すき焼きウォーズ
お父さんとお母さんは遅くなります。晩御飯はお姉ちゃんと食べてください。晩御飯はすき焼きです。
母
『緊急速報です。本日正午、大阪の町が戦場と化しました。現場のすったもんだリポーターに繋ぎます』
『はい!こちら現場のすったもんだです!こちら事件の起きた大阪市ですがご覧下さい!このまるで……空爆にでも遭ったかのような……こちら倒壊しているのは指定暴力団、関西煉獄会第一支部事務所との事で--』
片方空いた手錠をさながらブレスレットのようにぶら下げリビングでぼんやりテレビを眺める。巷には物騒なニュースが溢れているようだがリビングの置時計の刻む振り子の規則的な音は眠気すら誘う。
ダイニングのテーブルに用意された豪華な夕食達が今や遅しとその時を待っている。
いや待っているのは私、腹減った。
……しかし。
チャラチャラとやかましい手錠を見つめて私、浅野美夜は思う。
この手錠を毎日つけて、なんでもない家庭の中、学校の中に身を置くようになって……
こうして家族の帰りを待ちながら腹減ったなんて思うようになるなんて、あの頃は想像してただろうか?
思春期をこじらせて何もかもに怒りを向けていたあの頃……
保護観察が始まって1年が過ぎた。私は順調に更生しているいい子……
世の中には私がやらかしたよりもっと大変なことをしている奴がゴロゴロ居て、私のやらかした事をあっという間に塗り替えていく。そんな日々の中で私の中にあった罪悪感とか、肩身の狭さみたいなものが薄れていく。
それはこんな大事を起こしてるヤクザだったり、学校に侵入してきた日比谷のストーカーだったり……そしてそれらを撃退したことで学校から認められるようになったからであったり……
それが少し……怖い。
私はこんな大きな家で、家族から許され、すき焼きを食べていいんだろうか……?
……すき焼き。
今日のラインナップは最高級黒毛和牛。最高級焼き豆腐。最高級しいたけ。最高級下仁田ネギ。最高級糸こんにゃく。最高級etc……
「……〆は最高級うどん」
なんて贅沢。これを姉と2人で食す。
………………
……いいんですか?
いいよね?
だって私いい子になったもん。夏休みの宿題だって、もう終わったし。その上同好会活動までしてる。夏休みなのにだよ?
すき焼き食べたっていいじゃん。だって反省してるんだから。反省しつつ、本当にいいのかな?なんて謙虚さすら兼ね備えてる。絵に描いたような社会復帰。
浅野美夜、すき焼きを食させて頂く。
「ただいまっ!!美夜っ!!大丈夫!?なんか凄い数の着信が……っ!」
「姉さん……」
「……み、美夜……っ」
「すき焼き食べるぞっ!!!!」
*******************
すき焼きって好きなもん鍋に叩き込んで食うからすき焼きなんだよな?
ならば好きに食べていいいはず。
味付けもレイアウトも好きに……それがすき焼きの流儀。何事も型にはまらないのがこの浅野美夜の美徳だが、ここで早速問題が発生した。
「美夜、すき焼きはね、1番下にお肉を敷くの」
「焦げるだろ」
「牛脂を敷いて鍋を温めて、そこからお肉を敷くの。野菜はその上」
「取りにくいじゃん」
「お肉には沢山火を通さないと……」
「馬鹿、牛だぞ?少しでいいって。固くなるじゃん。写真とか見てみろ。肉上に出てんじゃん」
「美夜……」
「姉さんっ!」
すき焼きレイアウト問題。
心の底からどうでもいいんだが姉さんが中々退かない。牛脂を敷いた鍋底がじゅうじゅう言い出して仕方なく肉から投入。
流石にここは魅せる浅野詩音。まるで店で出てくるみたいに丁寧に具材を並べていく。
具材を投入し、出汁を入れて、卵と白飯を準備したらいよいよである。
「……」
「……」
グツグツ
「……もういいかな?」
「まだよ美夜。まだしめじに火が通ってないわ」
「下の肉はもういいだろ?」
「もう少し待ちなさい。美夜、お野菜から食べるのよ?」
「なんで?」
「それがすき焼きの作法なの」
くそっ!めんどくせぇ!!
いい肉なんだからあんまり火通したくないんだけど!?コイツ分かってんのか!?最高級黒毛和牛だぞ?
「よし……」
なにが良しなのか知らんがじっと鍋を眺めていた姉さんが箸を取る。
「いい?もういい?」
「食べ頃だよ美夜。お椀貸して?よそってあげるからね」
普段家の事何もしないくせに鍋物の時だけ仕切りたがる父親の如く姉さんが私からお椀をブン取った。
テキパキと具材を詰め込んでいく。鍋に箸を入れれば甘しょっぱいすき焼きの匂いが……
早く食わせろ!
「はい、どーぞ」
「やったぜ」
ありがとう姉さん。いただきます。最高級のすき焼きだ。お父さんお母さんありがとう。あなた達の存在意義を今日初めて知りました。あとはフカヒレを食べれれば悔いなく死ねそうです。
「いっただきまー…………っ!?」
なに!?肉が無ぇ!!
黄身に浸かった焼き豆腐やネギ、糸こんにゃく……ん?しらたき?知らん。
そんな端役はどうでもいいっ!!
すき焼きの主人公--この高級食材達のプリマたる黒毛和牛さんが居ねぇじゃねぇかっ!!
「……姉さん、肉」
「ん?肉?」
お椀から視線を上げた先に大量の肉をかっ攫う姉の姿。
あの日姉さんが私より学校を選んだ時……あの時姉さんが私の前に立ち塞がった時……
あらゆる場面を回想しそのどれをも上回る殺意を抱きました。
「お肉はお姉ちゃんが食べてあげる。美夜?すき焼きはね、色んな食材をバランスよく食べなきゃダメよ。それがすき焼きの流儀だからね?」
「だったら肉もよこせ」
「美夜はまだまだすき焼きビギナーね。すき焼きで1番美味しいのはお野菜よ?」
うふふ、と笑う姉さん。
こういう時、人は人に手をかける。さっきのニュースも、きっと原因は肉の取り合いなんだろう……
人は肉の為なら命すらなんとも思わないもの。
……いかん。
浅野美夜、まだ保護観察の身。ここで一時の感情に身を任せ姉を鍋底に沈めては二度とこんなすき焼きは食せまい。
姉さんも本気の善意なのかもしれないし……ここはひとつ大人になろう。ファーストミートはくれてやる。なに、まだ肉はあるし……
「ん〜!美味しいっ!!」
そら美味かろうよ……そんだけ大量の高級和牛頬張ったら。今年の幸せ食い尽くしたよアンタ……
「……追加しようか。今度は姉さんも野菜食べなよ」
「あ、私がやるよ美夜。美夜はすき焼きビギナーだからね」
鍋横の具材達を追加しようとしたら姉さんがそれをブン取る。煮えている具材の隙間に差し込まれるように焼き豆腐の白や肉の赤が入っていく。
グツグツ
「ささ、美夜、しらたきがいい感じよ。取ってあげる」
「ありがと……」
「あ、春菊は?美味しいよぉ。ほらほら、下仁田のネギ!!」
「……」
姉さんが次々に出来上がった端役達を放り込んでいく。
「お肉はまだだからね?」
「うん……」
あ、ネギうめぇ……
しらたきのクセになる食感とネギと卵のハーモニーにしばし舌鼓を打つ。大人になったらこんなすき焼きをビールと一緒に……
「……」
「ん?ろうひひゃの?(どうしたの?)」
ヘルシーな端役達を胃の中に収めた私の目の前で高級和牛が姉さんに吸い込まれていた。鍋の中に残ったのは取り残された脇役達……
「お肉……」
「お肉?ああ……お肉はタンパク質だから」
は?
「ささ、お母さんいっぱい用意してくれたみたい!いっぱい食べよ!!」
グツグツ
「……姉さん、次は私がよそってあげるよ。してもらってばっかも悪いし……」
「遠慮しないの!お姉ちゃんにまかせなさい!お姉ちゃんがバランスよく取ってあげるから!さ、お椀貸して!!」
「……姉さん」
「ささ!」
私と姉さんの間で器が引っ張り合いになる。頑固に器を離さない私に姉さんの顔色が変わる。
「……姉さん」
「……ど、どうしたの?美夜」
「姉さんさっきから……肉、食い過ぎじゃね?」
*******************
用意されていた和牛は残すところ半分くらいになってた。
このタイミングで核心を突いてきた我が妹に私は戦慄を隠せない。たった2回で気づくとは……
浅野詩音--学校では首席、家では理想の娘、そして妹の前では正しく強く優しいお姉ちゃん……
そんな私ではありますが……
お姉ちゃんも人間です。お姉ちゃん、ここだけは譲れないの……
お肉、いっぱい食べたいの……
「バランスよくって言ってたよね?姉さん。さっきから肉しか食ってなくない?」
「……美夜」
「野菜が1番美味しいんだよね?姉さんも食べなよ。今度は私が肉食うから……」
「美夜……っ」
「いいんだよ姉さん、我慢するなよ」
美夜が私の器に手を伸ばす。お互いの器を手に取りしかし渡すまいと力が拮抗する。
グツグツ
「……お姉ちゃんがしてあげる」
「いや、私がよそってあげるって」
「美夜、愛してるよ」
「私もだよ姉さん。だからその愛を受け取って?」
「ううん」
「なんだううんって」
「美夜、お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
「うん」
グツグツグツグツ
「…………姉さん、茶番はここまでだ」
「美夜……」
「アンタ、肉独り占めしようとしてるな?私に一欠片も寄越さないつもりだろう?」
「……いや、そんなことは…………」
その時美夜が暴挙に出る!なんと私の器から手を離して箸を取り、そのまま鍋に突っ込んだ!その箸が捉えた先には和牛が……っ!
和牛のミルフィーユ状態。何枚かっ攫ったのかという量を美夜は目にも止まらぬ早業で口へ--
「……っ!!」
「……くっ!!」
……あ、危ないっ!美夜の口に入る前に咄嗟に箸を箸で掴んで止めた!!口の前で静止した和牛からすき焼きの汁が滴る。
「……だ、ダメでしょ行儀悪い。1回よそってから食べなさい」
「やはりな……姉さん、生まれてからずっと一緒だったけど、こんなにケチなアンタは初めて見たよ」
「……美夜。妹は我慢するものよ?こういうのは、お姉ちゃんが食べるの。それに、お肉より野菜の方が体にいいわ」
「バランスよく食べる方がいいに決まってる。てか、そんなことどうでもいい。肉を食わせろ」
「美夜!!お姉ちゃんの言うことが聞けないのっ!?」
「聞けない時だってあるんだよっ!!」
美夜が突然箸を激しく振る。私の箸に挟まれた箸に挟まれたプルプルの肉が激しく揺れてそこから熱々の汁が……
「ぎゃっ!?」
完璧な狙いの元私の眼球に直撃した汁に怯んだその時--
「あーーーーっん!」
「あっ!!」
4、5枚持ってかれたっ!!
「み……っ!美夜っ!!」
「……姉さん…………食卓は家族みんなのためにあるんだ」
くっ!なんて妹……っ!いくら妹だからって……っ!!
その時、美夜が箸を置いた。
「…どんな気持ちよ。今」
「…っ!タ、タダじゃおかないよ…」
「今の姉さんの気持ちが、さっき私が味わった気持ちなんだ」
……っ。
「誰だってさ、肉、食べたいじゃん。すき焼きの主役って、何?」
「……肉」
「うん。私達はなんの為にここに座ってるの?肉食べる為でしょ?」
「……うん」
「どんなご飯だって分け合って美味しいねって言い合った方が美味しいに決まってる。私がどんな気持ちで姉さんの帰りを待ってたか分かる?」
「……美夜」
「いがみ合って取り合って……そんなんならさ、もうすき焼きなんて要らないよ」
私は美夜を抱きしめていた。美夜も私を抱きしめていた。
2人の熱い抱擁はすき焼きより熱く、そして私に大切なことを思い出させてくれた。
そうだよ……私達はこの世にたった2人の姉妹。運命を分けた双子。
すき焼きのお肉だって半分こじゃない。
「ごめんなさい美夜。私……正しいお姉ちゃんになるって言ったのに……つい目の前のお肉に負けて……」
「……いいんだ」
「美夜!愚かな姉を許して……」
「いいんだって」
美夜の優しさが体に染みる。そう、すき焼きのお肉よりも……
抱擁を解いた美夜が体を離し私の手を取って微笑む。
「いいんだ。人は皆愚かさ……」
--カチャンッ
……ん?
「よいしょ……」
「ん?」
金属音と共に私の手首にはまったのは手錠。それは私達には欠かせないアイテムだけど食事中は流石に邪魔……
しかもあろうことか美夜は私の両手を輪っかで繋いでしまった。まるで逮捕された犯罪者。
何してるの美夜?これじゃすき焼き食べれないよ?
「私も同じだ」
「……美夜?」
…………そんな、まさか……
嘘だ。
え?今さっきの感動的なあれは…………
「私だって、独り占めしたいもん」
「……っ!!」
「姉さんさっき半分くらい食ったろ?残りは私のね?これで半分こだ」
「み、美夜……っ!」
「ついでに豆腐もネギもしらたきも貰うわ。姉さんは〆の後の残り汁でも啜ってな?いただきまーす」
「美夜ーーーっ!!!!!!!!」
こ、殺すっ!!!!!!!!




