脱糞覚醒作用
『よぅし。私がひと肌脱いでやろう』
「ん?」
トイレの呪縛霊花子。人の肛門に取り付いてクソをひねり出す能力を持つ。
ウチ、楠畑香菜の悩みを打ち明けたその時、花子は便器の中で灰色のドヤ顔を見せた。ちなみにドヤ顔とはいかにも誇らしげな顔つき。得意顔、という意味らしいわ。
つまりこの便器から出れんで死んだ幽霊は自分の何かに誇りを持っててそれに起因する自信を今ウチに見せつけてきとるっちゅうこっちゃ。
「…どう脱ぐねん」
『いゃん♡ちょっとだけよ?あんたも好きねぇ』
「今すぐさっきの言葉の意味を喋らんと除霊してもらうぞ?」
『まぁ聞きなって香菜。アンタのカレシが死にかけの友達にお熱で嫉妬してるって悩み……私が解決してあげる』
「次不謹慎な言い方したら二度とここでウ○コせん」
『っ!?…は、はぁっ!?!?アンタ……えっ!?いや嘘!!ごめんてっ!!ごめんてばっ!!』
なんやねんこいつ。
『コホン……香菜。つまり友達君が回復すればさぁ、カレシ君も元気出すよね?だから、私が目を覚まさせてあげる』
「な…アンタそないなことできるん!?」
『香菜。脱糞覚醒作用だよ』
なんやそれは。知ってるでしょ?みたいなノリで言うてくるな。
『夜寝てたら催してさ、目覚めるじゃん?そういう時あるでしょ?あれ』
コイツに相談したウチが馬鹿やった。
『人はね、ひねり出す時必ず覚醒する。何故かと言うと、脱糞は人にとって最も大切な生理現象であり、そもそも腸の神経は脳と直結--』
「さいなら」
『待て待て待てっ!!香菜!!いい!?脱糞ってすごいんだから!!小腸約6メートル、大腸約2メートル!!そんな長距離クソを肛門まで送り届ける力っ!!寝てる場合じゃないんだよ!!全力なんだよ!!ウ○コはね!全力でひねり出してんだよ!!』
「……」
『私に任せて。香菜の友達でもあるんでしょ?私が助ける』
「…………」
『私をその病院まで連れてって』
「……どないして?」
『ケツを出せ』
*******************
「諸君!!これはある意味、戦争なき日本において煉獄会殲滅作戦より重要な戦いなのだよっ!!」
内閣総理大臣発令--宇佐川結愛捕獲作戦。
この国での『関西煉獄会』との戦いは終わった。
大阪にて若頭トンチンファン含め幹部が全滅。北桜路市にて舎弟頭、御頭頭尾及びヒットマンチームが何者かによって潰された。
そして中国にて、組長芦屋友蔵が宇佐川結愛によって倒され、煉獄会は壊滅した。
この一連の作戦における日本警察の成果と呼べるもの……それは宇佐川結愛を初めとした部外者によって殲滅された煉獄会戦力を逮捕したこと…
しかしそのほとんど--煉獄会にダメージを与えた要因はほぼ全て警察の力ではない。
--世界に誇る日本警察。彼らにも意地はある。
自衛隊、機動隊総動員。集うのは北桜路市港中央区湾岸……
日本警察が最後に見せる意地とは、煉獄会事務所を壊滅させ中国へ密入国し今まさに日本に再び入国する宇佐川結愛を捕まえる事…
ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世、最後の仕事である。
目的は煉獄会メンバーのような殺害をも視野に入れたものでは無い。あくまで逮捕。
煉獄会殲滅は警察の力ではなし得なかった。それに対して彼らなりに彼女へ感謝の意はあったんだろう。大阪府警で暴れた時も人的被害はほぼ居なかった。
しかし違法は違法。
「隊長!!目標を観測!!」
「来たかっ!!」
自衛隊、機動隊、対煉獄会のために招集された各国の傭兵達…その生き残り。
その場の全員が息を飲む。
私の目にも確認できた。
分厚い雲の下、湾岸から望む青い海…その奥が規則的に波打っている。まるで巨大な海洋生物がこちらに迫ってきているようだ。
今回の装備--実弾使用の銃火器、狙撃班配備、戦車…
殺しはしない、しかし殺す気でなければ話にもならない。
宇佐川結愛が投降でもしてくれない限りは…
その場の全員が銃を構えた。
--直後である。ありえないことが起こる。
湾岸目前の地点の海が唐突に盛り上がる。まるで何か見えない力に持ち上げられるように…
それは徐々に天高くそびえ、やがて迫る壁のように襲いかかってきた。そう…
「た、隊長ーっ!!」
「なっ!?なんだこれはっ!!退避ーっ!!」
津波である。
地震どころか風すらない凪の海から突然発生した高波は沿岸からあまりにも近すぎ、そして大きすぎた。
高層ビル並の高さのそれはもはや回避など不可能で、湾岸に集った全てを呑み込んだ--
……これが宇佐川結愛の力。人智を超えたまさに神の領域……
……どれくらいで経ったか。
港を覆い尽くした波はゆっくりゆっくり海へ引いていき、呑み込まれた全ては殲滅された。
立っていたのは私と、隊長のみだった。隊長すごいな。
「……くっ、一体どうなってるんだ。これが奴の神通力か……っ!」
「……隊長」
「残っているのは我々2人だけか!?」
「--来たぞ」
全てを呑まれた湾岸に再び高波が打ち付けられる。しかしそれはすぐに空で飛沫と散り、海から飛び出した彼女の帰国を祝福する紙吹雪のように舞っていた。
--魔人宇佐川結愛がとうとう降臨した。
「……ぬぅっ!狙撃班っ!!」
「よせ隊長、動くな……」
海水を滴らせるその佇まいはどこか妖艶で神秘的なものすら感じる。この小さく華奢な少女の『敵』として立つ……鋭い眼光に射られその意味を実感する。
宇佐川結愛の前に立つ--この先全世界の『力』がその意味を十分に認識し、そして避けることになるだろう。
「…………アンタか」
宇佐川結愛が小さく私に声をかけた。そこには敵意はなかった。私はこの状況で『敵』と見なされてなかった。
…『敵』として立つか。思い上がるな。ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世。
「……悪いけど、急いでる」
彼女の意思に呼応するように再び海が蠢き、曇天が裂けていく…雲の合間から覗く光は彼女を照らしていた。
天が告げる。道を開けろと……
私と隊長は無言のまま、左右に道を譲り敬礼をする。
宇佐川結愛はそれに何も言わずただ淡々と足を前に進める。そこに何も無いかのような足取りは私達を端から見ていなかった。
そもそもここに降り立つ前からだ……
--宇佐川結愛の頭上で切れていく雲はまるで彼女の行く道に続いて空が開いていくようだった。
その威容、まさに天をも従える王者の如く……
*******************
なんやこの病室は。鶴だらけやないかい。
足の踏み場どころかそもそも踏み入るスペースもないし、廊下はなんや騒がしいし…えらいことになっとる橋本ん病室。
「脱糞さんよ。とっておきの見舞い品って何?香曽我部がまぐろ獲りに行ってるけどそれよりインパクトあるんだろうな?」
「え?まぐろ?」
「そういえばお前のお兄ちゃんまぐろ獲ってんだって?」
そないなことどうでもええねん。ウチは無視して橋本を見る。頭に鶴が刺さる。
どことなく顔色が青白くて、でも普通に眠っとるみたいや。浅い呼吸に胸元が上下する。懸命に生きようとしとる橋本の姿に元気な頃メイド服着てにゃん♡とか言うとった頃が重なる。
そうや…コイツのメンタルは強いんや。大丈夫……
睦月がおかしいからとかどうでも良くなってきた。また元気にバイトに出てきてもらわんと……
『香菜、そろそろ……』
「あ、おう……どないしたらええん?てか、ホンマに起きるんやろな?」
『脱糞の力を信じろ。やり方はいつも通りよ。私がこの子のケツから中に入るから…ケツ出して』
……
『しょうがないでしょ!?アンタのケツから移るしか方法ないのっ!!ほら早く!!』
「楠畑さん…良かったら元気付けてあげてくれますか?この子も喜びますから……」
「手でも握ってやれ脱糞女。」
…………ここでケツ出せるわけないやんけ。
「…?楠畑さん?どうされました?」
「……」
「何をしている脱糞女。早く見舞いを出せ。さぁ。ロブスターか?ロブスターだろ?」
いや、ウ○コです。
『香菜!!この子の生命エネルギーがどんどん弱まってる』
「な、なんやて…?」
「お前誰と喋ってんの?」
『早くして香菜……手遅れになる前にっ!!』
………………くっ!
「……楠畑さん?」「どうした脱糞女」
お母さんと睦月がぎょっとする中ウチは橋本の足下の方から布団めくって中に入り込む。もちろん、ケツの方からや……
「おい何してる」
「睦月……これからすることは全部コイツの為やから。それは信じて……」
「いや……どうした?」
バッチリ布団でガードしてからウチはショーパンとパンツを下ろす!!カレシの前でカレシの友達の男子の布団の中で下を脱ぐ!!しかも親の見てる中!!なんやこれ!!
『よし……いくわよ。香菜』
「はよせぇ」
「楠畑さん?」「おいホントになにしてる?てか、マジで誰と喋ってる?」
ウチのケツからひんやりした感覚が抜けてく。アレや…例えるならケツ穴絞ってプスーッて出すすかしっ屁。布団の中覗いたら青白い霊体が橋本の股間あたりに吸い込まれて行きよる。
……待て。これここで脱糞したらえらいことならんか?オムツとか履いとるんやろか。てか、同じベッドの中って巻き添え食らわんか?
待てっ!!
急いで出ようにもや。ウチはパンティもズボンもずりおろしケツだけ星人!!アカンっ!!
「ちょい待ち--」
--ピッピッピッピッピッピッピッ!!
そん時突然心電図が橋本の心拍数を異常なスピードで検知。同時に赤いランプが物々しく点った。
突然の事態に凍りつくお母さんと睦月。
布団の中で必死に下を履くウチ!!
そしてベッドの上で突然体を激しく震わせ跳ねる橋本。おい花子なにしてんの?
「け、圭介!?」「おいっ!!どうした!?橋本?橋本っ!!」
ガタガタガタガタッ
痙攣する橋本!ベッドが揺れる!!履きにくい!!ちょっと待って!!
「ちょっ!!せ、先生っ!!」「つーちん!!誰か呼んでこい!!橋本がっ!!」
「ちょい待--」
「--うぅぅぅぅぅぅぅぅうううううっ!?!?!?」
パニックになるお母さんと睦月と焦るウチに苦しげな唸り声が重なった。
脱糞女こと楠畑香菜--ウチクラスになるともう他人の“それ”の気配すら感じ取れる。極まっとんねん。
……あ、来る。
「うぁぁぁぁああああああっ!!!!」
酸素マスクの奥で橋本が叫んだ。
--ぶっ!!ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅ!!びちびちびちびちびちっ!!ぶちゅぶちゅっ!!ぶふっ!!ぶっ!!
ぶぽっ!!
……そらもうすごいで?ウチが布団の中から押し流されるレベルやから。こりゃオムツとかしてようがしてなからろうが関係ないわ。
今まで自分のクソにまみれたりクジラのクソになったり沢山経験したけどダチのクソ浴びるんは初めての経験や。
……てか多くね?コイツこない出るほど食っとんの?
*******************
--終わったよ。圭介。
「ねぇねぇ!今この病院に日比谷真紀奈が来てるってさ!」「え?マジで?見に行こうぜ!どこ?」
圭介が刺された時ぶりに訪れた病院は何やら騒がしかった。海水でずふ濡れのまま、戦いの傷も癒えない体で廊下を歩く私はそんなざわめきを一層盛り上げていた。
でも、そんな周りの目も全く気にならない。
両腕いっぱいの花を大切に抱え私はあの日の病室に向かう。向かうごとに多くなる鬱陶しい人混みを威圧で退かし進む。
ようやくお前に会える。
もう大丈夫……これからはお前が目を覚ますまで傍に居るから。ここに居るから……
飯も食わせてあげる。体も拭いてやる。着替えもしてあげる。下の処理だって……
だから圭介……早く起きてまた……
「……?なんか、臭い」
え?なにこの異臭。嗅いだことあるようなないような……
もしかしてこの異臭が人混みの原因か?なんて思いながら目的地に向かっていたら……
…………この臭い、圭介の病室から…
一体なにが……?
青ざめた顔の野次馬を押しのけて私は駆け出したっ。
まさか……まさか……っ!!
「--圭介っ!!」
野次馬も医者もナースも押しのけて私が病室に飛び込んだ。
最初に感じたのは圧倒的な、鼻の曲がりそうになる臭さ、それに思わずズッコケかける足下のぬめり……
私の靴の下に暗褐色で固形物の混じったドロドロの……なにかが…………
…………………………
部屋1面を埋め尽くす汚物と折り鶴。
その中心で下半身を汚物に汚したまま、汚物に埋もれた3人の誰かの飛び出た足をぽかんと眺めるその人がゆっくりこっちを向いた。
「…………結愛さん?」
「……圭介」
--圭介だった。
そこには、頬の痩け痩せた、それでも確かに両の足で立つ圭介が居た。
…………ただ、臭かった。
猛烈に。
「……っ、結愛」
「………………圭介…」
100年の恋も冷めて凍りつくレベルで……
臭い。
「結愛ぁぁぁぁあっ!!」
「いや近寄んな」




