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愛は真っ直ぐ伝えましょう

「……香菜、ちょっと相談いい?」


 バイトの途中で美玲がウチの肩を叩いた。

 美玲はウチのバイト仲間。金髪ショートカットの美少女。けど今はその顔が曇っとった。

 ノーテンキで悩みなんて無縁、そもそも悩む脳みそ持っとらん典型的なJKやっちゅうのに、その美玲が悩み事なんてどないしたんやろ?

 こらただ事やない思て少し休憩早めにもらって休憩室に連れてった。


「……で?なんやのん?」

「いや…こんなこと相談するの凄く申し訳ないんだけど…」

「何言うてんねん。なんでも話しや」

「香菜……」

「どないしたん?」


 ウチが切り込むと美玲は自分のロッカーから鞄を取り出してその中身をテーブルの上に出した。


 大きめのジップロックに密閉された小ぶりな弁当箱……蓋の上に手紙が貼り付けてあった。


「……見て」


 美玲に促されてジップロックを開ける。ファスナーを開いた途端休憩室とウチの鼻に異臭が突き刺さった。


 うわっ!!なにこれ!?臭っ!!

 それはくさやでも入ってんですかってレベルの異臭や。異臭レベル85くらい。


 嫌やけど弁当箱を取り出して蓋を開けて中を覗く。また更に臭いが増した。異臭レベル90。


 中身は半分が白米、もう半分に唐揚げ(?)卵焼き(?)ほうれん草のおひたし(?)的なおかずが乱雑に敷き詰められとった。

 おかずも飯もなんか変色して緑色の苔かカビみたいなのが生えとるし、全体に謎の白い液体がかかっとるのが凄く気になるけど……


「それ……昨日家の前に置かれてて……」

「……誰から?」


 美玲は無言で手紙を指差す。

 この時点でウチにはなんとなーくこれを持ってきた人物の心当たりがあったけど、とりあえず手紙の中身を確認することにする。正直見たくない。


 --みれいちゃん

 おべんとう作って置いておきます。食べてね。

 かくし味に僕のあいじょうをたっぷり入れておきました。よーく味わうように♡

 またお店行きます


 きみの彼氏、タロヒコより


 ミミズの這った様な読みにくい字でそう書かれた手紙は明らかに変質者からのラブレター……

 つまり、ストーカー。


「これ、先週くらいからずっとあってさ…毎日」

「この…タロヒコってあいつやろ?ちょっと前から来るようになった大学生くらいのデブ」


「多分……」と美玲は頷いた。今にも泣き出しそうな顔をしとってどーしても放っておけん。


「あのお客さん、名前とか言わないから分かんないけど…他に心当たりないし」


 このメイド喫茶に美玲目当てに通いつめとる若い男が居るんやけど…そいつが来る度に美玲を呼びつけて連絡先やら訊いてきよるのは知っとった。

 美玲が相手しないと他のスタッフに絡むんで美玲はなるべくその客の相手しとったんやけど……


「住所、教えたんか?」

「教えるわけないじゃん!!」

「店長には話したか?」

「ううん…香菜だけ。だってさ?その人と決まったわけじゃないんだし…」

「せやけど他に心当たりないんやろ?そもそもウチらに店の外での関係を持ちかけるのがマナー違反やし……出禁にしてもらお?」

「でもさ?これ家まで持ってきてるんだよ?私の家知ってるんだよ?そんなことしたら……」


 普段見せないような弱弱しさを見せて俯く美玲の目から雫がこぼれた。当然や、そんくらい怖いんやろ……

 とりあえずハンカチ渡したったら受け取って涙を拭いた。ついでに鼻かみよった。ちょっとイラッとした。


「ありがと」

「いやもう要らんがなそのハンカチ…まぁ、美玲の言うことも一理ある。美玲、一人暮らしやっけ?」

「うん……」


 こいつもウチと同じく遠方からこっちの高校に通っとる。学校の寮やのうてマンション借りとるとは言いよった。


「そいつと家の近くで鉢合わせたりとかは?」

「ない」

「そっか……」

「でもいつか来るかも……」

「せやな。ケーサツ行くか?」

「お店に迷惑かけちゃうかもだし…学校にバイトのことバレたら……」

「お前の学校バイト禁止やったな…せやけどそないな事言うとる場合とちゃうぞ?何されるか分からんのやぞ?分かったわ、あいつ来たらウチがはっきり言うたる」

「は!?ダメだしそんなん!!何されるか分かんないんだよ!?」

「ウチはヘーキや」

「ダメだって!私は認めないよ!!」


 じゃあどないする言うねん。

 不安に震えながらウチを縋るように見つめる美玲。困った。

 美玲は店に迷惑かけたくないみたいやけど、放っといてエスカレートしたらそれこそ店に迷惑かかる事態になりかねん。


 やけど本人がこう言っとるし……


「……こうしよか?」


 *******************


「お帰りなさいませにゃん♡ご主人様にゃん♡」

「ただいまだにゃん。楠畑って人呼んでもらえるにゃん?」


 1名様来店の声と共に駆け寄ってきた後輩が「楠畑先輩。彼氏さん来ましたよ!」と小声で伝えてくる。

 軽く一発引っぱたいてから美玲を呼んできて奴のテーブルに2人で向かう。


 ウチが呼び出した時点で用があることは分かっとる様子な奴は気を利かせて端っこの席に座っとった。


「呼び出して悪いな、睦月」

「……下駄箱に手紙入れんなよ。びっくりした、ラブレターかと思ったぞ?」


 文化祭での雪辱が蘇る……いや、今はぐっと堪えるんや。


「なんの用?奢ってくれるって書いてたから来た」

「今日はタダでええよ。その代わり1つお願い聞いて欲しいんやけど……」

「香菜……やっぱりいいよ。彼氏さんに悪いよ」

「彼氏やない言うとるやんけ!ほんまにいい加減しとけよ?」

「俺、肛門緩い人はちょっと……」


 黙っとれウ〇コヤロー。おどれに糞漏らさせるのまだ諦めとらんからな?


「睦月、こいつバイト仲間の美玲言うねんけど……ちょっと困ったことになってんの。助けてくれへん?」

「金なら貸さんぞ」

「ちゃう。こいつ今客からストーカーされてんねん」


 声を潜めて耳元で告げたら「ひゃんっくすぐったい!!」と気持ち悪い反応した。引っぱたいてええやろか?


「……ストーカー?」

「しつこい客おんねん。でな?どーやら家まで知られとるらしくてな?下手に店出禁とかしたら危ないやん?何してくるか分からんし……」

「警察行け」

「訳あってそーいう訳にもいかんのよ。でな?そこでお前やねん」


 話終わる前に席立とうとすんな。ホントはウチだっておどれなんぞに頼りたくないけど他に男の知り合い居らんねん。


「俺に何させる気?その客を消してくれとか言う気?ざけんな、ここのしょーもないオムライスで俺に殺しをさせる気か?」

「誰が殺せとか言うたねん。あんたにはしばらく美玲の彼氏役やってもらいたいねん。男が居る思たら相手も退くかもしれんやん?」

「そうは思わない。むしろ俺に矛先向きそう」


 ウチもそう思うし、なんならそうなったら都合いいなって思っとるのは黙っとこ。


「俺にストーカーを追っ払えと?」

「そーいうことやねん。ええやろ?おどれの灰色の人生に仮初とはいえ彼女できるんやぞ?悪ない話やろ?しかもオムライスがタダや。大サービスでウチがチェキ撮っちゃる」

「要らん。そしてやらな--」


 結論を出そうとする睦月の胸倉掴んでタバスコをエプロンから引っ張り出す。顔の血の気が引いた睦月の口元にタバスコの瓶押し付けた。


「文化祭の時たこ焼き奢ってやったやろ?貸しがあるよな?」

「……仲直りの印だろ?」

「しゃーない。そんなにタバスコ飲みたいなら今日はタバスコドリンクバーコースやな」

「分かりましたやらせて頂きますありがとうございます」


 そうやろ?それが正しい判断や。女の子が困っとんのに男がなんもせんとか有り得へんやん?


 申し訳なさそうに立っとる美玲と睦月の目が合った。美玲もこうやってしおらしくしとったら正統派美少女やけど……


「よろしくね?ホントごめん……」

「……別にいいよ。そんなに気ぃ遣うなよ、今日から彼氏だから」

「あくまでフリやぞ?チョーシ乗んなよ?分かっとるな?」

「とりあえずゴム買ってくる」

「尿道でタバスコ飲みたいか?」


 *******************


 ウチらの話が済んだタイミングで入店のベルが鳴る。入口の方を見た美玲が顔を曇らせた。


「お帰りなさいませにゃん♡ご主人様♡」

「……ただいま、美玲ちゃん居るよね?」


 上下真っ黒な服装にぶ厚いコートを着込んだ20代くらいの男……メイド喫茶の客としてこれ以上ないくらい相応しい見た目のブ男や。肉のたっぷりついた瞼の奥で細い目がウチら--美玲を捉えた。


「……来たで、ウ〇コ君。あいつや」

「ウ〇コ君?」


 ストーカー容疑濃厚男、通称タロヒコが席にも着かずにじっとこっちを見とる。美玲が他の客に着いとるのが余程気に食わん様子や。この客のことはみんなよう知っとるし、誰も近寄ろうとせん。


「どないする美玲。とりあえずウチが注文--」


 取ろうか?って言おうとしたタイミングで予想外の事態が発生!それはタロヒコでも美玲でもなく睦月からやった。


 美玲の腕を強く引っ張った睦月が前のめりになる美玲をそのまま抱き留めて背中に腕を回す。

 どー見ても引き寄せて抱きしめた。客も従業員もタロヒコも見とる最中での突然の暴走やった。


「……っ!?!?」

「じゃあ行っておいで」


 思考がフリーズ状態の美玲の耳元で睦月が優しく囁いとる。分かりやすく…タロヒコを煽るかの如くや。

 早速彼氏アピールっちゅうことやろうけど……


「……あ、うん」


 ようやく事態を呑み込んだ美玲が赤い顔で返事すると睦月はようやく美玲を離し見たこともないようなスマイルをもって送り出した。

 こいつは彼女にこんなふうに笑う男なんか……てか美玲、おどれもなに赤くなっとんねん。こいつはな?銀行で居合わせた女に脱糞させる男やぞ?


 タロヒコの美玲への執着を知ってる他のメイド達が流石にマズいと思ったのか率先してタロヒコの接客に向かう。タロヒコは苛立ちを見せるでも、沈み込むでもなく奥に引っ込んでいく美玲をじっと目で追ってただけやった。


「……おい!」


 不気味なタロヒコの様子に危機感を感じる。勝手に動いた睦月を小声で叱責する。


「何してんねん!タイミングがあるやろ!てか、あれじゃ他の客にも勘違いされるやんけ!ウチの店客との恋愛は禁止やねん!」

「お前が説明しろよ。頼んだのはそっちだろ?」


 いやそうやけど……まさか店の中でおっぱじめるとは……


 ウチの話を聞き流しながら睦月は美玲をじっと目線で追うタロヒコを見つめていた。その口元は微かに笑みの形に歪んどった。


 え……なんか怖い。


「脱糞女、美玲ちゃんのバイトはいつ終わる?」

「今日は16時やな、あとその呼び方次したらバスタブいっぱいのタバスコに沈めるぞ?」

「そ、終わったら一緒に帰るから、そう伝えとけ」


 *******************


 バイトが終わって着替えを済ませてから通用口に向かうと、空閑君が約束通り待っていた。

 店で突然抱き寄せられたのにはびっくりしたけど、あのおかげなのか今日は1回もあの客から呼びつけられることは無かった。

 店長に説明するのには手間取ったけど……

 男が居るって思わせる作戦、上手く行きそう。


 ……ただ、やっぱり香菜には悪いよね。こんなの。

違う違うと言うけれど、香菜はあの人のこと、気になってるんだもの。間違いない。

 だって店に来たら必ず絡むし、常に獲物を狙う獣みたいな目で彼の事見てるから……

 そう、男を狙う恋のハンター……虎視眈々とギラついた目で機会を伺ってる。


 彼氏ではない……でも好き。間違いない。


 だからこそさっきのアクションには驚きと気まずさが一気に来たけど……


「お、おまたせ……」

「うん。帰ろ」


 これは彼と香菜の善意の上で成り立つ作戦。私がしっかりしなきゃね。

 どこで奴が見てるか分からないから、外ではちゃんと恋人同士のフリしないと。


 そう、作戦なんだ。


 寒空の下嫌な顔ひとつせず待っててくれた彼の手は氷みたいに冷たくなってた。自然に握った手の冷たさにドキリとした。


 遊んでるって思われがちだけど、私男性経験ゼロ。

 恋人ってこんなふうに振る舞うんだって、なんだか勝手に興奮してる……


「……ごめんね、ほんとに。こんなことさせてさ……今度ちゃんとお礼する」

「……気にしなさんなって。脱糞女の頼みだから」

「……だっ?え?脱糞女って香菜のこと?」

「あいつ面白いよな」


 まずあだ名が酷すぎるのと、面白いなんて言いながら遠くを見つめたつまらなそうな彼の顔のせいで、彼の言葉の意味が上手く頭の中に入ってこなかった。


 今日も雪がチラつく寒さだ。気づいたらポロポロと雪の粒が落ちてきてた。風に舞った雪たちが踊るように軌道を描いて緩やかに下降する。


 そんな寒さの下、何事もなく家まで辿り着いた。

 私の家はマンションの6階。最近は階段を使ってた。エレベーターの中で鉢合わせたら怖いから。

 でも今日は1人じゃないからエレベーターに乗るのも安心できた。


 このまま何事もなく終わるのかな…なんて思ってた私の想像は甘かったって直ぐに思い知る。


 それは私の部屋の前で起こる。外で降る雪に目を向けていた私を、隣の空閑君が止めた。

 なんだろうって気を抜いたまま前を見て、喉が凍りつくように呼吸が止まった。


 そこにはタロヒコがいた。

 別にそれ自体は驚くことじゃない。ストーカーが家を知ってるのは分かってるし、メイド喫茶のあの客がストーカーだっていうのも予想通り。

 ただ、よりによって空閑君が居る時に……


 いや、巻き込んだ自分が言えることじゃない。そもそも彼が姿を現したのも彼の行動のせいだと思うし。

 でももし、こいつが空閑君に何かしたら……


 彼は白い息を規則的に零しながらじっと私達を睨みつけていた。粘っこい視線が私の脚を震わせた。

 寒さとは無関係の震え--怖さに声も出ない私の隣で空閑君は落ち着いた様子でニッコリ微笑んでいた。


「こんにちは。“俺達”の部屋に、なにか?」

「……なんだ、お前」

「え?」

「美玲ちゃんになんの用だ」


 タロヒコの低いボソボソした喋り方。気持ち悪い、怖い。私は空閑君の後ろに隠れてた。

 それが良くなかった。私の行動を見たタロヒコが余計に逆上した。


「僕の彼女から離れろ!!なんだお前!!」

「……僕の彼女?それって俺の彼女のこと言ってる?」


 体を震わせて怒鳴るタロヒコに対して、ふっと馬鹿にするような笑みを浮かべながら私の肩を抱いてみせる空閑君。

 やめてよ、なんで挑発するの!?


 タロヒコの目が血走っていく。固く握られた拳がゆっくりと解けてジャンバーのポッケトに突っ込まれた。


 --刃物!?


 反射的に逃げようとする私の肩を空閑君が抱いたまま離さない。パニック状態の私の前で彼は終始冷静だった。


「お前……僕の美玲ちゃんの……ストーカーだな?店で嫌がらせしてるの……見たぞ?僕が…僕が美玲ちゃんを守--」

「あーっと、ポケットの中でスマホのキーパッド押してたわ」


 荒い息と共にポケットから手を引き抜こうとするタロヒコの動きが、空閑君がポケットから抜き取ったスマホを見て止まった。

 そのスマホには110の番号が押されてて、いつでも通話できる状態だった。


 いつの間に……?私もタロヒコも目を丸くして驚く。

 タロヒコの方は悔しそうな顔を浮かべながら手をポケットに戻した。彼の行動が、何をしようとしてたのかを物語ってる。私の震えはまだ止まらない。


「……覚えてろよ?こ、このままじゃ済まないぞ?」


 そんな捨て台詞を吐きながらタロヒコは階段の方に逃げるように走っていく。その背中が見えなくなるまで私は気が抜けなかったけど、空閑君はぼんやりした顔でタロヒコを見送っていた。


 タロヒコが居なくなってようやく緊張が解けた私の体から力が抜ける。思わず空閑君にもたれかかってた。


「く…空閑君……」

「じゃあね」


 震える声で縋る私に向かって、彼はぱっと体を離して別れの挨拶。

 え?


「帰るの?」

「うん。また……」

「ちょっと待ってよ!まだ近くに居るかもだよ!?危ないし…怖いって!その……出来れば今日は一緒に--」

「俺忙しいから」


 冷静じゃない私を無情にも突き放す空閑君。

 そりゃ確かに私達の恋人はフリだけど……でもそんな……せめて今晩は……


「ストーカーしなきゃ」


 ……は?


 *******************


「くそっ!くそっ!くそっ!」


 なんなんだあいつは……

 あんなやつ、今まで美玲の傍に居なかった。美玲には彼氏なんて居なかったはずなんだ。

 多分あれは彼氏じゃない。一方的なストーカーだ。美玲も怖くて従わされてるんだ……


 大丈夫……僕が助けてあげるからね?


 美玲……

 大学でも馴染めなくて友達いなくて、ひとりぼっちだった僕に初めて優しくしてくれた女の子。僕に笑いかけてくれたのは、美玲が初めてだった。


 僕の天使ちゃん……僕が守らなきゃ……


 よし、これだけ離れれば。


 ポケットの中のナイフをしっかり握りしめて僕は踵を返す。

 不意打ちだ。美玲の家の合鍵は昨日作った。奴は美玲の部屋に入ってるだろうから、気づかれないように入って刺す。


「はぁ……ふぅ……大丈夫。待ってて美玲、今--」


 駆け足になる僕の脚。それが目の前に映る人影に止められた。

 僕は目を疑った。


 人気のない雪の降る道。数メートル先の電柱の影。

 そこから半分だけ体を覗かせてこちらをじっと見てる人影……


 あいつだっ!!美玲のストーカー!!


 なんでここに……?まさか僕をつけて!?


「おい!!お前!!ここで何してる!!」

「……」

「何とか言えよ!!」

「……」


 こいつ……っ!


 誰も見てないな?通行人は居ない。僕はナイフをポケットから抜いて--


 ……っ


 奴の目の前でナイフを出した。それを見た奴は逃げる素振りも見せずにただじっと電柱の影から僕を見ていた。虚ろな瞳が僕を……


 こいつ、なんだ……?


 近寄ってくる訳でも、遠ざかる訳でもなく、ただじっと--


「……っ、ひっ!」


 気持ち悪い。なんだこいつ!

 僕は180°回転してそのまま走り出した。

 寒いから走ったら辛い。肺が痛い。空気が冷たい。くそ、なんでこんな目に……

 予定では今日は初めて美玲の部屋に入って、2人で……


 なのになのに!こいつが店で美玲に……!


 振り返った先で、走る僕を奴はまだ動かずにじっと見てた。


 なんなんだ気味が悪い!!



 --どれくらい走ったろう。

 家のすぐ近くまで来た。苦しい。僕をこんなに走らせるなんて!僕は将来ノーベル賞を取る天才だぞ!?

 辺りもすっかり暗くて街頭の白い光が闇に浮かんでる。雪の降る夜は静かで不安にさせる。人気がない。


「奴は……居ない」


 振り返った先に奴の姿はなかった。

 撒いたか……


 ようやく一安心して深いため息を吐き呼吸を--


「……あっ」


 天を仰ぐ為に上に向かった視界にそれは一瞬映りこんだ。嘘だと思いながらゆっくり視線を下げる。


 奴は僕の前に居た。

 人気のない道に佇むコインランドリーの店内から、じっとガラス越しにこっちを無表情な顔が覗き込んでいた。


 馬鹿な……なんで僕の行く先に……っ!


「くそっ!」


 走れ走れ!!撒くんだ!!

 とにかく今は……っ!



 コンビニに逃げ込んだ。横断歩道を渡ったし、奴も……


「……っ!?」


 汗を拭う僕の目の前の陳列棚の隙間から、じっとガラス玉みたいな瞳が僕を見てる。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」



 コンビニを出て大通りに出た。この時間でもまだ人は多くて、通行人でごった返した道を進む。

 これだけの人混み……僕のことなんて見失っ……


 --人混みに揉まれながら、ゆったりした歩調で奴がこちらに向かってくる。


「ひっ!?」



 電車に乗っても--

 バスに乗っても--

 タクシーに乗っても--


 奴は着いてきた。ずっと、ずっと……



「こ、ここまで……くれば……」


 もうどこかも分からない。それくらい遠くまでやって来た。

 自然公園の遊歩道。この時間はもう人も居なくて不気味な暗い空の下で木々が光を吸い込んでる。


 風に揺れる木の音、自分が踏む雪の音、公園の外の道路の車の音--


 全てが不安を掻き立てる。でも、でもここまで来たら--


 …………っ!


「なんなんだ……」


 真っ暗な公園の闇から幽霊が浮かび上がるみたいに、仮面のような無表情を貼り付けて……


「なんなんだよぉぉぉぉぉっ!!」


 散歩でも楽しむように、奴が来た。


 逃げろ!!逃げるんだ!!

 捕まったらきっと殺される!!殺される--


 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ--


 公園を出て交差点に駆け出す。ちょうど信号が青でそのまま走って渡りきる。遅れて僕の後を着いてくる奴が交差点を渡ろうとした。


「ひっ!!来るな--」



 --ドンッ!!



 僕の引きつった叫びを塗りつぶしたのは、鼓膜の奥で響く轟音。

 それは信号が変わって歩行者信号が赤になった交差点に入ってきた奴がトラックとぶつかった音だった。


 大きくひしゃげた前面をこちらに向けて停止するトラック。運転席で顔を歪めるドライバー。

 そして赤い線を引きながら交差点に叩きつけられる男--


「……はっ、ははっ!はははははははははははははっ!!ははははははははっ!!」


 ドライバーが慌てて降りてくる中で、僕の喉から笑いがこぼれる。それは、勝利の笑いだ。


「ははははははははははははっ!!」


 馬鹿な奴だ。

 一体何者か知らないけど、これも報いだ!!僕と美玲の間を引き裂こうとした報い!!そうだ!!死をもって償--




 --……信じられるか?


 人の頭より車高の高い大型トラックが人に突っ込んで、その後でなんでもないかのようにその人がその場で立ち上がったら……


 顔に真っ赤な液体をこびりつかせて、ドライバーの方に見向きもせず、ただじっと僕の方を見つめてて……


 奴の無表情は、真っ赤な笑顔に変わったんだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 *******************


 --睦月のやつ昨日美玲放ったらかして帰ったやと!?

 引き受けといてどういうとや!!


 憤慨しながら美玲の家で一晩明かして翌日、放課後美玲を学校まで迎えに行って2人でバイトに向かう。


「空閑君から連絡とかあった?」

「知らん。あいつの連絡先知らんし……学校にも来とらんかった……」

「学校にも…?ねぇ何かあったんじゃ……」

「知らん」


 なんかあったんかもしれんし、なんもなかったんかもしれん。

 とにかく会ったら一言言うてやらんと--


 はらわた煮えくり返しながら出勤したら店内はちょっとした騒ぎになっとった。

 何事かと身構えとったら先輩が慌ててウチらの方に駆け寄ってきた。


「ちょっと!美玲ちゃん!?あんたに粘着してたあの客が今店に来てて大変なのよ!!」


 タロヒコが!?まさか暴れとるんか!?

 美玲に店から離れるように言おうとしたら先輩が早口で続けた。


「なんかあんたの彼氏に付きまとわれてもう怖くてしょうがないって!助けてって喚いてんの!!どういうこと!?」

「「…………は?」」


「助けて……あいつが……あいつが来るよぉぉ……おおおお……」

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