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災厄の降臨

 古の大妖怪玉藻の前の消滅と共に暗雲は晴れ吹き荒れる強風と降り注ぐ豪雨は嘘みたいに収まっていく。雲間から落ちてくる線のように細く暖かい夏の日差しは過酷な天気にいじめ抜かれた地上の尽くを癒すように降り注ぐ……


 世界の救世主、日比谷真紀奈の美貌によって世界の危機は過ぎ去った。


 私、葛城莉子はようやく我が家に帰りビールを飲むことができるのだ。


 --九尾の狐編、完!!



 天高くに浮かび上がっていた古城幸恵がゆっくりと地面へ降下してくる。私は慌ててその下へ駆け寄って地面に落ちる前に彼女の体を受け止めた。


「古城君。しっかりしたまえ」

「……?あれ?莉子先生……」

「終わったぞ。全て……」

「……?」

「……終わったんだ」


「……えぇ、ほんとに終わってしまったのかい?僕は何のためにダンスを……?」

「おい圭介。日比谷真紀奈のパンツはどうだった?あ?」

「あら、今はそんなことよりこの勝利を喜びましょう?結愛ちゃんあなたその体で動いたら死ぬわよ?」

「姉上……」

「……長かった妻百合の戦いも終わったでございます、ゆうちゃん……」

「おーーーっほっほっほっ!!一体なんだったんですのーー!!日比谷さーーんっ!!雨が止んだからロケを再開するそうですわーーっ!!」

「……私は可愛い」


『ちょっと待て』


 各々が終戦の余韻に浸っていた時水を差す声が。

 それは世界救済戦士の1人で何の役にも立たなかったトイレの花子さん。

 彼女は怒っている。


『妖怪倒したのはいいけど私の体元に戻ってないんだけど!?』

「いいじゃないか花子さん。君は新しい人生を生きなさい」

『いやいや!!こんな体でどうやってトイレに戻れって言うわけ!?私元の体を取り戻す為にここまで来たのに!!』

「生前もトイレに入って死んだんだろ?また入れるさ」

『入れるかっ!!今の小綺麗に纏まっただけの狭っ苦しいトイレにっ!!』


 ……私だって軽自動車とアパートをぶち壊され学校の車を勝手に持ち出して人まで轢いてるが、ここは空気を呑んでなにも言わなかったというのに。


 このトイレの呪縛霊。玉藻の前の妖力を浴びたことで体を得てしまったという美少女の排便をその身に受けるのが趣味の変態である。

 ……しかし実体化の要因が玉藻の前ならば彼女が消えた今、再び体を失ってもおかしくないはずだが……


 ……いや、そういうものか。


「あの、莉子先生……これは一体……ひぃっ!?わ、私のお家がっ!?」


 ……どうやら古城幸恵はなにも知らないようだ。意識がなかったようだしそれもそうか。

 私の腕の中で屋根の吹き飛んだ自宅に震える古城幸恵への説明役を買ってでたのは妻百合君だ。


「ひぃぃ……誰?」

「初めましてでございます。私、妻百合花蓮と申します」

「ひぃ……」

「あなたの身に起きたことをご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ひぃ……お父さん、お母さん……ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ…」


「日比谷さん♡」

「あなたは……剛田剛」

「大きな借りができちゃったわね♡うふっ♡」

「……?」

「あなた、世界の救世主なのよ?」

「ちょっと!カメラカメラ!!皆さんご覧ください!野生のオカマですっ!!」

「おーーっほっほっほっ!!司会さん、カメラは水没して、使えませんことよーーーっ!!マネージャー!!カメラを用意して差し上げなさーーいっ!!」

「……馬鹿野郎帰るぞ!!この街はなんかおかしいっ!!」

「マネージャーっ!!まだお仕事の途中でしてよーーっ!!私トップアイドル、槍が降ろうがオカマが湧こうが、一度受けたお仕事は完遂しますわーーーっ!!おーーーっほっほっほっほっほっほっ!!へぶしっ!!ずぶ濡れですわーーーっ!!!!」


「……と、言うわけでございます」

「全てはこの妻百合の不手際…姉上と共に深くお詫び申し上げます」

「……?……?ひぃ……」


「てか圭介、なんだあのへっぽこ音頭は?お前ちゃんとレッスンしてんのか?あ?」

「結愛さん……もう横になるんだ凄い怪我をしているよ……ぐげっ、首を締めないで…」


『私の糞浴びライフはどうなるのよーーーっ!!!!!!』



 --その時の私達はようやく終わったという解放感と安堵感に覆い尽くされていた。

 故に空に起こる変化に最初誰も気づかなかった。


 最も早く気づいたのは日比谷君と共にいたテレビ局のスタッフだった。その声は再び私達を震撼させることになる。


「なんだあの空はっ!!」

「え?」「おーーっほっほっ?」「あら?」「ひぃ…」「……圭介、まさか」「あ、姉上!!」「まさか…そんなっ!!」『いやーーーっ!!』


 これには絶句。

 明らかにおかしい空色。真っ青な頭上のキャンバスは血のように深い赤に塗りつぶされていく…

 真紅に染まっていく空……同時に地面が激しく揺れだした。宇佐川君達の戦闘でバキバキに割れた地面が大きく断裂した。周りの建造物を巻き込んで広範囲に渡って引き起こされる地割れ。私達は慌てて走る亀裂を避けて安全な足場へ……


「……姉上、強い……とてつもなく強い力の奔流を感じるでございます」

「ゆうちゃん……まさか玉藻の前はまだ……」


 どういうことだ?日比谷君が倒したはずだが……


『--妻百合、宇佐川、剛田、そして日比谷よ……』


 その声は天から降ってきた。

 重たく濁った不吉な赤い空から私達へ投げかけられるその声はついさっきまで戦っていた彼女のそれによく似た、厳かかつ本能的恐怖を掻き立てる音…


「……玉藻の前っ」

『よくぞ抗った……ここまで妾を追い詰めるとは。これほどの屈辱、妻百合の陰陽師に敗れたあの時すらなかったわ…妾、悔しい』

「橋本先輩!舞を……っ!!やはり神事の舞が必要でございますっ!!」

「えぇ!?踊れって言われたりもういいって言われたりなんなんだいっ!!」

「どっちも誰も言ってねーよ。勝手に初めて勝手にやめたんだろ、はよやれ圭介。殺すぞ?」

「……はい」


 空が……落ちてくる。

 真紅の空がドロッと溶けるかのように真っ赤な液体のように垂れてくる。目で見える光景はそんな感じだが言葉にするとわけが分からない光景……

 一体なにが始まるんだ。私はガタガタ震える古城幸恵をしっかり抱きしめ空を見つめていた。


 ゆっくり地面に向かって落ちてくる液状化した空……を覆い尽くしていたんだろう赤い何かはやがて繭が破れるように割れて……


『--許さぬ』


 そこから金色の輝きを吐き出した。


 --地面に降下してきたその正体は巨大な狐。それ以外の表現はない。


 その体毛は輝きを放つ金色であり、高貴さを兼ね備えた美しい金毛の毛並みからは妖力なのだろうか?謎の力の奔流が可視化されるほど漲っていた。

 体とは別に首から顔にかけての体毛は白く、狐の顔には殺意と敵意に濡れた切れ長の凶悪な瞳、口に並んだ凶暴な牙……

 歪んだ憤怒の形相は狐の顔に人間的感情を浮かび上がらせている。この狐の心情を何よりも端的に表していた。

 そして尻尾…神々しい金の体から生える尻尾は九つ……その全てが体より深く長い毛に覆われ巨大に膨れ上がっていた。


 全身に力を漲らせた、オーラを纏いしその姿……それはひと目で絶望的な力の差を思い知らせるのに十分な威容。

 それは我々のよく知る、日本三大妖怪の一角、その姿だ。


『--我、白面金毛九尾の狐…』

「ああ…姉上……おしまいかも……しれません」

「……これが、玉藻の前の真の姿でございますか……っ!」


 ……どうやら、ここからが本番だったようだ。


 *******************


 神はどうしても私にビールを飲ませたくないようだ。


 --VS白面金毛九尾の狐、ファイト!!


『ふははははっ!!この姿を見せたのは千年前以来ぞ!!そして、妾を本気にさせたことを後悔するといいっ!!』


 白面金毛九尾の狐--

 かつて京の都に災厄を振り撒いたという最強の妖狐。古より語られし最強の大妖怪……

 目の前に君臨したその姿にもはや戦意を保つことすら難しい。


 めちゃくちゃ強そうである。


「……え?なに?もしかしてさっきのお姉さん?」

「そうでございます日比谷様!!その狐を先程のように燃やしてくださいませっ!!」


 妻百合君からの要請に「…よく分かんないけど」とイマイチ事態を飲み込めない日比谷君。テレビスタッフが逃げ惑う中で中々の肝っ玉である。

 真の美しさとはこういったところからにじみ出るもなのだろうか……?


「やいっ!人間辞めて別ベクトルからの美しさで攻めてもこの日比谷の美しさは銀河一--」

『やかましいわっ!!』


 喧嘩腰の日比谷君へのお返しはその巨体から振るわれる強烈な爪のひと薙ぎだった。

 その一撃の威力ときたら軽く振っただけで地面に端が見えないほど巨大な亀裂が走った。

 剛田君が咄嗟に日比谷君を庇って抱きしめなかったら日比谷君は3枚に卸されていたろう。


 ドン引きである。こんなのトリコでしか見たことがない。


「……っ!ご、剛田君!?」

「……っ、ぼやっとしていたら……ごふっ!自慢のお顔がキズモノになるわよォ」


 ……しかし日比谷君の盾になった剛田君のダメージは深刻だ。背中は深々切り裂かれていて血が流れている。

 もうギャグではなくなった。


 これには日比谷君もガクブルである。


『もう顔などどうでも良いわっ!!顔面がいいからってなんじゃっ!!』


 九尾の狐は自らのアイデンティティを捨てた。


『日比谷真紀奈……貴様からじゃ…そのご尊顔、ズタズタに引き裂いてくれるっ!!』

「はわ……はわわ……むっちゃん助けて…」


 振り下ろされる爪の攻撃。

 巨大な爪はかまいたちを巻き起こし、周囲の全てを薙ぎ払う。日比谷君を抱きしめ自ら盾になる剛田君へそれは容赦なく降り注いだっ!!


「おーっほっほっほっ!?何が起こっておりますのーっ!?」

「……っ!橋本圭介!!舞を……っ!!早く舞を完成させてくださいませっ!!」

「ダメです姉上!!まるでなっておりませんっ!!それに……この妖力……っ!もはや勾玉の力で抑え込めるかどうかっ!!」


 雨あられと降り注ぐ死神の鎌。剛田君も限界だった。剛田君の腕の中で日比谷君が悲鳴をあげる。


「くはっ!!」

「ちょっ……ええっ!?君、何してるのっ!!早く逃げなきゃ……っ!!」

「効いちゃったわ……動けそうにもないわね……」

「そんな……っ!」

「残念ね……ここまでとは……死ぬ前に睦月ちゃんのおしりを……舐めたかったわ……」

「遺言が最低だけど…もういいって!あなた死んじゃうってばっ!!私から離れてっ!!」

「……おバカね」


 剛田君の手が日比谷君の頬を撫でる。カレの瞳は慈しみに満ちていた。


「あなたはあたしの恋のライバル……」

「それは…調子に乗りすぎだけど……」

「でもね……あたしの初恋は…あなたなのよ?真紀奈ちゃん」

「……剛田」


 連撃が収まった頃にはもう立っている足場すらないほど地面は切り刻まれていた。

 そして日比谷君の代わりに攻撃を全て受けた剛田君ももう、瀕死だ。


 繰り返すがこれはもうギャグではなくなってしまった。


『…ふん、愚か者めが。そのような者を護らず妾の美しさにひれ伏していれば幸せに死ねたと言うのに……よかろう、ならば貴様から切り刻んでやる。さらばだオカマ』

「剛田っ!」

「……っ!!」


 剛田君最期の力を振り絞り腕の中の日比谷君を私の方に突き飛ばした。弾丸のごとく吹き飛んでくる日比谷君を抱き留めた私の視線の先で剛田君の頭上へ凶刃が迫るっ!!


「剛田君っ!!」

『きゃーーっ!!オカマの切断ショーっ!!きゃーーっ!!』

「早くっ!!早く舞をっ!!」


 叫ぶトイレの呪縛霊、焦る妻百合君。

 しかし全てが遅すぎて間に合わず……


「--おらぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 --否。

 ただ1人、白面金毛九尾の狐へ強烈な飛び蹴りを見舞ったその一撃のみは、剛田君が切り裂かれる前にその命を繋いだ。


『……うぐっ!!宇佐川結愛っ!!何度も何度も妾の顔面をっ!!』

「けーーーすけーーーっ!!!!」


 獣のような咆哮が橋本君を呼ぶ。相変わらず珍妙なダンスを踊り続ける橋本君がビクリと震えた。


「お前に……全て賭けるからっ!!」

「ゆ……結愛さん……」


 九尾の狐の頭上で暗黒の渦が回る……

 そこから吐き出されるのは幾度と見せた漆黒の刃の豪雨だ。それらは九尾の狐の全身を細かく刻んでいく……


 気づいたがこの形態になってから攻撃が当たっている。


『ぐっ!!ぬぅ……っ!!』

「至高の美貌とやらを捨てて獣畜生になったからご尊顔ガードは無くなったようだなっ!!ようやくてめーをぶちのめせるぜっ!!」

『ぬぅぅあっ!!』


 九尾の狐がその巨体に見合わぬ軽やかな動きで体を回転させ、巨大な尻尾を宇佐川君に叩きつける。

 血反吐を吐きながら宇佐川君の体が地面に叩きつけられバウンドした。危うく地割れの亀裂に落ちかけるのを必死でこらえる。


 ダメだ……宇佐川君の体はご尊顔ビームでボロボロだ。これ以上は……


『愚か者め……その死に体で妾に勝てると思うてか?妾に触れられるからと言って、妾の命に届くと思うてか?』

「……ぅ」

『死ぬがいい』


 バチバチと迸る妖力。電流の塊のようなそれが宇佐川君に直撃。爆風を受けたトップアイドルが巻き添えで吹き飛ぶほどの威力。


「結愛ーーーっ!!」


 橋本君が叫ぶ。その場の誰もが絶望した。

 ……しかし。


「--圭介っ!!!!ぼやっとしてんなっ!!」


 爆煙を割いて宇佐川君は立ち上がる。全身黒焦げで息も絶え絶えだが……


『……貴様』

「お前のダンスを見せてやれっ!!」

「……っ結愛さん……っ」


 ……宇佐川君は橋本君の神事の舞に全てを賭けたんだ。ここで命を燃やし尽くしても九尾の狐を止めるつもりだ。


 ……


「……へっ、ヤクザ共の方が……歯ごたえがあるぞ?狐ヤロー」

『……』

「なにを……ぼーっと突っ立ってやがる。ビビってんじゃねー」


 ヨロヨロと…もはや駆け出す余力もない。倒れそうだ。それでも彼女は一歩も引かず…



 …………葛城莉子。

 お前は何をしてるんだ?



『--もうよい。いい加減目障りだ』

「いじめっ子は死--」



 九尾の狐の口腔内が紅蓮に輝いたと思ったらその口から噴き出すのは地獄から連れてきたかのような豪火。

 放たれたその火球はまともに動けない宇佐川君へと容赦なく--


「--先生っ!?」



 --“私達”を焼き尽くす豪火の中で日比谷君の悲鳴が響いていた。

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