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空閑睦月という男③

「睦月君、人間ってのはこんなに吹き飛ぶんだねぇ…」

「え?まぁ……殺されかけたので吹き飛ばされても仕方ないかと…」

「なにかスポーツとかやってた?例えば……人間サッカーとか頭蓋骨フットサルとか……」

「じいちゃんからカポエイラ教わりました」

「知ってる?アクシ〇ン仮面もカポエイラ使えるらしいよ」


 松葉先輩と眺める燃える空--

 飼育小屋の獣達の鳴き声を聞きながら後頭部から木の枝を生やす松葉先輩と並んで腰を下ろす芝生は、日中蓄えた日差しの熱を冷ましひんやりとしていた。


 芝生についた手のひらに蟻が集っている。松葉先輩の手の甲の肉が少しづつ削られていくのを見つめながら俺は尋ねていた。


「……先輩なぜあんな事を?」

「あんな事?どんな事?そんな事」

「だから……」

「君を殺そうとしたのは冗談だからね。私はさ--」

「いや、飼育委員の仕事を1人でさせた件…」

「そっちかい」

「……ちょっと、段々腹が立ってきたのでいいですか?」

「何がいいですか?なのか知らないけどもう1発蹴られたからチャラよ?チャラ」

「……あれは正当防衛なので」

「でも本気で殺そうとした訳じゃないから過剰防衛」


 骨が見えるほど蟻にかじられた手で2本目のコーラの缶をプシュッする松葉先輩は夕焼け空を見つめながら語りかける。


「睦月君はちゃんと嫌なことを嫌って言える人にならなきゃダメだよ。それだけ教えたかったのさ……」

「なぜ人に言語能力があるか知ってますか?会話でコミュニケーションを取るためです」

「知ってるかい?まともな会話が成立しない人だって世の中には沢山居るんだよ?君はテーブルの上の醤油を取ってと頼んだらマジック:ザ・ギャザリングのカードを手渡されたことはあるかい?」

「……ないです」

「ブラックロータスだった」


 この人が何を言ってるのやっぱりよく分からないけど、その言葉の本当の意味を知ることになるのは狂気の高校生活を初めてから……


 先輩は言う。


「君は周りに気を遣っていじめを打ち明けられない優しい子だ。でも、自分を殺してまで人に気を遣う必要は無いんだよ。これからは嫌なことを嫌と言い、やりたくないことは他人に押し付け、金がなければ他人にタカり、腹が減れば他人の飯を強奪する……そんな生き方を--」

「無法者じゃないですか」

「己の中に無法を課す……人生はいかに自分の為に使うかで楽しさが決まるのさ。これだけは覚えておきなさい」


 先輩は当たり前のように俺のポケットから小銭入れを抜き取りコーラ代を掠めとっていく。奢りかと思ったら違った。


「誰も人の為になんて生きてない。自分本位は生き物の本質だよ。自分を傷つけるくらいなら、人を傷つけなさい。人を守るくらいなら、自分を守る為に人を貶めなさい。君の尊厳を守れるのは君だけ……」

「……」

「そしてそれは君のことを大切に想ってくれる人達を守ることにも繋がるのさ♪」

「……そんなものの考え方してたら嫌われますよ?先輩…」

「そんなことはどうでもいいのだよ、少年」

「どうでも良くないと思います…」

「そう思って、また君の物差しで我慢をしようとしたら、今日私を蹴っ飛ばした時を思い出しな?」


 頭から生えた枝を引き抜きはみ出た脳みそを押し戻しながら先輩は笑う。自分の過去の経験を思い出して思い出し笑いをするみたいに…


「沢山我慢したんだ、その1回だけ自分の気持ちに従ってみるといい……」

「……」

「嫌いな奴を蹴飛ばすと最高に気持ちいいよ?」


「もう病みつきさ」と先輩は言った。

 俺はこの言葉を、この日を一生忘れない--

 この日が、ハッピーバースデー俺だったから……


「なるほど……先輩もう1発いいですか?」

「え?」


 *******************


 --人間とは自分勝手に生きるのが正しい生き方らしい。

 そんな教えを地で行く松葉先輩は顔を合わせる度に突拍子のないことをした。


 飼育委員の時、何故かお弁当が毎回唐揚げだった。

 自転車に直管パイプを装着してみたり、君が代を歌いながら校内を走り回ってみたり、自衛隊からかっぱらってきた戦車で飼育小屋に突っ込んでみたり……


 このような先輩の奇行の数々は付き合いが深まるうちに「あ、やりたいからやってんだ」と合点がいくようになった。


 この人はイカれてるんじゃない。我慢する脳みそが欠落しているんだ。


 そしてやりたいことをして怒られても怒られながら繰り返す先輩は楽しそうだった。

 過激なイタズラで用務員の頭を燃やした時、清々しい程華麗に俺に罪を擦り付けた…


 そして飼育委員の仕事はやっぱりしなかった。



 --そろそろ殺してやろうかと思い始めた頃、夏休みが終わり俺は飼育委員のパシリから解放された。

 夏休みの間飼育委員の仕事に出てきたのは結局俺と松葉先輩だけだった。



 ……事件が起きたのは、新学期最初の日の放課後である。


 いつも通りに掃除当番を淡々と終わらせて帰ろうとすると、クラスのいじめっ子のリーダー格、飯田君と俺に飼育委員を押し付けた田中ちゃんが俺を呼び出した。


 2人は酷く不機嫌そうで、かつ、田中ちゃんは殴られたようで顔が青く腫れていた。


 もう嫌な予感しかしなかった。

 振るわれるであろう暴力と暴言を予想しつつ校舎裏まで連れてこられた俺はそこで事情を説明される。


 聞けばその日放課後に何故か呼び出された飼育委員達は衝撃的なことを聞かされたという。


 それはなんと、鶏小屋の鶏が明らかに減っている、というもの……当初15羽いた鶏が5羽にまで減っていたというのだ……


 ………………先輩、まさか……


 先輩の唐揚げ弁当が頭を過ぎる。そんな中リーダー、飯田君は憤慨しながら俺に詰め寄った。


「……誰がやったのかった散々しぼられた……おかげで帰るのもこんな時間だぜ。こっちはえみりとデートだったのによ…」


 ……あ、コイツえみりちゃんと付き合ってんだ。


「俺ァ仕事は田中に任せてたんだけどよ…なんか聞いたらお前、田中の代わりに仕事に出てたんだって?」


 ……それで俺へ矛先が向いたのか…


「……空閑、お前の責任だからなっ!!」

「てめぇ……どう落とし前つけんだ?」


 --飯田君は体も大きくて力も強い。詰め寄り胸ぐらを掴まれたならその迫力は絶大である。

 恐らく数秒後、俺の顔面に硬い拳が叩き込まれるんだと思う。


 ただ、この時の俺の中には松葉先輩の教えがあったんだ。


「……いや、そもそも俺の仕事じゃなかったし。第一俺鶏なんて知らないし……押し付けといて文句言うなよ」


 胸ぐらを掴まれながら初めて口にした反論。首を縦に振るばかりだった俺がその時初めて誰かに自分の我を押し出した。

 その通常ありえない俺の態度に「…は?」と飯田君……いや飯田のやろうが固まった。


 しかしそれも一瞬で、ちょっと舐められたくらいのことですぐに沸騰する馬鹿は青筋を立てながら顔を赤くせる。


「てめぇ……誰に口聞いてんだっ!?」


 すぐに返礼とばかりに固いパンチが飛んできた。突き出されたゴツゴツした拳が俺の鼻を潰す。胸ぐらを掴まれた状態から振り抜かれたパンチに頭が後ろに弾けた。


 ……痛い。


 ……俺には先輩の教えがあった。

 嫌な時、先輩を蹴飛ばした時を思い出せと…病みつきになるらしい。


 ……そうか。


「おいっ!!てめぇいつからそんな生意気な口--」


 先輩の言う通りにやってみた。

 殴られるのは嫌だったので、俺は思いっきり飯田の奴の腹を蹴り飛ばした。

 すると面白いことに、くの字にへし折れる飯田の体。「かはっ!!」と唾を飛ばしながら飯田が2、3歩下がる。


 分かったぞ。

 俺がみんなに殴られる理由……


「……確かに病みつきだな」

「……て、てめ--」


 なんか体が折れてすごく蹴りやすい位置に頭があったので脚を振り回してみた。

 するとだ、飯田の顔が俺の脚にぶつかって体ごと横に吹き飛んだ。

 同時に、溜まりに溜まっていた鬱憤も一緒に吹き飛んでいくのが分かった……


 嫌いな奴を蹴ったり殴ったりするのは楽しいんだ。

 だから俺は蹴ったり殴ったりされるんだな…


「……おい。田中……」

「……え?ひっ……」

「……お前のせいで俺の夏休み潰れたんだけど……どうしてくれるんだ?」

「……っぁ……えっ……」


 田中ちゃんもいじられっ子側だ。目の前で1人ぶちのめしてやればもう威勢を張る元気もない。


 そうか俺は強いのか……


 カポエイラやっててよかった♡


「……しょうがないから慰謝料3000円で勘弁してやる。それかお前の肝臓引きずり出して売る。どっちがいい?」

「さ……3000円でお願いしますぅぅ……」

「……じゃあ1万円置いてけ?」

「……な、なんで?」

「は?」

「え?」


 *******************


「松葉先輩。先輩の財布が転がっていたので少しいただきました。この購買の焼きそばパンクソ不味いです」

「睦月……とうとう人の財布からパクるレベルにまでグレちゃったかぁ……」


 夏の過ぎた屋上の風は涼しくて気持ちいい。高校受験があるというのに凧作りに精を出す松葉先輩の財布で買った焼きそばパンを今日も頬張る。


「うち貧乏なもんですみません」

「いいよ、それ長谷川君の財布なんだ」

「誰ですか」

「睦月、すっかり不良になっちゃったね。なにをしでかすか分からない暴走機関車って有名だぞ?」

「嘘ですよね?言われたことないです」

「そう言われるように頑張りたまえ」


 どうやら凧が完成したらしい……


「凧ってどうやって飛ばすんだ?」と作っておきながら悪戦苦闘する先輩を眺めていると「睦月」と先輩がなぜか凧を手に回転しながら話しかけてくる。


「好き勝手生きると、人生楽しいでしょ?」

「はい、人の金で食う飯最高です。不味くても気にならないくらいに」

「でもね睦月。君が昨日ゴミ箱に捨ててたクラスのいじめっ子は因果応報なんだ」

「いんがーおーほーってなんスか?」

「君をいじめたツケを払わされてるってことさ。睦月は別に嫌いじゃない人には何もしないだろ?」


 ……まぁ、財布を借りるくらいか。


「いじめっ子は嫌い?」

「いじめられたんで。あと寒いです先輩、回るのやめてください」

「嫌われるようなことをするから、嫌なことされる…全て自分に返ってくるということさ。だからね睦月……」


 先輩は大事なことを教えてくれる。

 生き方、遊び方、授業のサボり方、財布の借り方、カンニングの仕方……


「好き勝手生きても嫌な奴にはなっちゃいけないよ?」



 --松葉先輩は神戸の高校に進学した。


 先輩と過ごした時間は1年にも満たなかったけど、俺に沢山のことを教えてくれたこの人は俺にとってもう1人の母親みたいな存在だった。


 多分、好きだったとも思う。


 だから先輩が卒業した後はとても寂しかった。

 ただひとつだけ……先輩は友達の作り方は教えてくれなかった。

 だから中学では結局、ひとりぼっちになった。中学時代の思い出は、先輩と過ごした1年しかない。


 ……そう思ってたけど、今なら分かることがある。


 先輩はちゃんと友達の作り方を教えてくれていた。


 自分らしく…楽しく過ごして……嫌な奴にならなければ友達はできる。

 我慢を重ねてつまらなそうな顔をしてても友達は出来ないし、俯いて生きてても近寄ってくる人は見えないもんだ。


 それを先輩は教えてくれた。


 だから前を向いた高校生活……ちゃんと友達ができた。

 おかげで卒業が近づいてくるのが…少し寂しい。

 学校は楽しいなんてことまで先輩は教えてくれた。


 やっぱり、先輩は凄い人だ--



「--ほっ!!」

「……先輩、回しても凧は飛ばないです」

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