顎が…
大変な賑わいと盛り上がりをみせた文化祭が終わり…学校に日常が戻ってきた。
年内の大きな行事は全て終わり学期末考査を越えれば冬休み…自然生徒達の気分もそちらに向かっていく。そんな今日この頃…
退屈とは無縁の保健室に今日も患者がやって来た。
「莉子せんせーーっ!!莉子せんせーーっ!!」
「…どうしたんだい?」
「り、莉子せんせーっ!!岡本君が大変なんですっ!!」
「ガコッ!!ガコッ!!」
養護教諭、葛城莉子の昼休み--
数名の生徒に運び込まれてきた岡本君は担架の上でなにやらガコッ!!ガコッ!!と鈍い音を鳴らしている。担ぎこんできた生徒達の慌てようから察するにどうやらただ事ではないらしい…
「せんせーっ!!岡本君を助けてっ!!」
「どうしたのかね?」
「お昼ご飯食べてたら…」「大変なんだっ!!莉子せんせーっ!!」
「どうした?無免許で捌かれたフグでも食べたかい?フグ毒の解毒剤ならあるが…」
「莉子せんせーっ!!」「莉子せんせーっ!!」
「だからどうしたのだね?」
「「莉子せんせーっ!!」」
大変だ。どうやら言語能力を失ったらしい。
「ガコッ!!ガコッ!!」
担架の上の岡本君が打ち上げられた魚のように必死に口を開閉しながら喘いでいる…いや、ガコガコ言っている。天井を青ざめた顔で見上げる様は不謹慎ながら滑稽だった。
「岡本が飯食おうとたら…」
「うん」
「顎が…っ!!」
「顎?」
「顎がガコガコいいだしたのっ!!」
「ガコッ!!ガコッ!!」
「……」
「「莉子せんせー助けてっ!!」」
…未だかつて顎関節症で保健室に来た生徒が居るだろうか?
--口を開閉させた時痛みや音がする。そんな症状がある人は少なくないんじゃないだろうか?
顎関節症という障害がある。
顎関節などに痛みや音、開閉障害を負う障害だ。決して珍しい障害ではなく、欠伸やご飯時にバキバキゴキゴキと暴走族ばりにブイブイいわせて鳴らしてる人は見かけたことがあると思う。
主な原因だが日常的にかかる顎関節への負荷だと言われている…
ほとんどの場合、特段特別な治療などはせずにそれを当たり前として受け入れて生活している人がほとんどだと思う。
しかしここに顎関節症によって死の淵に瀕している男が居る。
「ガコッ!!ガコッ!!」
「……」
「岡本君、超カロリー体質なんです…」
「なんだね超カロリー体質とは」
「常になにか食ってないとカロリー不足で死ぬんです。岡本君にとってはちょっとの断食か命に関わるんです!!」
ト○コかな?
「それと顎関節症がなにか関係してるのかい?」
「岡本君、さっきお昼ご飯食べようとしたんだけど…そしたら顎がガコガコいいだして…」
確かに顎関節症によって口の開閉がしにくくなるということはあるが…全く口を開けられなくなるほどのものじゃないはずだし、現に今口をパクパクしている…
しかし、彼が死の淵に立たされている理由は他にあった。
「岡本君、ご飯食べるだけで顎がガコガコいうんです!!」
「でも、俺らのクラスには『無音の西園寺』が居るから…」
……?
「アイツが居るせいでご飯食べられないんです!!」
「でも岡本君超カロリー体質だから…このままじゃ餓死しちゃう!!」
「ガコッ!!ガコッ!!」
「「助けて莉子せんせー!!」」
「誰だね『無音の西園寺』って…」
「「えぇ!?」」
素朴な私の疑問にドン引きといわんばかりの反応が返ってきてしまった。どうやらこの学校で『無音の西園寺』を知らないのは相当恥ずかしいことらしい。
しかし、知らんものは知らん。
「校内保守警備同好会が発行してる『めんどくせぇ奴リスト』知らないんですか?」
「『無音の西園寺』はそこのBランク指定ですよ?」
なんだねそのリスト。今度是非見せてもらおう。
「『無音の西園寺』は吐息の音すら嫌う超絶聴覚の持ち主ですよ…」
「私らのクラスではアイツのせいで教室では1日中呼吸すら我慢してるんです…だってアイツ、ほんの少しの物音でアサルトモードに入っちゃうから…」
「君達は1日どうやって生存してるんだね…あと、アサルトモードってなに?」
「音に反応すると無差別に周りを攻撃し始めるんです…さっきも岡本君の顎の音でもう大変なことに……」
「どっかの映画のクリーチャーみたいだな…」
……なるほど。
いや、なるほどじゃない。どういうことなんだい?
『無音の西園寺』のアサルトモードとやらは是非1度お目にかかりたいものだが今は岡田君のカロリー摂取が先らしい…『無音の西園寺』とやらはきっと校内保守警備同好会あたりがなんとかしてくれることだろう…
彼に昼飯を食わせる…それが私の仕事らしい。
私達の見下ろす先でみるみる痩せこけていく岡本君。事態は緊急を要する。
「岡本君、これを食べなさい。カ○リーメイトだ。お手軽サクッとカロリーを採れるカロリーの友だ」
ガコガコいわせる岡本君の口に無理矢理チーズ味を押し込もうとする…しかし、半開きの岡本君の顎はカ○リーメイトを噛み砕くことができない。
「…まずいな」
「やっぱりチーズ味よりチョコ味の方が…」
「チーズ味はイマイチです、莉子せんせー」
「いや味の話じゃなくて…顎の関節が引っかかってカ○リーメイトを噛めないらしい」
「押し込んだらいいんじゃないですか」
「消化に悪いだろ?」
丸呑みなんてして喉につかえたらどうする。養護教諭としてそれは許せない。
何とかして噛めないか試行錯誤するしかない。とりあえず彼の両顎を上下から掴んで噛ませてみよう。
「食べなさい。噛みなさい。飲み込みなさい」
「バキッ!!ゴキッ!!ベキキッ!!」
「莉子せんせーっ!!岡本君の顎がっ!!」
「顎が再起不能になっちまうっ!!」
嫌な音と共に噛み合わない顎が左右にズレた。ポロリと口からこぼれ落ちるカ○リーメイト。
「…1回外してはめ直すか…」
「莉子せんせー!?」
「そんな荒療治を…何とかならないんですかっ!?」
右側からゴンゴン叩いてやったら左の方に下顎がズレた。なんだか苦しそうだが、カロリー不足のせいだろう。心配するな。今先生が治してやる。
「これで…下に引っ張って……」
「ガコンッ!!」
「せんせー!!岡本君の顎がっ!!」
「今凄い音したけど!?」
「上の顎に引っつけて…あれ?」
なかなかはまらないな…
「違うか…まず左側にはめて…」
「ガコッ!!」
「……んん?右側にはまらないぞ?くそ…左側を外して…」
「ボキッ!!」
「なにか砕けたか…?まぁいい。ん?あれ?なんかプランプランしてる…えっと……」
「べキッ!!ゴキキッ!!ギギギギッ!!」
「り、莉子せんせー…」「ガタガタガタ」
「……ちっ、一気に押し込んだら……」
「メキャッ!!」
「……」
「ガタガタガタ」「ガタガタガタ」
「……削るか。えっとヤスリは…とっ」
「ガタガタガタ」「ガタガタガタ」
「なに心配するな。1回噛み合うように顎の関節を削ってだな…」
「ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……」
………………どれくらい格闘しただろう。午後の授業の予鈴が鳴った頃…
はまらなくなっちゃった。
「プラーーーン」
「「莉子せんせぇぇぇっ!!」」
「……削りすぎたのかな?えっと…パテで埋める?」
「「莉子せんせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」」
栄養不足に震える岡本君の顎がカスタネットみたいにパコパコいってる。ガリガリにやせ細ってしまった彼の顎は無情にも風に揺れるブランコの如く揺れていた。
……どうしよう。
このまま教室に帰すことはできない。「莉子せんせーが顎を魔改造しました」なんて言われた日には私はこの学校を追われることになってしまうじゃないか……
…顎の修復は……不可能か…
かくなる上は……
「り、莉子せんせー…なにを……?」
「心配するな。私は小学校の頃図工だけは5だったんだ」
「--あ、岡本おかえりー…『無音の西園寺』は浅野姉妹が連行…え?」「お前その顎…どうした?それ…下顎鉄製になってんぞ?」
「……下顎作り替えてもらった」
ガチャンガチャン
「……岡本お前……斧手のモーガンみたいになってるぞ?」




