達也と三途
その日彼岸神楽から連絡があったのは俺が貸金庫に預けていた千夜のハンカチを久しぶりに嗅ぎに行った時だった。
『彼岸三途の居場所を教えます。佐伯達也』
「……なに?」
電話越しの神楽の声音は今まで聞いた事ないくらい真剣で重みのあるものだった。ほんのしばらく会わないうちに彼女の身に何かが起きた。それを確信するのに時間はかからなかった。
『ただし、条件があります』
「……聞かせてくれ」
『私が三途と戦います』
「……ダメだ。奴は俺が倒す」
『そう言うと思いました…ですが、私には母上との違えない約束があります。なので……』
電話越しにすぅっと息を吸い込む音がした。相当な覚悟を感じる少しの間の後彼女は告げる。
『もし…私がダメだった時は、あなたが兄を倒してください。約束できるなら、兄の居場所を教えます』
「…………ひとつ、聞かせてくれ」
『なんでも』
「勝てると思って、戦うのか?」
愚問だった。彼岸神楽はもう、勝てるとか勝てないとか…そんなとこに居なかった。もっと大切なものの為に、引けないわけがあった。
『…………勝てないかもしれない。でも、私は強くなった。一矢報いるくらいはできる』
「……」
『佐伯達也…私はあの人を……救いたい。もし私が及ばなかった時は……』
その先は聞く必要もなかった。
『あなたに託したい』
*******************
俺と三途は向かい合っていた。
あの時とは違う……今度は同じ目線で、同じ土俵に立っていた……
1年前、しのぎを削ったあのインターハイと同じように……
「……佐伯達也」
「彼岸三途っ!!」
神楽は敗れた……結果だけ見れば。だが彼女の意志は決して折れていない。彼女の想いは決して負けていない。
その強い想いがあの怪物、彼岸三途に不意打ちの一撃を許した。
見事な戦いだった。
しかし、まごうとこなき『愛』があった。
今からは違うぞ……三途。ここからは、本当の戦いだ……
「……来たか」
「ああ、約束を果たしに……お前に勝ちに来た。あの日預けた決着……俺の命を、取り戻しに……」
三途が笑う。
「……人喰いサブロウを倒したらしいな。あの時、手も足も出ず地べたを這いずっていたお前が……」
「……」
「……いいぞ。少しは……強くなって帰ってきたみたいだ」
これから殺し合いを演じようというのにこの男の顔には歓喜があった。俺も同じか……俺の方は武者震いが止まらない。
しかし一方で途方もなく絶望している俺も居た。
神楽の作ってくれた隙。不意打ちで仕留めるつもりだった。が、結果は背中を斬り裂いたのみ……
俺は強くなったはずだ…
しかしまだ、遠い……圧倒的な差を感じた。
…………やはり。
「……やはりな。佐伯達也」
「……」
「俺を燃えさせてくれるのは……潤してくれるのはお前だけだ」
刀身の折れた日本刀を三途が拾う。彼岸三途の二刀流……それは即ち対峙した者の死を表す。
三途の……本気……
俺は血の滴る本身を構えた。
闘気に当てられ剣が震える。恐怖が戦意を上回る前に俺は前に出た。
この男の強さはよく知っている。今更ビビる必要は無い。
ビビるのも迷うのももう済ませてきたんだ。
「三途ぅぅぅうっ!!!!」
咆哮と共に切りかかる俺の一太刀は三途に触れる前に弾かれる。防御と同時に切っ先が俺の方へ向かってくる。瞬きの間…いや瞬きが終わるより早く。それくらいの速度の突き。辛うじて反応が間に合うが白銀の刃は頬を浅く撫でていく。
そのまま至近距離で足を止め連撃の応酬だ。まずは力比べ。
インターハイの時は全てで圧倒された。しかし俺も力をつけた……
はずだった。
「ぐっ!!ぬぅっ!!」
激しい金属音の中に混じる俺の苦悶の声。必死で歯を食いしばりその場に踏みとどまるが豪雨の夜の滝のような猛攻に気を抜けばあっという間に膝をつかされそうだった。
三途の剣戟が突然止まる。
突然体に叩きつけられていた力が途切れ俺の体は耐えきれず弛緩した。
その隙を突いてくるのは閃光のような突き。電気により極限まで柔らかくなった俺の筋肉の瞬発力を持ってしてもそれには反応できなかった。
右胸を剣が貫く。突き抜ける衝撃は背骨を軋ませた。
「がはっ!!」
「……ガッカリだ。そんなものか佐伯達也…お前強くなったんじゃなかったのか?」
剣が貫いたまま三途は腕を振るう。デコピンでへし折れそうな程華奢な腕が信じられない剛力で俺を真上に振り回した。
勢いに振られて刀が抜け俺が地面に叩きつけられる。
起き上がるのを待つことなどせず三途は凶刃を二振り構え突っ込んできた。
俺は砕けた地面に拳を叩きつけ、そのまま大きなブロックを持ち上げる。くり抜かれた岩盤をそのまま奴にくれてやれば何トンという衝撃が轟音と共に砕け散った。
当たっ--
「……小賢しいぞ、佐伯達也」
後ろ!!
師匠との戦いで会得した驚異的な肌感覚。師匠の神通力すら察知する俺の研ぎ澄まされた五感が次のビジョンを見せた。
その先でバラバラにされ切り飛ばされる俺。
俺は回っていた。
回転する体の表面をなぞっていく冷たい刃の軌跡……回転では流しきれなかった斬撃は肉を裂いた。
回りながらも、斬られながらも俺は回転蹴りを放つ……が、そこに奴は居ない。
「上だっ!!佐伯達也っ!!」
彼岸神楽の声がして俺は視線を上げた。
頭上に飛び上がっていた三途が降下してくる。同時に放たれる剣は動きが見えないほど速い。
降ってくるのは上からの斬撃--俺は刀を頭上に構え受けの体勢。
が、そんな甘い防御を紙切れの如く切り裂き、刀を叩き落とした剣が面を割る。
俺の目の前に降りた三途がそのまま足を貫いた。
動きを封じた三途が仕掛けるのは居合の構え……超至近距離から亜音速の斬撃が振り抜かれる。
回避を許さぬ神速の一撃は俺の足が地面に縫いとめられたのとは関係なく、回避も防御も間に合わぬ速度で俺の腹を切り裂いた。
だけでなく、超高速の太刀の軌道で発生するのはソニックブーム。それは足を刺され固定された俺を易々と吹き飛ばす。
息もできない衝撃波に晒されながら俺は覚悟を決めるしかなった……
…………三途。すまねぇ……
地面に叩きつけられる俺に三途は止まらない。加速により発火した刀を振り上げ襲いかかった。
俺はそれにスタンガンで返礼する……
「?」
自分にスタンガンを当てる俺に三途が怪訝そうな顔をした。
--次の瞬間、俺が消える。
狙いを外した三途の一撃は虚しく空の地面を砕いた。
「…………」
「すまねぇ…三途」
三途の背後に立つ俺は帯電し、次元の違うスピードを手に入れていた。
解禁する。師匠の時のようにだ……
「お前を相手に手加減は出来ねぇ……殺す」
三途は笑った。顔をくしゃくしゃに歪めて悪鬼の如く……
彼岸三途という男の深淵が顔を出した。
「……本気か?上等っ!!」
三途が加速する。速い。まだトップギアではなかったか…いや、これすらも本領には程遠いのかもしれない。
……が、俺は捉えた。
切っ先の折られた刀の刺突は恐らく「お前の力見てやろう」くらいの余裕だろう。味見だ。
そんな慢心を叩き折るように俺は突き出される刀に刀を合わせる。被さる斬撃は三途の刺突を根元から叩き折った。
不意打ちの一撃を除けば初めて三途に一矢報いる。そしてこれは殺し合い……
奴の見せた隙に遠慮なく付け込み追撃を放つ。電撃補充のおかげで解れまくった俺の筋肉は見事な加速を魅せる。雷光の如き一撃は三途のそれ同様音速を超え飛び退く奴の首を捕えた。
あと一息で首を落とせた。
が、流石だ。奴は俺がやったように……いや俺の見せたそれ以上の速度で回転し斬撃を流した。
致命傷には至らなかった一撃はそれでも不意打ちの一撃を除けば三途に触れた一太刀だ。
「……佐伯…達也っ!!」
奴の顔色が変わる。鬼神の如き形相が更に歪みそれはもう神ですら逃げ出す様相だ。
「……決着が近い……」
彼岸神楽が呟いた。
「--達也ぁぁぁぁぁっ!!!!」
俺の一撃に興奮した怪物は咆哮と共に襲いかかる。踊るくべきことにそのスピードは更に加速……もはや俺の目で追えるそれを凌駕した。
それでも師匠から賜った神憑り的感覚で攻撃を予測…………
「……っ!?」
予測しても追いつかぬ速度。俺の想定を遥かに超えてくる剣速…致命傷を避けるだけに全神経を総動員だ。
それでも全身を削る猛攻……受けきれねぇっ!!
まさか……帯電し超感覚を得た俺の上を行くなんて……っ!!
強烈な蹴りが刺さる。今日、剣以外の初めての攻撃だ。奴にとってはちょこまか動く敵を止めるための一撃。が、俺は吐血した。蹴りひとつで次元が違う。
「終わりだっ!!」
三途がまだ折れてない刀を握った右腕を広げた。彼岸神楽の顔色が変わる。
俺にも分かった。俺を襲う攻撃が……恐らくそれは決着の一撃。彼岸神楽に見舞ったアレだ。
…………っ!ダメだ躱せねぇっ!!
次の瞬間には刃が斜めに降りてくる。彼岸神楽の時とは別次元のスピード。もはや刃は耐えきれずヒビが入る。直撃すれば両断では済まない……
--死。
この男は一体何度俺に死を予感させるんだろうか。そしてこれが最後なのだろうか……
不可避の斬撃が降ってくる。これは……
--来年はっ…必ず…勝つ!!
凝縮する時間の中、俺の中に俺の声が響いていた。
--見ててくれ……俺の隣でっ!!
俺の想いが木霊する……
それはこの男に敗れた時千夜に誓った言葉だった…
俺は……まだ生きてる。
まだ負けていない。
俺は--千夜の隣に居なければならないっ!!
想いが……発火する。
なんだ……まだ動けるじゃねぇか。
俺は左腕を持ち上げていた。そこにめり込むのは三途の究極の一撃。その威力は凄まじく全力で固めた筋肉を容易く切断し、俺の腕を斬り…いや消し飛ばす程だった。
……しかし、俺は腕1本を犠牲に奴の刃を大きく減速させた。
腕が消し飛んだ。文字通り飛沫と化した。
すぐさま回避に回るがそれでも奴の減速した刃は俺の体を斜めに切り裂いていく。
しかし、俺は生きていた--
「っ!?」
三途が驚愕に目を見開く。
それは俺の腕1本を犠牲にした防御…それに自らの攻撃の威力に耐えかねへし折れた刀…両方に対してだ。
三途は刀2本。俺は腕1本。しかし俺にはまだ1本刀を握る腕が残っている。
掴んだ確かな有利。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
全力の一撃で体が流れた三途の隙に斬り込む。本気の一太刀が横薙ぎに唸る。横に回り込み滑らせる一撃は三途の横腹を深々と斬り裂いた。
本気の一太刀に飛び散る血飛沫。内臓が見えるほど深い一撃を受けてなお…この男の闘志は揺るがない。
続く唐竹割りの一刀を奴は素手で掴み止めた。
「佐伯達也ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!!!!」
片腕から放たれた殴打。蹴りで大ダメージを負った腹が本格的に破裂する。胃が破れた。
言葉にできない苦痛を噛み殺し俺は頭突きで三途を引き離す。
距離を取った三途を追いかけ横薙ぎ。空をも斬り裂く斬撃をバク転で躱す三途。背後に回る奴の動きは鈍い。
振り向きざまの刺突は奴の腹を容赦なく貫通した。彼岸神楽の助力により入れた不意打ちの一撃--その背中の傷を反対から貫き貫通する。
三途は吐血しながらも折れなかった。
「っ!?抜けねぇっ!!」
「があああああああああああああっ!!」
王者の咆哮は至近距離で鼓膜を破り、続く超感覚が告げるのは顔面を打ち砕く拳。
しかし避けられない。
ここで三途が超加速した。帯電した俺に見せたそれすらまだ全力ではなく、先の先を感じる俺の感覚とほぼ重なる程の速度で顔面が打ち抜かれた。
後頭部まで抜けていく衝撃。脳が激しく揺れ、顔面の骨が砕け折れる。常人なら触れなくても衝撃波だけで粉々だ。
体を吹き飛ばす衝撃は俺と刀を強制的に引き離した。
起き上がる気力すら奪いさる一打に転げる俺を前に三途は腹に刺さった俺の刀を抜いた。
その後の速度はもう消えたなどという表現では足りない。奴の一挙手一投足を見逃さないようにとロックオンしていたにも関わらず、気づいた時には上から三途に踏み潰されていた。
「--っ!!」
苦悶の声をあげる間もなくいつの間にか俺の体が吹っ飛んでいた。なんとかその場に留まろうと足で大地を踏みしめようとしたらその時には右肩に刃が入っていた。
切断前に身を躱し皮1枚で右腕を繋ぐ。だが、両腕が死んだ。
直後、いや全く同時と思えるほどの刹那。
全身の肉が削られ噴水のように血が噴き出す。
「おぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
……つ、強い…っ!!
「ああああああああああっ!!!!!!!!!!」
もうどこを斬られたのかも分からない。魔物と化した彼岸三途は俺の手では止まらない。
俺の手では--
「--兄さんっ!!!!!!」
俺と三途を遮る背中。間に飛び込んだのは彼岸神楽だ。
戦う魔物と化した三途の目にその時感情が差した。
「おぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
俺は彼岸神楽の後ろから最後のチャンスを拾いに行く。拾う腕ももうないが、歯を剥いた俺は三途の首に噛み付いた。
そのまま全身を地面に投げ出すように三途を押し倒す。
持ち上げた刀で俺を突こうとした三途を彼岸神楽の刀が止めた。打ち合う金属の音が破れた鼓膜を貫いた。
彼岸神楽はすぐに体ごと弾かれた。しかし、命懸けで作られた猶予は間違いなく俺に道を続けた--
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅああああっ!!!」
獣のように三途の首を血管ごと噛みちぎった。顔面に飛び散る返り血。声もなくかすれた空気のような悲鳴をあげる三途……
…………三途は動かなかった。
勝利は、血の味がした。
*******************
--戦いが起きたのはまだ昼のはずだったが俺が目覚めた時にはもう辺りは暗くなっていた。日の長い夏のことだ。俺はどれくらい眠っていたのか……
「…………兄さん」
目を細く開けた俺の目の前に真っ先に飛び込んできたのは妹…神楽だ。
共に命を噛み合った仲…しかし今ならばはっきりと分かる。この子は俺と血を分けた兄妹だ。
戦いの最中僅かに垣間見た記憶とも呼べない朧気な光景たち。しかしそれだけで理解を飛び越え実感として血の繋がりを感じたんだ。
俺は上体を起こす。
ボロボロの体には雑な処置の跡が見られた。
「…すっかり待たせたみたいだね」
「……」
戦いの現場となった場所はただひたすらに地盤の剥き出しになった荒野、と言った感じだ。焼けついた大地はそれだけを見れば凄惨な戦いの現場とは感じない。本当に壮絶な戦いの後には何も残らない。
…そう、敗者には尚更。
「…佐伯達也は?」
「……」
神楽は苦い顔をした。
「……戦いが終われば用はないって……」
どうやら奴は寝坊助を気長に待つほど気が長くなかったらしいな。
敗者には言葉もなし……そんな言葉を無言で語る佐伯達也の後ろ姿を想像して俺はグッと歯を噛み締める。折れるほどだ。
その事実はより一層、俺の敗北を実感させてくれる。
敗北を望んでいた。
熱き、滾る、強者との戦い。我を忘れるほどの壮絶な力比べの末に…
それを望んでいたはずなのに……
俺の瞳からは雫が垂れていた。
悔しい--
今の心境を語るのにそれ以上の言葉はなかった。
全力を出した。それこそ、我を忘れるほどだ。戦いの詳細を覚えていないほどだ。
俺はその時点で、満たされてしまったんだな……
佐伯達也は勝利しか見ていなかった。当然だ。俺より先を見ていた男が俺の後ろに立つはずがない。
敗北し、命も取られず、泣く…そんな情けない、武人の風上にも置けない俺を神楽はそっと抱きしめた。決して強い力ではない。傷を労わるように、俺の体が壊れてしまわないようにと、花にでも触れるかのようだった。
「…佐伯達也からの伝言です」
「……」
「結果が全て。最後に立っていたのは俺だ。でも、お前の勝ちでいい」
これ以上の屈辱があるのか?
せめて勝ち誇ればいいものを…あの男は……この俺に最大の侮辱を残して……
「……俺は…………死んだんだな」
「……はい」
「……俺は…………」
頂きに立った男を祝福する言葉は出てこず、ただひたすらに俺は佐伯達也という男を妬み、恨み、そして畏怖し、そして…感謝した。
これはあの時…中学の時に味わった敗北感。
俺はようやく……満たされていた。
再び伝った涙は熱く、口に入った味は苦がった。
体を震わせる俺に神楽は囁く。
「帰ろう……三途。あなたの家に……」




