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橋本は親友

 市内の大学病院は一般の見舞いが午後の2時からになっている。

 ジリジリと焦げ付くアスファルトは太陽光を照り返し上から下から体を焼いていく。熱の篭った体からは汗が噴き出した。


 家に引きこもっていたい午後。が、俺の足は自然と病院に向かっていた。スマホのネットニュースで熱中症患者が何人だとか報じているが、そんなものは俺の足を止める理由にはならなかった。


 面会開始時間ちょうどに来院したにも関わらず橋本の病室には既に家族がいた。昨日は兄弟が来ていたが今日は両親だけのようだ。

 俺が控えめなノックをして入室したら椅子から立ち上がった両親が頭を下げた。


「あら…小比類巻さん……」

「……どうも」


 無機質な病室のベッドでは酸素マスクをつけられた橋本が目を閉じたまま横たわっている。


「昨日も来ていただいて……暑い中わざわざ……」


 優しそうな母親と、丁寧に見舞いの花を受け取る父親。暖かな家族の姿に申し訳なさと場違いな憧れの感情……

 心の中の不純物を掃き出して俺は昨日と同じように頭を下げる。


「……ごめんなさい。俺があんな所に息子さんを連れていったから……」

「やめてください。小比類巻君」


 頭を下げようとする俺を止める父親は皺のよった眉間を緩めて頭を振った。


「君は圭介の恩人だよ…」

「でも、あんな危ないことはやめてくださいね?あなたに何かあったら圭介も悲しみます」


 服の下でまだ癒えない俺の傷を見透かすように両親はそう言った。


 ……恩人?

 俺のせいでコイツは死にかけてるのに?


 橋本を刺した奴はぶちのめしたかもしれない。ただ、それで橋本が目を覚ますのか?

 もっとできたことがあるんじゃないか?あの時、刺されそうになる橋本を助けてやることは出来なかったか?


 返すべき言葉を探す俺に両親は告げる。


「……小比類巻さん、いつも圭介と仲良くしてくれて本当にありがとう。今日もお見舞いに来てくれて……圭介も喜んでます」

「……お母さん」

「圭介の馬鹿な将来の夢にも一緒になって付き合ってくれて……圭介、いつもあなたのこと、同好会のこと楽しそうに話してますから……」


 やめて欲しい。そんなこと言われたら柄にもなく涙腺が緩む。

 橋本は、こんな扱いをする俺を友達だと思ってんだ……


 ……俺は。


「……あの」


 その時、聞きなれた--よく耳に馴染んだ耳障りのいい声音が控えめに病室に入ってきた。

 両親と共に振り返るとそこには廊下から入っていいものかとこちらを伺う彼女の姿。


 彼女とは、俺のだ。


「…あ、脱糞女」

「……おう」


 *******************


「…いや〜、暑ぅてたまらんな。干物になってまうでホンマ。ほれ、飲み?」

「…ん」


 見舞いが終わった俺達を待ち構えていたのはエアコンの効いた院内から一変する猛暑。

 病院敷地内の休憩スペースに腰掛ける俺の横で脱糞女が冷たい飲み物を差し入れてくれた。一応、下剤が入ってないか警戒する。

 が、味がヤバい。背脂豚骨味、しかも炭酸…


「……」

「睦月、大丈夫なん?怪我は?」


 なんの嫌がらせかと思ってじっとペットボトルを見つめている隣で脱糞女が同じものを飲んでいる。気が触れたようだ。


「ああ。平気だ」

「…そ。にしてもびっくりやわ、橋本刺されるとか…おかげでバイトのシフトに穴空いててんてこ舞いやで。夏は忙しいのになぁ」

「悪い」

「?なんでアンタが謝んねん」


 なんて返したものかと逡巡する。コイツの前でセンチメンタルな事は言いたくないし、表にも出したくはない。

 楠畑香菜と居る時間は愉快なものにしておきたい。が、今回ばかりはそんなに呑気にばかりしてられなかった。俺の陰った表情は隣から見ても明らかだったろう。


 ので、諦めることにする。


「…橋本がこんなんなって、ようやく気づいたことがある」

「ん?」

「俺、アイツ好きなんだって…」

「……浮気?」

「ケツつねっていい?」

「冗談や…はぁ〜。そんなんいちいち気づくようなことでもあらせんやん。アンタらいっつも一緒やろ。誰が見てもホモカップルやでホンマ」

「鼻千切るぞ?」

「にしてもまっずいなこれ…」

「それは俺も思った」


 2人して仲良く炭酸を地面に垂れ流しである。コイツの不味さといったら奥の喫煙スペースで煙草吸ってるおじさんがゲロするレベルである。


「橋本の事なんて意識して考えた事なかったけど…アイツが刺された時心底頭に来た。それに、アイツがいつまでも目を覚まさないことに…不安を感じてる。このまま起きなかったらって考えが頭から--」

「起きる」


 言葉を遮って断言する脱糞女に目を丸くする。隣で俺を見つめる脱糞女の目にはふざけた色はなかった。


「起きるに決まっとるやろ。アンタと馬鹿やってこないな楽しい高校生活、途中でやめるわけないで」

「…お前、何言ってんの?」

「アンタらは親友や。ウチが嫉くくらい仲良い親友やん…橋本が親友置いていつまでも寝こけとるわけあらへんよ」

「……」

「大丈夫なん?アンタ…」

「え?は?…あ、だから怪我は…」

「怪我より深刻なとこ、あんとちゃう?」


 脱糞女の手が胸に触れた。

 心臓の鼓動と脱糞女の手の温度が重なる。俺の胸の内側で控えめに触れた手を押し返す鼓動を感じるように、労るように脱糞女は俺を見つめていた。


「…アンタがしょぼくれとったら、橋本もつまらんよ?」

「…橋本のお母さんにも言われた」

「……せやろ?」


 今度は両側から頬っぺを挟み込んで無理矢理笑わせる脱糞女がお手本とばかりにニッと笑った。


「美味いもんでも食いに行こか?橋本が退院したら退院祝いしたらなアカンし、美味い店探しに行こ!」

「……お前、そんなに橋本と仲良かった?」

「元常連で、バイト仲間やぞ?」


 脱糞女の言葉は全て、俺に向いていた。自惚れじゃなくて、分かる。目がずっと合ってるから……


 だから俺はあえて感謝は口にせず脱糞女の励ましを受け取って不格好に笑ってみせた。


「……そうだな」


 *******************


 脱糞女と別れて自宅に戻ってきた時、ムシムシする日差しの熱が一層息苦しい濃密な空気になって肺に入り込んできた気がした。


 つまり、妙な胸騒ぎだ。


 いつも取れかけの玄関の扉がきっちり閉まっていたではないか。

 今日はお袋は休みだ。もしかしたら暇を持て余したお袋が直したのかも……


「……なわけねぇな」


 ぶっ壊れてもう踏み板のなくなった、どこぞの国の世界一危険な通学路みたいなことになったアパートの階段を登って帰宅すると、お袋しか居ないはずの部屋から話し声…


「あ、むっちゃん。おかえり…」

「おかえり睦月」


 そこにはお袋と--親父が居た。


 あまりに唐突な両親からの出迎えに俺は面食らいながらもこの前親父と再開したのを思い出した。

 親父は復縁の話をしに来たんだろう。それにしたって唐突だ。


「ちょうど良かった…睦月ともちゃんと話さないとな……」

「その話は前にしたろ?アンタとお袋の問題だから……」

「これから家族になるんだから…そんな冷たい言い方するな」


 まるでもうくっつくのが決まったみたいな言い方だ。お袋の方を伺うとお袋は憤慨した様子で親父に言い放つ。


「勝手に決めないで」

「そんなこと言うな。俺は生まれ変わった。仕事も見つけたんだ」

「え?親父就職決まったのか?」

「ああ」


 誇らしげな親父が取り出したのはパチンコの情報誌……そこには小さく親父がパチンコを打つ写真が……


「今度は自称じゃないぞ。俺は…本物のパチプロになったんだ」

「……」「……」


 ……一応記事を読んでみよう。うん。頭ごなしに否定するのは良くない。


 --地元の名物パチンカス。とうとう大当たり!負け続ける男がパチンコを辞めずに続けるわけとは?


「……」

「どうだ?睦月、今はまだパチプロじゃ食っていけないが…これからどんどん収入増やしてお前達を楽に……」

「舐めてんのか?」「あたし、お金ない人とは結婚しないわ」


 俺とお袋の冷めた視線を受けた親父は「なぜだ?」みたいな顔して愕然と立ち尽くす。手にした雑誌がゆっくり床に落ちていく。


 パチプロじゃねーし。たまたま勝っただけだし。てか雑誌に乗るくらい負け続けてたんかい。パチンコ辞めろ。パチンコ情報誌ももっと書くことあったろ?


「どうしてだ?お前達をパチンコ御殿に……」

「住みたくないわよ、そんな御殿」

「どうして?」

「松茸御殿にして」


 松茸御殿ならいいらしい。

 働くとか言っといて結局パチンコから抜け出せない親父…そんなどうしようもないダメ親父にお袋は感情的に声を荒らげる。


「ちょっとはあなたを信じようとした私が馬鹿だったわ……私、再婚するなら身長180センチ以上で年収5000万以上、ピエール・ガンバルマンのスーツにロレックス付けててポルシェ乗り回してる男って決めてるの」


 居ねーよそんな奴。あんたの客だけだ。


「…お、俺はパチンコ誌に載った男だぞ!?その身長180センチ以上で年収5000万以上、ピエール・ガンバルマンのスーツにロレックス付けててポルシェ乗り回してる男はパチンコ誌に載れるのか!?」

「キャバ嬢の上には毎晩乗ってるわ」


 嫌だよそんな親父……


「大体あなた…私に何したか覚えてないの?」

「…っ、あ、あの時は魔が差しただけだ。あの子とは別れ--」

「違うわよ!あなた初めて会った時私にIT系企業の役員って言ってたじゃない!あの時付けてたロレックスも偽物だったし…初めて奢ってくれたバーの会計も知り合いのカード勝手に使ってたそうじゃない!?」

「そ、そっち……?」

「私はあなたがお金持ちだと思ったから結婚したのに……」

「こ、今度は嘘じゃない……必ず俺は成功してやる。だから……っ!」

「いや!聞きたくないっ!」

「聞け!!必ず成功する!!だから……パチンコに行く金を貸してくれないか?」


 少し前に会った時少なくとも誠意は感じた親父の姿が粉微塵に消え去った。どうやらこの男はお袋とじゃなくてお袋の財布と結婚したいらしい。


「あなた結局お金欲しいだけじゃないっ!!サイテーっ!!この家のどこにパチンコするお金があると思うのよ!!」

「お、お前だってお金欲しいから俺と結婚したんだろっ!!俺は見逃さないぞ!さっきクローゼットにブランド物の服やらが大量にあったの見たんだからな!!」


 親父が激昂しながらクローゼットを開け放つ。どっかで見たことあるようなないようなブランドのロゴが所狭しと並んでいた。


 ?夜の客の貢ぎ物か?


「金あるじゃねぇかっ!!出せっ!!」


 この男なかなかのクズである。


「それは……むっちゃんのお友達から買ってもらったものだから…」

「なんだと?」


 この女も大概ろくでなしである。


「大体そんな高級品あるなら売って少しでも生活費に回せよ!!主に俺のパチンコ代!!」

「冗談じゃない。私みたいな夜職はね、見た目で舐められたらダメなの!!これは必要経費なのっ!!」

「必要経費が俺のダチの財布から出たってのはどういうこと?」

「そうだ!息子に恥かかせる気か!?」

「アンタが言うなよ」

「俺はな!本当は……本当は競馬もしてぇんだよっ!!」

「ふざけないでっ!!300万持って出直しなさいよっ!!」

「なんだとっ!?」

「なによっ!!」


 …………この2人はどうして結婚したんだろう。

 そんな疑問はあれど、どうして離婚したんだろうってのは納得である。以前日比谷さんに言ったことがある。喧嘩しても仲直りすればいい…と。


 今は思わない。この2人は別々の方がいい。


 守銭奴とギャンブル中毒から生まれてきた息子は醜い親の争いをそう思いながら傍観するのであった。

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