……
僅かな不安はひっくり返されたがま口財布から溢れ出す中身を目にして確信に変わった。
そしてこの人が馬鹿じゃないことを理解する。この人イカれてた。
--ジャラジャラ
紬さんの手のひらに積もるのはもはや小銭ですらなく、パチンコ玉だった。
これには流石に一同呆然。もう何が起きてるのか分からない。女子高生のがま口からパチンコ玉が出てくるのがまずおかしいしなぜこのタイミングで出したのか理解できないしこの中身で何を根拠に任せろと胸を張ってたのかも意味不明。
「……紬さん?なにこれ?」
「……虎太郎知らないんだ。これお父さんから貰った。1個4000円するらしい。これだけあれば充分でしょ?」
「1玉4000円のパチンコなんて実在すんの!?君のお父さん帝愛に借金でもしてたの!?てか、換金してこいよ!!」
「……?でもざっと計算しても40万くらいある……」
「焼肉の会計でパチンコ玉使えるわけねーだろ!!」「会長ー、まじでー?あははは、ウケるー」
「……?え?でも…これ、4000円……」
「紬さんよ、100万で買ったテディベアで買い物できると思う?できないよね?物々交換じゃないんだから、なんの為のお金なの?」
驚いたことにこのイカレ女、本気でパチンコ玉で支払いできると思ってたらしい。仮想通貨かなんかと勘違いしてない?まじでクレイジーガール。
まぁ12万も女の子に払わせようとしてた俺らもだいぶクレイジーだが、頼みの綱の紬さんの財布はもっとクレイジーだったということで、希望は潰えた。
恥を忍んで後輩に出してもらうにしても、あいつら金持ってないって言ってたし、どう考えても12万も用意出来るとは思えない……
「……割り勘にしよう」
絶望に暮れる俺達に小河原はぽつりとそう呟いた。
「何言ってんの?最初から2年で割り勘って--」
「自分の食った分だけ出そう」
追い詰められた目をした予算12000円の小河原がトンチキな提案をしてきた。何言ってんだこいつ……
「俺、鶏肉しか食ってないから……」
「「「「……」」」」
「俺、自分の分だけ払うから…後は何とかして……」
こ、こいつ…っ!安い鶏肉ばっかり食ってたからって……!
てかこの店のレベルで言ったら鶏肉ですらお前の予算では危ないぞ?
あぁダメだこいつ…目がイってる。正気じゃない。
「それだったら長篠と田畑の分は誰が払うんだよ」
「ワタシ、ウーロンチャシカ、ノンデナイ」
「黙れ花菱。却下だ却下」
現実逃避を始めた小河原と花菱に大葉がきつく現実を突きつける。そうだ、これはみんなの問題だ。
払わなければならない……逃げ場などないんだ。何とかして金を工面しないと……
って、なんて情けない事を言い合ってんだ俺らは。ファミレスに初めて来て注文しないとドリンクバー頼めないこと知って愕然としてるドリンクバー券しか持ってない中学生か。
「……電話して金貸してくれそうな人に頼ろう」
「虎太郎正気?12万だよ?誰が貸すのそんな大金を……」
「会長の言う通りだぞ虎太郎ー。私は烏龍茶代だけ出して帰る」
あぁぁぁぁ紬さんまで遠い目をしだした!!
「……親に--」
「広瀬、親に12万貸してなんて言えるか?俺は無理だ殺される」
「小河原、そんなこと言ってる場合じゃない。払えなかったら無銭飲食だよ?社会に殺されるよ?」
かと言って俺も無理。焼肉食べに行ったら12万かかったから貸してなんて、二度と外食出来なくなる。
あぁぁぁぁ詰んだ、終わった。店の人に正直に話す?結局話が親にいくだろそれ。やはり終わりだ。俺達はもう戻れないところまで来てしまった……
その時--
「……長篠と田畑が猿連れてたな」
大葉が何やらぽつりと呟いて、みんなそれに意識を向ける。今は蜘蛛の糸程の光明も欲しい。
「……スローロリスって、高いんだろ?」
「……っ!」
ここにもサイコ野郎が居た。
*******************
「いやっ!!近寄らないで!!」「このケダモノ!!話が違う!!」
スローロリスことモン吉を守るように抱き抱える長篠と田畑が俺らに猛抗議している。しかし状況が状況だ。
分かってる。悪いのは全部こっちだ。見栄を張って奢るなんて言ったばっかりに……
「……頼む。このままじゃみんな鑑別所行きなんだよ!!」
熱された鉄網の上に額を擦り付けて2人に懇願する小河原、これがホントの焼き土下座。必死だ。
「必ず埋め合わせはする!!」
「サイテーっ!!」「モン吉は家族です!!ペットショップに売れるわけないじゃないですか!!」
「頼む!ひとっ走り!!」「お願いだよぉ!」「広瀬!!お前も頭下げろ!!」
小河原、花菱、大葉がプライドをかなぐり捨て競うように鉄板で頭を焼いている。それを引き気味に眺める俺と紬さん……
……ああ、ここまで来たら人として終わりなんだな……
「……虎太郎、俯瞰して見てるけど私達も同じだから」
「……」
死んでいいですか?頭突っ込んで焼き頭蓋骨になっていいですか?
「いくらなんですか!?モン吉を売り飛ばすくらいなら私達払います!!」
「12万」
「じゅじゅじゅっ!?12万!?」
金額を耳にして長篠と田畑の顔が青ざめていく。そりゃそうだ。12万なんて下手したら俺ら見たことも無い額だろう。
「な、なんでそんなに食べたんですか!?先輩達の馬鹿ァっ!!」
「うるせぇ!!調子に乗って頼んだのお前らだろ!!」
吠える大葉。もうろくでなし男とその彼女の会話。終わってる。見栄を張るつもりが先輩の面目もクソもない。
「お前らが一番食ったんだから払え‼︎モン吉も飼い主の為なら喜んで金になってくれる‼︎」
「大葉先輩!自分でなに言ってるか分かってます⁉︎」「信じらんないサイテー‼︎こんな人だとは思わなかった‼︎」
あぁぁぁぁもう収集つかない…周りの客や店員さんまでこっちを見だした。恥ずかしい。死にたい。死んでいい?
「…なにをしてるんだね君達」
羞恥心と情けなさから虎太郎焼きになろうかとしていたその時、テーブルを仕切る壁の向こうからひょっこり見知った顔と声が飛んできた。
俺を思い留まらせたその声に、その場の全員が歓喜の表情を浮かべたのは言うまでもないだろう…
経済力皆無のクソガキ共に、救世主が降臨した。
「莉子せんせぇぇぇ‼︎‼︎」
*******************
教師という仕事は大変なものだ。厳密には私はみんなのイメージする教師とは違うのかもしれないけど、大変なのは変わりない。
私の勤め先は変な生徒ばかりで退屈しないが、今回は流石に参った。
今年の仕事も終わり、1人忘年会でも決め込もうかとした矢先ーーたまの贅沢に高い肉でも食うかと勇んで足を運んだ焼き肉屋…
「お会計124600円になります」
「……カードで」
まさか生徒の分を払って何も食わずに帰ることになるとは…
だって12万だからね?万年金欠な私がどうやって+自分の食事代を捻出するというのか……
しかし生徒に無銭飲食させる訳にもいかない…
人の分の金を払って寂しく夜の街へ溶けていく私の背中……
別れていく彼らの背中は対称的にルンルンだ。なんならカラオケ行こうとか言ってる…
「………生きてると、色んなことがあるね」
これも仕事…これも人生。
あの時店で騒いでる彼らに声をかけなければ、違った人生もあったのかもしれない。
………正月実家帰ったら金借りよ。