空閑睦月という男①
--小学生の頃は中学生や高校生はずっとずっと大人だと思っていた。しかし、自分がその年代になれば見上げていた景色は案外そんなことも無く、なんてことはよくある話。
俺にとっては大人も子供も大した差はなく感じられた。
働かない親父と、親父との喧嘩が多いお袋と……
気に入らない生徒を徹底的に虐げるクラスメイトと、なにも見ないふりをする教師と……
中学1年生になった俺の見る世界には大人も子供も居なかったんだ。
「--そんなとこに居たら死んじゃうぞ」
そんな俺にとって松葉先輩は唯一俺のことを見てくれた大人だった。
中学1年。俺は彼女と出会った--
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小比類巻睦月--旧姓、空閑。
俺の家はパチプロという名の無職の親父と夜職で家計を支えるお袋という複雑な環境にあった。
俺が高校生になる頃には喧嘩も慣れた日常のようになってしまっていたが客観的に見ても我が家の環境は最悪だったろう。お袋も親父も、俺という一人息子が居たが故に俺が高校生になるまで別れることはなかったと言っていい。
ただ、親父もお袋も俺には愛情を示してくれていた。だから、両親の喧嘩にも耐えられた。
そして学校でも、どちらかと言うと内気な方だった俺だ。友達は少なく、入学したばかりの中学でも目立つ方ではなかった。
そんな俺にも青春はあった。
当時の俺は目立たないクラスのグループに属していた。少ないけど仲が良かった奴らが居た。
そんな奴らからこんな話を聞かされたのは入学してまだ1ヶ月しか経ってない頃……
「えみりちゃん、お前のこと気になってるらしいぞ?」
「……え?」
仲良しのタツ君が俺にニヤニヤしながらそんな事を耳打ちしてきた。メガネの山田ちゃんも出っ歯を剥き出しにしながらタツ君に続いて甘酸っぱい恋が始まりそうな情報を補足した。
「隣のクラスの人達が話してたぜ?」
「空閑はモテんなぁ。この色男め」
「……いや。そんな…勘違いでしょ?」
このナヨナヨした感じで「いえいえ僕なんて」みたいなこと言ってる人が俺である。これがリニューアル前の空閑睦月君である。
そしてえみりちゃんとは入学早々可愛い女子としてクラスでちょっとした話題になっている女の子。清楚な黒髪ロングの深窓の令嬢といった感じの子だった。この前まで小学生だったとは思えないくらい大人びた風貌はクラスの男子を夢中にした。
「空閑、イけるぞ」
「告っちゃえよ」
「……いや、告るって……馬鹿言わないでくれよ。そもそも……別に俺は好きじゃないし……」
「なーにカッコつけてんだよ!!」
「今がチャンスだぞ?」
--嘘ではなく俺はああいう大人しそうでお上品な上質タイプの女は好みとは違う。けれどやはり睦月君もそこは男の子。女子への興味は尽きなかったし可愛いのは事実であった。
そんなえみりちゃんからの熱愛疑惑である。
--俺は無謀なチャレンジに出てしまった。
「好きです付き合っ--「ごめんなさい」
放課後廊下で彼女を捕まえての告白からの玉砕は1分かからなかった。瞬殺である。
どうやら友人達の流した情報はガセか何らかの勘違いだったようだ……しっかりウラを取らずに特攻した俺の想いは儚く砕け散って消えた。
……が、ここで終わらないのが集団の恐ろしいところでだな?
俺がえみりちゃんから瞬殺された事実は音速でクラス中に広まった。
クラスの日陰者があろうことかクラスの太陽えみりちゃんに挑んだということでその無謀はクラスメイトのいい娯楽になった。
「お前、えみりにフラれたんだって?えっと……名前何?」「ウケる」「え?え?えみりちゃんとは小学とか一緒だったん?」「どんまい、すしざんまい」
男子からの嘲笑…
「なんでイけると思ったのかな…?」「ね?」「てかあんな人居たっけ?」
女子からの白い視線…
クラストップの可愛さを持つえみりちゃんの影響力を俺は舐めてたらしい。俺の中学生活は完全に暗黒期に突入してしまった。
まず、ネタにされ茶化されることが増えた。それに伴って飛び火を嫌った日陰者の友人(元凶)も距離を取るようになる。
やがていじりはエスカレート……
その頃になるとクラスの形もほぼ固まってきた。そしてクラス内で見えない力関係が構築され、俺は最下層。そしてえみりちゃんはトップ層だった。
クラス内の力関係……学校という特殊な場での社会というのを初めて意識した。が、俺はそこでのポジションを確立する前に既に大ドジ踏んでずっこけていた。
男子やクラスメイトがえみりちゃんの魅力を正しく認識したからか…
ただの悪ふざけがエスカレートしたからか…
性格面での弱さが悪い方向へ向いたか…
理由はいくつかあったんだろうが、6月にもなったら俺はもうクラスメイト全員の的にされていた。
そこには手のひらを返したように俺に嘲りを向けるタツ君と山田ちゃんも居た。
--登校すれば下駄箱に上履きが無く。
--机の中にはゴミが詰められ。
--陰口、無視は当たり前。
--あんまりな扱いを受けながらも宿題や掃除当番は押し付けられ。
俺はすっかりいじめられっ子のポジションに収まってしまっていた……
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「君、そんなとこに居たら死んじゃうぞ」
--彼女と出会ったのはそんないじめも苛烈さを増してきた頃だった。よく前が見えない薄暗い体育倉庫でその出会いは起きる。
俺は松葉先輩と体育倉庫で体操マットに簀巻きにされながら対面していた。それが出会い。
簀巻きにされた俺と、背中に竹馬を挿した彼女……その光景は体育倉庫から差し込む陽光に照らされるキラキラした埃と相まって某聖杯戦争の主人公と相棒の出会いを彷彿とさせる神秘的さも備える。
ただ、俺は簀巻きで先輩は竹馬だった。
「何してるの?」
「……いえ、ちょっと悪ふざけしてたら出られなくなりまして……」
「1人で?」
「……1人で」
「……ふぅん。1人で簀巻きになったんだ?すごいじゃーん。君、もしかして春巻きの才能あるかもよ?今度、春巻き先輩紹介しようか?」
「……?……?」
当時の世間知らずの俺にはこの人の言ってることは理解できなかった。今でこそ別に普通な先輩だが、出会った当初はこの型破りに見える言動に困惑したものだ。
「君ならてっぺん取れる気がする。最高の春巻きなろ?」
「……あなたはなにを?」
「え?……引越しだよ。部屋が汚部屋になってとても生活できそうにないからさ、ここに住民票移そうと思って。内見」
「……?」
「あ、もしかして管理人さん?」
「違います」
「…………もしかして、三食春巻きになりますかね?」
とにかく、よく分からなかったのだ。
彼女のクラスはこれから体育だと言う。恐らくその前準備か何かで倉庫に来たはずなのだが頑なにそれを認めようとしない先輩は「予鈴鳴るよ?送ろうか?」と俺を担ぎあげてきた。
「……あの、簀巻き解いてくれるだけでいいんですけど」
「……」
「……あの、恥ずかしいんで降ろして欲しいんですけど…」
「……いやいや、ダメダメ。危ないからね。それに君、春巻き食べる時具がボロボロこぼれたら腹が立つだろ?」
「……はぁ。」
ところで竹馬はなんだ?
「君一年坊だろ?名前は?」
「……あ、空閑って言います」
「私は3年生だ。残念だね。君より2年も先輩なのさ。ところで君は先輩に背負わせて一体何様なの?」
「……いやだから恥ずかしいので降ろ--」
「ダメダメ」
--そうして連れてこられた保健室。
竹馬背負った少女が簀巻きにされた男子を運び込んだのだ。養護教諭のおばちゃんはさぞかしびっくりした事だろう……
そして同時に腫れ上がった俺の顔にも……
「あ……あなたっ!!何してるの!?」
「……春巻きになるんですって」
「いやあなた!?何があったの!?この顔!?まっ……まさかあなたっ!!」
簀巻きにされボコボコにされた男の子。シチュエーション的にはやったのはどう見ても担いできた先輩である。
この街の人間は少しおかしいらしいと認識したのは先輩から竹馬を奪い取り先輩をボコボコにしてた養護教諭を見た時からだった。
俺は先輩の顔がたこ焼きになるまでしばらく放置されてから病院まで運ばれたのだった。
--空閑睦月ボコボコ簀巻き事件はちょっとした大事件になってしまった。まぁ、常識で考えれば生徒が顔ボコボコで簀巻きにされて放置されていたら大事にもなる。
「……むっ、むっちゃん……っ!むっちゃぁぁんっ!?」
「睦月お前……誰にやられたんだっ!?」
病院に駆けつけたお袋と親父は激しく狼狽し、そして怒髪天を衝く勢いでキレ散らかした。
幸いなことに俺は大した怪我ではなく、顔がたこ焼きになっただけだった。
この件は学校も重く捉え調査に乗り出した…が……
「……ほんとになんでもないよ。ただの悪ふざけだったんだ。この顔は勝手に転けただけだから……」
「睦月……そんなわけないだろ?殴られたんじゃないのか?誰にやられたのか言いなさい」
「むっちゃんお願い。やった子達のお腹3枚に卸さないとお父さんもお母さんも1ヶ月くらい寝れなくなるのよ?」
益々言えなくなった。
いじめられっ子あるあるだと思うんだが…後が怖くて、または家族を心配させるのが怖くて中々自分から言い出せない。
そんな心理が俺にも働いていた。そしてそれを引きずったのか俺は中々事実を口にすることはなく、しばらく休学する羽目になってしまった。
結局実行犯達に関しては他の生徒の証言からあっさり割れたのだが、それを知るのはしばらく後のこと。
とにかくたこ焼きと化した顔面を労りながら入学早々学校を休む羽目になった俺はボロアパートにて1人暇を持て余す日々。
…………しかし、いかに実行犯が割り出されても俺に対するいじめはクラス全体によるものである。
「空閑君、これ今日の分のプリントだよ」
毎日やって来るクラスメイトが親父のいる前で「早く元気になってね」なんて優しい言葉をかけてくる。
そうして手渡されたありえない量のプリントの中には自分達の分の宿題が混じっているのである。
--お前が休んだせいで掃除当番も日直もやらなきゃいけなくなったじゃんか。出てきたら覚えとけよ?
そんなメモ紙を眺めながら淡々と宿題を処理する。
放課後に宿題を押し付け朝取りに来る…
俺の家族から見たら毎日のように俺の様子を見に来る献身的なクラスメイト達……
親父やお袋はそんな表向き友達思いな奴らにお菓子を持たせたりした日もあった。
笑顔を貼り付け礼を言うクラスメイト達は学校で俺に暴力と暴言を浴びせてきた奴らだ…
そんな奴らに礼を言う両親の姿に、段々とやりきれない感情が募る……
しかし、自分から言い出せない俺が「コイツらいじめっ子だよ」なんて言えるはずもなく……
学校から離れてても宿題はやらされるのかと、なんかもう色々参ってきたある日--
--ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ
「春巻き君居ますかーー?」
その日尋常でなく叩かれる玄関扉がぶち倒れる前に親父が玄関に出ていく。あ、親父は自営業なので基本平日は暇なのである。家に居る。
ドアを蹴破らん勢いで来訪を告げる気の抜けた声はいつものクソ野郎どもとは違う声で……
「はーい」
「あ、どうも。どんどんどんどん、ドンタコス」
「……?学校の子…………かい?」
いつも通り親父に遅れて俺も玄関まで宿題を受け取りに向かう……
が、そこにはいつもとは違う光景が広がっていた。
そこに立っていたショートカットの女は眠たそうな顔で「おーい春巻き君」と親父の後ろに向かって手を振る。
呑気に振られる反対側の手には……
「……く……ぐはっ!」「空閑きゅん……だずげで……」
なんか顔面がたこ焼きになった俺のクラスメイト2人が有刺鉄線でぐるぐる巻きにされ引きずられていたのだ。
笑顔で狂気を爆発させるその女は--あの日の竹馬先輩であった。
「……え?」
「…コッペパン、食う?少年♪」




