千夜ーーっ!!
病院に転がり込んでまず、死ぬ前に辿り着けて良かったと安堵の吐息が零れ落ちた。病院の総合受付の前で助けを求めた先はまるで記憶にない。恐らく、気を失っていたんだろう…
勝利者がなんてザマ。まるで敗走の兵。
いや、俺は本当に勝利者なのか?こんなにボロボロにされて…俺が勝つには様々な要因が絡まなければ不可能だった。そう、彼岸神楽とか…
俺は1人の力で勝ったわけではない。むしろ内容だけ見ればあの戦いは終始奴のペースだった。
だからこそ去り際にあんな言葉が出てきんだろうな……
情けなさに歯噛みする…
最強の男を見下ろした後の最初の目覚めはかつてない程舌触りの悪い味だった。
ベッドの上で失った左腕を見る度それを思い知らされた。
医師の診察。家族との面会。警察からの事情聴取…
しつこすぎて胃もたれしそうな作業を淡々とこなし俺がようやく一息ついた頃……
控えめにゆっくり開かれた扉から久しぶりに見る顔が不安げな表情を貼り付けて覗いてきた。
その時思った。腕とかどうでもいい…
千夜、結婚しよう。
「…た、達也……」
「千夜……」
すまない。指輪の用意がないんだ…ポテコでいいか?
「……た、達也……っ、その腕…」
「嵌めて幸せ、食べて美味しい。むしろ普通の指輪よりお得と言える。割れやすいから取り扱いには注意だ」
「達也ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺の姿を見るなり千夜が猛ダッシュで走ってくる。ああ……千夜、そんなに俺に会いたかったのか。嬉しいか。俺と会えて……
良かった……お前の住むこの街を守れて……
「馬鹿ぁぁっ!!」
「へぶらっ!?」
抱擁かと思っとら張り手だった。瀕死の体に渾身の一打が叩き込まれる。意識が飛ぶのと同時になにかに目覚めそうになったじゃないか。
張り手を食らった俺が面も食らう前でエンジェルが鬼の形相だ。
「……千夜」
「前もあったね。こんなこと」
千夜……怒ってても美しい……
「……私あの時言ったじゃん。覚えてる?」
「え?……結婚の話だろ?」
「別れようか?」
「な、なぜだ!?千夜聞いてくれっ!!俺は約束を……は、果たした……っ!俺はアイツに勝ったん--」
「こんなのもうやめてって、言ったじゃん」
今までのどんな言葉より、刃よりその一言は心に刺さった。俺はハッとして千夜を見上げるが、遅すぎた……
「一緒に居てって言ったそばから消えるし……戻ってきたら腕ないし……」
「千夜……」
「強いとか誰かに勝ったとかどうでもいいんだよ。達也どうするのその体。取り返しつかないじゃん。おじさんもおばさんも悲しませて……達也何がしたいの?どこを目指してるの?それって私と居るより大事なの?」
……千夜、違うっ!
「違うっ!!俺が戦うのはお前の為で--」
「なにが?具体的に」
「俺の1番はいつだって千夜で--」
「…………もう無理だよ。達也」
--千夜にフラれるのはこれで2度目だ。
だが今度のその一言はあの時より更に重みのある、絶望感の深い一言……
千夜の瞳に溜まる透明な雫は見惚れる程美しく……
「千夜……」
愚かな男は最愛のエンジェルを前に言葉を詰まらせた。
「……さよなら。達也」
「千夜っ!!」
追いかけようにも、思うように動かないこの貧弱な体が憎らしい。大切な者一つその腕の中に留めておけない愚かなる男はただベッドの上で叫ぶしかなかった。
「千夜ーーーーーーっ!!!!!!」
*******************
……一体どんな顔して帰ればいいんだろうか。
久しぶりに見上げた我が家はなんだか懐かしくて思わず敷居を跨ぐのを躊躇する。もはや他人の家にすら思えてくる。
しかし、視界に映る『彼岸』の表札が紛れもなく俺の家であることを告げている。
家の中からは懐かしい家族の気配……中に居るであろう母親の気配がますます足を重くした。
強くなりたいと日本を飛び出し、ヤクザなんかに手を貸して大勢を傷つけた。
そんな息子を家族はどう思うんだろうか…
こんなに緊張するのは初めてかもしれない。
「……三途」
いつまでも踏み出さない情けない兄に少し離れたところから妹--神楽が背中を押すように声をかけた。
俺の向けた頼りない表情に神楽は情けないと無言で吐き捨てた気がした。
「……ただいまでいいんですよ」
……なんだ。そんなに簡単なのか。そりゃそうか…俺の家だ。
いつまでも尻込みしてられない。記憶になくとも実の妹の前でこれ以上恥はかけないからな。
--彼岸三途。自宅のドアを開ける。
「…………ただいま」
そんな声じゃ聞こえないだろって声量で俺は玄関から家の奥へ声を投げた。まだ明るい時間帯、玄関は電気がついていなかったが明るい。自然な昼の日差しが俺の背中から差し安心する家の温もりを感じさせた。
……入っていいのかな?
しばらく逡巡していたら恐る恐ると言った様子のスリッパの音が響いてくる。俺は勇気を出して俯いた顔を上げる。
俺と母さんの目が合った。
母さんは玄関先に立つ俺の事を信じられないといった顔で見つめていた。何かを発そうとする唇は小さく細かく震えて、頼りない小さな体は何かを耐えているかのようだった。
「……ただいま」
俺は言った。
希代の親不孝者に対して母さんはゆっくりとスリッパを擦りながら近寄ってくる。俺達が腕を伸ばせば触れ合える距離まで接近するまで、永遠のように長く感じ--
「アンタ今まで何してたのよっ!!!!」
ガシッ!!
愛情溢れる抱擁--ではなく俺を出迎えてくれた一撃は後ろに回り込んでからのスープレックスだった。
流石に俺の母さん……美しい投げで俺がただいました自宅から放り出される。
アスファルトに後頭部をぶつけ、無様に転がる俺を妹は生温かい目で見守ってくれていた。
「……あなた、今までどこで何してたのよ」
「……母さん」
まぁ……当然だった。
激しい叱責も覚悟した俺を受け止めたのは今度こそ温かい抱擁だった。
「親の気も知らないで……っ本当に…馬鹿な子……」
「……母さん」
肩を濡らす熱は母親の涙--生みの親を泣かせる自分の愚かさ…神楽がなにを伝えたく、なんの為に戦ったのか。それをようやく形として実感した。
俺は……本当に弱くて、愚かだ。
それを受け入れ、本当の意味で強くならなきゃならないな……
「……神楽」
ひっそりと立ち去ろうとする妹に俺は声を投げる。
「お前の強さは…母さん……誰かの為に湧き上がる強さがあったからなんだな」
「……」
「佐伯達也の強さは…本田千夜かな?」
「でしょうね」
勝てないはずだ。
「俺は…俺の為の強さしか見てなかったんだな。だから弱い……」
「……」
「強くなりてぇ……お前達の、家族の為に」
母さんがゆっくり俺への抱擁を解き神楽に向き直った。俺ら親子の視線を受けて神楽は一瞬怯んだように半歩退いたがすぐに思いとどまった様子。
母さんが告げる。
「神楽……ありがとう。あなたは私の…自慢の……宝物」
「……」
神楽は一瞬何かを期待したかのような表情を見せた。しかしそれもすぐにいつもの仏頂面の下に隠し……
「……神楽、あなた彼岸流から独立したと聞いたわ。神楽…虫のいい話だけれど--」
「……三途、母上を頼む」
母さんの言葉を遮ってそう告げた神楽の顔は柔らかく笑っていた。
それは内に芽生えた微かな期待を自ら打ち消すような覚悟と決意を俺に見せた。柔らかな目はそれでももう戦士の目で、俺にはそれ以上引き止める事は出来なかった。
「あっ……神楽っ」
疾風の如くその場から駆け出した神楽の背中に母さんが声だけ投げた。
自らを常に高めんと……そして己以外の為に強くなろうと……
そんな誇り高い『最強』の妹に俺は最大の礼節を持って返した。
「……任せろ」
妹へ頭を下げる兄。
その所作には言葉にできない程の感謝が詰まっていた--




