最強との再会
「千夜ぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!!!」
「たっ…達也やぁぁぁぁぁぁああああっ!?」
俺の名前は佐伯達也。本田千夜を何より愛し、今年こそ剣道日本一を目指す剣術家。
俺の朝は早い。
深い眠りの世界では千夜とのあれこれを妄想し、それが夢だと悟る朝、俺は虚無感から痙攣により1日をスタートする。
そんな俺の絶叫に、隣の家の窓から千夜が呼びかけてくる……
千夜エキスを存分に吸入することで俺の容態は安定するのだ……
「もうっ!!朝っぱらから大声で叫ばないでよっ!!」
「……っ!千夜…今日も髪の毛を嗅がせてくれ……」
「……っ。もう、キモイから。今日はデートするんでしょ?さっさと出かけるよ?」
……今日は日曜日。
連休はどこにも千夜を連れて行ってやれなかった…だから今日くらいは千夜を存分に楽しませてやろうと思う。
そうと決まればデートコーデに変身だっ!!
やはりここは…袴か。
「--なに侍みたいな格好で出てきてんの!?」
幼なじみの千夜とのデートはいつも家の前で待ち合わせ。家が隣り合わせなので玄関を出たらデート開始だ。
千夜は真っ白な半袖ワンピースだ。ひまわり畑で駆け回っていそうな夏を先取りしたようなコーデはちょっと暖かい今日にはピッタリ。
頭の上の鈴の髪飾りもりんりんっと涼しげでなんとも清涼感溢れる--
「なんで日本刀差してるの!?」
「いかんか?」
「いかんでしょ!?決闘にでも行くんか!?」
「まぁこれは模造刀だ。気にするな。これもかっこよくキメるコーデだよ」
「警察に手錠キメられるよ!?」
……ふふ、やはりいつもと違う和装にして正解だ。千夜はなにやら騒いでいるが……
「で?どうだ今日の俺は?」
「……っ。もう、知らない!」
おやおや可愛いものだ。ぷーっと顔を赤くして膨らませるあたりなんて初心な……この初々しさこそ、本田千夜の清楚さを何より引き立てる調味料…
あぁ千夜…君は俺のマイエンジェル……
「早いぞ千夜」
「むー……」
早足で歩く千夜にあっさり追いつくと手を握る。千夜の細い手は俺の手の中にすっぽり包まれてしまう。伝わってくる暖かな体温に俺は全身に幸せホルモンが供給されるのを自覚する。
千夜と繋がる事で世界が華やかに色づいていく。
変わらない空も、立ち並ぶ単色の建物も、目に悪い信号機の光も……
無味乾燥な街の風景が千夜が隣にいるというだけ、ただそれだけで華やかになるのだ。
「そう…千夜とは世界に華を添える存在…例えるなら料理を盛る皿…俺がパスタで千夜が皿…俺が上で千夜が下……」
「何ブツブツ言ってんの?怖っ!」
「ところで千夜、今日の予定だがどうする?俺は鯨でも見に行こうかと思ってたんだが……」
「え?鯨……?」
俺と千夜だけの時間。
そこに割り込んでくるのは無粋なスマホのバイブレーション。俺は紳士的に「すまない」と千夜に断り着信を確認する。
「もしもし」
『佐伯クン…』
電話をかけてきたのは同級生のノア・アヴリーヌ。かつて俺の純粋な心を掻き乱した女…いやそれはいい。
「どうしたんだ?今はちょっと取り込み中でな…」
『ゴメン…ドウシテモ会イタクテ…』
モテ期、到来。
「…おいおい、ダメだぞノア。俺には千夜が居る」
「達也?誰と話してんの?」
『…私、日本カラ離レマス…』
唐突に電波に乗ってきたセリフは俺には寝耳に水だった。
ノアはフランスからの留学生。アルバイトで生活を繋ぎながら日本に勉強しに来ているのだ。
そこで鍛え抜かれてきた俺の聴覚が異常を捉えた。
電話越しのノアの呼吸がどこか荒々しく安定していない。本人は隠しているつもりだろうが、この佐伯達也を前には安いカモフラージュである。
「ノア、何があった?今どこだ?」
『…会ッテクレル?私ハ今、鍛冶山区ノ廃工場ニ……』
なぜそんな所に…
俺の疑問が解消されることなく、ノアからの通話は切れてしまった。
ノアが何らかの事件に巻き込まれた可能性はある…しかし同時に俺は嫌な予感がした。
「……達也?」
「千夜。今日は鍛冶山まで行ってみようか?」
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「ぎゃああああああああああっ!!」
千夜とのデート中ではあるが俺は何が起きているのかを確かめる為に田舎町へ走る!
隣に千夜を乗せたママチャリは電車を追い越し、風圧で車を吹き飛ばしながら爆走する。
千夜が後ろで歓声をあげている。楽しそうで何よりである。
「もうっ!達也の自転車には一生乗らないからぁぁぁぁっ!!!!」
…鍛冶山区の廃工場……思い当たる場所は1箇所。
俺もこっちは詳しくはないが、昔大火事で一帯が封鎖された工場地帯があると聞いている……
自転車を走らせること20分。俺達はデートスポットとは思えない寂れた工場地帯の前までやって来ていた。
寂しい住宅街を抜けてすぐに顔を出す乱立する小さな工場達。ゴーストタウンと人の住む町が隣り合わせなようで不思議な感じがした。
「……え?なに達也。ここ?ここで何するの?私、身の危険を感じるんですけど?」
「……」
残念だが千夜からのさり気ないアピールに応じてやる余裕はなかった。
結論から言ってノアの言っていたのはここで間違いない。
工場地帯から尋常じゃないオーラがビリビリと空気を伝って肌を刺激するから……まるで裸とおぼんだけでライオンの群れの中に飛び込んだような緊迫感だ。
この中に何かいる…
「千夜、すぐに戻る。ここで待っていてくれ」
「え?は?」
千夜を残していくのは心配だが…すぐ傍が住宅街。大丈夫。何かあっても助けを求められるはず。
それにこの尋常じゃない気配は千夜には牙を向けない…何となくそんな確信があった。
俺は工場地帯に足を踏み入れた。
シャッターの降りた町工場は時代から取り残された無念を吐き出すように重たい空気が常に張り付いてくる。空は快晴なのにどうしてかここだけは曇天の下のように気分が沈むのだ……
俺はすぐにノアの居場所を突き止める。
そこは、軒並み閉まったシャッターの中で唯一真っ暗な口を開いて俺を招いていたからだ……
「……ノア」
俺は意を決して足を踏み入れる。
そこは埃っぽく真っ暗な廃工場だ。しかし、確かに人の存在を証明する床に積もった埃に残る足跡…
ここに獣がいる。
ただ、俺は全裸おぼん野郎では無い。臨戦態勢に入った俺の闘気は極限まで練り上げられている……
ノアの姿はすぐに見つけられた。
床に転がったスマホの液晶から零れる青い明かりが、壁にもたれるノアを照らしていた。
「なっ!……ノア!!」
「……佐伯クン」
俺はノアに駆け寄った。彼女は酷く疲れている様子だが、命に別状はない。目立った外傷もないようだ。
ただ、気力をすっかり削り取られたような疲労感と、心をへし折る恐怖を刻まれたような顔をしていた。
「エ……ナニソノ格好」
そして容赦なく俺の心も抉ってくる。
「今ドキ腰ニ刀ナンテ外国人モ信ジテナイヨ?」
「いや今それはいいだろ!何があった!?」
「……シクジッタ」
ノアはそう言うと俺の手を握った。
おいおい、そんなに艶やかな瞳を向けるなよ。いけないぜ。俺には千夜が……
「コノ街ハモウスグ戦イノ炎ニ包マレル……トンデモナイ男ガ帰ッテキタ」
「何を言ってる……」
「私、バイトデ殺シ屋ヤッテタケド、シクジッテ……私ノ後任ヲ組織ガ連レテキタ…」
「いや、話が全く分からん。ヤクザの用心棒してたのは宇佐川師匠から聞いた事あるが、今度は殺し屋?」
「気ヲツケテ……闘気ニアテラレタダケデ私ガコノザマヨ」
なんだと……
「ソレト!」
ノアがさらに強く俺の手を握る。彼女の真剣な瞳が訴える。
「組織ノ目的ハ宇佐川先輩…先輩ニ、伝エ…………」
「……っ!ノア!?おい!ノア!!」
ノアの細くなっていく瞳の光は瞼に包まれ、彼女の体は力なく崩れた。一体何が原因で気を失ったのかは知らんが……
「……とにかく、病院に連れて行ってやる」
なんでか知らんがぐったりしたノアを抱えあげたその時……
--歴戦の俺の第六感が警鐘を鳴らした。
それは濃密な獣の匂い--
そして--死。
「っ!?」
ノアを抱えたまま俺はその場で横っ飛びに跳んでいた。
その直後、タイミングを計ったかのように地面を叩き割る一撃が礫と衝撃波を撒き散らし真上から襲いかかった。
完全に回避した。なのに俺はその圧倒的破壊の余波に全身の骨が軋むのを感じる……
「ぐはっ!!」
ノアを離しながら地面に叩きつけられる俺。そのまま体制を立て直し模造刀を抜いた。
粉塵撒き散る暗闇でアルミの白刃が輝く……
その黒い煙のカーテンの向こうから覗くのは獣のごとき赤い眼光…
そして、強烈な剣気!
……なんだ、これは。
それは感じたことがあるようで、全く記憶にあるそれとは別物の気迫……
それは肌に感じただけで『死』をリアルに実感させる。質量を持っているかのような強烈なプレッシャー。
並の相手なら立っていることすらできないだろう。俺の膝は震えながらも辛うじて地面に踏ん張った。
--俺はこいつを知っていた。
「--久しぶりだ」
「……っ!バカな……」
俺はその男を誰より知っていた。
俺はその男の剣を知っていた。
--トンデモナイ男ガ帰ッテキタ。
……まさか。
「……佐伯達也」
「……っ、彼岸、三途……」
俺達はかつて剣を交えた互いの名前を口にした。
その瞬間、大気が震え、充満していた湿度の高い空気が霧散するような錯覚を感じる。空気中に電気が通ったかのようにピリピリと全身の感覚神経が過敏になっていく……
俺は昂っていた。
それはかつて苦渋を舐めさせられた男との邂逅…
そして同時に畏怖した。
コイツ…あの時とはまるで別物……
奴の手に握った2本の刀が俺を反射して獲物を捉えた獅子の瞳のように爛々と輝いて見えた。
「ウ……」
「ノアっ!お前意識が……」
「佐伯クン、ダメ…戦ッテハ……」
次の瞬間。
爆速で疾走する彼岸が俺との間合いを一気に殺した。反応すらままならない俺は慌てて模造刀を振るった。迫ってくる“それ”を振り払うような…半分パニックになった一太刀。
それに返ってくる返礼はネコのような身軽な体捌きと共に放たれる首に真っ直ぐ飛んでくる白刃。
--あの時、去年のインターハイの時はスピード、手数、パワー、テクニック……
全て奴が上を行っていた。
「っ!?」
紙一重で躱す。いや、頬を深く斬られた。
何とか体勢を立て直しつつ唐竹割り。奴の低い頭に模造刀を振り下ろすが、奴は片手で払うように刃を弾いた。
俺の渾身の打ち込みを…片手でっ!!
--今は……さらに全てがあの時より上を行っていた。
軌道を変えて打ち込もうとする俺の一太刀が途中で消えた。
俺の視線の先でいつの間にか模造刀が粉々に粉砕されていたのだ……
「……っ!」
「……詰みだ」
次の瞬間には、俺の目の前に切っ先が向けられている。あとほんの少し押し込めば俺の片目を潰せる位置に、最強の握る刀の先端があった。
見下ろす彼岸は相変わらず枯れ木のような体で、けれど、そこにはもはや『狂気』と言っていい程の気迫を宿している。
姿かたち……なにも変わりはない。
のに、俺は目の前の男を彼岸三途だとは思えなかった…
「……俺は海外で猛者と戦って、戦って……戦い抜いて……強くなったぞ」
「……っ」
「お前は……弱くなったな」
彼岸の吐き捨てる一言は聞き流すにはあまりに大きすぎる一言だ。俺は食ってかかろうと口を開きかけ、止まった。
その先の彼岸のあまりに失望した眼差しを見たから……
俺が……弱くなった?
「俺を燃えさせてくれるのはお前だけだと思っていたが……」
彼岸は刀を鞘に収めた。
俺の生殺与奪を握っていながら、俺にトドメを刺すことなく踵を返したのだ。
これは試合ではない。
奴は真剣を握っていた。
これは『戦い』なのだ。
俺は自らを恥じると共にトドメを刺さず去ろうとする彼岸に再び吠えようとする。
その言葉を遮ったのはやはり、奴だった。
「俺は今、関西煉獄会という組織にいる」
「関西……煉獄会……」
「いずれこの街は戦火に包まれるだろう……お前の命は今日、俺が預かった……」
「……彼岸っ」
「気合いを取り戻したら、預けた命取りにこい」
そんなセリフを残して奴は瞬きの間に消えていた……
俺はただその場で呆然とするしか無かった。
彼岸三途は最強の男だ。それは奴に破れた俺がよく知っている。
そしてそれは去年の時点で既に、なのだ。
更なる高みへと至ったあの男の力を前に、俺は折れた剣を握る握力すら戻らなかった……
「一体……」
「ゴホッ……モウスグ、苛烈ナ戦イガ始マル……関西煉獄会ハ、組長ノ娘ヲ傷付ケタ宇佐川先輩ヲ許サナイ…奴ラハ街ゴト巻キ込ンデデモ、報復ヲ果タスハズ……」
「………………」
「--コノ街ニ住ンデル限リ、アナタモ無関係デハ居ラレナイノヨ」
…………この街で、一体何が起きようとしているのだ。




